大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

大阪地方裁判所 昭和51年(ワ)1978号 判決

原告

竹本美志

外三八八名

原告ら訴訟代理人

鬼追明夫

藤井勲

佐伯照道

安木健

稲田堅太郎

豊川義明

渡部孝雄

石丸悌司

大江洋一

富永俊造

西垣立也

藤田勝治

松岡康毅

水野武夫

池上健治

中川秀三

松本研三

芝原明夫

佐井孝和

木村保男

郷成文

坂和章平

八代紀彦

平山正和

春田健治

谷五佐夫

大川真郎

山村恒年

石橋一晁

井上善雄

辛島宏

中西康政

板東宏和

北條雅英

松丸正

吉岡良治

川窪仁師

細川喜子雄

岡嶋豊

水田利裕

峯田勝次

赤沢博之

井門忠士

河合勝

被告

関西電力株式会社

右代表者

小林庄一郎

被告訴訟代理人

岡碩平

野嶋董

原井竜一郎

森岡幹雄

梶谷玄

吉村修

荒尾幸三

於保不二雄

米田実

真田淡史

中筋一朗

梶谷剛

占部彰宏

松川雅典

主文

一  被告は別紙(二)〈省略〉の「損害賠償認容一覧表」の「第一当事者目録原告」欄記載の各原告に対し、対応する同表の「認容額」欄記載の金員、及び、その内金である同表の「慰藉料」欄記載の金員に対する同表の「遅延損害金の起算日」欄記載の日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  第一項の原告らのその余の請求部分、及び、第一当事者目録原告らのうちのその余の原告らの請求は、いずれもこれを棄却する。

三  第二当事者目録原告らの差止請求はいずれもこれを棄却する。

四  訴訟費用中、別紙(二)の「損害賠償認容一覧表」の「第一当事者目録原告」欄記載の原告らと被告との間に生じた分はこれを四分し、その三を右原告らの負担とし、その余を被告の負担とし、その余の原告らとの間に生じた分は総て右原告らの負担とする。

五  第一項は仮に執行することができる。

事実《省略》

理由

(書証の成立とその引用について)

当事者双方から提出された書証、その成立の認否及び成立に争いのあるものについて真正に成立を認めた証拠は、別紙証拠目録記載のとおりである。

以下各書証を引用するときは書証番号のみを掲げることとする(なお写真である検号証についても同様とする)。

〈編注、別表および別図は、すべて省略〉

第一  当事者及び岬町の所在位置

一原告ら

〈証拠〉を総合すれば、次の事実が認められ、その他に右認定を左右するに足る証拠はない。

1(一) 患者原告竹本美志、同辻下ユキ子、同高木廣一、同古賀兵藏、谷口みゆき、同伊木冨士子及び亡三橋シマ子、同木戸コナミ、同東野美代子、同安達克子、同左近正國、同中川美は、それぞれ(1)原告らの別表〔A一五〕の「患者原告ら居住地一覧表」のとおり(但しその最下段は除く)の場所、期間(但し患者原告伊木冨士子は昭和二八年から昭和四三年四月まで岬町深日の岬石油店に住込みをしていた)、第一火力からの距離方角等の下に居住してきた。(2)また患者原告らは原告らの別表〔A四三〕の「患者原告らの症状等一覧表」の病名欄記載の慢性閉塞性肺疾患を患つてきたと訴える。

(二) 亡三橋シマコは昭和五七年九月二五日、亡木戸コナミは昭和五二年一月三〇日、亡東野美代子は昭和五四年一月二〇日、亡安達克子は昭和四八年一〇月五日、亡左近正國は昭和五一年五月一一日、亡中川美は昭和五七年五月一三日それぞれ死亡し(右六名が死亡したこと自体は当事者間に争いがない)、それぞれ前記別紙(二)の「損害賠償請求一覧表(二)」の「被害者」欄に対応する「第一当事者目録原告」欄の各原告ら(その身分関係は、同「原告との続柄」欄各記載のとおり)が、被相続人死亡当時の民法が定める法定相続分に従いその遺産を相続した。

2 第二当事者目録原告らは、いずれも大阪府泉南郡岬町内に居住している。

二被告

被告は一般電気事業を営むものであるが、岬町多奈川、谷川及び谷川地先埋立地に、昭和三一年四月及び一一月から各出力7.5万キロワットの第一火力第一、第二号機を、昭和三八年四月及び一〇月から各出力15.6キロワットの第一火力第三、第四号機を、本訴提起後である昭和五二年七月及び八月から各出力六〇万キロワットの第二火力第一、第二号機をそれぞれ建設のうえ営業運転を開始し、更に昭和四五年一〇月に建設計画を発表した各出力六〇万キロワットの第二火力第三、第四号機の一般的建設計画を放棄していないことについては、当事者間に争いがない。

三岬町の所在位置

以下の事実については当事者間に争いがない。

1 本件火力発電所のある岬町が所在する右大阪湾岸地域は、原告らの別図〔A六〕中の「大阪湾岸周辺地図」のとおりで、北に六甲山地及び北摂山地が、東に生駒、金剛山地が、南に和泉山脈が、西に約一〇キロメーター巾の紀淡海峡を隔てて淡路島(諭鶴羽山地)がそれぞれ所在し、その中に面積約一、七〇〇平方キロメーターの大阪平野、面積一、四〇〇平方キロメーターの大阪湾を含んでいる。

2 右岬町は、大阪湾岸の最南端に位置し、北部において大阪湾に面し、南部において和泉山脈の西端の海抜四〇〇メーターに満たない山地を背負いその尾根付近で和歌山県と県境を接する、前記別図〔A六〕中の「岬町全図」(被告第二火力用地埋立前)及び原告らの別表〔A一五〕添付の「患者原告ら居住地図」(同埋立後)のとおりの地形の土地で、その中には、北部海岸線沿いに南北巾約五〇〇ないし一、〇〇〇メーター、東西距離約七キロメーターにわたる細長い帯状の和泉平野の一部をなす平地が、東部、南部、西部に海抜一〇〇メーターないし三〇〇メーター級の前記山地(主として北斜面)とその山地の間に南北に走る原告主張どおりの四本の谷がそれぞれ存在する。

四侵害行為の発生する発電のメカニズム

原告らは、本件損害賠償及び差止両請求の要件である被告の侵害行為の発生する基本的メカニズムについて、次のとおり主張し、被告も右メカニズム自体についてはこれを争わない。すなわち、

前記の被告の第一火力の各発電機には、石炭、重油混焼式ボイラーが設置されていたし、第二火力の各発電機には油専焼式ボイラーが設置されており、重油や石炭(但し石炭の使用は昭和四八年一月まで)等を焚いて高温高圧の蒸気を作りその蒸気の力でタービンを回して発電機を回転させ発電するという基本構造により、重油や石炭等の熱エネルギーを電気エネルギーに転換する。そのため右の過程で大量の重油や石炭等を燃焼させるので、それに伴い硫黄酸化物、窒素酸化物、煤塵らを副産し、その相当部分を煙突から大気中に排出したりなどするし、また、発電機の復水冷却用に多量の海水を使用するので、熱を吸収した右の温排水を海中に放水し付近の海水温を上昇させてきた。

五そこで、次の第二において、損害賠償請求について、第三において差止請求について順次判断する。なお、原告らのいう右の侵害行為について触れるにあたつては、それぞれ大気汚染、水質汚濁・騒音その他の汚染の順に勘案することとする。

第二  損害賠償請求

一  大気汚染による侵害

1 はじめに

(一)  大気汚染による不法行為の成立については、被告の大気汚染行為により患者原告らの生命身体等の保護法益を違法有責に侵害しその結果、患者原告らに損害が発生したといえることが要件であるところ、

(1) まず加害の違法性について、イ侵害行為に関する事実として、(イ)被告が硫黄酸化物等を排出した量・態様・条件、(ロ)患者原告ら居住地の環境濃度及びその特性、(ハ)右(イ)と(ロ)の間に到達の因果関係が存在すること、(ニ)大気汚染行為の侵害性をはかる基準(閾濃度値等)と、その基準の患者原告ら居住地における環境濃度及びその特性へのあてはめ(侵害性の有無程度の発見)をそれぞれ探り、(ホ)更に被告の右侵害行為について共同不法行為者の存否及び被告や共同不法行為者の右大気汚染中における寄与割合を求め、ロ被侵害利益に関する事実として患者原告らが患つている閉塞性肺疾患等の病状・経過らを知り、ハ続いて右イの侵害行為によつて患者原告らが右ロの非特異的疾患である閉塞性肺疾患等に罹患・増悪したものといえるかの、発病の因果関係について検討し、これらのイないしハの諸事実の相関の中で違法性の有無・程度の判断をなし、

(2) 次に被告が右違法行為につき責任を負うか、

(3) 更に被告らの右行為により原告らが具体的にいかなる損害を蒙つたか、

にわたつて探求することが必要である。

そこで次の(二)においてこれらの諸点に共通して横たわる問題点とそれに対処する基本的態度を示したうえ、同(三)及び第二、一2ないし10において右一1(1)イの被告の侵害行為について述べる。

(二) ところで本件侵害行為の有無程度・患者原告らの発病との因果関係の存否及び損害等を検討するについては、共通して横たわる問題点がある。

それは、まず第一に、これらの検討について必要なデータや諸実験結果・科学的知見等が、後に各所で触れるごとく、通常のこの種事件と異なり相当大巾に少ないことである。つまり、その主要な数個の例をあげると、

(1) 被告の硫黄酸化物等の排出状況のデータ(例、一時間値)が不足気味であるし、

(2) 岬町における大気環境濃度等が、複雑な同町の地形と相まつて局地性が強いのに、これを検討するに足る大気汚染濃度や風向風速のデータが十分でなく、

(3) 本件の解明にとつて必要不可欠な、被告の排出量最盛期ないし第一火力の低煙突時代におけるデータ(それも大気汚染行為の侵害性を見るについて一つの目安になり得る環境基準のレベルでの測定値である、二酸化硫黄濃度のAPメーター値や吸光光度法による二酸化窒素濃度の一時間値等)が欠乏しており、

(4) 有効煙突高さ、気象等の大気拡散に関する測定値や科学的知見も未開拓分野が多く、また各種実験結果も十分でなく、

(5) 遠来のバックグラウンド濃度及び地元発生源(例えば国道二六号線を走行する自動車や新日本工機岬工場等)排出の汚染物質の量が岬町の大気汚染の過半を占めるのに、その排出・到達状況のデータが著しく不十分であり、

(6) 患者原告らの発病の有無につき重要な、患者原告ら居住地付近における大気汚染濃度やその特性を示すデータが著しく不足し、

(7) その発病の閾濃度値等を探るに相応しい信頼性の高い医学・疫学等の諸調査結果も十分でなく、

(8) 岬町のデータを他地区と比較し得るような他地区データも十分消化された形で提出されていないし、

(9) 患者原告らの患う慢性気管支炎症状が非特異的疾患であり、その原因の特定が、自然有症率の存在もあつてことのほか困難であるのに、その原因(発病の因果関係)を探るについて重要な間接事実となる住民健康調査は、岬町においては他の事件と異なり、たつた一回しか行われていず、しかもその結果出た高有症率には、正確性・信頼性等をめぐり種々の問題が存在し、かつ、その有症率と大気汚染との関連性にも問題があり、岬町で行われたその余の調査は資料として提出されていないか、提出されていても殆んど価値がなく、

(10) 損害の算定をめぐつても、患者原告らの素因・喫煙・加令等をいかに関連付けて評価するか等の知見が必ずしも十分でない、

など各般にわたり諸々の制約がある。そのため本件不法行為の成否の解明は、かかる資料の面や科学的知見等の面の制約により、著しく困難であり、大袈裟にいえば針の孔から天を覗くの感があることである。

第二に、存在するデータや知見から浮かび上がる各種の要件事実が順次判断を示すごとく、随所に不法行為の成立にとつてボーダーライン上のそれとして現われることである。それらの事情があるため、本件不法行為の成否等の判断は不安定になりがちで、この点でもまた著しくむずかしい。

したがつて自然科学の分野では、かかる資料や科学的知見の下で右事案の解明を行うことは不可能というほかはない。

しかしながら法的次元において本件不法行為の成否を論ずるにあたつては、資料や知見の不足でもつて直ちにその探求を放棄すべきものでなく、当事者の提出した、乏しい既存の観測データ、疫学的データや科学的知見等の資料の中から、不法行為法の理念たる損害の妥当・公平・合理的な負担の精神に立脚して総合的判断の下に事案の解明にあたると共に、他方では、右の精神に則り、データや科学的知見の不十分さに伴つて生ずる結論の不安定さをも十分考慮し、安全性を見込んで控え目にこれを判断すべきものである。

(三) そこで以下においては右一1(二)に述べた観点に立ち、同一1(一)(1)イの被告の行つた大気汚染行為の侵害性について述べる。すなわち、まず第二、2において、被告の硫黄酸化物等の排出状況を、同3において、岬町において観測された大気環境濃度を、同4において、被告が排出した右硫黄酸化物等が岬町に到達し右環境濃度の一部になつていることを、同5において岬町の第一火力排出量最盛期における大気環境濃度の推定等を、同6において、右環境濃度の特性(ピーク型汚染等)を、同7において、患者原告ら居住地等でみた、右大気環境濃度とその特性を、同8において、慢性気管支炎症状等が発病する大気環境濃度の具体的閾濃度値等を探り、それを患者原告ら居住地の右環境濃度やその特性へあてはめ、大気汚染行為の侵害性の有無程度の検討とその結果を(なお違法性の有無の結論は、各患者原告らのその要件の充足状況に応じ、それぞれに相応しい場所で随時判断を行うこととする)、同9において、被告とその余の大気汚染物質排出行為者との共同不法行為の成否を、同10において被告及び共同不法行為者が大気汚染中に占める寄与割合をそれぞれ順次述べることとする。

2 被告の煙突からの硫黄酸化物等の排出状況

(一) 燃料使用量

第一火力が稼動を始めた昭和三一年度から昭和四八年度までの間の各年度ごとの使用燃料の種類及び数量が原告らの別表〔A一〕の「第一火力における燃料使用量」記載のとおりであることは当事者間に争いがなく、弁論の全趣旨によれば、右別表〔A一〕の燃料使用量を月別に見ると被告の別表〔B一〕の「月別使用燃料表」記載のとおり(但し、同表中の硫黄含有率欄の数値を除く)であることが認められ、右認定を覆えすに足る証拠はない。

(二) 硫黄酸化物等の排出量

(1) 硫黄酸化物(SOx)

イ 硫黄酸化物は、燃料中に含有される硫黄分が燃料により酸化されてできるもので、大部分の二酸化硫黄(SO2)と或る程度の無水硫酸(SO3)からなり、その量は、燃料中に含まれる硫黄分の量に正比例して増減することについては当事者間に争いがない。

ロ ところで原告らがベースとして主張する原告らの別表〔A二〕記載の硫黄酸化物の推計年排出量と弁論の全趣旨によつて被告が算出するのであろうと認められる別表〔C一〕の「第一火力及び第二火力のSO2排出量」記載の硫黄酸化物の推計年排出量とは、いずれもその計算の基礎データとして使用した第一火力における燃料使用量において同じであり(前記一2(一))、硫黄分含有率についても弁論の全趣旨によれば昭和三一、三二年度及び昭和四〇年度以降において同じである(硫黄酸化物の推計年排出量が僅かに異なるのは、計算上の違いなどによるものにすぎない)から、その余の期間である昭和三三年度から昭和三九年度分につき多少原告ら主張の推計年排出量が多いにすぎない。しかるに後述のとおり本件で不法行為が問題となるのはそのうちの排出量最盛期の一部にあたる昭和三八・三九年度分のみにすぎず、右両年度の原被告の推計年排出量差違はいずれも僅かに数パーセントにすぎず、証人塚谷恒雄、同難波芳之の各証言に弁論の全趣旨を総合すれば、この程度の排出量の差異は岬町における大気汚染を論ずる際無視しても差し支えがない(第一火力からの着地濃度が問題となる)ものと認められ、右認定を左右するに足る証拠がない。したがつて第一火力による硫黄酸化物の排出量は、おおよそ原被告らの算出の数値の程度であると見当を付けておけば足る。

そして証人塚谷恒雄の証言によれば、第一火力の各ボイラーにはいずれも排煙脱硫装置が付設されていないので煤塵に付着などして回収される一部分を除いて残余の殆どが、各煙突から大気中に放出されてきたことが認められ、右認定を左右するに足る証拠がない。

ハ もつとも、原告らは、ベースとして主張した右推計排出量は、燃料中の硫黄分含有率を控え目にみて計算したものであり、実際の硫黄含有率はそれより高率であつたので、硫黄酸化物の年排出量も右推計値を更に上回つていた旨主張し、その裏付けのため、請求原因第三、一2(二)(1)イ(ハ)の諸資料(甲第五一号証、第二三八号証、第二七三ないし第二七八号証)を提出する。

しかしながら、これらの書証は、いずれも第一火力の排出条件が悪かつた第一火力の第三、第四号機稼動後の低煙突時代において第一火力で直接使用された燃料の状況を示すものではなく、かつ甲第二七三ないし第二七八号証は書証として提出されただけに止まつている。したがつて未だこれらの証拠によつて前記認定以上の二酸化硫黄の排出量があつたものと認めることができないことは明らかであり、原告らの右主張は採用の限りではない。

(2) 窒素酸化物(NOx)

イ 窒素酸化物は、石炭重油等の燃焼により、燃料中及び空気中に含まれる窒素分が酸化されて発生するもので、その大部分は一酸化窒素(NO)であるが、排出後大気中で酸化されて二酸化窒素(NO2)となること、したがつて燃料中の窒素分だけからその量を知ることができないことについては、いずれも当事者間に争いがない。

ロ そこで原告らは、請求原因第三、一2(二)(2)及び原告らの別表〔A四〕各記載の算出式によつて窒素酸化物(但し、二酸化窒素を基準とする)を算出し、その排出量を原告らの別表〔A四〕及び同別図〔A三〕のとおりである旨示しているところ、被告はこの排出量を争う。ところで弁論の全趣旨によれば被告が算出するであろう窒素酸化物の推計年排出量は別表〔C二〕の「第一火力及び第二火力のNOx排出量」のとおりであると認められる。そうだとすると、原告ら主張の右排出量は最大でも被告主張のそれより、七パーセントほど多いだけであるから、硫黄酸化物の排出量において示したと同様この程度の排出量の差異は無視しても結論に影響することはない。したがつて結局第一火力の硫黄酸化物の排出量はおおよそ原被告ら算出の数値程度としてみておればよいものと考える。そして証人塚谷恒雄の証言によれば、第一火力の各ボイラーには右原告らの別表〔A四〕記載の当時には排煙脱硫装置が付設されていなかつたので、右の硫黄酸化物の大部分が殆どそのまま大気中に排出されていたことを認めることができ、その他に右認定を左右するに足る証拠はない。

(3) 煤塵

イ 重油を燃焼すると普通排煙一ノルマル立方メートルあたり0.2グラム程度の、石炭は排煙一ノルマル立方メートルあたり二〇ないし三〇グラム程度のそれぞれ煤塵を生成すること、被告が第一火力の第一ないし第四号機の各ボイラーに請求原因第三、一2(二)(3)ロのとおり機械式ないし電気式集塵装置を付設していたこと、しかしながら、これらの集塵装置を用いても未だ粒子の小さい煤塵の排出は避けがたかつたことについてはいずれも当事者間に争いがない。

ロ その結果原告らは原告らの別表〔A五〕及び同別図〔A四〕記載どおりの煤塵が第一火力の煙突から排出されたと主張し、被告はこれを争うところ、弁論の全趣旨によればおおよそ原告らの主張のあたりであると認められ、その他に右認定を左右するに足る証拠がない。

(4) 右硫黄酸化物等の年度別排出量と他地域のそれとの単純比較

イ 硫黄酸化物について、(イ)四日市公害判決で認定された被告六社の昭和三九年度から昭和四二年度までの年間排出量の総和が請求原因第三、一2(二)(1)イ(ロ)aの表のとおりであること、(ロ)大阪府が昭和四五年度における府下南部の市町村別排出量(但し、岬町の排出量は低く出ている)を調査し図示したものが、原告の別図〔A二〕の「昭和四五年度岸和田以南地区別年間SO2排出量」のとおりであることについてはいずれも当事者間に争いがない。また乙C第七四号証、乙E第三二号証及び弁論の全趣旨(特に原告らの別表〔A二〕及び同別図〔A二〕によれば、(ハ)大阪府下の地区別二酸化硫黄の排出量は、別図〔C一〕の「大阪府下地区別SO2排出量の推移」(乙C第七四号証)記載のとおりである旨大阪府公害白書(昭和四七、昭和四九、昭和五三各年度版)に記載されている。同図〔C一〕によつてみる限り、排出量最盛期ないしそれに続く昭和四三年度ないし昭和四五年度でみると、泉南地域の排出量は約二万五、〇〇〇トンから三万トンの間にあり、その殆どが第一火力の低煙突四本から排出されていたものであつた。しかもその年度は、大阪府下全域でみても、一番排出量の多かつた、ないしはそれに近かつた時期であるが、右泉南地域の排出量は、府下全域の夥しい排出源からの排出総量の約一割弱にもあたる量を占めており、大阪市地域と比べるとその三割分にも相当する。(二)大阪府衛生部環境保健課及び大阪府泉大津保健所作成の「高石市地区住民健康調査報告書」中に、同市には堺泉北臨海工業地域の一部として大工場群が操業を開始したが、その後二酸化硫黄の排出量が別図〔C二〕の「高石市におけるSO2排出量」(乙E第三二号証の図2)のごとく急増している。しかしながらその排出量は、右別図〔C二〕でみるかぎり、最大排出量を出した昭和四五年度でも、第一火力低煙突四本の排出量最盛期の約半分でしかない。以上の事実が認められ、その他に右認定を左右するに足る証拠がない。

これらによつても明らかなとおり、被告が第一火力の低煙突時代に排出した硫黄酸化物量は、これを公表された数字上、単純に他地域のそれと比較する限り、著しく多量であつたものというほかはない。

ロ 窒素酸化物及び煤塵についても、右認定一2(二)(2)(3)のそれらの排出量及び同一2(二)(4)の硫黄酸化物についての比較の各事実に証人塚谷恒雄の証言を総合すれば、被告が第一火力の低煙突時代に排出したそれらの量は、単純に他地域のそれと比べる限り、著しく多量であつたことを推認することができ、その他に右認定を左右するに足る証拠はない。

3 岬町における大気環境濃度

――岬町における環境濃度等の測定値とその問題点――

(一) はじめに

(1) 次に本件不法行為の成否の判断にあたつては、患者原告らがさらされていた各居住地の大気環境を問わなければならない。しかしながら、右各居住地のそれを直接に示すデータがないので、ひとまずここでは岬町内測定点におけるそれを探ることとする(なお患者原告らの居住地における環境濃度の推定については後記第二、一7参照)。

(2) ところで岬町における環境濃度の測定値は後記第二、一8(四)(2)イ(イ)記載のとおり、被告の硫黄酸化物等の排出量最盛期ないし第一火力の低煙突時代のそれが一番問題となるところ、当時においては測定器種測定局数等が不十分であつたためデータが不足しており、しかも、存在するその不十分な測定値に対してさえ、原告らが信頼性を欠くものと激しく争つている状態である。そこでまず次の(二)において岬町における環境濃度等の測定値について述べ、(三)においてそれらの信頼性について検討する。

なお、これらの環境濃度値の各検討は、以下の第二、一4以下の到達の因果関係に関する諸解析において用いられるデータの吟味をも兼ねている。そこで右(二)及び(三)においては、環境濃度のほか、ついでに岬町で観測された風向風速をも加えて判断を示すこととする。

また、最盛期における環境濃度値については、それが重要な意味を持つのでその推定を行うが、右推定には各種の解析を必要とするため記述の便宜上、後記第二、一5において触れることとする。

(二) 岬町において測定された環境濃度値等

(1) 環境濃度

岬町ないしその周辺において測定されていた環境濃度等の測定方法、測定場所、測定主体、測定期間被告の発表した測定値等に関する次のイないしニの諸事実中、イ(イ)、ロ及びハのうちの測定一般論並びに被告の別表〔B一二〕の「被告の測定月別地点別pbO2法による測定値」のうち昭和三九年度ないし昭和四一年度までの分をそれぞれ除いて、その余は総て当事者間に争いがなく、右の各除外部分については〈証拠〉によつてこれを認めることができ、その他に右認定を左右するに足る証拠はない。

イ 二酸化硫黄濃度

(イ) 二酸化硫黄濃度の測定方法としては、二酸化鉛を塗布した布を巻き付けた円筒をシェルター内に収め大気中に一か月間放置し大気中の硫黄酸化物を硫酸鉛として捕集し、これを重量法又はクロラニル酸バリウム法(比色法)を用い測定する方法である二酸化鉛法(pbO2法)、一定量の大気を吸引して稀薄な過酸化水素水溶液(吸収液)中に導き、大気中の二酸化硫黄を過酸化水素によつて硫酸に酸化(吸収)させ、吸収前後の導電率の変化を測定して二酸化硫黄濃度(一時間値)を連続的に記録する自動測定装置で、昭和四三年一一月大気汚染防止法施行令によつて環境基準の測定に採用された測定方法である溶液導電率法(APメーター法)、二酸化硫黄に特異的に反応する物質を用いて測る測定方法であるパラロザニリン法などがある。

(ロ) 岬町及びその近辺においては、a二酸化鉛法を用い、被告が昭和三九年五月以降に〔別表C三〕の「岬町における環境濃度の測定」中の(一)の①ないしの二三測定点で、大阪府が昭和四五年五月以降に同表中の(一)のないしの一二測定点で、b溶液導電率法を用い、被告がかつて昭和四五年四月以降に同表の(二)のないし及び他一点の計五測定点で、岬町(但し昭和五三年五月までの測定主体については争いがあるが、便宜岬町と表示する)が昭和四八年六月以降に同表中の(二)のないしの八地点でそれぞれ測定をしている。

ロ 窒素酸化物濃度

二酸化窒素濃度の測定には、二酸化窒素に特異的に反応するザルツマン試薬を使い発色の度合からこれを測定する吸光光度法が一般に用いられるところ、岬町においては同町(昭和五三年五月までの測定主体については前記イ同様とする)が昭和四八年六月以降に右表〔C三〕中の三のないしの八測定点で測定等している。

ハ 煤塵

煤塵については、降下煤塵又は浮遊粒子状物質としてその環境濃度が測定されているところ、岬町にあつては、被告が昭和三八年一一月以降同表中の(四)の1ないし3の三測定点でデポジットゲージ法により降下煤塵を測定等している。

以上イないしハの詳細は右別表〔C三〕の(一)ないし(四)のとおりであり、各測定点(但し風向風速測定点の一部を含む)の位置は別図〔C三〕の「各種測定点及び患者原告居住地付き岬町全図」のとおりである。

ニ 右の測定の結果、被告、大阪府及び岬町が公表した二酸化硫黄、二酸化窒素、降下煤塵の各測定点別濃度は、原告らの別表〔A七〕ないし同〔A一三〕並びに被告の別表〔B一二〕及び同〔B一三〕のとおりである。

(2) 風向、風速

イ 次の(イ)及び(ニ)の事実については当事者間に争いがなく、(ロ)及び(ハ)の事実については〈証拠〉を総合してこれを認めることができ、後記ロの証人塚谷恒雄の証言部分を除いてその他に右認定を左右するに足る証拠がない。

(イ) 被告は「発電所構内」に昭和三七年から、「平山」に昭和四五年一〇月からそれぞれ風向風速計を設置し、風向・風速を測定し始めた。

(ロ) 右「発電所構内」では、被告多奈川発電所屋上の地上約六〇メーターの位置に光進電気製(MV―一一〇B型)の風向風速計を、「平山」は平山の東側の中腹にある電波中継所の反射板の上方の海抜約二一五メーターの高さに同じく光進電気製(KL―一一一DC型)の電地式風向風速計をそれぞれ設置している。

(ハ) 右風向風速計は、定時前一時間における最多風向をもつて、一六方位及び無風のいずれかに風向を判定し、風速については同一時間の平均値を判定し、それぞれ表示している。

(ニ) 被告が公表した「発電所構内」及び「平山」の風向風速の測定結果は乙D第一四号証に記載のとおりである。

ロ 原告らは右風向の測定は測候所と同様正時前一〇分間のそれを平均化して示したものである旨主張し証人塚谷恒雄の証言中にもこれに副う部分があるが、乙D第一四号証、乙C第七七号証の一、二に照らせば正時前一時間の最多風向をもつてその時間の風向としていることが明らかであり、右証言は措信しがたく、右主張は採用しがたい。

(三) 岬町における前記環境濃度等の測定値の信頼性

(1) 右環境濃度の測定値に伴う一般的問題点

次にイないしニの各事実中イの二酸化鉛試薬の品質、シェルターの形状によつてpbO2値に差が出ることは当事者間において争いがなく、その余は〈証拠〉によつてこれを認めることができ、その他に右認定を左右するに足る証拠がない。

イ 二酸化硫黄の測定

(イ) 二酸化鉛法による測定については、シェルターの形状、二酸化鉛の試薬の品質、分析方法、保守管理の仕方、或は風速などの気象条件の差異などにより、同じ濃度を測つても測定値が異なり精度にばらつきが少なくないといわれている。例えば、この測定器による大気の取り入れはAPメーターがそれを機械的力で吸引するのと異なり、測定器を大気中に放置するだけであるから、大気との接触の仕方如何で捕足濃度が違つてくる。シェルターの形状や風速の差異による測定値の差異もその一つの現われであり、シェルターの違いについては〔別表C四〕の「二酸化鉛法による硫黄酸化物の測定値」(甲第一五五号証)記載のとおりの差異がでるといわれている。また試薬の違いについても、標準方式のDSIRか否かにより測定値に差異がでる旨指摘されている。

この測定方法は、その単純な構造からみても明らかなごとく或る程度大まかな濃度値しか捉えられず(例えば硫黄酸化物専門委員会報告(甲第一九号証)では、二酸化鉛法は或る地域の或る期間の平均的汚染状況とその年次的傾向を知るに便利であるが、汚染を直接濃度で表現することは困難である旨指摘されている)、また測定期間も一か月単位でしか測定できないなどの制限が多い。しかしこの測定器は簡単で安価なため、多数の測定点を設け得る利点がある。

(ロ) 溶液導電率法による測定については、溶液に溶け込んで導電率を変化させる物質は二酸化硫黄以外にもあり、これらが共存して導電率を+又は−に変化させることによる誤差、通気中に生ずる溶液の蒸発(例えば溶液の蒸発は、吸収液温度の降下が起こり負の影響が生じ逆に濃縮による正の影響がでる)や、温度変化など測定器の構造上避けられない誤差、大気の取り入れ方法、通気量の定常性の確保等保守管理方法による誤差、測定器種の違いによる構造上の右誤差を含む差異(例えばK社製の測定器による測定値とD社の測定器による測定値の比較について別表〔C五〕の「SO2計測定値の比較例」(甲第一五七号証解析表9)及び別図〔C四〕の「冬季及び夏季におけるSO2測定濃度」(甲第一五八号証)、並びに真値に近い値を示すものと期待されているパラロザニリン法測定値とD社製の従来型との比較について別図〔C五〕の「パラロザニリン測定値と間欠形溶液導電率方式のSO2計指示値の比較」(同号証解説図22)を各参照)、個々の機器の性能による誤差などにより測定値が異なる旨指摘されている。

この方法は右のとおり必ずしも真値と直結するわけではないが一時間単位で測定できる利点がある。但し高価であり、その設置数が制限される。

(ハ) パラロザニリン法は二酸化硫黄の測定方法中で一番真値に近い値を示すといわれ精度の点で最も優れているが、手分析によるものであるため、定常的な大気環境濃度の把握方法としては相応しくない。

ロ 吸光光度法による窒素酸化物の測定は、発色度のスパン校正に用いるザルツマン試薬の反応割合(ザルツマン係数)について確たる知見がなく、反応誤差もあるほか、保守管理の方法、個々の機械などによる誤差の生ずることもある。

この方法は一時間単位で測定できるが、高価であり、設置数が制限される。

ハ 降下煤塵の測定は、B・S(英国標準)デポジットゲージ法、日本薬学会協定による簡易煤塵瓶法、ダストジャー法があり、簡易煤塵瓶法はB・Sデポジットゲージ法に比べ1.8倍ないし1.9倍の測定値が出るものといわれている。

降下煤塵の測定は安価軽便であるため、我国においては比較的早くから利用されてきたが、人体被害につながる一〇ミクロン以下の粒子の細かい煤塵以外のそれを大量に取り込むため、その値は参考値程度にしか利用できない。

ニ 二酸化硫黄濃度の指標性

(イ) 大気の汚染を構成する物質としては硫黄酸化物、窒素酸化物、浮遊粒子状物質、オキシダント、一酸化炭素、降下煤塵等既知未知の諸物質があり、それらが相加的或は相乗的等に作用して健康被害を与えるものであるが、その総てについて個別的に或は総合的にこれを判定することは不可能である。そこで例えば環境基準においても二酸化硫黄、窒素酸化物、浮遊粒子物質等を指標としている。

(ロ) 岬町においては昭和三九年度から低煙突時代であつた昭和四六年九月ごろまでの間には、前記のとおり二酸化硫黄及び降下煤塵しか測定されていず、降下煤塵はその指標性に乏しく、また第一火力の周辺三地点ほどしかデータがないので、これで岬町の大気汚染をみることは不可能であり、二酸化硫黄濃度を指標とせざるをえない。

(2) 岬町における前記測定値の正確性、信頼性

イ(イ) 原告は、被告、岬町及び大阪府の測定した前記測定値のうち、被告が測定した、二酸化鉛法及び溶液導電率法による各二酸化硫黄濃度値と風向風速値並びに岬町(その実質上の測定主張が岬町であつたか被告であつたかについては触れない)が昭和四八年六月以降昭和五三年五月までの間に測定した溶液導電率法による二酸化硫黄濃度値について、その正確性、信頼性をいずれも否定し、被告はこれを争うので、以下の(2)において、岬町で現実に測定された前記の具体的測定値の正確性、信頼性について検討し、次の(3)において風向風速について同様の検討を加える。

(ロ) なおこれらの環境濃度値の正確性、信頼性を検討するにあたつては、既に前記一3(三)(1)イで述べたごとく、パラロザニリン法による測定値以外では、そもそも真値を示すものとはいえないので、真値からの正確性を問うことは困難である。そこで、その測定値の信頼性は、与えられた機器等の条件の下で出来るだけ正確に保守管理のうえ計測されていたこと、他の測定例に比べ遜色がないことなどの検討で満足せざるを得ないところであり、またそれでかなりの部分において足るのである。本件において大気環境濃度値を使用して解析を加える場合、測定値の信頼性の検討につき右の程度でかなりの部分において足るとする例を示すと、aまず到達の因果関係の存否(後記第二、一4(四)(1)、(五)ないし(二)にあつては、その測定値が各測定点間、或は同一測定点間で比較し得ることは必要不可欠である(同第二、一3(三)(2)ロ(ロ)b(b)参照)が、その示した値が真値であることまでの必要はなくいくばくかの値として実存することをもつて足るものであり、b岬町の大気環境濃度の特性(ピーク型)の検討にあつては、大阪府下や全国の他の測定点での測定値を使つて分析(同第二、一6(三)(1)イ、ロ(四)(2))した結果と岬町における測定値とのそれを比較する手法によつてこれを行うものであるところ、大阪府下や全国の測定値が真値であるか否かの検討はなされていず、したがつて被告らの右測定値もそれらの各地の測定値と同一測定レベルで測定されておれば足る(なお同第二、一6(二)参照)ものであり、c岬町の大気環境濃度が患者原告らに対し閉塞性肺疾患に罹患等させるものであつたか否かの検討(同第二、一8)にあつても、大阪市内や大阪府下或は全国各地における、疫学調査結果(同第二、一8(二)ないし(三))及び大阪府下の各測定点の測定値等(同第二、一8(四)(2)ロ)を物差しとして、その中に岬町における本件健康調査結果や被告の測定値をそれぞれ当てはめてその侵害性の有無・程度をみる手法を用いているところ、前者にあつては通常各地の自治体等が測定してきた二酸化硫黄濃度値等をそのまま真値であるか否かを問うことなく物差しとして使用しているものであり、後者にあつては溶液導電率法による測定値が要求されている(乙A第五号証の二参照)ので各地のそれによる値でもつて物差しとなる測定値を出しているにすぎず、いずれにしても真値からの検討までを行つているものではないなどである。したがつて、測定値の信頼性の有無の判断はかかる立場に立つて行うものである。〈中略〉

4 被告が排出した右硫黄酸化物等が岬町や患者原告らの居住地に到達したか否かについて〈省略〉

5 岬町における第一火力排出量最盛期における大気環境濃度

(一) はじめに

(1) 前記一4において被告が排出した硫黄酸化物等が患者原告らの居住地に到達していたことを明らかにした。ところで〈証拠〉によれば、硫黄酸化物の大気汚染による健康被害にあつては、各種発生源から排出された各種汚染物質が各別に健康被害を与えるものとは限らず、それらの物質の一つ、複数或は全体が一定の閾濃度値を超えて作用し、それが人間の有する正常な調節機能や代償作用の領域を超えたとき始めて発病ないし症状を増悪させるし、また硫黄酸化物等の全体量に対応してその加害の程度如何が決まるものであることが認められ、その他に右認定を左右するに足る証拠がない。したがつて、以下においては、第一火力から到達した硫黄酸化物等に限らず、それを含む各所の発生源から飛来した硫黄酸化物等の総和を考慮し、その見地から既に前記第二、一1(三)で述べたごとく、まず次の5(二)以下においてそれが岬町では排出量最盛期においてどの程度の濃度であつたのか、次に一6においてそれが岬町では特殊な汚染形態(例えばピーク型)を示していたのか、続いて一7において、それが患者原告らの居住地ではどうであつたのか更に一8においてそれが発病(ないし増悪)の閾濃度値を超えていたのかなどについて順次判断を加えることとする。

(2) ところでここでは、先に前記一3において岬町における環境濃度値について検討した際後に留保した(同一3(一)(2))、第一火力の排出量最盛期における二酸化硫黄等の環境濃度値について推定を行うのであるが、排出量最盛期に限り述べるのは、後記第二、一8(四)(2)イ(イ)で述べるごとく、健康被害発生の可能性の点からみると一番大気環境の悪かつた右時点(但し後記一5(二)(2)のとおり昭和三八年度後半を含む)においてのみ健康被害発生の可能性が考えられるからであり、また二酸化硫黄濃度値に重点を置いて述べるのは、既に前記一3(三)(1)で述べたとおりそれ以外のデータが十分でなく、一般に二酸化硫黄が大気汚染の指標に用い得るものとされているからにほかならない。

(3) 過去の実測値から第一火力の排出量最盛期における患者原告ら居住地付近の測定点の環境濃度を推定する場合、第一火力の煙突が昭和四七年一月に約二倍の一五〇メーター四罐集合型の高煙突に建替わり大巾に有効煙突高さが上がり条件が変つたので、それ以前のデータ、つまりAPメーター値にあつては岬町附近四測定点での昭和四五年一〇月(但し「孝子」にあつては同年四月)から昭和四六年一二月までの間のそれを、pbO2値にあつては岬町一四測定点での昭和三九年四月(但し「多奈川発電所」にあつては昭和四〇年二月)から昭和四六年一二月までのpbO2値をそれぞれ用いて行うのが望ましい。しかしながら、患者原告らの居住地附近の二酸化硫黄濃度を推定するについて欠かすことのできないpbO2値測定点中の「朝日」、「小田平」、「東」とAPメーター値とpbO2値の関係をみるについて不可欠なpbO2値測定点中の「中孝子」がいずれも昭和四六年一月からは測定を開始していないため本件低煙突時代において昭和四六年一年分のデータを集めることができない。そこでやむなく、一年分のデータがそろう昭和四六年度(昭和四六年四月から昭和四七年三月まで)のそれを用いて、以下の推定を行うことがある。

(二) pbO2値による排出量最盛期の環境濃度の推定

(1) 「朝日」「小田平」「東」「役場」「淡輪(北)」及び「東畑(pbO2)」、「中孝子」、「孝子小学校」「淡輪(南)」の各測定点の排出量最盛期におけるpbO2値の推定

患者原告らの居住地附近の二酸化硫黄の測定点としては、「深日」「国道二六号」「楠木」「岬公園」「岬カントリー」「多奈川発電所」及び「朝日」「小田平」「東」「役場」「淡輪(北)」が重要であるところ先にも触れたとおり前者の六測定点については排出量最盛期における実測値があるので、ここでは後者の五測定点の排出量最盛期のpbO2値を推定する。なお、便宜APメーター値を推測するについて必要な「東畑(pbO2)」「中孝子」(「孝子小学校」)「淡輪(南)」のそれをも併せて推定する。

イ 計算による推定

(イ) 排出量最盛期のpbO2値を推計するための基礎として、前記認定の原告らの別表〔A八〕及び同〔A九〕を用い、

まず右九測定点の昭和四六年度の実測平均pbO2をとる。これによれば、患者原告らの居住地に近い「朝日」「小田平」「東」「役場」のpbO2値は、順次0.55mg/day、0.53mg/day、0.58mg/day、0.55mg/day、でありよく似た測定値を示しており、同じ年度の「東畑(pbO2)」「中孝子」「孝子小学校」のpbO2値が順次0.28mg/day、0.30mg/day、0.27mg/dayであるのと比べ約1.9倍ほどの値を示している。また「淡輪(北)」は0.32mg/dayを、「淡輪(南)」は、0.18mg/dayをそれぞれ示している。

次に、右昭和四六年度でみると高煙突建替え中又は建替え後である昭和四七年一月分以降のpbO2値が含まれているので、これを除去するため、昭和四六年一月から昭和四六年一二月までの実測平均pbO2値をとる。これによれば「役場」、「東畑(pbO2)」、「孝子小学校」「淡輪(北)」「淡輪(南)」「中孝子」(その他は測定開始時期が遅れているため一年分のデータがそろわない)のpbO2値は順次0.66mg/day、0.29mg/day、0.27mg/day、0.35mg/day、0.23mg/day、0.33mg/dayとなる(但し「中孝子」は昭和四六年二月から測定開始)。

更に「役場」は「孝子小学校」と共に昭和四五年度の実測平均pbO2値が得られ(四月分のみ欠測)、その値は、「役場」が0.79mg/day、「孝子小学校」が0.33mg/dayである。

(ロ) そこで右の昭和四六年度一年分の九測定点、の昭和四六年一年分の五測定点及びの昭和四五年度約一年分のうち「役場」の各実測年間平均pbO2値を基礎にして、これを最盛期に引き延ばすため、その倍率を探ると、

a まず右に対しては、

初期一四測定点におけるpbO2値の最盛期六年分及び昭和四六年度分の各年度別平均値(別表〔C二三〕の「初期一四測定点のpbO2値を指標とした、最盛期の「朝日」「小田平」「東」「役場」「淡輪(北)」等の年平均pbO2値の推定」の)を出し、次にそのうちの昭和四六年度分の平均値で最盛期の各年度分平均値を除した値(同表〔C二三〕)の)を出し、これを右に乗じて、右九測定点の各年度における推定pbO2値を出すと同表〔C二三〕の推定値欄に示すとおりである(以下この推定を「の推定」という)。同欄から「朝日」、「小田平」、「東」「役場」「淡輪(北)」における昭和三九年度から昭和四四年度の間の推定平均年度pbO2値を抜き出すと、次のとおりである。

測定点

推定平均濃度

(mg/day)

朝日

0.79

小田平

0.76

0.83

役場

0.79

淡輪(北)

0.46

なお念のため初期一四測定点別に右最盛期の昭和三九年度から昭和四四年度までのpbO2値の平均値(別表〔C二四〕の「初期一四測定点のpbO2値を指標とした最盛期の「朝日」「小田平」「東」「役場」「淡輪(北)」「東畑(pbO2)」、「中孝子」の年平均pbO2値の推定」の)を出し、これに、右一四測定点別の昭和四六年度のpbO2値(同表〔C二四〕の)で除した値(同表〔C二四〕の)を乗じて、右七測定点の右最盛期六年度分の推定pbO2値を出すと、同表〔C二四〕の推定値欄記載のとおりである(以下この推定を「の推定」という)。同欄から、測定点「朝日」「小田平」「東」「役場」につき、第一火力からの距離の点で条件が似た測定点「多奈川発電所」「犬飼」「岬カントリー」「深日」「岬公園」「楠木」のpbO2値を指標として計算した推定年平均pbO2値を抜き出すと次のとおりである。

測定点

朝日

小田平

役場

基準測定点

深日

0.81

0.78

0.85

0.81

楠木

0.66

0.63

0.69

0.66

多奈川発電所

0.65

0.62

0.68

0.65

岬カントリー

0.82

0.79

0.87

0.82

犬飼

0.92

0.89

0.97

0.92

岬公園

0.67

0.64

0.70

0.67

(単位mg/day)

b 次に右に対しては、

初期一四測定点のpbO2値の、年別平均値(別表〔C二五〕の「初期一四測定点のpbO2値を指標とした最盛期の「役場」、「東畑(pbO2)」、「中孝子」の年平均pbO2値の推定」の)を、昭和四六年一月から同年一二月までの一年間の右一四測定点pbO2値の年間平均値(0.58mg/day)で除し、その値(同表〔C二五〕の)を右に乗じて右三測定点の最盛期各年における推定pbO2値を出すと同表〔C二五〕の推定値欄記載のとおりである(以下この推定を「の推定」という)。なお同欄から「役場」における昭和四〇年から昭和四四年までの間の推定平均年pbO2値を抜き出すと次のとおりである。

測定点

最盛期五年分

推定平均濃度

(mg/day)

役場

0.80

c 更に右に対しては、

初期一四測定点のpbO2値の年度別平均値(前記別表〔C二三〕の参照)を、昭和四五年度一年分の右一四測定点pbO2値の年間平均値(0.69mg/dayとなる)で除し、その値(六年度分の平均値1.04倍)を右の「役場」のpbO2値0.79mg/dayに乗じ「役場」の最盛期各年度における推定pbO2を出し、それを平均すると次のとおりである。

測定点

最盛期六年度の

推定平均濃度

(mg/day)

役場

0.82

ロ グラフによる目視

なお参考までに前記一5(二)(1)イの計算による推定の基礎とした測定点の一部の実測値の変化の状況をグラフ化すると次のとおりである。すなわち、

前記一3(二)(1)の原告らの別表〔A七〕ないし同〔A九〕(二酸化鉛法による二酸化硫黄濃度値)の諸事実に〈証拠〉を総合すれば、初期岬町一四測定点中、代表的測定点と、患者原告ら居住地に近い「朝日」「小田平」「東」「役場」の測定点の各年平均pbO2値を、年度別濃度別にグラフ化すると別図〔C四八〕の「岬町内測定点における硫黄酸化物濃度(pbO2法)の年度別推移」のとおりであり、年別濃度別にグラフ化すると別図〔C四九〕の「岬町内測定点における硫黄酸化物濃度(pbO2法)の年別推移」のとおりである(なお右別図〔C四八〕及び同〔C四九〕中に示したのマーク付グラフ部分は、前記別表〔C二三〕及び同〔C二五〕の各推定値を附加して示したものである)ことが認められ、その他に右認定を左右するに足る証拠はない。右グラフにおける「深日」、「楠木」、「多奈川発電所」、「犬飼」らのグラフの変動状況を目視することにより、「朝日」「役場」等の排出量最盛期における年平均pbO2値の或る程度の変動状況を推察することができる。

ハ 結論

以上のイ及びロの諸事実に前記一3(三)(1)イ(イ)、(2)ロ(イ)(pbO2値の信頼性)同一4(二)(到達の前提諸条件)同一4(四)(1)(現地拡散実験)及び同一4(七)(地元発生源)の諸事実を総合して、「朝日」「小田平」「東」「役場」及び「淡輪(北)」の排出量最盛期における推定年平均濃度について次のとおり判断する。

(イ) 前記イの計算(及び同ロのグラフ)による推計の評価

a 右のイの計算(及び同ロのグラフ)による最盛期濃度の推計については、その推計の基礎となつた本件実測pbO2値の正確性が問題となるところ、それは長期間で、大局的にみた場合その大気環境濃度をほぼ正確に把握していたものと思われる、もつとも、その測定手法の構造上その値の正確性には或る程度の巾とばらつきがあることもまた否定しがたいところである(同一3(三)(1)イ(イ)及び(2)ロ(イ))。

b  或はの各推定は、初期一四測定点の実測pbO2の一年分の平均値を、最盛期六年度或は同五年につき、各年度或は各年ごとと、基準年度(昭和四六年度)或は基準年(昭和四六年一月から昭和四六年一二月)とでそれぞれ出し、その比を使つて、推定すべき各測定点の基準年度或は基準年のpbO2値に乗じているが、例えば初期一四測定点の年度別或は年別増減状態にはそれぞれの測定点の個性の違いに応じ種々の事情があるはずである(例、「西畑」、「多奈川発電所」)のにそれらの違いを一切無視して一率に年度別或は年別の増減割合をみるごとく、種々の攪乱要因が入ることも承知のうえでその一般的傾向を把握しようとする推計手法である。

c 右の推定にあつては、初期一四測定点ごとに検討する代りに、例えば、最盛期六年分を一括して平均化するため、例えば年度ごとに気象条件が異なる等の諸事情を無視して測定点別推定濃度を出してしまつている点で攪乱要因が入るなど右b同様の問題点がある。もつともこの手法にあつては、各測定点の持つ個性(例えば第一火力からの遠近、地形等)を把握しているため、その初期一四測定点のうち、推定値を出すべき「朝日」「小田平」「東」「役場」等の測定点の個性と類似したそれを選べる点で観念的には利点があるはずであるが、現実には岬町の大気環境には地点別の差異が大きいため、その選定が容易でなく、そのためその一四個でた推定値のどれをもつて望ましい推定値と決めるべきかが困難となつてしまう。

d 右の及びのいずれの推定にあつても、推定の基礎となる「朝日」「小田平」「東」「役場」等の実測pbO2値は、昭和四六年度分ないし昭和四六年分一年間にすぎず、そのため年が異なることにより例えば気象条件が異なる等の理由による濃度値の変動が考えられるのにそれを無視して一率に右一年分のみの値から最盛期六年度分を推定してしまう弱点がある。

e 更に右の推定においては、推定の基礎として「朝日」「小田平」「東」「役場」等の実測値一年分を昭和四六年四月から昭和四七年三月までの間でとつている。ところで第一火力の煙突は昭和四七年一月以降高煙突化し、その排煙は右煙突の足下にある「朝日」「小田平」「東」「役場」には例外的な場合を除いて到達しなくなつてしまつた(前記一4(二)(5)イ(イ)及び同一4(四)(1)ロ参照)ので右の一年分の実測値はそれだけ下つている。ところがこれに乗ずべき岬町一四測定点の昭和四六年度の平均実測pbO2と最盛期六年度の平均実測pbO2の比の方はそれに応ずるだけ上らない。なぜならば右のうち昭和四六年度の平均実測pbO2値の方には、右「朝日」他三測定点と異なり高煙突化後も第一火力の排煙が到達する遠方の測定点のpbO2値をも含めて平均化しているから、右「朝日」他三測定点の各一年分が低減するほどには低減しないためである。その結果右の比を乗じて得た「朝日」「小田平」「東」「役場」の推定pbO2値は低目に出てしまう虞れがある(同一5(一)(3)参照)。

f 「東」の昭和四六年度のpbO2値は、「東」の昭和四六年度以降のデータ、或は近地点の「小田平」「朝日」等のデータと比べると、その年度に限りやや高目に測定されていることが窺われ、その原因は昭和四六年五月の1.22mg/dayという他の月の二倍ほども高く出た値に起因している。したがつて、最盛期のpbO2値を推測するにあたつては、その点をも考慮しなければならない。

g 右イの推計中「役場」、「孝子小学校」の推定pbO2値は、「役場」「孝子小学校」のpbO2値の実測値の測定主体が大阪府であるのに、測定主体の異なる被告測定のデータによる増加率を使つて、その最盛期濃度を推定しており、その点にも無理がないわけではない(もつとも、右「役場」と、その近くにあり岬町初期一四測定点中比較的中庸の増加率を見せる「深日」(別表〔C二四〕の「深日」の欄及び同表〔C二三〕の欄の六年度分平均欄参照)の各月別実測pbO2値を用いその対応関係を示すと、昭和四五年五月以降の増減状態ではあるが、別図〔C五〇〕の「被告測定の「深日」と大阪府測定の「役場」のpbO2値の対応関係」のとおりであり、前記の推定(同一5(二)(1)イ(ロ)b)による排出量最盛期五年分推定平均濃度0.80mg/dayと「深日」の同六年度分平均濃度0.99mg/dayの比に近いところに分布しており、これから案ずると被告の測定値による前記増加率を使つた手法にもそれほど問題がなかつたことを窺わせている(なお「役場」のpbO2値につき同一3(三)(2)ロ(イ)a参照))。

(ロ) 推定濃度値

以上の諸事実を総合すると右(二)(1)イの計算(及び同(二)(1)ロのグラフ)による最盛期濃度の推計には、種々の問題点があるが、これらの不安定要素を踏まえたうえで、安全を見込んで最盛期六年度分の平均濃度を推定すれば、次の値をもつて相当というべきであろう。

(2) 初期一四測定点の昭和三八年度以前におけるpbO2値の推定

イ 次の(イ)及び(ロ)の各事実中、(イ)は前記一4(二)(2)ないし(4)(本件各低煙突の有効煙突高さ等)、同一4(六)(3)ハ(地図解析の結果)、同一4(一三)(到達の因果関係の結論)に基づくものであり、(ロ)は同一2(二)(1)(第一火力の二酸化硫黄の排出量)の事実に〈証拠〉を総合すればこれを認めることができ、甲第二六一ないし第二六三号証による塚谷の行つた推定は後記第二、三3(二)(1)イ(ハ)に批判するとおりであり、その他に右認定を左右するに足る証拠はない。

(イ) 第一火力の第一、第二号機の低煙突はもとより、第三、第四号機のそれも、有効煙突高さが第一火力の高煙突や第二火力の煙突のようには高くなく、排出条件、気象条件等のいかんによつては第一火力に比較的近い岬町内測定点に到達し、その二酸化硫黄濃度中にそう多くはないものの一定の割合の影響力を与えていた。

(ロ) 第一火力の二酸化硫黄の排出量はほぼ原告らの別図〔A三〇〕に示すごとく、昭和三八年度後半から第一火力第三、第四号機の営業開始に伴い急増している。他方岬町の測定点にいわゆるバックグラウンド濃度値として到達した昭和三八年度前半以前における二酸化硫黄濃度値は排出量最盛期のそれと比べ高くはなく、むしろ一般的には少な目であつたことが窺われる。

ロ 以上の諸事実によれば、第一火力の第三、第四号機が営業活動を開始する以前にあつては、岬町内のpbO2値は排出量最盛期のそれより低かつた(原告らの別表〔A二九〕の「過去のpbO2値の推定」は、その減少の程度はともかく、昭和三八年度以前のpbO2値が排出量最盛期より低かつたことを示す限りにおいては正しい)ものと推認される(なお、後記第二、三3(二)(1)イ(ハ)及び(2)イ(ロ)a参照)。

(三) Apメーター値等による排出量最盛期の環境濃度の推定

(1) アプローチの仕方

イ 本件において右の環境濃度の推定を行う目的は、健康被害との関係において後記のピーク型汚染の判断対象として、或は被告らの寄与割合をみるについてそれぞれこれを利用するにある。したがつてかかる目的を達するためには、各時間別濃度値、各日別平均濃度値、各月別最高濃度値、各月別平均濃度値などの形で(更に健康被害の有無程度との関係では、物差しないし比較の対象となる地区の大気環境濃度との関連(後記第二、一6(一)(2)参照)で詳しく推定できれば有益であることはいうまでもないが、本件証拠や現代の科学の下では不可能である。本件証拠の下で考えられるところは、大まかに、例えば、(イ)排出量最盛期における年平均APメーター値を推測したり、(ロ)同最盛期における一時間値0.1ppm(環境基準の一つ)超過頻度を推定したり、(ハ)或は、原告らが最盛期濃度推定解析で行つたように高濃度域のおおよそのAPメーター値を推測したりする方法ぐらいである。もつとも、右(イ)の排出量最盛期における年平均APメーター値の推定は、後記のごとく患者原告ら居住地周辺のpbO2値測定点における実測ないし推定pbO2値に、pbO2値からAPメーター値への換算式を適用して計算することになるので、その当否はあげて右換算式の当否に帰着することになつてしまうし、また右(ロ)の最盛期における一時間値の0.1ppm超過頻度の推定は、後記のごとく、「東畑」(「孝子」)における低煙突時代の実測値の基準濃度別超過時間数の分布状況を基準に行わざるを得ないが、それによつて一定の結論を推定してみても、それは、右測定点の分布状況を引き写しただけにすぎず、岬町のような個性ある土地の右分布状況を直ちに他の測定点のそれへとレベルを変えただけで引き移すことは困難であり(当然対象地点に応じた分布状況の修正が必要であるが、それは事実上不可能である)安定した結論が得にくいことを念頭に留めなければならないであろう。

ロ 以下次の(2)において最盛期における年平均APメーター値の、(3)において最盛期における0.1ppm超過頻度(時間数及び積算濃度数)の各推定を行い、(5)において高濃度域の濃度出現について触れる原告らの最盛期濃度推定解析に対して批判を加える。

なお先に述べたとおり右(2)及び(3)(特に(3)の最盛期における一時間値の0.1ppm超過頻度)は、当然のことながら後記の岬町の大気汚染の特質(ピーク型汚染、後記第二、一6(四)(3))及び被告らの寄与割合(同一10(2))に関連するので、そこにおいても再度触れる。

(2) 年平均APメーター値の推定

イ 推定方法

排出量最盛期におけるAPメーター値の年平均値は、APメーター値とpbO2値の換算式並びに「深日」、「楠木」及び「朝日」、「役場」、「東畑(pbO2)」「中孝子」「淡輪(南)」のpbO2値を用いて計算によつて推定することができる。以下においてAPメーター値とpbO2値の換算式について述べ、ハにおいて、それらを用いた具体的計算結果について触れる。

ロ APメーター値とpbO2値の換算式

(イ) 換算式に関しては、既に前記一3(三)(2)ロ(ロ)a(a)、(f)及び(g)において認定したとおりであり、主要な点を再度拾うと、右の換算式としては、一般的に発表されている換算式と、岬町において試算される具体的換算式があること、一般の換算式としては、多数有力見解である「APメーター値(ppm)=1/30×pbO2値」等の類(以下「一般換算式」という)と少数有力説の、低濃度域用といわれる「APメーター値(ppm)=1/45×pbO2値」などがあること、岬町において試算される具体的換算式としては、岬町内の近接Apメーター測定点、pbO2値測定点の各実測値の対応関係を示すプロットから得られた前記別図〔C一〇〕のケース1ないし4の四つの回帰式に問題とする他の測定点の測定値との比較に耐え得るよう、測定誤差分等の修正を加えて作る具体的換算式が考えられること、右別図〔C一〇〕の四つの回帰式中、犬飼地区に約一〇メーターほど離れて存在する「東畑」「東畑(pbO2)」組の測定する大気環境はよく類似しており、その回帰式(y=30X+12)の相関係数も0.688でそこそこ対応していること、岬町内APメーター測定点三つと、「箱作」のそれとの各測定器の機種はK社製が二台と、D社製が二台であり、そのうちK社製の測定器を置く「孝子」とD社製の測定器を置く「東畑」の二組の測定値による回帰式(y=25X+15)は右別図の〔C一〇〕のケース1のとおりであり、その相関係数は、「孝子」組の回帰式(y=15X+19)の相関係数が0.359と低いため、0.552を示していることがあげられる。

(ロ) 右事実に前記一3(三)(2)ロ(イ)及び(ロ)(岬町における二酸化硫黄濃度)のその余の事実を総合考慮して本件に用いるに相応しい換算式を案ずるに、

a APメーター値とpbO2値との換算には、前記のとおり(a)通常一般化している一般換算式と、(b)岬町内の近接APメーター、pbO2測定器の実測値の対応関係を示すプロットから得られた回帰式を用いて作る具体的換算式が考えられる。

b そのうち一般換算式は、(a)多数説を占める「APメーター値(ppm)=1/30×pbO2値」等の類の式でさえ、測定器の機種、設置場所、気象条件、保守管理の状況等の諸条件の差異があるため、必ずしもどの場所どの時期においても使用し得るような安定したものにはなつておらず(同一3(三)(2)ロ(ロ)a(a)(f)及び(g)参照)、岬町のような複雑な気象条件(例えば換気性)等を有する地区にあつてはなおのことしかりで、もし、妥当な具体的換算式が得られるならば、それを適用する方が望ましい。

なお本件における換算式は、多くの場合pbO2値一mg/day以下の低濃度域において用いられるものであり、低濃度域の換算には「Apメーター値(ppm)=1/45×pbO2値」の適用が望ましいとする見解がある(同一3(三)(2)ロ(ロ)a(g)ⅳ)、しかしながら右換算式を適用してpbO2値からAPメーター値を換算すると大巾に低い値になつてしまい、前記別図〔C一〇〕に示した岬町のどのケースと比べても差が大きすぎ、本件全証拠によつてもそれを妥当とする事情が窺えないので、採用の限りではない。

c 次に右別図〔C一〇〕回帰式を用いた具体的換算式について案ずるに、これらの回帰式中ケース1の「東畑」・「東畑(pbO2)」組と「孝子」・「中孝子」組の回帰式、及びケース3の「東畑」・「東畑(pbO2)」組の回帰式はいずれも、その測定点の大気環境の類似性、測定期間、測定値数、測定値の安定性、回帰式の相関係数などの点からみてそこそこの線を出しているものと考えられる(同一5(三)(2)ロ(イ)、一3(三)(2)ロ(ロ)a(g)ⅰないしⅲ)。

そこで以下においては「東畑」組と「孝子」組の二組の実測値から作られた同図〔C一〇〕のケース1の回帰式「APメーター値(ppb)=bO2値×二五+一五」を採用することとした。そのわけは、右のAPメーター値測定点とpbO2値測定点の各測定する大気環境の類似性を考えるならば右別図〔C一〇〕のケース3の「東畑」組のそれが一番望ましく現にその回帰線y=30X+12の相関係数が他のどのケースよりも高い0.688を示しているのであるからこれを具体的換算式の資料に採用すべきであるとも考えられるが、当時の岬町におけるAPメーターは、「東畑」と「淡輪」においてD社製GR二CS型が、「孝子」と「箱作」にあつてはK社製SR―三九〇N型とSR―三五〇S型(同一測定値を計測する建前になつている)がそれぞれ用いられており、右D社製とK社製は測定値に差異を生ずる構造になつているので、前者を代表するものとして相関係数の高い「東畑」「東畑(pbO2)」組を、後者を代表するものとして「孝子」「中孝子」組をそれぞれ採用し、それを合わせて作つた回帰式である前記「APメーター値(ppb)=pbO2値×二五+一五」を用いるのも一手法であるし、それは大阪市内大阪府下或は全国のデータ(これらはいずれも両社の測定器が混在している。同一3(三)(2)ロ(ロ)a(f)ⅲ参照)と比べる場合にそれらと比較に耐え得る妥当な換算値を得やすいし、また、右の回帰式から測定誤差を修正し、その使用目的に副つた具体的換算式を作る際、適切妥当な情報を提供する前記別図〔C九〕の岬町における測定器テストの結果がK社製、D社製各二台づつからなるAPメーター四測定点の結果によつて作業をしている(同一3(三)(2)ロ(ロ)b(c)ⅰ(ⅲ)ないし)ので、その結果を利用する点でより妥当性を保持し得るからである。

d 次に右二組のデータから得られた前記別図〔C一〇〕のケース1の回帰式を、本件換算の目的(大阪市内、大阪府下の各データとの比較、更には全国のそれとの比較)に相応しいように修正する必要があるところ、右のpbO2値はまずまずの値を計測していたものと推測される。(同一3(三)(2)ロ(イ)b)が、APメーター値は前記別図〔C九〕に関し述べたごとく、その問題とする他の測定点の測定値に比べ長期間の中でみれば一〇ppb足らず高目に表示していた傾向(測定値がいわゆる下駄を履いていたこと)があつたこと(同一3(三)(2)ロ(ロ)b(c))、岬町の測定値には右の点を除いてその他に前記ケース1の回帰式を大きくはずれるおそれのあるような事情の存在が本件全証拠によつても窺われないこと、その他、本件大気汚染行為の侵害性をみるについてその科学的知見上ないしデータ上の諸種の制約があるため不法行為を支配する公平、妥当の見地から種々の割切り単純化の操作をして議論を進めざるを得なかつたことやその反面、安全を見込み控え目に判定せざるを得ないこと等の諸般の事情を総合考慮して判断すると、前記二組のデータから得られた回帰式から七を差し引いた「Apメーター値(ppm)=pbO2値×二五+八」をもつて本件に適用すべき換算式(以下「本件換算式」という)にあてるのがまずは妥当なところであると判断する。

ハ さて本件換算式を用いて、排出量最盛期における「深日」、「楠木」の実測年平均pbO2値からAPメーター値を換算推定すると、別表〔C二六〕の「本件換算式を用いて推定した「深日」、「楠木」の年平均APメーター値」のとおりであり、同じく「朝日」、「役場」につき前記一5(二)(1)ハ(ロ)の表中記載の推定年平均pbO2値(0.75前後0.80前後)からAPメーター値を換算推定すると、別表〔C二七〕の「本件換算式を用いて推定した「朝日」、「役場」の排出量最盛期六年度分平均APメーター値」のとおりである。

(3) 0.1ppm超過頻度等

イ 「東畑」「孝子」及び「淡輪」について

(イ) 前記一3(二)(1)イニ及び(三)(2)ロ(イ)(ロ)(岬町における二酸化硫黄濃度)の諸事実〈証拠〉を総合すれば次の事実が認められ、その他に右認定を左右するに足る証拠はない。

a 第一火力の低煙突時代である昭和四五年一〇月から昭和四六年九月までの一年間(つまり別図〔C三八〕の地図解析と同じ期間、以下「地図解析基準年」ということがある)において、「東畑」、「孝子」及び「淡輪」における基準濃度別超過時間数及び基準濃度別超過積算濃度数は、それぞれ別表〔C二八〕の①ないし③の「基準濃度別超過時間率表」(同表中の「東畑」、「孝子」欄は原告らの別表〔A三四〕の数値を、同「淡輪」欄は被告の別表〔B二〕中の一九七〇年一〇月から一九七一年九月までの数値をそれぞれ利用して、地図解析基準における基準濃度超過時間数とそれが総測定時間数中に占める割合(パーセント)を示したもの)及び別表〔C二九〕の「基準濃度別超過積算濃度率表」(原告らの別表〔A三五〕を利用して、地図解析基準年における、基準濃度別超過積算濃度数とそれが年間総積算濃度中に占める割合(パーセント)を示したもの)のとおりである。

b 岬町初期一四測定点の各年度別のpbO2値の平均値(前記別表〔C二三〕の欄)から、前記一5(三)(2)ロ(ロ)dの本件換算式を用いて右初期一四測定点の、各年度別推定APメーター値の平均値を求めると、別表〔C三〇〕の「初期一四測定点における、昭和四五年一〇月から向う一か年間の推定APメーター値と排出量最盛期における年平均APメーター値の比率」の欄のとおりである。

c 次に右別表〔C二八〕の①ないし③及び同〔C二九〕と同じ地図解析基準年(昭和四五年一〇月から昭和四六年九月まで)におけるpbO2値の平均値(0.62mg/day)を右本件換算式でAPメーター値に換算すると、同別表〔C三〇〕の欄中の地図解析基準年欄の濃度値(23.5ppb)のとおりである。

d そこでこれらの基準年のAPメーター値で最盛期各年度の右推定APメーター値を除去する(比を求める)と同別表〔C三〇〕の欄のとおりであり、地図解析基準年のAPメーター値を約1.11倍したものが、最盛期のAPメーター濃度推定値のおおよそを示すものである(なお被告は、昭和四六年度のAPメーター値を、昭和四六年度と昭和四〇年度の岬町のpbO2値の比で求めた1.5倍という率でかけて、排出量最盛期のAPメーター値を推測する(被告の反論第一〇、一3(一)(1)ロ(ロ)及び被告の別表〔B四七〕参照)が、高く出すぎて失当であり、採用しない)。

(ロ) 以上の諸事実に、前記一3(三)(2)ロ(ロ)b(C)ⅲの諸事実(「東畑」、「孝子」及び「淡輪」の実測APメーター値が約一〇ppb足らず高目に測定していること)を総合して判断すると、排出量最盛期における「東畑」、「孝子」及び「淡輪」における0.1ppm超過頻度は、気象条件、バックグラウンド濃度の占める割合等の変化を考慮外として(但し、年単位でみれば、本件全証拠によるも、風向等の気象条件にさほどの差があるとは認められず(「平山」等における風配図につき前記別図〔C一六〕及び同〔C四六〕並びに「発電所構内」における風配図につき同別図〔C一六〕、同〔C三九〕及び原告らの別図〔A五〇〕参照)、また、バックグラウンド濃度の占める割合も、バックグラウンド濃度のかなりの部分を構成する大阪湾岸や和歌山方面の大排出源の営業活動開始時期(前記別図〔C一〕及び同〔C二〕参照)や大阪府、兵庫県各都市におけるSO2環境濃度の変化(広瀬メモD)などからみて、右地図解析基準年のそれとさほどの差があつたとは認められない)、これを数字上算定すると、おおよそのところ、前記別表〔C二八〕の①ないし③及び同〔C二九〕のそれと変らないあたりを想定するのが妥当であろう。

してみれば総測定時間中に占める0.1ppm超過時間率は、右の数字でみる限り「東畑」において約一パーセント前後(0.95パーセント)、「孝子」において約一パーセント強(1.29パーセント)、「淡輪」において微少(0.16パーセント)であり、いずれも低い値を示している。なお総積算濃度中に占める0.1ppm超過積算濃度率も別表〔C二九〕に示すとおり「東畑」において五パーセント前後(5.19パーセント)あたり、「孝子」において八パーセント前後(8.04パーセント)あたりの各見当であり、これらもまた低い率を示している。

ロ 「深日」について

(イ) 原告らの別表〔A七〕によつて計算した「深日」の最盛期六年度分の年平均pbO2値、前記一5(二)(1)ハ(ロ)に述べた「東畑(pbO2)」「中孝子」の各最盛期六年度分の推定年平均pbO2値、別表〔C二八〕の①②及び本件換算式を用いて、「深日」についてのみ、その最盛期における0.1ppm超過頻度を極めて単純な手法により試算した。

まずそのための資料として、別表〔C三一〕の「「深日」における最盛期六年度間の平均的0.1ppm超過頻度予測資料」を作った。そして排出量最盛期の「東畑」(同一5(三)(3)イ(イ)d、(ロ)参照)を基準にして前記別表〔C二八〕の①に右別表〔C三一〕の(ロ)の倍率を(「孝子」を基準にして右別表〔C二八〕の②に右別表〔C三一〕のの倍率を)かけた値が0.1ppmになる値(右別表〔C二八〕の①の基準濃度超過時間率表の基準濃度ランクで、六〇ppbないしその前後のランクがそれに該当する)を捉え、その値を超える頻度がどのくらいのパーセントになるかを試算した。その結果は「東畑」「孝子」のいずれの濃度分布型を使用してもほぼ同じ数値の0.1ppm超過率(約五ないし六パーセントが)計数上試算される。

(ロ) 視点を変えてこれを説明すると、a(a)「深日」の最盛期六年度分の年平均pbO2値は、原告の別表〔A七〕によつて計算すれば0.99mg/dayであり、これを本件換算式で換算すると「深日」における計算上のAPメーター値は、32.8ppbとなり、(b)次に「東畑(pbO2)」の最盛期六年度分の推定年平均pbO2値は前記一5(二)(1)ハ(ロ)によれば0.40mg/dayと算出されているので、これを本件換算式で換算すると同「東畑(pbO2)」における計算上のAPメーター値は18.0ppbとなる。(c)そこで後者で前者を割ると、最盛期六年度間における「東畑(pbO2)」の推定年平均Apメーター値より「深日」のそれの方がほぼ1.82倍高かつたことになる。(d)ところでAPメーター測定点「東畑」における昭和四五年一〇月から昭和四六年九月までの間のAPメーター値の基準濃度別出現時間率は、先に同一3(三)(2)ロ(ロ)及び同一5(三)(3)イ(ロ)で各認定したとおり、前記別表〔C二八〕の①では年平均値にして一〇ppb足らず高目に出ているのでこの点を割引かねばならず、その結果Apメーター測定点「東畑」における最盛期六年間のApメーター値の基準濃度別超過時間率のおおよそは右一5(三)(3)イ(ロ)で述べたとおり計算上は右別表〔C二八〕の①のとおり変らず(但し計算上でみれば、濃度が低くなるに従い濃度値が高目に表示されることになる)とみていて差し支えない。(e)そしてApメーター測定点「東畑」とpbO2値測定点「東畑(pbO2)」とは前記一3(二)(1)イ(ロ)によればその位置関係などからみてその大気環境状況が類似していたものと思われ、かつ、前記別図〔C一〇〕のケース3のとおり両測定値の対応関係もまずまずである(同図〔C一〇〕のケース3中の回帰式は、標本数二七で相関係数0.688を示している、但し前記二5(三)(2)ロ(ロ)c参照)ので、「東畑(pbO2)」においても、仮にそこに「東畑」にあつたAPメーターを置いて測定しておれば最盛期六年間においては、右別表〔C二八〕の①の基準濃度別超過時間率にほぼ近い二酸化硫黄濃度値の出現分布を示していたものと計算上試算することができる。(f)そこで更にもし「深日」の大気環境濃度の性格(ピーク型等)が「東畑(pbO2)」のそれと相似していたものと仮定すれば、右(d)における別表〔C二八〕の①の結果を約一、八二倍したものが「深日」における濃度分布の状況のごとく大雑把な計算上の概要を示すものとみることができるとするのである。

b 「深日」についてその汚染形態が仮に「孝子」に類似しているとみて、同様にして別表〔C二八〕の②に対し別表〔C三一〕の欄のの倍率をかけるなどによつて、計算上の0.1ppm超過頻度を探ることもできる。

c 右の試算につき、「東畑」の基準濃度別超過時間率表を用い、「孝子」のそれを補助的にのみ使い、「淡輪」のそれを無視したのは次の理由による。すなわち、右の手法は、先に述べたとおり、患者原告らの居住地に近い「深日」における排出量最盛期のAPメーター値による0.1ppm超過率が知りたいのであるが、測定されていなかつたので昭和四六年一〇月から向う一年間の「東畑」他二測定点で測られた実測値から無理を承知でその手掛りを得ようとするものである。その場合「東畑」の濃度分布型が「深日」のそれにまだ一番近い。なぜならば、前記一3(二)(1)イ(岬町における環境濃度)、同一4(二)(岬町における大気汚染発生の諸条件)、同一4(四)(風洞実験等)、同一4(七)(地元発生源)の諸事実に検証の結果(第一、第二回)を総合すれば、「深日」と比べ、「東畑」は第一火力と距離的にさほどの差がないし、新日本工機からの距離も同様である。また「東畑」と「東畑(pbO2)」とが共によく似た大気環境を測つていた。他方「孝子」は第一火力から3.5キロメーターほども離れ遠すぎるし、新日本工機にいたつてはその排煙の到達圏内かも問題となるし、他方国道二六号線上のディーゼルエンジン自動車の排ガスの影響もでてくる、また「孝子」と「中孝子」は右自動車との距離差があるため同一環境濃度を測つていたものともいえない。更に「淡輪」になると、第一火力から四、五キロメーター前後も離れその排煙の着地条件が違いすぎるし(同一4(四)(3)の風洞実験結果参照)、新日本工機の排煙は到達圏外になつてしまう。以上の事実が認められ、右認定を左右するに足る証拠がない。したがつて「深日」の濃度分布型に少しでも近いものを求めるならば「東畑」のそれであり、補助的に「孝子」のそれをもみておくことが望ましいと考えられるからである(後記第二、一5(三)(4)イ(ホ)参照)。

(4) 年平均値及び0.1ppm超過率の各推定の評価等

以上の(2)及び(3)の諸事実に前記一3(三)(2)ロ(ロ)(二酸化硫黄濃度の測定値の信頼性)、同一4(二)(2)ないし(4)(岬町測定点の大気環境濃度には個性が出やすい条件があること)同一4(七)(地元発生源の存在)及び同一5(二)(1)(排出量最盛期におけるpbO2値の推定)の諸事実を総合すれば、右(2)の年平均値及び同(3)の0.1ppm超過率の各推定について次のとおり評価等することができる。

イ 右の年平均値及び同(3)の0.1ppm超過率の各推定の問題点

右各推定には少なくとも次のとおりの問題点がある。すなわち、

(イ) 右各推定に必要な本件換算式を作るため、或は「東畑」、「孝子」及び「淡輪」における一時間値の濃度分布表(別図〔C二八〕の①ないし③及び同〔C二九〕)作成のため、右三測定点等の実測APメーター値が使用されているが、この実測値自体にばらつきがある(同一3(三)(2)、但し大きな目でみればAPメーター値が一〇ppb足らず高目に出ている点については考慮済み)。また「朝日」「役場」においては、排出量最盛期の実測pbO2値がないため、その推定pbO2値を出し、更にそれをAPメーター値に換算しているため、そこにも不安定要素が混る。

(ロ) 本件換算式は、「孝子」「中孝子」組のデータと「東畑」「東畑(pbO2)」組のそれとを合わせて作つているが、「孝子」と「中孝子」は国道二六号線上の車の排ガスの影響を受ける程度がかなり異なる(同二5(三)(3)ロ(ロ)b)ので同一大気環境濃度を測つているものとはいえず当然そのデータの相関係数も低い値(0.359)しか示さない。したがつてかかるデータと混ぜて作つた特定換算式もその相関係数(0.552)が下がつているため、回帰式自体の合理性にも一定の限界がある(したがつて別図〔C一〇〕のケース3の「東畑」「東畑(pbO2)」組の換算式を一貫して使用するのも一方法であるが、それにはまたそれなりの問題点を有する、同一5(三)(2)ロ(ロ)b参照)。

(ハ) また前記(イ)のとおり実測値自体が不安定なため、本件回帰式において、例えばAPメーター値が一〇ppb足らず高目に出ている(同一3(三)(2)ロ(ロ)b(c))のをどのような数字(同一5(三)(2)ロ(ロ)dでは八ppbと想定した)として表現するのがよいのか、別の視点からいえば「東畑」のAPメーターがD社製でありいわゆる下駄を履いているが、それをどの程度に反映させるか等の点でも不安定要素が混り、y軸切片等の判断がむずかしい。

(ニ) 更に本件換算式は、「東畑」組と「孝子」組の回帰式をベースにしているが、その回帰式はpbO2値0.6mg/day前後までのデータによるものなので、それを超えてpbO2値をAPメーター値に換算するのは、いわゆる外挿であり、その妥当性にも問題が残る(同一3(三)(2)ロ(ロ)b(c)ⅰ(ⅰ)参照)

(ホ) とりわけ右の0.1ppm超過率の推定にあたつては問題が大きい。すなわち

a 「東畑」、「孝子」等の昭和四五年一〇月から向う一年間のApメーター値を纒めた前記別表〔C二八〕の①ないし③及び同〔C二九〕の基準濃度別超過時間率及び超過積算濃度率の各分布型より、同測定点等の排出量最盛期におけるそれらの各分布型を推定するについて、前者が一〇ppb足らず下駄を履いているとし、後者が前記別表〔C三〇〕から一〇パーセント余高目であつたとして、これらをいわば単純に相殺勘定的に処理してしまう点である。かかる処理はあくまでおおよそのものであり、十分な合理性を持つわけではないから、それから導かれた0.1ppm超過率の評価にあたつては十分な配慮(例えば前記別表〔C二八〕の①(②)の基準濃度ランクを探すにつき六〇ppbランクあたりでは未だ計数上では幾分高目に換算しているおそれがあるので、その点を配慮するなど)をしなければならない。

b 更に一層問題となる点は、右aで述べた「東畑」(「孝子」)の排出量最盛期における基準濃度超過時間率及び同超過積算濃度率の各分布型を示すものとした前記別表〔C二八〕の①(②)及び同〔C二九〕を排出量最盛期における「深日」のそれに引き移しそれらから「深日」の分布型をみようとする点である。けだし「東畑」(「孝子」)と「深日」とでは、第一火力からの風下方向地形気象(距離)等の着地条件が大巾に異なるし(とりわけ「東畑」「孝子」にあつては北寄りの風のとき第一火力の風下になり、「深日」では西寄りの風のとき第一火力の風下になる点の差異があり、そのため例えば「東海」「孝子」では大気汚染を起こしやすい局地的海風にさらされ第一火力の排煙が着地しやすくなるが、「深日」においては西寄りの海上から来た風が第一火力の風上にある西光寺山等の丘陵等を通過するため足下に乱流を生じて第一火力の排煙が着地しやすくなつているという差異がある)、また新日本工機、国道二六号線上のディーゼルエンジン自動車等のいわゆる地元発生源の寄与の程度態様も異なるなど諸種の差異があるため「深日」における二酸化硫黄濃度の濃度別分布型が、「東畑」(「孝子」)における前記別表〔C二八〕①(②)及び同〔C二九〕等の分布型に似た形で出るものか、似るとしてもそれをどのように修正してみておればよいのか等の判断がすこぶる困難であり、そこに単なる計算上の0.1ppm超過率を推定するとはいえ、極めて大胆かつ、粗雑な推定を行つていることは否定しがたいからである。したがつてここでもまたそれらから導かれた0.1ppm超過率の評価にあたり十分の配慮を喚起しなければならない。

ロ 右年平均値及び0.1ppm超過率の各推定結果及びその評価

(イ) 各推定の結果

結局同一5(三)(2)(3)によれば右各推定値を次のとおりみるのが相当である。

a 年平均APメーター値

(測定点)

最盛期六年分平均

Apメーター値(ppb)

推定値

深日

三三前後

楠木

二五前後

朝日

二六前後

役場

二八前後

b 0.1ppm超過時間率

(ロ) 右各推定値の使用方法

患者原告ら居住地の大気汚染の状況、寄与等を探るにはAPメーター値による排出量最盛期における岬町の大気環境状況を探ることが不可欠であるが、本件証拠資料の制限や、岬町における大気環境の特殊性、その測定資料、気象資料その他の諸データの乏しさ、現在における科学的知見の不十分さ、等の諸条件があるため、本件審理段階では前一5(三)(2)(3)の手法以外にこれを探る方法を見いだし得ない。そこで右推定手法をその探求の縁に用いるのはやむを得ないところではあるが、前記一5(三)4イの諸制約があることを考慮して、

pbO2値測定点

計算上の0.1ppm超過率

(参考)

別表〔C二八〕の①②の基準濃度

別超過時間率表にあてはめた

場合の目安

(基準濃度ランク(ppb))

深日

五ないし六パーセント前後

「東畑」

六〇ないし五〇

「孝子」

六〇ないし五〇

a 右推定年平均APメーター値は可能な限り使用せず、実測又は推定pbO2値の使用に止めることとし、

b 右0.1ppm超過率は、後記のとおり、pbO2値では解析の不可能なピーク型汚染の分析(後記第二、一6(四)(3)ロ)や、被告らの寄与割合(同一10(二)(2)ハ)を決める場合に限り、これを使用することとし、その場合にも右数字は単なる一応の計算上の参考値に止め、かつ、後記第二、一7(患者原告らの居住地における環境濃度とその特性)及び同第二、一10(三)(患者原告らの居住地での寄与割合)で述べるとおり、各患者原告らの居住地におけるそれらに引き付けた中で、諸般の事情と共にこれを考慮して右各居住地ごとに決定することが必要である。

(5) 原告らの主張する最盛期濃度推定解析について

イ 原告らは、コンピューターを全面的に駆使し、第一火力の低煙突時代の昭和四五年一〇月から昭和四六年一二月までの間に「東畑」、「孝子」「淡輪」及び「箱作」で実測された溶液導電率法による前記二酸化硫黄濃度値とそれに対応する時間の、「発電所構内」及び「平山」の風向、風速並びに第一火力からの二酸化硫黄の排出量を資料にして排出量最盛期における高濃度域の二酸化硫黄濃度を推定した。つまり、まず影響風向と限界濃度(CR)の二条件によるいわゆる機械的手法により四通りの寄与時間の解析結果(甲第一七五号証及び第二二五号証)を出し、次に右四測定点の測定値に測定レベルの差異があるのでそのままでは各測定点間の比較や定量的解析の用に供することができないとして、測定レベルをそろえるために右の寄与時間の解析結果を使つて、補正手法によりAPメーター値を総て補正し、改めてこの補正値を基にして前記の機械的手法と同様の手法により寄与時間を選別した(甲第一八〇号証及び第二九八号証)。続いて右の第一火力の各寄与時間における実寄与濃度(但しバックグラウンド濃度として、四測定点の最底値と次低値の算術的平均値をとり、これを差し引いたもの)を出し、これと、これに対応する各時間の第一火力からの二酸化硫黄排出量との関係を、「東畑」と「孝子」につき限界濃度一〇ppbの場合のみで作図し、甲第二〇六号証の六〇組のグラフとして表わした。そして各六〇組のグラフにつき、y=axbのモデルにより具体的回帰式を求め、この回帰式に基づいてそれぞれのグラフに九〇パーセント予測信頼限界線を引いた。次にそのうち同回帰式のグラフが右上りとなつた三五例を用いて、最高出力時の毎時二酸化硫黄排出量が六トンあつたと推定される第一火力の排出量最盛期の時代の第一火力の実寄与濃度の九〇パーセント予測信頼濃度を求め、甲第二一〇号証にその推定実寄与濃度を表わした。そして最後にこれに原告らの別表〔A二八〕の「積算実寄与濃度率表」を用い、右実寄与濃度は、これにバックグラウンド濃度を加えたものである寄与濃度の六〇パーセントを占めているとして、四〇パーセント分のバックグラウンド濃度を附加し、もつて寄与濃度の九〇パーセント予測信頼濃度とし、その推定寄与濃度を表に示した。そしてこの表に示した高濃度値以上の濃度が、排出量最盛期における「東畑」及び「孝子」において確率五パーセントの割合で出現していたと解析する。そして更に付け加えるに、原告らは、請求原因第三、一4(六)(2)ロの窒素酸化物の五分間値の測定例(原告らの別図〔A一八〕参照)を用い、右寄与時間一時間中における五分間値の最大値が右一時間値の更に二倍を下ることがないとしてその五分間値の場合の濃度値をも推定しているのである。原告らの示すこれらの推定濃度値によれば、高濃度域のそれではあるが、一時間値についての最高濃度値は「孝子」で六七〇ppb、「東畑」で五八〇ppbであり、五分間値についての最高濃度値は「孝子」で一、三四〇ppb、「東畑」で一、一六〇ppbであり、いずれも極めて高い値を示しており、被告は当然この解析に対し、全面的かつ詳細に反論を加え争つている。

ロ そこで案ずるに、原告らの右最盛期濃度推定解析は、同解析が、排出量最盛期の濃度値等のデータが必ずしも十分でなく、かつ、これを推定する資料もそろつていないという中で大まかな推定(この程度の資料でも、ここまではいえるという形の推定)を行わざるを得なかつたという点には十分な理解を示すとしても、余りにも各解析の過程に問題点が多く、かつ、それが幾重にも積み重なりすぎ、かつ、それらの問題点の誤差が大きく現われやすい高濃度領域での数値を重視するなどのため、その結論に安定性を欠く度合が甚だしく、到底これを採用することはできない。

その理由の二、三の例をあげる。〈証拠〉によれば、補正前及び補正後の各機械的手法は、大気拡散理論において定説化している多数の条件から影響風向と限界濃度の二条件のみを用いるという荒つぽいやり方で第一火力の寄与時間を選別しようとするものであり、その条件も、影響風向において、四風向を風速等の諸条件を無視して採用する妥当性、風上条件の無視等、或は限界濃度において一〇ppbをとる根拠が乏しく、二〇ppbでさえも濃度レベルが高くなるほど差の検出限界として大きな限界濃度が求められるのに、それに対応していないなどの問題点を抱えている(その問題点は、地図解析の後に抽出した原告らの別紙(三)の「発電所影響抽出の判定基準」と比べれば、そのおおよそを窺うことができる)し、補正手法にあつては、仮に補正の必要があるとしても寄与時間(それは高濃度域では大多数を占めている)の濃度中のバックグラウンド濃度を戻すことなく、非寄与時間の濃度値のみでバックグラウンド濃度を考えたり、風向の欠測が一か月間の一部に片寄つて存在するのにそれを無視したりしたまま統計学等を駆使してこれを補正したり、補正手法と補正後の機械的手法の両解析が循環論に陥つていたり、補正後の実寄与濃度は、補正値が真値ではないが仮に大小関係の大まかな傾向を表現できていたとしても、それとは異なり右補正値の差(第一火力の影響を含むとされた補正値−バックグラウンドとみなした補正値=補正後の実寄与濃度)として出てくるものであるから、その大まかな傾向さえも読み取ることができないし、更に窒素化合物の五分間測定例は次の一5(三)(6)ロに述べるとおり失当であるなどあまりにも多数の問題を含み、しかもそれらの各種問題を含む解析が直列に進展し積み重ねられて結論にいたつていることが認められる(右認定に反する証人塚谷恒雄の証言部分はにわかに措信しがたい)。これらの諸事情があるからである。その他に右最盛期濃度推定解析の合理性を納得せしめるに足る証拠はない。

(6) 窒素酸化物の短時間測定例による最盛期の短時間濃度の推定に対する批判

イ 原告らは、大阪市立大学の大志野章チームにおいて、第一火力の東方約2.9キロメーター、標高六〇メーターの丘陵で昭和四九年六月五日午前九時前から午後一時過ぎまでの間、時定数五分弱の連続測定器を使用して窒素酸化物を、風車型風向風速計を使用して風向風速をそれぞれ測定し、それにより原告の別図〔A一八〕及び同〔A一九〕の測定結果を得た、これによれば、風向が第一火力のある西に振れたとき第一火力の排煙がストレートに測定点へ到達し際立つた高濃度が出現しているが、その五分間値の最高値は前述したとおり控え目にみても一時間値の二倍はあるとし、排出量最盛期における一時間値の高濃度値は五分間値でみると更に二倍も高かつた旨主張し、右の客観的事実を立証するものとして、〈証拠〉を援用する。

ロ しかしながら、〈証拠〉によれば、大志野チームの右測定の事実、並びに、それと同一時間帯における、「発電所構内」(地上約六〇メーター)「役場」(地上約二一メーター)「深日(中学校)」で吹いた風の風向及び「発電所構内」で吹いた風の風速と「平山」(地上約二一五メーター)での風向、風速をそれぞれ同一紙面上に示すと別図〔C五一〕の「NOx測定時における風向と周辺測定点風向との対比」(被告の別図〔B四四〕に乙D第一四号証から「発電所構内」の風速及び「平山」の風向・風速を付加したもの)のとおりであることが認められ、その他に右認定を左右するに足る証拠がない。そして右認定事実に前記一4(二)(2)(有効煙突高さ)及び同一4(四)(1)(現地拡散実験の結果)の諸事実を総合すると、右測定日の測定時間帯は、「平山」で風速2.5メーターないし3.5メーター、「発電所構内」で同1.3メーターないし1.9メーターの弱風であり、第一火力の煙突から出た排煙は、大雑把にみて約三〇分ほどで二、九キロメートルほど風下に流れたものと予測されるところ、右のような弱風時には有効煙突高さが高いため、その排煙の主流は「平山」で観測された風に一番近似する可能性があるところ、「平山」の九時ないし一二時の風向はいずれも北西ないし西北西であつて右測定点方向には向かわず、また仮に第一火力の煙突から出た煙の主流が「発電所構内」の風の風向に影響を受けているとしてもそれはほぼ北西寄りから北東寄りの間の風であり、更に第一火力と右測定点の間にある「役場」の主風向は北北西から北北東にかけての風であり、加えて第一火力と右測定点との間の多少北側にある「深日(中学校)」の風向も北西から北にかけての風であつて、これらの風によつてみれば、第一火力から排出された窒素酸化物の混つた排煙の中心部が右測定点方向に流れて来なかつたことは明らかである。もつとも右の時点の風は弱風でありその拡散巾が広く(風速風向条件の割合よく似たそして同じ高煙突時代に行われた現地拡散実験の結果である原告らの別図〔A一四〕参照)、かつ「役場」において一〇時四〇分ごろから一一時一〇分ごろにかけ西寄りの風も吹いているので、右排煙の周辺部分が右測定点へ到達した可能性が考えられなくはないが、しかしながら前記の諸事実によれば、「発電所構内」の風は北西寄りであるから例えば新日本工機の排煙のみが「役場」の西寄りの風に乗つて東進した可能性があること、仮に第一火力の排煙が「役場」の西寄りの風に乗つたとしても測定点に流れ着く途中「深日(中学校)」に吹く北北西の風で南方に押しやられてしまう可能性があること、「発電所構内等」の風速からみて「役場」の西寄りの風に乗つて第一火力の排煙が右測定点へ届いたものとするには濃度の出現状況に時間的づれがありすぎること、右測定点付近には住宅地があり、また同測定点の北方ないし西方数百メーターの地点に国道二六号線があり、そこを通る自動車の排ガス等による可能性もないわけではないことなどの諸事情が推定されるから、これらの事情に照らすと、第一火力の排煙の傍流が到達しそれがNOx濃度グラフに現われたものと認めるにも未だ証拠不十分であるといわざるを得ず、〈証拠〉によつても未だ右事実を認めるには足りない。してみれば右窒素酸化物の短時間測定例をもつて排出量最盛期における短時間の大気環境濃度の最高値を、推定する原告らの主張は採用の限りではない。

(四) 排出量最盛期における窒素酸化物

(1) 次のイないしヘの各事実中、イないしハは前記一2(二)(2)(4)(窒素酸化物の排出量)、同一3(二)(1)ロ、ニ(窒素酸化物濃度)、同一4(七)(2)、(3)(国道二六号線等を走行する自動車の交通量)の認定事実の引用又はそれによつて推認することができるものであり、その余は、〈証拠〉を総合すればこれを認めることができ、その他に右認定を左右するに足る証拠はない。

イ 岬町において二酸化窒素の測定開始以降の「役場」「孝子」における二酸化窒素濃度の年平均値の減少状況は次のとおりである。

ロ 第一火力が生成排出した二酸化窒素の量は、原告らの別表〔A四〕及び同別図〔A三〕記載の程度ないしそれを数パーセント下回る程度であるところ、その排出量は、第一火力の第三、第四号機が稼動し始めた昭和三八年度ごろから急激に増加し、昭和四四年度にかけて排出量最盛期に達したが、そのころから減少の一途をたどり、最盛期と比べ、その濃度測定を開始した右昭和四八年度ごろには約三分の一ほどに、第二火力の動く前年の昭和五一年度には約一〇分の一ほどに減少している。

ハ 窒素酸化物の測定値には、地元発生源として第一火力、新日本工機等のほか道路を走る自動車の排ガス等の影響等も大きい場合があるところ、車の交通量は、国道二六号線が昭和四〇年度過ぎごろには、府道岬加太線が昭和四三年度ごろにはそれぞれ大巾に増加し、その後も多少減少傾向はあるもののほぼ横這い状態である。

測定点

役場(ppb)

孝子(ppb)

年度

四八

二六

二〇

四九

一四

一四

五〇

一八

一三

五一

一七

一三

五二

一五

五三

一七

一〇

五四

一三

一〇

〔但し,ザルツマン係数を昭和52年度以前は0.72,昭和53年度以降は0.84としている。〕

ニ 窒素酸化物は移動発生源(自動車、船舶)からの排出部分も少なくなく、それらは低排出源であるため、その影響で岬町における二酸化窒素の測定値も測定場所によつてかなりの差異を示している。

ホ 岬町における二酸化窒素の測定値は、昭和四八年の測定開始以来、大阪府下の各測定点の中で、二酸化硫黄と同様濃度の一番低い部類に属している。

ヘ 二酸化窒素の一時間値の年平均値を示す数値は、これを二倍するとおおよそ同じ程度の加害性を有する一時間値の二四時間平均値を示すものと一般に考えられている。

(2) 右認定事実に同一3(二)(1)ロ及びニ(窒素酸化物の測定)の事実を総合すれば、排出量最盛期における岬町の大気環境中の窒素酸化物の量は判明しないが、他地区と異なり第一火力の寄与が加わるため、イ少なくとも「役場」においては、(イ)国道二六号線や府道岬加太線の自動車の走行量が増加しだした昭和四〇年度過ぎごろ以降で、かつ、第一火力窒素酸化物の排出量最盛期において年平均二六ppbをそれ相当に上回わつていた(少なくとも年平均三〇ppbを割ることはない)ものと推測され、これは二酸化窒素の一時間値の年平均値の二倍がおおよその一時間値の二四時間平均値と同じ加害レベルにあたることを考えれば相当程度の量であつたことがわかる。(ロ)また視点を変えてこの量を見るに、後記第二、一8(一)(3)イ及び(二)において大阪市内で行われたいわゆる五か年総括等から得た二酸化硫黄の判定条件を物差しとして岬町の大気汚染の有無程度を論じる際、五か年総括の六地区等における二酸化硫黄濃度の指標性が、岬町における二酸化硫黄についてもほぼ同様に認められることが必要であるところ、岬町の二酸化硫黄と二酸化窒素の比は大阪市内六地区のそれらと比べ二酸化窒素が少なすぎるということはなかつたものと推察される。

ロ なおpbO2の値測定点「深日」は、「役場」の近くであり、府道から離れていること以外には条件が似ており、「役場」ほどではないもののそれにかなり近い二酸化窒素濃度の傾向を示していたものと推測してはずれることはない。

(五) 排出量最盛期における浮遊粒子状物質

〈証拠〉を総合すれば、岬町における浮遊粒子状物質の環境濃度の測定が開始されたのは昭和四八年六月以降のことであり排出量最盛期においては測定されていなかつたので、その量は定かでないが、当時第一火力では大量の石炭を使用しており、また第一火力の第一、第二号機は、昭和四一年一一月に電気式収塵装置を取り付けるまでは粒子の細かい浮遊粒子状物質を殆どそのまま大気中に放出していたので、右の昭和四一年一〇月までの間にあつてはそれなりの量に達していたはずであり(その分布の状況は二酸化硫黄濃度値の分布状況を目安にすればよい)、その後にあつても少くとも大阪市内の大気汚染と比べるとき二酸化硫黄の指標性が問題となるような小量ではなかつたことが認められ、その他に右認定を左右するに足る証拠はない。

6 岬町における大気汚染の特質――いわゆるピーク型汚染について

(一) はじめに

(1) 原告らは、岬町における大気汚染は、被告の火力発電所という単一大発生源に起因するため、都市型汚染と異なり、いわゆるピーク型の汚染を呈し、その結果、前記の環境濃度の平均値からは窺い知れない、人体に対する悪影響を及ぼし、高い有症率となつて現われる旨主張し、被告はこれを争う。

(2) ところで岬町の二酸化硫黄濃度の出現がピーク型であつたか否かを論ずるのは、前記一5の岬町における排出量最盛期の大気環境濃度の問題と同様、同町における大気環境(総体)が原告らの患つている閉塞性肺疾患等に悪影響を及ぼすものであつたか、もしそうであるならばその程度如何を検討する一環としてなされるものである。したがつてここにいうピーク型汚染の有無程度を把握するについては、〈証拠の〉ごとく、一方では健康への影響力が大気環境濃度と汚染時間の積によつて表わされる量によつて規定せられるし、他方では個体間の差はあれ人体には本来一定の健康への修復能力(正常な調節機能と代償作用の働き)が備わつているので、その汚染の程度・態様が一定量以下である場合には健康への影響力を受けても時間の経過によつて元に回復することができるので、これらの両側面を念頭において論ずべきである。そしてこの両側面から具体的にピーク型汚染の有無程度を探るについては、その環境濃度の①ピークの高さ、②ピークの出現頻度、③ピークの継続時間、④ピークとピークの時間的間隔、⑤大気環境の平均濃度の諸要因(以下「ピーク型判断要因の①……」という形式で略称する)に着目してその有無程度を検討することを要するのである(とりわけ、APメーターによる測定に基づき右①ないし④について検討する際には、現在行われている環境基準、侵害性の評価、各地の諸データの比較等の関係上0.1ppm超過領域でのそれが有益である)。そして、それらの検討の結果明らかになつた諸事実を対象として、それらが患者原告らに対し健康被害を与えるものであつたか否か、その程度如何を定量的に決め得る科学的知見を発見し、それに右の具体的ケースをあてはめその有無程度を判断することになるのであり、それが本来望ましい判定方法なのである。

しかしながら、かかる見地に立つて定量的に健康被害の有無及び程度を解明するに足る科学的知見は、〈証拠〉によれば未だ現時点において得られていないことが明らかである。また、仮に右知見が存在するとしても、第一火力の排出量最盛期当時における岬町においては、右①ないし④の事実はもとより⑤の大気環境の平均濃度さえ十分に計測されていなかつた状態であつて、排出量最盛期におけるそれらを逐一推定することは同一5(三)(1)イでも触れたとおりこれまた不能に近い。

だからといつて、これをもつて直ちにピーク型汚染の有無の検討を放棄するわけにはいかない(前記一1(二)(本件不法行為成否の判断に関する基本的態度)参照)。かかる場合にあつても、まず岬町の大気環境濃度が原告らの閉塞性肺疾患を発病ないし増悪させるものであつたか否かその程度如何をみる物差しとして閾濃度値を示す既存の判定条件(本件にあつては後記第二、一8(二)(1)のとおり大阪府や赤穂市の疫学調査結果に基づいて環境基準を定めるについてクライテリアとして採用された「四〇才以上の成人につき咳と痰が三か月以上毎日出る単純性慢性気管支炎症状有症率」が「二酸化鉛法で年平均値1.0mg/day以下の地域では約三パーセントであるが、それ以上の値を示す地区では二酸化鉛法による測定値と有症率との間には正の関連性がみられ」るとの知見等)を利用し、それをその大気汚染形態を変動させることによつて、どのように修正してみておればよいか、つまり、大阪府や全国における汚染地区、非汚染地区、都市型汚染地区、臨海型汚染地区等のデータと比較し位置付けをしたりして、修正すべき傾向を探るなどすることが必要であろうし、次に右の物差しによつて測られるべき岬町の大気環境の態様についても右の大阪市内六地区(五か年調査六地区)と比べどのように具体的に違うのかを、排出量最盛期の患者原告ら居住地ないしその周辺測定点における平均濃度値の推定(前記⑤)とピークの高さ、ピークの出現頻度等(同①ないし④)のおおよそを可能な範囲で探りながら検討すべきであり、そしてこれらの物差しと対象を総合的判断の下に安全を十分見込んだ範囲内でその加害性の有無程度を推定すべきである。そこで前者(いわゆる物差し)については、後記第二、一8において触れることとし、ここでは主として後者(測られるべき対象)について触れることとする。

(3) 以下においては、最初に(二)において、岬町の大気環境濃度が五か年調査六地区に比べピーク型汚染の形態をとる可能性がある前提条件を備えていることを述べ、次にそれが具体的にどのような形態程度として濃度に現われているかに関し、まず(三)において本件低煙突時代の主として昭和四五年一〇月から昭和四六年一二月までの期間の「孝子」「東畑」「淡輪」におけるAPメーター実測値に基づいて、前記ピーク型諸要件の存否及び程度を各種手法を用いて解析し、続いて(四)において、排出量最盛期における、患者原告らの居住地に近い「深日」「楠木」「国道二六号」及び「朝日」「小田平」「役場」における(1)pbO2値ではどうなつているか、(2)推定Apメーター値ではどうか、(3)その余の諸般の事情を総合してみるとどうかについて各別に検討することとし(五)において次の一7への橋渡しをする。

(二) 岬町と五か年調査六地区におけるピーク型汚染の発生条件

(1) 次のイないしハの各事実中、イは〈証拠〉によつてこれを認めることができ、その他に右認定を左右するに足る証拠がなく、その余は、前記一2(二)(第一火力の硫黄酸化物等の排出状況)、同一4(二)(2)ないし(5)(第一火力の有効煙突高さ、岬町の地形、気象等)、同一4(三)(1)イ(岬町の写真)、同一4(四)(1)、(3)(現地拡散実験及び風洞実験)、同一4(六)(3)ハ(地図解析の結果)、同一4(七)(2)ないし(4)(地元発生源)、同一4(八)(2)(別図〔C三六〕の解析)の諸事実の引用又はそれから推論し得るものである。

イ 五か年調査六地区は大阪市内の「東住吉(A)地区」「同(B)地区」「福島地区(I)」「此花地区」「大正(A)地区」及び「西淀川(A)地区」でありいずれも広い大阪平野内の平担な場所にあり、遠近各所方向にある、多数の大中小工場群や車の走行する無数の道路が散らばり、その排煙や排ガスに常時さらさらていた。その大気環境濃度は、もとより季節別、日別、時刻別によつて高低差があるものの、その程度は概して強くなく、俗にいう都市型汚染地区の代表的な形態を示していた。

ロ 岬町は、大阪市堺泉北地域を始めとする大阪湾岸方面からの遠距離汚染源や、和歌山方面の中距離汚染源からの大気汚染物質が飛来し、年間を通じてみるとそれらからの二酸化硫黄が岬町の環境濃度の過半を占めるが、その他に第一火力の低煙突から排出される大量の硫黄酸化物等や国道二六号線を走行する自動車、新日本工機等の大小様々な地元発生源もあり、その濃度の残部を占めている。その中にあつて第一火力の低煙突から出る排煙は、硫黄酸化物等の排出量が極めて多かつたにもかかわらず、同町付近はその名の示すとおり岬状の地形等のため換気性がよく、また右低煙突にもそれなりの有効煙突高さがあつたため、風下になれば常にそこから排出される二酸化硫黄が着地するというわけではなかつたので(同一4(二)(5))右のとおり岬町における二酸化硫黄濃度中に占める寄与濃度割合は年間を通じてみると多くはなかつた(同一4(六)(3)ハ参照)。しかしながら、排煙の排出側の諸条件(例えば有効煙突高さ等)が悪くなつたり、第一火力の南側にせまつた山地等の複雑な地形の影響を受けたり、測定点の第一火力方向風上に丘陵等がある場合には風に乱流を含んだり、或は局地的海風、収束、逆転層の発生等の各種気象条件の影響を受けたりするなどの諸条件がそろうと、岬町内の或る地点には第一火力の排煙の中心部分が届いたり、末端部分のみが届いたり、時には滞留していたそれらが降りて来たりなどすることがあつた。そしてその場合にあつては、第一火力排出の二酸化硫黄等の量が飛び抜けて多量であるうえ、近地点に着地するため、高濃度域の濃度値となつて現われ、岬町内の測定点にそれなりの高低差をつけることが多かつたし、また見方を変えていうと、岬町内測定点に高濃度値を検出させた日の多くは第一火力の低煙突から排出された硫黄酸化物の到達による場合が多かつた(例えば、前記別図〔C三六〕の「多奈川発電所煙流追跡調査時と類似した気象時における環境SO2濃度」の「中孝子」及び「犬飼」並びに別図〔C三八〕の「修正マーク値付き時間別データ地図」のマーク値の出現状況参照)

ハ 但し岬町の大気環境は、その複雑な地形や道路等の諸条件により地域的差異がかなりある。

(2) 以上の諸事実によれば、岬町の大気環境濃度は、五か年調査六地区のそれよりピーク性を現わす可能性が強く、その形態は、原告らが主張するような単一大発生源によるそれではもとよりないが、さりとて被告のいうようなものでもない。その具体的状況は、以下の(三)及び(四)の諸解析の中で自ら明らかになるであろう。

(三) 昭和四五年一〇月から昭和四六年一二月まで又はそれ以降の間における二酸化硫黄濃度値(APメーター値)等にみられるピーク型汚染の検討

(1) 「孝子」「東畑」及び「淡輪」等における実測APメーター値等による検討

イ 二酸化硫黄濃度と非超過確率グラフ

(イ) 〈証拠〉によれば、次の諸事実が認められ、その他に右認定を左右するに足る証拠がない。

a 大気汚染濃度の出現分布が対数正規分布で近似するといわれており、右濃度分布状況の検定を対数正規確率紙を用いて行うことがある。ところで我国の通常の測定点における実測値をこの対数正規確率紙上にプロットすると、プロットを結んだ線は一般に直線又は下に凸の曲線になるといわれている。

b 岬町におけるAPメーター測定点「孝子」、「東畑」及び「淡輪」における第一火力の低煙突時代の昭和四五年一〇月から昭和四六年一二月までの二酸化硫黄濃度の一時間値の月別非超過確率グラフは、被告の別図〔B六八〕(乙C第七六号線証の二)に示すとおりである。なお右被告の別図〔B六八〕にプロットの凸の状況を見やすいように基準直線(赤線)を付加したり、参考までに後記第二、一6(三)(1)ロで触れる九九パーセンタイルの濃度値と月平均濃度値の比を対応月のグラフの上に記入したりなどしたものが別図〔C五二〕の「岬町周辺地域におけるSO2濃度一時間値の月別非超過確率グラフ(補助事実付き)」である。

c 岬町の「孝子」、大阪市の「市立衛生研究所」、北大阪の「吹田保健所」、東大阪の「布施保健所」、南大阪の「堺市小林寺小学校」における、昭和四六年度の二酸化硫黄日平均値の非超過確率グラフは、被告の別図〔B六七〕のとおりである。なお右被告の別図〔B六七〕にプロットの凸の上下を見やすいように、「孝子」及び「市衛生研究所」の右各プロットに基準となる直線を赤線及び青線で入れる等したものが、別図〔C五三〕の「昭和四六年度SO2日平均値の非超過確率グラフ(補助事実付き)」である。

b 右の被告の別図〔B六八〕(別図〔C五二〕の月別非超過確率グラフにおいて0.01ppm付近以下の濃度地帯ではプロットを結ぶ線の勾配がややきつくなつているケースが多いが、この辺は測定器の計測誤差が拡巾されて図示されている可能性が増える(特に「東畑」及び「淡輪」の測定器はD社製であり前記別図〔C五〕によれば一般的には0.01ppmほど高目の数値を示す傾向があるといわれている)し、また九九パーセンタイル値以上では測定値に種々の攪乱要因が混つている危険があり、その安定性に不安がある。

(ロ) 以上の事実によれば、a右被告の別図〔B六八〕(別図〔C五二〕)の月別非超過確率グラフにおいて、まず九九パーセンタイル値以上は安全性に弱点があるので安全性を見込んで便宜これを切り捨て、次に0.01ppm付近以下ではプロットの正確性に危険が伴うのでこれを念頭において、主としてその間における高濃度域でプロットをみるのを相当とするところ、プロットを結ぶ線が上に凸(グラフの上に行くに従い同線の勾配が緩くなり右に寝る傾向がでること)にならなければピーク型でないか否かは別として、少くとも右の傾向が現われる場合には、高濃度域の濃度出現頻度が高いいわゆるピーク型である可能性が強いものと考えられる。(a)そこで、右のグラフからこれを選ぶ(但し五〇パーセンタイル値付近以下からプロット数が省略されているので判定しにくい)と、「孝子」においては、昭和四五年一〇月から昭和四六年六月まで、同年一二月がそれに該当し、とりわけ昭和四五年一二月、昭和四六年一月、三月の各グラフで九〇パーセンタイル値ないし九五パーセンタイル値付近からグラフのプロットがかなり著しく右に寝る傾向を示しているし、「淡輪」においては、昭和四五年一二月、昭和四六年一月、一二月がそれに該当し、とりわけ昭和四六年一月のグラフで九〇パーセンタイル値付近からグラフのプロットがかなり著しく右に寝る傾向を示しているし、「東畑」においても、昭和四六年三月ないし五月がそれに該当している。(b)また右のグラフにおいてみる限りで敢えていえば「孝子」においては九九パーセンタイル値付近の濃度が高い(約0.1ppm)ときにプロット線が上に凸になりやすい傾向が窺われないでもない。b次に被告の別図〔B六七〕(別図〔C五三〕)の昭和四六年度二酸化硫黄日平均値の非超過確率グラフも同様に見、同様のことがいえるが、これによつても他の四測定点と異り、「孝子」のグラフは九〇パーセンタイル値付近でグラフが右に寝る傾向が現われている。

ロ 二酸化硫黄濃度の九九パーセンタイル濃度値と平均濃度値との比

(イ) 〈証拠〉によれば、次の諸事実が認められ、証人塚谷恒雄の証言中右認定に反する部分はにわかに措信しがたく、その他に右認定に反する証拠はない。

a 九九パーセンタイル値の求め方には数通りの方法が考えられるところ、塚谷と被告は別表〔C三二〕の「昭和四五年一〇月「孝子」におけるSO2濃度の九九パーセンタイル値の計算」で例示したごとく別々の計算手法を組んでいる(以下前者を「塚谷方式」、後者を「関電方式」という)。この違いを別図〔C五四〕の雛型を用い証人塚谷恒雄の証言に副つて比喩的に説明する。縦軸に九九パーセントの位置をとり、そこから水平線を引くと、その線が、実測値(一五四ppbと二一七ppb)間の包絡線及び九九パーセンタイル値を超過する実測値とそれから一ppb差し引いた値(二一七ppbと二一六ppb)の包絡線とそれぞれ交わる。前者の包絡線との交点の濃度値が関電方式の九九パーセンタイル値であり、後者の包絡線との交点の濃度値が塚谷方式の九九パーセンタイル値である(なお原被告の示す九九パーセンタイル値等は、右の計算手法のほか、計算上のその余の差違により算出した数値に多少の差違を生じているが、最終結論には影響のない程度である)。

b 昭和四六年度において、大阪府下三一測定点並びに岬町内の測定点「孝子」「東畑」及び「淡輪」における各溶液導電率法による二酸化硫黄濃度(一時間値)の九九パーセンタイル値(但し関電方式)と年度平均値の比を求めると、被告の別表〔B三六〕(乙C第五一号証参照)のとおりである。

c 右昭和四六年度(昭和四六年四月から昭和四七年三月まで)の各月において大阪府下三一測定点並びに岬町内右三測定点における各二酸化硫黄濃度(一時間値)の九九パーセンタイル値(但し関電方式)と各月平均値の比を求めると、被告の別表〔B三七〕(乙C第一〇三号証)のとおりであり、同表〔B三七〕に被告の別表〔B三六〕の結果を付記し、かつ前記別図〔C五三〕の五測定点を明示し見やすくすると別表〔C三三〕の「大阪府下におけるSO2一時間値の九九パーセンタイル値と平均値の比」のとおりである。

d 昭和四六年、昭和四七年、昭和四九年の各一月から六月までの各月において、右岬町内三測定点における各二酸化硫黄濃度(一時間値)の九九パーセンタイル値(塚谷方式)と各月平均値の比を求めると別表〔C三四〕の「パラメーターの計算結果」(甲第一五〇号証の表7)のとおりである。そのうち昭和四六年分は第一火力の低煙突時代のものであり、昭和四七年二月以降の分は第一火力の高煙突化後のものであり、昭和四七年二月以降の分は第一火力の高煙突化後のもので第一火力の近傍へその排煙が届くことはなくなつたり、減少したりしているはずの時代のものである。

(ロ) 右の諸事実に、前記一4(二)(2)ないし(4)(第一火力の有効煙突高さ等)、同一4(四)(1)(現地拡散実験)及び同一4(九)(煙突建替え前後の濃度差)の諸事実を総合してみると、a前記別表〔C三三〕(被告の別表〔B三六〕、同表〔B三七〕によれば、(a)岬町内三測定点における二酸化硫黄濃度(一時間値)の九九パーセンタイル値(但し関電方式)と平均値の比は、昭和四六年度の一年間でみても或は同期間の月別でみても、いずれも、大阪府下三一測定点のそれと比べて、「大阪市」内のそれらの一般的傾向(例外、勝山中学校、摂陽中学校)より高く、いわゆる臨海工業地帯の「堺市」のそれらの傾向と類似し、その余の「大阪府」下のそれらの傾向(例外、吹田保健所、八尾保健所)とかなり共通の傾向がみられるところであり、またその程度に止まつている。(b)、前記五か年調査六地区においては、同六地区が大阪市内にあるので、(時点が異なるし、測定点との関連も未だ明らかにされてはいない等の問題を含んでいるが、)右の「大阪市」内のそれらの一般的傾向下にあつた可能性が強いものとみて大過ないし、(c)岬町における閉塞性肺疾患の閾濃度値を探るうえで参考となる後記第二、一8(二)(2)の、大阪府作成名義にかかる「府下調査解析」(甲第二七号証)の図131(c)の「大阪市調査との比較(計)」(五か年調査六地区から得た結果と、岬(ABC)、高石、守口、堺(浜寺)、堺(錦、錦西)吹田、堺(三宝)豊中(その他)(以下岬(ABC)を除く七地区を「府下調査七地区」という)の疫学調査から得た結果とを比較したもの)中の府下調査七地区は、それらの地区が右別表〔C三三〕の、「大阪府」及び「堺市」の各欄中の測定点のある各大阪府下の市内に存在するので(時点が異なるし、右測定点との関連等も同様未だ明らかにされてはいないけれども)、右の「市」ないしその余の「大阪府」下のそれらの一般的傾向と比べ大雑把にみてさほどの大差がなかつた(少くとも「大阪市」内における比の傾向より高かつた)ものと考えて差し支えないはずである。

b 前記別表〔C三四〕によれば、同表が一年の前半部分のみの比であるし、各年度の排出条件、気象条件も一部(例えば前記別図〔C三九〕の「発電所構内」、同〔C四六〕の「平山」の風配図等)しか判明していないし、またその九九パーセンタイル値のとり方(塚谷方式)が本件解明にとつて望ましいそれであつたか否かについても検討を要するが、それはともかく、昭和四六年一月ないし六月でみる限り前記別表〔C三三〕と殆ど同様の傾向にあつたことが窺われ、更に昭和四六年分と昭和四七年分、昭和四九年分と比べると、第一火力の低煙突時代に前記aで述べたごとく高目に出ていた年平均値と九九パーセンタイル値の比が、高煙突後に変動していることが推測される。つまり、第一火力に一番近く、第一火力高煙突の有効煙突高さや、現地拡散実験の結果等から高煙突後第一火力の排煙がまずは着地しなくなつたものと推測される「東畑」において、右の比は、濃度値全体が下り比としては高く出やすくなる傾向があるといわれるのに、逆にかなり低減しており(例外昭和四九年六月)、「孝子」においても右の比の低減がみられ、一番遠地点である「淡輪」ではその傾向が殆どみあたらないのである。

(ハ) 当事者のその余の主張に対する判断

a 原告らは、前記最盛期濃度推定解析に用いたデータによつて作つた原告らの別表〔A三一〕、同〔A三二〕及び同〔A三三〕を示し、「孝子」と「東畑」において、第一火力の寄与のない(いわゆるバックグラウンド)ときの前記の比より、第一火力の非寄与時及び寄与時を総合したときの前記の比の方が高いので、このことによつても岬町における二酸化硫黄濃度の変動巾が非常に大きく、高濃度発生率が高かつたことがわかる旨述べ、それに副う証拠として〈証拠〉を援用する。

しかしながら、右の各主張は前記一5(三)(5)で述べたごとく、補正後のそれ(右別表〔A三二〕は補正手法に問題があるので採用しがたく、補正前のそれらも機械的手法に問題があり、その点を無視するとしても右一6(三)(1)ロ(ロ)の判断以上に敢えてこれを取り上げるまでの必要をみないので、結局右各主張はいずれもこれを採用しないこととする。

b 被告は、被告の別図〔B六九〕において、昭和四六年度の全国の測定時間六、〇〇〇時間以上の測定点延べ四四四か所における二酸化硫黄濃度(一時間値)の九九パーセンタイル値(但し関電方式)と年度平均値との対応関係を散布図と回帰線で示し、そこへ岬町内三測定点の対応点を赤丸で入れると、いずれも回帰線の下側に納まるので、全体的な傾向の中で濃度の低い地域の平均的なところに位置し、他の地域より高濃度域が多数出るいわゆるピーク型の濃度分布でないことがわかるといい、それに副う証拠として、〈証拠〉を援用する。しかしながら、比較の対象とされた全国の右四四四の各測定点が個々的に備えている大気汚染に関する特異性の有無、程度が判明していないので、そのプロットの中に岬町三測定点のそれを浮かべてみても、それでもつて岬町三測定点のピーク性の有無、程度をみることはできない。けだし前記一6(三)(1)ロ(ロ)a(a)に述べたごとく岬町三測定点における二酸化硫黄濃度のピーク性は「大気汚染状況の概要」が採用した全国四四四測定点の大勢とかけ離れた著しいピーク性を示すことはそもそも初めからあり得ないことであり、右のような検討で岬町三測定点のピーク性の有無を捉えようとする試みは最初から不可能であるからである(右の手法によつて岬町三測定点の濃度のピーク性を見るためには、それとの対比が問題となる大阪市内六地区測定点のデータや後記別図〔C六三〕の大阪府下六地区のデータによる各プロットの所在を明らかにすべきであり(前記16(一)(3)、後記一8(二)(2)ハ(ロ)b、(四)(1)ロ(イ))、それを明らかにしない被告の主張、立証は反証の功を奏していない。なお、a前記一5(三)(2)ロ(ロ)cdで述べたごとく「孝子」、「東畑」のAPメーター値が長期的にみた場合一〇ppb足らず高目に計測されていたとするとその年平均値がその分だけ下がるので九九パーセンタイル値の方も減つたとしてもその比は大きくなるであろうから、被告の別図〔B六九〕にそのプロットを浮かべた場合、果して被告の右主張が維持し得るかさえも問題であろうし、bまた前記別表〔C二八〕後記別図〔C五五〕に照らせば、被告の別図〔B六九〕の岬町のデータと異なり高煙突時代の濃度値の混らない昭和四五年一〇月から昭和四六年九月の間の岬町のデータによつてプロットを記入すると、そのプロットは右被告の別図〔B六九〕の赤丸より相対的に多少は高くなるであろうことが推察されるので、その点でも被告の右主張は問題を残している。

ハ 「多奈川発電所煙流追跡調査」について

前記一4(四)(1)ロ(現地拡散実験)及び同一4(九)(2)(煙突建替え前後における環境濃度)において示したごとく、前記別図〔C三六〕の「多奈川発電所煙流追跡調査時と類似した気象時における環境SO2濃度」の「中孝子」及び「犬飼」では、煙突建替え前の昭和四六年一月から同年一二月までの「中孝子」及び「犬飼」において、第一火力の排煙が到達していたものと思われる類似気象時一時間最大値が(その絶対値としての正しさはともかく)類似気象時平均値ないし月間平均値と比べ著しいピーク型濃度を示しており、これらによつても「中孝子」及び「犬飼」におけるピーク型傾向を窺うことができる。同様のことは地図解析からも推測することが可能である。

(2) その余の当事者の主張に対する判断

イ 原告らの主張について

(イ) 昭和四六年度に現われた高濃度一時間値について

原告は、昭和四六年度の二酸化硫黄濃度値中に、「孝子」において府下最高の0.51ppmを、「東畑」において府下第四位の0.403ppmの各一時間値が記録されており、これが環境基準の定める二酸化硫黄の一時間最高値0.1ppmの五倍ないし四倍であること、岬町の年平均値と比べ異常に高いことをもつて、単一大汚染物質排出源によるピーク型汚染が現われた一例と主張する(なお右高濃度値が計測されたこと自体については当事者間に争いがない)。

しかしながら前記一3(二)(1)イ、ニ及び同所で認定済みの乙D第一二号証の測定結果に基づいて作成した別表〔C三五〕の「昭和四六年度SO2一時間値の基準濃度超過時間数」からみて明らかなとおり、八〇〇〇時間余ある時間数全体の、しかも高濃度域の濃度値からも飛び離れたたつたの各一例にすぎず、かかる値には種々の攪乱要因の混入した可能性がありこの値で物をいうのは危険であり(前記一6(三)(1)イ(イ)d及び乙A第五号証の二参照)、したがつてこれをもつてピーク型の根拠(ないしピーク型判断要因の①)とすることはできない(なおこの点は右両測定点の次順位の高濃度値についてもほぼ同様のことがいえる)。

(ロ) 窒素酸化物濃度の短時間測定例について

原告らは、大志野章チームが昭和四九年六月五日第一火力の東方約2.9キロメーター、標高六〇メーターの丘陵で時定数五分弱の連続測定器を使用して窒素酸化物の短時間測定を行つたが、これによれば、風向が第一火力のある西に振れたとき第一火力の排煙がストレートに測定点へ到達し際立つた高濃度が出現している旨主張し、これに副うものとして〈証拠〉を援用しピーク型汚染の例記とする。しかしながら前記一5(三)(6)で述べたとおり、前記別図〔C五一〕中の「NOx濃度」欄の高濃度値を、第一火力の排煙が到達した結果生じたものであると認めるに足る確証がないので採用しがたい。

ロ 被告の数理統計手法を使つた岬町大気環境濃度のピーク性批判(被告の反論第七、四1(二)及び同2(二))に対する判断

(イ) 被告は、a二酸化硫黄につき、(a)大阪府下及び全国のデータを使い年平均値と環境基準(一時間値0.1ppm又は一時間値の一日平均0.04ppm)超過頻度との関係を図示(被告の別図〔B七一〕ないし同〔B七三〕)し、(b)昭和四六年度の大阪府下のデータを使い月平均値と月ごとの環境基準0.1ppm超過頻度との関係を図示(被告の別図〔B七四〕)し、(c)昭和四六年度の大阪府下のデータを使い、年平均値と0.06ppm又は0.2ppm超過頻度との関係を図示(被告の別図〔B七五〕)し、b二酸化窒素につき、大阪府下及び全国のデータを使い年平均値と旧環境基準(一時間値の一日平均値0.02ppm)超過頻度との関係を図示(被告の別図〔B七六〕及び同〔B七七〕)し、それぞれの各図の中には対応する岬町のデータを挿入し、それらから、岬町が大阪府下又は全国にみられる傾向からかけ離れた短時間高濃度汚染傾向を有する地域でないことがわかるという。

(ロ) しかしながら右各被告の別図と前記一3(二)(1)、(三)(2)(岬町における大気環境濃度)、同一5(三)(2)ないし(4)及び(四)(排出量最盛期における二酸化硫黄濃度値及び二酸化窒素濃度値)、同一6(三)(1)(昭和四五年一〇月から昭和四六年九月までの間における「孝子」、「東畑」及び「淡輪」におけるピーク型汚染)の各事実によれば、

a 被告の右の総ての解析は、大阪府下及び全国の各測定点(特に大阪市内六地区の測定点)が大気汚染上どういう位置を占めるそれであるかを明らかにしていない(本件全証拠によつてこれを認める)ため、岬町のデータの意味付けがしにくい。

b 被告の別図〔B七四〕中の昭和四六年四月から一二月までの図を除く他の総ての前記各図による諸解析は、岬町の測定値がいずれも第一火力の高煙突化した後のデータを含むか、又はそれのみによるものであるから、第一火力の低煙突時代(特に排出量最盛期)のそれを問題とする本件にあつては相応しい解析とはいいがたい。

c 更に被告の別図〔B七四〕等においては、第一火力の低煙突時代であつた昭和四六年四月以降同年一二月までの間のデータも使つているが、それらは患者原告らの居住地とは離れた「東海」「孝子」及び「淡輪」におけるそれであり、そのままでは、患者原告らの居住地に近くかつ「東畑」「孝子」及び「淡輪」よりもずつと高濃度値であつた「深日」(ないし「役場」)におけるピーク性を探るには不十分であるといわざるを得ない。

d 昭和四六年度以降の「東畑」「孝子」及び「淡輪」は平均濃度が低く、したがつて一時間値0.2ppm超過頻度はもとよりのこと、同0.1ppm超過頻度でみても、その汚染特性がうまく現われるかに疑問がある。

以上の問題点を指摘することができ、これに照らせば、右各図中に二次回帰線を引いたことが妥当か否かの点は差し置き、被告の前記諸解析では、未だ、岬町が短時間高濃度汚染傾向を有する地域であるとの前記認定をぐらつかせることはできない。

(ハ) かえつて

a 右一6(三)(2)ロ(ロ)冒頭引用の諸事実に、〈証拠〉によれば、

(a) 被告の別図〔B七一〕と同種の図面(乙E第一二五号証)中に、前記別表〔C二八〕、同〔C二九〕及び前記別図〔C三八〕より低煙突時代である昭和四五年一〇月から昭和四六年九月までの間の「東畑」及び「孝子」における、二酸化硫黄の年平均Apメーター値と同一期間の0.1ppm超過頻度との関係を求めて図示すると別図〔C五五〕の「大阪府下等におけるSO2年平均値と一時間値が0.1ppmを超えた頻度との関係」中に緑色のプロットで示すとおりである。

(b) 被告の別図〔B七五〕のうち0.06ppm超過頻度関係の図面中に、右(a)同様前記別図〔C二八〕、同〔C二九〕及び前記別図〔C三八〕より昭和四五年一〇月から昭和四六年九月の間の年平均APメーター値と同期間における0.06ppm以上の超過頻度を求めて図示すると、別図〔C五六〕の「大阪府下におけるSO2年平均値と一時間値が0.06ppmを超えた頻度との関係」中に黒三角のプロットで示すとおりである。

(c) 右で指摘した各プロットは被告の別図〔B七一〕及び同〔B七五〕の大阪府下のプロットと多少測定時期のずれがあるが、これは結論には影響を及ぼさない程度のものである。

以上の事実が認められ、その他に右認定を左右するに足る証拠がない。

b 右の諸事実によれば、

(a) 「孝子」の昭和四五年一〇月以降の一年間のAPメーター値では、一時間値の0.1ppm及び0.06PPmのいずれの超過頻度においても、短時間高濃度出現率が多目であつたことが窺われるし、

(b) 「東畑」においても右に近い傾向が窺われるところである。(もつとも、前記一5(三)(2)ロ(ロ)で述べたとおり、「東畑」「孝子」の各実測APメーター値が長期的には一〇ppb足らず高目を計測していたとすると、右別図〔C五五〕及び同〔C五六〕における右両測定点の平均APメーター値がそれだけ下がるから、0.1ppmないし0.06ppm超過率の減少を考慮しても、よりピーク性が顕著になるものと思われる)。

(c) なお付言するに、「深日」についての0.1ppm超過頻度の推定値は約五ないし七パーセント前後である(前記一5(三)(3)ロ)ところ右の推定値は先に繰返えし述べたごとく、あくまでも極端なまでの制約付きで出した単なる試算上数値にすぎない。したがつて、これを右別図〔C五五〕のプロット中に浮かべてものをいうことはできないが、しかしながら排出量最盛期における「深日」についてはかなりの短時間高濃度出現傾向があつたものとみても必ずしも不自然とはいえないであろう。

(四) 排出量最盛期ごろにおけるピーク型汚染の検討

(1) はじめに

排出量最盛期においてAPメーター値は測定されていない。pbO2は測定されていたが次の(四)(2)に述べるとおり、この実測値から右の検討をすることは、その測定値の性質上著しい制限がある。かかる悪条件下にあることを承知の上で(前記一6(一)(2)参照)、以下(2)においては実測pbO2値により、(3)においては推定APメーター値により、それぞれ患者原告らの居住地における排出量最盛期の二酸化硫黄濃度のピーク性を探るについて手懸りとなる何らかの資料を推測することとし、最後に(4)においてこれらの手懸り等を使つて患者原告ら居住地の周辺の測定点におけるピーク性の概略を探ることとする。

(2) pbO2値による「深日」、「国道二六号線」、「楠木」、「多奈川発電所」、「岬公園」、「岬カントリー」及び「朝日」「小田平」「役場」等における二酸化硫黄濃度のピーク性について

イ 〈証拠〉によれば、

(イ) 昭和四一年度から昭和四五年度までの間の、大阪府下における二酸化鉛法による二酸化硫黄濃度値の年度平均値と年度最高値の関係を散布図に示し、それに岬町のそれを〇で併記すると被告の別図〔B七〇〕(乙C第九六号証の一ないし五参照)のとおりである。ところで右各図の〇は岬町内のどの測定点を示すものかが明示されていないので、これを右別図〔B七〇〕上に、その年度平均値、年度最高値、両者の比と共に表示し、かつ年度平均値別にみて一番低い年度最高値を示す地点のプロット付近を直線で結ぶと、その線はおおよそy=30/25X(但しyは年度最高pbO2値、Xは年度平均pbO2値)になるので、目視の便宜上これをも同図〔B七〇〕に付加すると、別図〔C五七〕の「大阪府下における硫黄酸化物濃度の年度平均値と最高値の関係(補助説明付)」の①ないし⑤のとおりであり、更に便宜右別図〔B七〇〕の①の散布図を利用して昭和三九、四〇年度及び同昭和四六年度の岬町測定点における硫黄酸化物濃度の年度平均値と年度最高値の関係を示すと別図〔C五八〕の①ないし③の「岬町における昭和三九(四〇・四六)年度硫黄酸化物濃度の年度平均値と最高値の関係」のとおりである。

(ロ) 昭和三九年四月から昭和五〇年三月までの期間における「多奈川発電所」、「西畑」、「犬飼」、「石橋」、「岬カントリー」、「深日」、「岬公園」、「楠木」、「西畑街道」、「国道二六号」のpbO2値の月別変化状況をグラフに示すと別図〔C五九〕の「岬町pbO2値測定点の月別濃度グラフ」のとおりである。

(ハ) 清水が作成し、大阪府名で公表された「府下調査解析」(甲二七号証)によれば、昭和四二年度から昭和四四年度までのpbO2値を用い、「それぞれの年度で高濃度の月を四位まで」選びその平均値と年平均値の差を右の年平均値で割るとその比(変動率)は別表〔C三六〕の①の「高濃度四か月の平均値と年平均値との差」及び同②の「高濃度四か月平均値との差:大阪市調査地区」のとおりであり、「大阪市調査地区」では「一八パーセントないし二五パーセント」の、岬町を除く大阪府下では「二三パーセントないし三〇パーセント」の、岬町(「深日」)では「41.4パーセント」の変動率を示した旨報告されている。なお右別表〔C三六〕のデータに基づいて各地点の高濃度四か月の平均値と年平均値の関係を図示すると別図〔C六〇〕の「高濃度四か月平均値と年平均値との関係」のとおりである。

以上の事実が認められ、その他に右認定を左右するに足る証拠がない。

ロ そこで

(イ) まず別図〔C五七〕ないし〔同五九〕について

右(イ)、(ロ)の事実に、前記一3(二)(1)イ及び同(三)(1)イ(イ)(二酸化鉛法による二酸化硫黄濃度)、同一4(二)(2)ないし(5)(第一火力低煙突の排煙の拡散諸条件)、同一4(四)(1)(現地拡散実験)、同一4(六)(地図解析)の諸事実を加えて案ずると、右の各図は、次のaのような制約があり、その中で同bのような結論を導き得る。

a(a) 第一火力は、岬町付近にある二酸化硫黄の排出源の中で飛び抜けた大発生源であり、その煙流部分が着地する場合はもとよりのこと、その周辺部分でさえそれが着地すると高濃度(ピーク型)がでやすい。ところが第一火力の排煙は、岬町の換気性のよさと有効煙突高さのため、一定の条件がそろつたとき以外は着地せず(同一4(二)(5))、着地している場合にも風向の変化等の刻々の着地条件の変動によつて変化移動してしまうことが多い。そのため排煙の着地によつて現われる比較的高い影響濃度も短時間で、発生、変動、消滅する場合が多い。そのためこの影響濃度が全積算濃度中に占める割合も長時間の中でみればそうも多いとは思われない。そこでこれらの第一火力からの排煙の着地等を原因とする大気環境濃度の変化する状態を捕捉するには、或る程度短時間の値で、しかも風向風速との対応関係をも捕捉しうるような状態で測定できる測定器によることが望ましい。ところで溶液導電率法による一時間値の測定はかかる要請に副い得るが、pbO2法のような一か月単位の、したがつて風向、風速等の条件等との対応もみれない測定器によつてこれを捕捉することは著しく困難である。

そこで前記別図〔C五七〕は、月間積算濃度値の散らばり具合が、大阪府下のpbO2値測定点と岬町内のそれとでどういう関係にあるかを示すが、そのことを越えて、更にそこから、月単位より短い単位の時間における二酸化硫黄濃度の変動状況(ピーク性)を探るについては、その余の諸般の諸事情と総合してその傾向を探る一補助的な事実になるにすぎないのである。前記別図〔C五八〕及び同〔C五九〕においても同様である。

(b) これを換言すれば、岬町の大気環境濃度は、一年間の全濃度の積算値でみると、いわゆるバックグラウンド濃度値が大部分を占め、第一火力の実寄与濃度分は、多くはないので(後記一10参照)、大部分を占めるバックグラウンド濃度値に攪乱されてしまい、第一火力の右の短時間ピーク型高濃度出現状況が隠れてしまうことが予測され、したがつて、pbO2値によつて月単位以下の短時間、濃度のピーク型状況を探ることは一般的にみて困難である。

結局別表〔C五七〕は、月間積算濃度値の点において、岬町のpbO2値測定点が大阪府下の他のそれと比べいかなる特色を有するかについて語るものであるが、更にそれを越えて月以下の単位の大気環境濃度の変動状況を探るについては、その余の諸般の事情と総合してその傾向の有無程度を探る一資料にしかなりえないのであり、またその範囲で価値を留めてはいるものである。

(c) もつとも岬町測定点のデータと比較の対象とした右別図〔C五七〕、同〔C五八〕及び別表〔C三六〕中の大阪府下のpbO2値測定点の具体的位置状況その他の事情の詳細はわかつていない。

b 以上のような条件付で右別図〔C五七〕ないし同〔C五九〕をみると、排出量最盛期における岬町のpbO2値測定点の月単位における積算濃度値の変動巾は、総じて「西畑」「深日」が一番大きく、「石橋」がそれに続き、「楠木」「犬飼」は中程度であり、「多奈川発電所」「国道二六号」らが小さい(なお前記被告の別図〔B六六〕の「pbO2値標準偏差」参照)。そしてこれを大阪府下の他の測定点と比べると、岬町のそれらはいずれも年平均値及び年度最高値自体においては低い値を示しているが、右年度平均値と年度最高値の変動巾(比)は「西畑」「深日」がむしろ大きい方の部類に属し、「多奈川発電所」「国道二六号」は著しく安定して小さいことがわかり、「楠木」「犬飼」は中程度に位置していることがわかる。

(ロ) 右別表〔C三六〕及び同別図〔C六〇〕について

右別表及び別図によれば「府下調査解析」が指摘するごとく、五か年調査地区内より岬町を除く府下の調査地区の方が、総じて多少変動が大きく、岬町(深日)は、年平均濃度値としては低いゾーンに入つているものの、その変動率はかなり顕著に大きいことがわかり、この点からも前記6(四)(2)ロ(イ)で認めた「深日」の傾向を裏付けることができる。

(3) 推定APメーター値による各測定点における二酸化硫黄濃度のピーク性について

右一6(三)(1)の諸事実に、前記一3(三)(2)ロ(ロ)(APメーターによる二酸化硫黄濃度値)、同一5(三)(2)ないし(4)(年平均APメーター値、0.1ppm超過頻度の各推定)の諸事実を総合すれば、次の事実を推認することができる。

イ 「孝子」、「東畑」、「淡輪」について

「孝子」、「東畑」、「淡輪」における排出量最盛期の二酸化硫黄濃度は、昭和四五年一〇月以降昭和四六年九月までのそれより多少高目であつた(同一5(三)(3)イ(イ)d参照)が、他方逆に昭和四五年一〇月以降一年間分の実測APメーター値がおおよそ年平均値にして一〇ppb足らず高目に測られていた(同一3(三)(2)ロ(ロ)b(c)ⅲ)ので、結局両期間の間において風向等の気象条件やバックグラウンド濃度の占める割合その他が大きく変わらなければ、一年間という多数の時間でみる限り、大まかにみて右一年間の実測値とほぼ等しかつたものとみることができる(同一5(三)(4)イ(ホ)a参照)。ところで右両期間の間に気象条件、バックグラウンド濃度の占める割合にはさほど差異がなかつたものと窺われることは先に同一5(三)イ(ロ)に述べたとおりである。

してみれば「孝子」、「東畑」、「淡輪」における排出量最盛期の二酸化硫黄濃度は、(イ)その推定年平均APメーター値(ピーク型判断要因の⑤)の点において右基準年の実測年平均APメーター値と類似し、(ロ)濃度分布(同判断要因①ないし④)の点についても、例えばa0.1ppm超過時間数が前記別表〔C二八〕の①ないし③と、b0.1ppm超過時間の積算濃度数が同別表〔C二九〕とそれぞれ比較的類似していたものとみればよく(同一5(三)(3)(4)及び後記一10(二)(2)ハ)、c更に前記別図〔C五二〕等の非超確率グラフ上のプロットの型や、同別表〔C三三〕中の岬町測定点の九九パーセンタイル値と平均値の比もほぼ同様であつたものと推認することができる。

ロ 「深日」、「楠木」、「朝日」、「役場」について

(イ) 「深日」、「楠木」、「朝日」、「役場」における排出量最盛期六年度間の推定平均APメーター値の概略(ピーク型判断要因の⑤)は同一5(三)(4)ロ(イ)a(APメーター値による環境濃度の推定)の表に記載のとおりであり、これをAPメーター測定点「東畑」「孝子」の昭和四五年一〇月から向う一年分の実測値と比べると、「深日」の推定値で約1.4倍ほどにあたる(なお別表〔C三一〕のの倍率及び同一5(三)ロ(ロ)a(d)参照)。

(ロ) その余のピーク型判断要因(①ないし④)に該当する事実を右の四つのpbO2値測定点で具体的数字をもつて推測することは不能というしかない。僅かに「深日」における0.1ppm超過頻度を五ないし六パーセント前後と一応計算上試算した数字があるのみである。(同一5(三)(3)(4))但しこの0.1ppm超過時間率は先に一5(三)(4)イで述べたとおりの重大な問題点があり、あくまでも参考値であるにすぎず到底そのまま採用し得るものではない。

(4) 「深日」、「役場」、「朝日」、「楠木」、「岬公園」、「国道二六号」におけるピーク型汚染の概略の推測

患者原告らの居住地における大気環境の状況を探るについては、それらに近い「深日」、「役場」、「朝日」、「楠木」、「岬公園」、「国道二六号」における排出量最盛期のピーク型汚染の状況を知りたいところであるが、それらの参考となる具体的数値としては前記一6(四)の(2)、(3)で述べた程度しか判明しない。そこで以下においては、「孝子」、「東畑」、「淡輪」におけるそれが比較的詳しく判明している(同一6(四)(3)イ)ので、それらの測定点との比較検討を中心に置き、これに右六測定点のpbO2値からみた汚染の状況(同一6(四)(2))や右各測定点の年平均濃度(同一6(四)(3)ロ(イ))を加え、更に「深日」にあつては一時間値の0.1ppm超過時間率(同一6(四)(3)ロ(ロ))を参考値として、これらの諸事実に、第一火力からの二酸化硫黄の排出、第一火力からこれらの各測定点に向う距離、地形、気象条件等の拡散諸条件(同一4(二))風洞実験結果(同一4(四)(3))、岬町における長期間平均pbO2値の分布状況(同一4(五))、地図解析(同一4(六))及び新日本工機、国道二六号線上のディーゼルエンジン自動車等の地元発生源の規模や寄与の有無程度(同一4(七))の諸事実を綜合して右「深日」他五測定点におけるピーク型汚染の概要を推定することとする。

イ 「深日」及び「役場」について

(イ) 「深日」及び「役場」は第一火力及び新日本工機の東側にあたり、西寄りの秒速数メーター以上の風が海上から吹き寄せてくる場合には、第一火力及び新日本工機の上をも同じ風が吹き、有効煙突高さの低い新日本工機からの二酸化硫黄を九〇〇メーター前後風下にある「深日」に運び込む。またその海上から来る風は第一火力の風上で、西光寺山、泊山、その他の丘陵のある陸地によつて下方の流れを乱されているため、第一火力の排煙の本体部分やその周辺部分を第一火力の約一、五〇〇メーター風下にある「深日」やその西南の山麓に着地させることが少なくない。そのような場合岬町にあつてはその余の地元発生源の規模が小さく、他方新日本工機や第一火力が際立つて大きく、かつ近距離にあるため、新日本工機の排煙が着地する場合にも周辺の二酸化硫黄濃度より高くピーク型傾向を示したであろうが、第一火力の二酸化硫黄が届く場合にあつては、その排出量が膨大であるため短時間に高濃度の出現するいわゆるピーク型汚染形態をより明瞭に示したものと推定される。また無風時や秒速数メーター以下の弱風時にあつては、一般的には有効煙突高さが高く、第一火力の排煙はその本体部分が着地することがなく、霞散しているその周辺部分が、その余の気象条件如何によつて、「東海」、「孝子」でみられたと同様、例えばパフモデル的な大気汚染などの、いわゆる弱風型汚染となつて現われたことが推測される。もつともこの場合にあつても「深日」にあつては、「東畑」「孝子」が北寄りの風である局地的海風によつて弱風型汚染が現われるのとは多少趣を異にする。

(ロ) 「深日」の年平均二酸化硫黄濃度(ピーク型判断要因の⑤は)、排出量最盛期六年間で平均約0.99mg/dayほどであり、「東畑」や「東畑(pbO2)」と比べ、その推定pbO2値でみて約2.5倍弱ほど、推定APメーター値でみて約1.8倍強ほどそれぞれ高い(同一3(二)(1)ニ及び同5(二)、(三))。なお「孝子」と比べてもほぼ同程度高かつたものと思われる。

(ハ) ところで、最盛期六年度を通じてみた「深日」と「東畑」(及び「孝子」)の二酸化硫黄濃度の平均値(換言すれば右期間の積算二酸化硫黄濃度数)に右のようなかなりの開差のでた原因を考えてみるに、右各測定点の同積算二酸化硫黄濃度数の内訳は、いずれも大阪湾岸方面や和歌山県方面等から到達する遠来のバックグラウンド濃度と、第一火力及び新日本工機を始めとする地元排出源からのそれとからなつている(同一4(七)(1))ところ、

a 右各測定点に到来する大阪湾岸方面や和歌山県方面からの遠来のバックグラウンド濃度値(それは「東畑」の積算二酸化硫黄濃度の相当部分を占めている)は右のごとき長期間でみれば殆ど差異がないはずであり(同一4(六)(2)ホ(イ))したがつてその開差の出た原因は第一火力、新日本工機等の地元発生源の寄与分の差によるものと推測される。

b しかるに岬町にあつては年間を通じてみると各年によつてそれほど風向条件等の変化がないことは既に述べてきたところである(同一5(三)(3)イ(ロ))が、前記別図〔C一五〕、同〔C一六〕、同〔C三九〕、同〔C四六〕及び原告らの別図〔A五〇〕の「発電所構内」・「平山」その他の各風配図や前記別表〔C八〕及び同〔C一四〕(なおこれを時刻別にみると別表〔C三七〕の「時刻別風向表」のとおり)によると、「多奈川発電所」「平山」の風向でみる限り、西ないし西北西寄りの風の風向頻度が北北東寄りの風のそれより多いが、その程度はごく僅かでしかなく、(なお別表〔C三七〕でみる限り時刻別にみても右両風向の一方が新日本工機の営業活動の盛んな時と推測される昼間に一方的に偏しているということもない)。したがつて新日本工機排出の二酸化硫黄(それは、既述のごとく有効煙突高さが低く操業による二酸化硫黄の排出時間帯にあつては風向条件さえ合えば多くの場合、「深日」や「東畑」に到達したはずであるし、その到達量も両測定点との距離がほぼ同じなので「東畑」の方が山越えであるため幾分着きにくいであろうことを考慮しても長期間でみればさほどの差異はなかつたものと推測される)が、「深日」及び「東畑」の各積算二酸化硫黄濃度中に占める量は「深日」の方が多目であつた可能性が強いものの、かといつてそれほど差異があつたものとも思われない。したがつて「深日」「東畑」の積算二酸化硫黄濃度量の前記開差は更に他の地元発生源に求めなければならない。

c ところで「深日」の周辺には深日港の船舶や、府道岬加太線及びやや離れた国道二六号線を走行する各ディーゼルエンジン自動車、瓦焼き窯等の地元排出源が存在するが、年単位の長時間でみれば、これらの排出源からの二酸化硫黄量が「深日」のpbO2値に影響を与える程度は所栓限度があり(同一4(七)(2)参照、もつともこれらの排出源が「東畑」「孝子」に対して与えた影響より、「深日」へ与えたそれの方が大きいことはいうまでもない)、かつ「深日」の測定器のごく近辺にあるわけでもないから(同一3(二)(1)イ参照)、これらにその開差の原因の多くを求めることも無理であり、結局第一火力の寄与分に相当差があり、その差がかなりの原因となつて「深日」と「東畑」(ないし「孝子」)の年平均濃度値の前記開差として現われたものとみるのが合理的な推論であると判断する。してみれば「深日」にあつては飛び抜けた二酸化硫黄の大排出源である第一火力が「東畑」より多量に寄与しているのであるから、そこにはピーク型判断要因の①ないし④の点においても「東畑」(「孝子」)より条件が悪かつた(少なくともそれらの測定点のそれよりよいことはなかつた)ものと推測され、0.1ppm超過時間率の点においても五ないし六パーセント前後との試算値の妥当性はともかく、そこそこの率を示していた可能性が強い。

(二) なお「深日」における濃度差は、pbO2値で月ごとに見た場合にもかなりの開きを示している。

(ホ) 「役場」については、

a 排出量最盛期六年間の年平均二酸化硫黄濃度の推定値は約0.80mg/day前後で「東畑」「東畑(pbO2)」と比べ、pbO2値でみて約二倍前後高い(同一5(二)(1)ハ(ロ))。

b またピーク型判断要因①ないし④の点についても「深日」と比較的類似し、それを右濃度値相応に弱めた程度であるものと推測し得る。もつとも「役場」にあつては新日本工機へ数百メーターに近付き、その排煙の影響力をより強く受け、それだけその積算二酸化硫黄濃度中に占める第一火力の影響力が少なかつたものと考えられる。

c 他方「役場」にあつては、府道上の自動車の排ガスによる窒素酸化物の影響を受けており(同一5(四))、複合汚染の度合も強まつてきていることに注意を要する。

(ヘ) 「深日」、「役場」のピーク性の程度は、いずれも大阪市内にある五か年調査六地区のそれと比べてかなり強かつたし、また前記別表〔C三六〕の府下六地区のそれにほぼ等しかつたものと推測される(同一6(二)、(三)(1)ロ(ロ)a、(四)(2)ロ(ロ))。

ロ 「朝日」について

「朝日」にあつては、(イ)その年平均二酸化硫黄濃度の推定値はpbO2値でみて0.75mg/day前後であり、(ロ)北寄りの風のとき、すぐ近くの新日本工機の影響力を強く受けていたものと思われる。他方、その年平均濃度、第一火力の有効煙突高さ、第一火力からの距離等からみると、第一火力の排煙の足下すぎて、その排煙が降りて着地することはごく限られていたものと思われる。もつとも、ひとたびそれが着地するときはかなりの高濃度を示したことが推測される。そのような次第で、「朝日」のピーク性はむしろ新日本工機の影響によることが多く、総じて「東畑」や「孝子」のピーク性と比べてさして高くなかつたものと推定される。なお付言すれば「小田平」でもほぼ「朝日」に類似した状況下にあつたものと推測される。

ハ 「楠木」について

「楠木」では、排出量最盛期六年間の年平均二酸化硫黄濃度は0.69mg/dayであり、比較的低かつたし、そのピーク型判断要因の①ないし④も、すぐ南西側に山をひかえている割りには強くない。pbO2値による月別濃度差も大きくない。

ニ 「岬公園」について

「岬公園」は海岸寄りにあり換気性に富み、排出量最盛期六年間の年平均値(0.63mg/day)も低く、ピーク型傾向ありとして取り上げるようなものはない。

ホ 「国道二六号」について

「国道二六号」は、国道二六号線脇の電柱上約四メーターの地点に設置されているため、局所的に国道二六号線を走行する自動車の排ガスの影響を強く受けている。そのため、排出量最盛期六年間の年平均値でみるとpbO2値で年平均0.99mg/dayを示すが、ピーク性は低い(同一4(七)(3)参照)。pbO2値による月別濃度差も少ない。もつとも自動車の排ガス中の窒素酸化物の影響をかなり受けていたものと推測される。

(五) 結語

既にたびたび繰り返してきたごとく、岬町の大気環境は五か年調査六地区のそれとは、かなりの相異点がある。つまり、岬町には、地元に、他と際立つて大きな硫黄酸化物の排出源である第一火力の低煙突があつた。ところでその煙突から出た排煙は、有効煙突高さがかなり高かつたため、通常の排出条件下にあつては、その足下には着地しにくかつたのに、岬町にあつては南側に山や谷がせまつた複雑な地形があり、また気象的にも換気性がよいのに他方では局地海風が吹いたり、山越気流が生じたり、大気の安定度等の変化が他の諸条件と連動したりなどするため、それらの拡散条件いかんによつては、その煙流の本体部分や末端部分が時には着地し、頻度はそう多くないものの、かなりの高濃度値を記録し得たからである。そしてこのことは岬町内という狭い範囲の土地内にありながら、問題とする地点ごとに、右の拡散条件、着地条件が異なるため、二酸化硫黄濃度値やピーク型の特性がかなりの差となつて現わる。更にその場所的な濃度やピーク型の特性の個別性は、岬町にいわゆるバックグラウンドとして大阪市、堺泉北等の大阪湾方面や、和歌山方面からも相当量の硫黄酸化物が流入するほか、新日本工機や国道二六号線を走行する自動車からのそれらのような局地的発生源も加わるため、これらをも加味して検討しなければならない。ところで、これらの問題とする地点別の特性は、本件において最終的に問題となる患者原告らの居住地のそれらについて論ずるのが一番合理的かつ経済的である。そこでここ一6においては、「深日」(「役場」も近似する)で各ピーク型判断要因を相当満たしていることなどを明らかにしたので、次の一7において、これらの測定点別の特性を用い患者原告らの居住地ごとに、その環境濃度と合わせてピーク性をも触れることとする。

7 患者原告らの居住地等における大気環境濃度及びその特性

(一) 患者原告らの生活の本拠地について

次の(1)ないし(6)の各事実中、(1)は前記第一・一1(一)において設定したとおりであり、(2)ないし(6)は前記一4(六)(3)(地図解析、特に別図〔C三八〕)同一5(最盛期における大気環境濃度)、16(一)(2)(ピーク型汚染の判断要因)の事実、〈証拠〉を総合すればこれを認めることができ、〈反証排斥略〉、その他に右認定を左右するに足る証拠はない。

(1) 患者原告らは、それぞれ原告らの別表〔A一五〕の「患者原告ら居住地一覧表」の居住地欄の場所に住居を置き(但し患者原告谷口みゆきの②の居住地及び亡左近正國の②の居住地はいずれも仕事場である。以下「①の住居地」「②の仕事場」という形式で略称する。なお患者原告伊木冨士子は昭和二八年から昭和四三年四月ころまで岬町深日所在の岬石油店に住み込んでいた。)、同表の居住期間欄の期間居住していた。

(2) 右患者原告ら中、患者原告竹本美志、同高木廣一、同谷口みゆき、同伊木冨士子、亡安達克子、同左近正國を除くその余の者は、いずれも発病前から右(1)の住居地で殆どその生活を営んでいた。

(3) 原告竹本美志は発病のころまでいわゆる失対人夫を、同高木廣一は農業のかたわら、冬期に岬町附近で山仕事を、それぞれしていたが、生活の殆どは右(1)の住居地で送つていた。同谷口みゆきは昭和四三年ごろガーゼ製造工場(②の仕事場)で工員をしていた。

(4) 亡安達克子は、昭和四〇年ころから泉南郡阪南町尾崎にある住友生命泉南営業所の保険外交員班長をしていたが、長女の夫が多奈川地区に住んでいたこともあつて、その管轄に含まれていた多奈川、孝子地区方面で勧誘を行うことも少くなかつた。しかしながら、その生活の本拠は、深日、多奈川、孝子地区方面ではなく、その住居地である淡輪地区を中心とするものであつた。

(5) 亡左近正國は、前記のとおり多奈川谷川西に住居を置き、洋服仕立業を生業としていたが、その間である昭和三三年ごろから病気で働けなくなつた昭和四七年ごろまでの間前記のとおり深日地区に仕事場を置いていた。

同人は注文を受けて洋服を仕立てていたが、田舎のことでもあり、また安い既製服に押されて仕事量はそう多くなく、忙しいときで月に五着も注文があればよい方であり仕事の方は順調でなく、暇な時には元の親方のところ等へ手伝いに行つたりしていた。そのようなわけで同人は朝普通の時間に自宅を出て自転車で三キロメーターほど離れた深日地区の仕事場に通い、そこで、夕食前に自宅へ帰るころまで仕事をするという程度で深日の仕事場を利用していたのが平均的な姿であり時には他へ働きに出たり、材料の仕入や注文等を取りに回ることもそれなりにあつた。したがつて休日等を入れれば、その生活の全時間中半分近くほどの時間を、谷川西の自宅その他で送つており深日地区にはいなかつた。

もつとも深日地区に丸一日いるのと、夜自宅に帰つているのとの差異はその時間の長短で決まるものではなく、健康被害を及ぼすであろう環境基準超過濃度域で生活する時間数等がどのぐらい少なくて済んだかという見地から(前記一6(一)(2)のピーク型判断要因参照)みるべきものであり、この見地からみると、亡左近が夜間自宅にいてかかる大気汚染にさらされずに済んだ割合は全一日を深日地区にいない休日分のそれを含めても、そう多くはなかつた。

(6) 原告伊木冨士子は、戦争未亡人で、昭和二四年三人の子供をかかえて多奈川地区谷川にある前記肩書き現住居に転居してきたが、昭和二八年ごろから昭和五二年八月病気でやめるまで岬町深日地区所在の国道二六号線に面した岬石油店で働き、主として事務、集金関係の仕事を行い、月のうち、半分ないし三分の二ほどは昼過ぎごろから午後六時ごろまで岬町内の深日、緑が丘、谷川地区をまわり集金していた。なお、同原告は、その一時期留守番、店番を兼ねて岬石油店に住み込んでいたことがあるが、その時期は、遅くとも被告の排出量最盛期以前に始まり、昭和四三年四月ごろまでの期間であつたらしく、その住込先の岬石油店は深日のロータリーから約四〇〇メーター余大阪方向へ寄つた国道二六号線沿い南東側にあり、国道に接面した給油所とそれに続く店舗が所在していた。もつとも同原告の住込先の所在位置やその間同原告が谷川地区の自宅にも帰つていたのか否か等の詳細は定かでない。

そういうわけで、同原告は、排出量最盛期のうち昭和四三年四月ごろまでは、深日地区所在の国道二六号線沿いの岬石油店や深日地区で主とした生活の場を持つていたことが窺われ、それ以降においては、平均的にみれば生活の三分の二ほどを谷川地区の自宅その他で暮らしており、国道二六号線沿いの岬石油店や深日地区にいた時間はせいぜいその余の時間帯にすぎなかつた。なお、原告伊が岬石油店や深日地区にいなかつた時間の持つ意味は、亡左近正國について前記一7(一)(5)において触れたと同様である。

(二) 各患者原告らの住居地及び仕事場の大気環境濃度とその特性後記(1)ないし(10)の各事実中、pbO2値測定点の測定値については当事者間に争いがなく、その余は前記一4(二)(2)ないし(5)(第一火力の排煙の着地の諸条件)同一4(四)(1)(3)(現地拡散実験及び風洞実験)、同一4(七)(2)ないし(4)(地元発生源)、同一5(二)(三)(排出量最盛期における環境濃度)、同一6(ピーク型汚染)、の諸事実に、〈証拠〉を総合すれば、これを認めることができ、その他に右認定を左右するに足る証拠がない。

(1) 患者原告竹本美志、同辻下ユキ子及び亡中川美(①及び②の住居地)について

イ 右三名の前記住居地(但し亡中川については①及び②の各住居地のみ)は、いずれも第一火力の南側七〇〇メーターほどにある最高約一三三メーターほどの山地の山裾にあつた。

ロ そのうち、原告竹本の住居地は標高約一五メーターほどの高さにあり、約四〇〇メーターほど北北西に第一火力の低煙突四本を、二〇〇メーターほど北に新日本工機の西側の工場部分をいずれも直接望む位置にあつた。特に新日本工機の煙の拡散する高さは、同原告宅と大差がなく、北寄りの風のときは、その排煙をまともに受けたはずである。もつとも第一火力の方は低煙突時代にあつても有効煙突高さが総じて高く、その排煙が同原告附近に着地することは殆どなかつたが、時たま気象条件によつてそれが着地するときは高濃度汚染をもたらしたことが窺われる(同一4(二)(5)参照)。同原告の住居地に高濃度が出現するときは、殆ど北寄りの風のときであり、その場合府道上の自動車の排ガスの影響は問題とするに足りない。

同原告宅の近くにある測定点は数十メーター北北西にあるpbO2値測定点「小田平」であり、同原告宅の月平均ないし年平均的な環境濃度はそのpbO2値が指標になるものであるところ、「小田平」の排出量最盛期六年度間における推定pbO2値は0.75mg/day前後より多少低目程度にすぎず(同一5(二)(1)ハ(ロ))、濃度値のピーク性も、第一火力からの排煙が到達するごく例外的な場合を除けば新日本工機からの排煙量や大阪湾岸から来るそれが届いて高濃度になる場合に生ずるだけであり、総じて「東畑」におけるピーク性と比べてそう高くはなかつたものと推定される。

ハ 原告辻下の住居地は、同じく標高約一五メーターほどの高さにあり、約六〇〇メーターほど北西に第一火力の煙突が、最短距離でとつて約二〇〇メーターほど北に新日本工機の東側の工場がそれぞれあり、北寄りの風の場合原告竹本の場合と同様、新日本工機からの排煙をまともに浴びるが、第一火力からの排煙は、粒子の大きい降下煤塵を除いて、殆どその上空を通過しており、気象条件が特にそろうときに時たま着地することがあつた程度である。もつとも時たま届く場合にはかなりの高濃度を示したはずである。

同原告宅の近くにある測定点としては、約一〇〇メーター余西北西にあるpbO2値測定点「朝日」であり、同原告宅の月平均ないし年平均的な大気環境濃度はそのpbO2値が指標になるものと考えられるところ、「朝日」の最盛期六年度間における推定pbO2値は0.75mg/day前後にすぎなかつたし(同一5(二)(1)ハ(ロ))、第一火力とは、原告竹本宅よりは離れているものの、右のとおりの近距離のため、汚染濃度のピーク性も原告竹本宅と殆ど同じ程度であり「東畑」における傾向と比べそれをさして上回ることはなかつた(同一6(四)(4)ロ)。

ニ 亡中川の住居地は、同人が昭和四五年ごろまで住んでいた①の住居が標高約一五メーターの高さにあり、②のそれは平地にあり府道に面していた。そのうち右の①の住居地は原告辻下の住居の数十メーター南東にあり、殆ど同原告宅の大気環境濃度と同一であるから、それを総て引用する。右の②の住居地は、府道に面しかつ新日本工機の東側の工場と最短距離一〇〇メーターほどで接し、第一火力との方向も西北西寄りになりその間の距離も六〇〇メーター前後と多少離れるものの、未だ第一火力の排煙はまず殆ど着地しなかつたであろうし、北寄りの風向時の新日本工機からの排煙でさえ頭上を通過してしまう頻度が増えたであろう。但し府道上の自動車の排ガスの影響は或る程度受けたはずである。

右②の住居地の近くにある測定点としては、二五〇メーターほど西南西にある前記「朝日」と、三〇〇メーター余東にあるpbO2値測定点「役場」であり、同住居地の年ないし月平均的な大気環境濃度は右「朝日」及び「役場」のpbO2値が指標になるものであるところ、最盛期六年度内における「朝日」の推定pbO2値は前記のとおり約0.75mg/day前後、「役場」のそれは約0.80mg/dayほどであつたが(同一5(二)(1)ハ(ロ))、亡中川が②の住居地に居住し始めたのは、環境濃度が激減し始めた昭和四五年以降であるから、昭和四五年度においてさえ、右の最盛期の濃度をかなり下回つており、その後においては問題とするに足りない低濃度になつていた。

(2) 亡三橋シマコについて

亡三橋の前記住居地は、第一火力が約一、一〇〇メーター、新日本工機が最短距離で約四〇〇メーターほどいずれも西北西にあり、その南側にある標高約五〇メーターほどの岬カントリーゴルフコースの丘陵の裾にある標高約一五メーターほどの位置にある。右住居地は、府道から二〇〇メーターほど、深日港から四〇〇メーターほど、それぞれ南に位置しており、北寄りの風が吹く場合であつても、府道上の自動車の排ガスの影響はなく、深日港の船舶やその東側に点在する瓦焼窯等が排出する大気汚染物質も、その規模、排出頻度、排出継続時間等も加味すると長期間でみればその影響は多くはなかつた。他方西北西寄りの風が吹く場合にはかなりの規模を有する新日本工機の排煙の影響を受ける(同一4(七)(4)参照)。また、海から吹いてきた西北西寄りの風が、西光寺山等の丘陵(標高約五二メーター)や泊山の丘陵(標高約三四メーター)のある陸地にいたりそれらによつて下部に乱流を生じた状態で第一火力の低煙突を通過してその排煙を乱流の中に取り込み、それらが更に第一火力の七〇〇メーターほど南側にせまつた高さ一〇〇メーター余の山地や前記ゴルフコースの北側斜面等の各種地形の中で複雑な乱れを生じ、その余の気象条件がそろうとpbO2値測定点「深日」方面にかなりの程度その排煙を着地させその大気環境濃度を引き上げる(同一4(二)(5)、(一二)(1)ロ、6(四)(4)イ(イ)参照)ところ、亡三橋の住居地でも同種の影響を受けていたはずである。

同人の住居地の近くにある測定点は、二〇〇メーターほど北北西にある前記「役場」及び三〇〇メーター余東北東にある同「深日」であり、同人宅の月ないし年平均的な環境濃度は、右の各測定点におけるpbO2値が指標になるものであるところ、最盛期六年度間における「役場」の推定pbO2値の平均は、約0.80mg/day前後であり、「深日」ついては、実測値で昭和三九年度0.97mg/day、昭和四〇年度1.06mg/day、昭和四一年度0.97mg/day、昭和四二年度0.96mg/day、昭和四三年度0.86mg/day、昭和四四年度1.14mg/day、六年度分平均0.99mg/dayであり、同人宅の大気環境濃度はその中間ぐらいにあつたものと思われる。もつとも、その大気汚染濃度の現われ方は、五か年調査六地区のそれよりかなりピーク性を示しており、更にApメーター測定点「東畑」(及び「孝子」)のピーク性より高く、「役場」のそれに近かつたが、「深日」のそれと比べると、平均濃度値が低いだけそのピーク性も弱かつたが、もつとも南側にある前記の山地や丘陵の影響でその傾向が強目に出る要素もあつた(同一6(四)(4)イ)。

なお「役場」においては、最盛期において二酸化窒素濃度が年平均値で三〇ppbを下回ることがなかつた(同一5(四)(2))が、亡三橋宅は前記のとおり府道から離れているだけその影響力は少なかつたはずである。

(3) 亡木戸コナミについて

亡木戸の前記住居地は、孝子谷の入口に向う平地にあり、国道二六号線の北側に接面し、深日のロータリーから和歌山市側へ約一〇〇メーター余ほど行つた位置にある。右住居地は、第一火力が約一、八〇〇メーターほど、新日本工機が最短距離で約一、一〇〇メーターほどいずれも西寄りにある。更にその住宅が右国道とほぼ接面し同国道上を走行する自動車と至近距離にあつたため、その排出するガス(二酸化硫黄よりも、硫黄酸化物の排出が特に問題となる)を直接受けたり、或は南寄りの弱風時には、孝子谷の中に排出された自動車の排ガスが北方に流されて来るがその一部が亡木戸の住居地に流れ込んできた。また西寄りの風が吹くときは、原告竹本宅、同辻下宅ほどではないにしても新日本工機の排煙の影響もまだかなり受けるし、第一火力の排煙も気象条件等がそろうときには亡三橋宅と同様に着地した。もつとも北寄りの風の場合深日港等の船舶から出る船舶用重油の排ガスや、深日港の東側に点在する瓦焼窯の排煙が混じることもあつたが、その規模、排出頻度、排出時間、排出量、距離からみて年単位でその積算濃度量を考えると、ごく少量であつた。

同人宅の近くにある測定点は四〇〇メーターほど西南西にあるpbO2値測定点「深日」であるが、国道二六号線に接面している点からみてpbO2値測定点「国道二六号」のpbO2値の方も相当指標性に豊むものであるところ、「国道二六号」にあつては、実測値で昭和三九年度1.09mg/day、昭和四〇年度1.00mg/day、昭和四一年度0.92mg/day、昭和四二年度0.96mg/day、昭和四三年度0.97mg/day、昭和四四年度1.02mg/day、六年度分平均0.99mg/dayであり、「深日」については前記のとおり六年度分平均0.99mg/day(最高1.14mg/day、最低0.86mg/day)である。そして同人宅の大気環境濃度は「深日」のそれに「国道二六号」の濃度中の自動車の排ガス分を上乗せした状態であり、更に右排ガス中の窒素酸化物も加わるため患者原告らの中でその居住地の大気環境濃度が一番悪かつた。またその大気汚染濃度のピーク性も、右に述べたとおりその大気環境濃度のベースになつている「深日」のそれに近似する部分にそれが存在するため、自動車の排ガス分にはピーク性がないけれども、「国道二六号」と異なり、結構ピークが強かつたはずであり、五か年調査六地区のそれよりはもとより高く、「深日」に準ずる値を示していたものと思われる。

(4) 患者原告高木廣一について

原告高木の前記住居地は、府道と、南海電鉄多奈川線を挾んで数十メーターの間を隔てて接した平地内にあり、第一火力が約一、四〇〇メーター、新日本工機が最短距離で約八〇〇メーター近くいずれも西方にあり、西寄りの風が吹く場合には、新日本工機からの排煙が到達すると共に、第一火力からの排煙も、海から吹いて来て西光寺山等の丘陵で乱流を生じている風に運ばれ、その余の気象条件がそろうとpbO2値測定点の「深日」と比較的類似した状況下に着地したし、更には府道上を走行する自動車の排ガスも量は少ないものではあつたが同府道沿いに流れて来て高木宅に届いていた。また、東寄りの風が吹く場合には深日のロータリーや国道二六号線上の自動車の排ガスがこれまた少量ながら混つたりしていた。また北ないし北西寄りの風の吹く場合には、深日港やその東側に点在する瓦焼き窯からの排煙も年単位の中でみればそう多くはないものの或る程度は届いていたものと思われる。

同原告の住居の近くにある測定点は約二〇〇メーターほど南南西にあるpbO2値測定点「深日」であり、同原告宅の月ないし年の平均的な環境濃度は「深日」のpbO2値を指標にし得るものであるところ、最盛期六年度間におけるその実測pbO2値の平均は前記のとおり0.99mg/dayであり、その大気環境のピーク性も、五か年調査六地区のそれよりはもとより、更にAPメーター測定点「東畑」「孝子」よりも強く、「深日」のそれに近い傾向が現われていたものと思われる。

(5) 亡東野美代子、亡左近正國(但し仕事場)及び患者原告古賀兵藏について

亡東野、原告古賀の前記各住居地及び亡左近の前記仕事場はいずれも、深日港西方の平野部にあり、いずれも国道二六号線から二〇〇メーターないし三〇〇メーター、府道から一〇〇メーターないし三〇〇メーター余離れ、その影響は殆ど受けていない。亡東野宅、亡左近の仕事場及び原告古賀宅は、第一火力が順次約一、三〇〇メーター余、約一、四〇〇メーター及び約一、四〇〇メーター余、新日本工機が最短距離で結ぶと約六〇〇メーター、約七〇〇メーター余及び約八〇〇メーターほどそれぞれ西方にある。そして西寄りの風が吹く場合には、これらの住居地及び仕事場にも新日本工機の排煙がその量は減つているものの届いていたであろうし、第一火力の排煙の到達状況も原告高木宅のそれとそれほどの差があつたとは思われないが、海岸部に近づくほど換気性がよくなり、とりわけ原告古賀宅は大川に面しているなどの事情も多少は加わり換気性が優れている(つまり、汚染物質の滞留時間が減少する)ので、それだけ、環境濃度は低かつたものと考えられる。なお附近には、目ぼしい大気汚染物質の排出源として深日港等の船舶やその東側に点在する瓦焼き窯等があり、西北ないし西寄りの風が吹く場合右の住居及び仕事場に到来したことが考えられるが、大気汚染物質の排出規模、排出頻度、排出継続時間、距離などからみて長時間の中でそれらをみればその量はそう多くはなく、ピーク性についてもそれらの所在位置に一番近い東野宅において多少認められた程度である。

右三名の居住場所に近接する測定点は、亡東野宅において約二五〇メーター、亡左近の仕事場において約三〇〇メーターそれぞれ南寄りにあるpbO2値測定点「深日」であり、原告古賀宅においても約五〇〇メーター南寄りにある同じ「深日」(同じく約五〇〇メーター東寄りにAPメーター測定点「深日(中学校)」があるが、測定開始時期が遅く、本件判断の参考になりにくい)である。ところで「深日」のpbO2値は前記のとおり最盛期六年度分平均で0.99mg/dayであり、それは亡東野宅及び同左近の仕事場においてはほぼ指標性を有するものの、原告古賀宅とはかなり距離の隔りもあるし、換気性の条件が顕著に異なるため、そのままでは指標性に欠ける。しかしながら、その他にこれを窺うに足るデータがないのでそれを用いざるを得ないが、安全を見込んで原告古賀宅では「深日」のpbO2値よりかなり低濃度で、かつ、ピーク性も少なかつたものとみざるをえない。

(6) 患者原告伊木冨士子(住込先ないし職場)について

原告伊木が住込みないし通いで働いていた岬石油店は深日地区内の国道二六号線に接面し店舗も同国道から一〇メーター近くのところにあり、原告木戸宅ほどではないものの、同国道上を走行する自動車の排ガス(硫黄酸化物及びディーゼルエンジン自動車の排出する二酸化硫黄)の影響を相当大巾に受けている。右の住込先からは第一火力が約一、九〇〇メーターほど、新日本工機が約一、二〇〇メーターほどいずれも西寄りにあつた。そこで西寄りの風が吹く場合には新日本工機の排煙も未だ少量ながら届いていた可能性があり、また第一火力の排煙は、排出条件、気象条件等がそろえば着地することがあつた。

右住込先近くの測定点は七〇〇メーター余南西にあるpbO2値測定点「深日」であろうが、距離的にも遠く新日本工機からの影響力はその規模等からみて未だ存在していたがその程度は著しく弱まり、第一火力の影響力も「深日」よりは低かつた。しかしながら他方国道二六号線上の自動車の排ガス(二酸化硫黄と窒素酸化物)のごく局所的な影響力を、亡木戸宅ほどではないものの、かなり受けており、それが上乗せするため汚染類型としては亡木戸宅のそれを軽減したような形となり、ピーク性はあまり強くはないものの年平均濃度値としては結構悪かつた。

(7) 患者原告谷口みゆき(③の住居地)について

原告谷口の③の住居地は国道二六号線から海寄りに約六〇メーターほど入つた平地内にあり、国道二六号線を走行する自動車の排ガスの影響を或る程度受けている。右住居地は、第一火力が約一、八〇〇メーター余、新日本工機が約一、二〇〇メーター前後西寄りにあり、西寄りの風が吹く場合には、新日本工機からの排煙も僅かながら到達していた可能性があり、また第一火力の排煙もその気象条件等がそろうときには着地することがあるが、次第に南側の山麓から離れ、かつ換気性のよい海岸側へ近づくため前記「深日」の汚染形態とはかなりの隔りがでてきている。深日港等の船舶や瓦焼窯の排煙の影響力は年単位でみれば僅かであろう。

右住居地の近くの測定点は、八〇〇メーター近く西南にある前記の「深日」であるが距離的にもかなり遠く、地形的にもやゝ条件が異なるし、換気性の差異もあるので、そのpbO2値をそのまま指標とすることはできない(西方約五〇〇メーターにあるApメーター測定点「深日(中学校)」の測定点は、前述したごとくその測定開始時期が遅いので、使用できない)。結局pbO2値測定点「深日」の濃度を中心とし、約一、一〇〇メーターほど北東にあるpbO2値測定点「岬公園」及び同「国道二六号」の各値を参考にすべきところ、最盛期六年度の実測pbO2値の平均値は、「深日」で0.99mg/day、「岬公園」で0.63mg/day(最高0.75mg/day、最低0.54mg/day)「国道二六号」で0.99mg/dayであり、「岬公園」(及び「国道二六号」)の濃度値のピーク型傾向は低い(同一6(四)(4)ニ、ホ)ので、右原告谷口宅では、おおよそ、濃度値で「深日」と「岬公園」の中間やゝ「深日」寄りあたりの濃度を、ピーク度の点で「深日」より相当低く「岬公園」の方に近い値を示したものと推認される。

(8) 亡安達克子及び患者原告谷口みゆき(①の住居地と②の職場)について

亡安達宅は第一火力から東北東約四、二〇〇メーターの平野部にあり、西北西寄りの風が吹いても、その規模からみて新日本工機の排煙が届くものとは考えられず、第一火力の排煙の寄与度も距離が離れているため少ない。安達宅の近くにある測定点としては二〇〇メーターほど南に「淡輪(北)」があり、同人宅の大気環境濃度の指標となり得るところ、最盛期六年度間の推定pbO2値の平均値は0.46mg/dayと著しく低い値を示している。

原告谷口の①の住居地は第一火力の東北東約四、四〇〇メーターの、②の職場は同東北東約三、八〇〇メーターのいずれも平野部にあり、その余は亡安達について述べたと同様であり、近くの測定点はいずれも「淡輪(北)」であり、低濃度を示していた。

(9) 患者原告伊木冨士子及び亡左近正國(各自宅)について

原告伊木及び亡左近の前記住居地は、谷川地区の海岸寄りにある。第一火力がそれぞれ一、〇〇〇メーター近く及び一、四〇〇メーター近くの、新日本工機がそれより更に四〇〇メーターほど離れたいずれも東南東寄りにあるが、右両住居の所在地はやゝ大阪湾方向に突出した谷川地区の海岸寄りにあり換気性に恵まれている。同人ら宅の近接測定点はそれぞれ同人ら宅から約六〇〇メーター余南寄りに離れたpbO2値測定点「楠木」であり(APメーター測定点「多奈川」は更に近接するが測定開始時期が遅く使用できない)、同人ら宅の大気環境濃度は濃度の点でもピーク型の点でも右「楠木」のそれ以下であつたものと推測されるところ、右「楠木」における最盛期六年度の実測pbO2値の平均値は0.69mg/dayであり、その濃度のピーク性も「東畑」のそれよりかなり低かつた。

(10) 患者原告谷口みゆき(④の住居地)及び亡中川美(③及び④の各住居地)について

原告谷口みゆきの④の住居地及び亡中川美の③及び④の住居地は、いずれも同人らが排出量最盛期を相当過ぎ、大気環境濃度が大巾に改善され、環境基準値を超えることを問題とする余地がなくなつてから後に居住した場所であり大気汚染を論ずる余地がない。

8 患者原告ら居住地の大気環境下における健康被害発生の可能性及びその程度(大気汚染物質排出行為自体の違法性の判断)

――主として慢性閉塞性肺疾患の罹患増悪についての閾濃度値との関連において――

(一) はじめに

(1) 既に前記一3及び5ないし7において岬町や患者原告ら居住地の主として排出量最盛期における大気環境濃度及びその特性について述べた。ここでは、それらの大気環境が患者原告らに慢性閉塞性肺疾患等を患わす程度のものであつたか否か、その程度如何をみるに必要な物差しとなる知見に何があるかを探ることとし、併せて、同知見を右大気環境にあてはめてその加害性の有無程度(大気汚染物質排出行為自体の違法性)を判断しようとするものである。

(2) 大気汚染と健康被害の関係については、二酸化硫黄・二酸化窒素・浮遊粒子状物質が住民に対し慢性気管支炎等を引き起こすこと及びその作用機序の概略に関しては既に確定した知見が得られているが、その閾濃度値や、大気汚染の程度態様に対応してどの程度の病状が現われるか等については未だ客観的な形でもつて表現し得るような確定的知見がない。それを探るについては、主として実験室的研究の結果と相当数の人口集団を対象とした疫学的研究の結果、及びこれらを総合判断して導いた知見が重要であり、前者(実験室的研究)主として短期間高濃度型暴露について、後者(疫学的研究)は長期間低濃度型暴露について有用である(以上の事実は〈証拠〉によつてこれを認めることができ、その他に右認定を左右するに足る証拠はない)。

もつとも本件にあつて具体的に計測された硫黄酸化物等の高濃度値は、昭和四六年度の二酸化硫黄のAPメーター値につき「孝子」で五一〇ppb、「東畑」で四〇三ppbの二個のみであるが、それらの値は測定値のばらつきの範囲内のものであつて未だ絶対値としての価値を置くことができない(前記一6(三)(2)イ(イ))などの事情があり、他方実験室的研究による知見にも本件に相応しいものがない(乙E第一五九号証及び証人山口誠哉の証言によれば、アメリカの二酸化硫黄に関する環境基準のうちの第二基準によると三時間平均0.5ppmという値が示されていることが認められるが、乙D第一二号証によれば、「孝子」における右0.1ppmも三時間平均にすると右の基準には該当していないことがわかる)ので、専ら疫学的研究結果及び主としてそれから得られた知見の中より本件大気環境に適用するに相応しい知見を探ることとする。

(3) ところで疫学とは「人の病気の度数の分布とそれの規定因子を研究する学問」(Macmahon & Pugh著、金子義徳他二名共訳「疫学(原理と方法)」、甲第二七九号証)であるところ、本件大気環境に適応しやすい疫学的知見を探るに先立ち、以下で取り上げる「人の病気の度数の分布」側の事情(主として閉塞性肺疾患)と「それの規定因子」たる大気環境側の事情について、二、三問題を提起し、注意を促すこととする。

イ 大気環境側の事情について

次の(イ)(ロ)の各事情中、(イ)のうち二酸化硫黄濃度の指標性については既に前記一3(1)ニにおいて述べたところであり、その余は、〈証拠〉によつてこれを認めることができ、その他に右認定を左右するに足る証拠はない。

(イ)  本来人間の健康に対する大気環境の影響の有無程度を論ずる場合には、大気中に含まれる硫黄酸化物、窒素酸化物等の諸物質が複合した状態において判断すべきものである(同一3(三)(1)ニ(イ)参照)。しかしながら現実には大気環境に含まれる総ての物質の人体に対する影響の有無程度が判明しているわけではないし、また、わかつている物質についても、その物質のいずれといずれがいかなる割合いかなる状況等によつて複合しているかの組合わせに応じて、これにあてはめ被害の発生の有無程度を見るべき物差しも千変万化するはずであるが、かかる知見は未だ殆どそろつていない。更に言えば、仮にこれらの物差しになる疫学的知見等があるとしても、窒素酸化物や浮遊粒子状物質については、利用しうる測定データが乏しく、そのため、疫学的知見を適用することができない場合が多い。

そこで次善の策として多くは二酸化硫黄濃度値を指標として用い、硫黄酸化物、窒素酸化物等の各種の大気汚染物質が右のとおり相加的或は相乗的に複雑に混合している状態の代表値とみなし、かかる単独(ないし数個)の物質の濃度によつて、その大気環境の有する加害性の有無程度を探ろうとする。したがつて、かかる二酸化硫黄濃度値を指標として各地の大気環境をみようとする手法は相当大胆な判断方法であり、その結果得られた科学的知見も決して十全なものとはいいがたい。

(ロ) 更に、二酸化硫黄濃度を指標にしてその加害性の有無程度を求める場合においても、既に述べたように各地の大気環境は種々雑多であり(例えば、都市型汚染とピーク型汚染)、またそれを測定する方法(例えば、二酸化鉛法による測定・溶液導電率法による測定、或は、前記一5(三)(6)において窒素酸化物の短時間測定例で触れたごとき、時定数五分間弱の連続測定器による測定)測定密度、測定精度等も同様種々雑多である。しかるに、後記第二、一8(二)以下の疫学的調査結果より得られた有症率と二酸化硫黄濃度値とを対比して一定の科学的知見を作る場合には、そこで用いられる二酸化硫黄濃度値として、例えば疫学的調査の前数年間、一年間或は数か月間という比較的長期間における二酸化硫黄濃度の平均値を、時間的にも場所的にも或は汚染の質等の点でも更には測定値の精度等の点でも、割合単純に割り切つて或る地区の代表値として、その地区の有症率との関係を見るものが多く、この面でもまた相当思い切つた整理を行つている。なお、その知見に用いられる基準濃度値としては、pbO2値とAPメーター値があり、APメーター値にあつては、単純に年平均値を用いるものや、環境基準たる一時間値0.1ppm、或は一時間値の日平均値0.04ppmの各超過頻度を基準にしようとするものなど種々雑多である。

ロ 「人の病気」側の事情

〈証拠〉によれば次の事実が認められ、その他に右認定を左右するに足る証拠はない。すなわち

疫学的手法により患者原告らの罹つている又はいた健康被害(主として慢性気管支炎、気管支喘息及び肺気腫)を把握する場合、その手法等から来る制約のため、

(イ) 右の三つの疾病を慢性気管支炎を中心に置いて「咳・痰共に三か月以上、毎日のように続き、二年以上にわたるもの」とかフレッチャーの定義とかで一つに纒めたいわゆる慢性気管支炎症状という類型でしか把握することができない。そのため、臨床的な見地では右の三種の疾病は別異なものとして識別されているものであり、当然その発病閾濃度値や、その汚染度に対応する発病等の程度も異なる(例えば気管支喘息については、大気汚染は発病原因にはならないという有力説もある)はずであるのに、疫学的にはそれを考慮することなく、慢性気管支炎症状という一つのカテゴリーの中に押し込み、その閾濃度値や濃度と有症率の関係を吟味してしまうことになつているのである(なお疫学的に用いられる慢性気管支炎症状は、右のとおり本来の慢性気管支炎のほか、気管支喘息及び肺気腫の大部分等を捉えるのであるが、それらの混合比率は、佐竹辰夫著「慢性気管支炎の診断と治療」(甲第一〇〇号証)中で示されている別表〔C三八〕の「拡大造影所見を中心にしたフレッチャーの基準に該当する慢性閉塞性肺疾患における診断名」が参考になる)。

(ロ) 更に右の慢性気管支炎症状に達しない程度の健康被害(その中には気管支喘息、肺気腫の一部はもとよりそれに至らない程度の疾病等をも含む)ももとより考えられるところであるが、それを大気汚染の程度と具体的疾病との関係の中で具体的に理解するに役立つ権威ある疫学的知見の成功例は殆ど存在しない。

ハ  以上の認定事実によつて明らかなごとく、大気汚染により健康被害の有無程度をみる後記の科学的知見は、大気環境側の事情において相当大胆な整理を行つており、他方健康被害内容、程度等においても本来あるべき臨床上の姿をかなり修正した形で把握しており、両者の関連付けについても同様であつて、いずれも岬町(患者原告らの居住地)の大気環境にそのまま適用するに十全な知見であるとは到底いいがたいのである。しかしながら、現在の科学的知見、観測体制その他の社会的経済的時間的諸制約の下では、これらの知見を用いて患者原告らの置かれた大気環境の侵害性の有無程度を探ることは誠にやむを得ないところであり、そうすることは、既に関係各所に述べたのと同様、ここでも不法行為を支配する損害の公平な分担の理念に合致するものとして許容されるところである(前記一1(二)参照)。

したがつて、以下に述べる、主として二酸化硫黄濃度等による慢性気管支炎症状の閾濃度値等の知見の探究と、その知見を用いた岬町への具体的あてはめにあたつては、大気汚染の捉え方においても、疾病の把握の仕方においても一定の雛型化したかなりの巾を持つた知見であることを留意しその限界を考えながら、本件事例に相応しい解決を見出すよう努力しなければならない。

(4) 以上の諸前提の下で、本件患者原告らの住居地に適用するに相応しい科学的知見を探ることとするのであるが、

〈証拠〉を総合すれば、

イ 従前から公表されてきた、硫黄酸化物等が空気中にどの程度含まれておれば慢性気管支炎症状を発病(増悪)せしめるかに関する科学的知見は、その当否はともかく相当数にのぼつている。

ロ しかしながら本件岬町における大気汚染を論ずるについて、その測定データ、大気環境濃度及びその性質等からみて有益であり、本件証拠上その知見内容が窺われ、かつ信憑力もありそうなものを選び出すと、後記の一8(二)及び(三)に掲げるそれであり、主として、二酸化硫黄については、中公審大気部会硫黄酸化物に係る環境基準専門委員会が昭和四八年三月付で作成した「硫黄酸化物専門委員会報告」(甲第一九号証)と中公審が昭和四九年一一月二五日付で作成した「公害健康被害補償法の実施に係る重要事項について」と題する答申(乙E第九号証の二)中に存在し、pbO2値に関するものと、Apメーター値に関するものがある。窒素酸化物については、中公審大気部会窒素酸化物等に係る環境基準専門委員会が昭和四七年六月付で作成した「窒素酸化物等専門委員会報告」(甲第二〇号証)及び中公審が昭和五三年三月に答申をした「二酸化窒素の人の健康影響に係る判定条件等について」と題する答申(乙E第一〇九号証、以下「二酸化窒素判定条件等についての答申」という、なお右の二つを併わせて、「新旧窒素酸化物報告」という)中に存在する。

もつともこれらの判定条件等は極度に要約された結論部分のみが記載されており、そのままでは岬町のそれに基準として適用することができないし、更にまた、右各判定条件等の間には一見かなりの開差があつてそれ自体の前提条件ないし射程距離に相当の留意を要し、他の資料から十分これを探索することが必要であり、それなくして岬町における二酸化硫黄濃度等による健康被害の有無程度を測ることはできない。

以上の事実が認められ、その他に右認定を左右するに足る証拠はない。

そこで以下順次、イまず二酸化硫黄について後記(二)において、ロ窒素酸化物等について同(三)において、ハこれらの知見の要約とその具体的適用及び違法性の判断について同(四)において述べる。

(二) 二酸化硫黄濃度の閾濃度値等について

(1) 「硫黄酸化物専門委員会報告」中の、赤穂市及び大阪市における各疫学調査結果

イ 次の(イ)ないし(ホ)の各事実のうち、(ロ)中の、近畿地方大気汚染調査連絡会が昭和三九年から昭和四三年にかけて五か年調査を行い、その結果、慢性気管支炎症状有症率が主として年令、喫煙量、大気汚染の三つの作用因子に支配されており、大気汚染と有症率との間にはy=1.94a+0.71の関係式で示される正の比例関係が認められることが明らかにされたことについては当事者間に争いがなく、その余は〈証拠〉を総合することによつてこれを認めることができ、〈証拠〉中右認定に反する部分はいずれもにわかに措信しがたく、その他に右認定を左右するに足る証拠はない。

(イ) 右「硫黄酸化物専門委員会報告」中には「兵庫県赤穂市及び大阪府における調査にあつては、四〇才以上の成人につき、咳と痰が三か月以上毎日出る単純性慢性気管支炎症状有症率は、二酸化鉛法で年平均値1.0mg/day以下の地区で約三パーセントであるが、それ以上の値を示す地区では二酸化鉛法による測定値と有症率との間には正の関連性がみられた」、「なお二酸化鉛法1.0mg/dayは溶液導電率法で0.032ないし0.035ppmに相当する」との判定条件が採用されており、また「四〇才以上の成人の咳と痰が三か月以上毎日出る症状の有症率約三パーセントは二酸化硫黄による汚染が軽微又は殆ど無い地区においてみられると考えられる」旨付言されている。右の判定条件は、同委員会が次の(ロ)及び(ハ)の各資料を検討した結果採用したものであり、その資料は「煤煙等影響調査報告」(「五か年総括」、甲第三〇号証)及び「赤穂市における大気汚染と慢性気管支炎について」(乙E第三一号証)と題して刊行されており、また同調査に関与した常俊・清水の証言もある。

(ロ) 右の大阪市における調査は、大阪府衛生部から委託を受けた近畿地方大気汚染調査連絡会が、昭和三九年度から昭和四三年度にかけ、大阪市内の、大正(A)地区、此花地区、福島地区(I)、東住吉(A)・(B)地区、西淀川(A)地区の六地区を始めとする二六地区で、四〇才以上の成人計九万五、二五三名を対象にして、大阪府立成人病センターが開発したところの、アンケート調査票による調査に医学的調査を組み合わせた、いわゆるアンケート調査方式による慢性気管支炎症状等についての疫学調査を行つたものである。そして右各調査によつて得た結果と、各地区を代表する原則として調査前三年間の二酸化鉛法による二酸化硫黄濃度値(但し、これらは大阪府が測定したものであり、その測定には関東化学製の試薬が用いられたがDSIRに換算済みであり、また測定器のシェルターとして長谷川式のそれが用いられたが、その点はBSに換算していない。)を用い、更にそれに、これより先の昭和三七、三八年度に右大阪府立成人病センターが自ら大阪市福島地区内の一地区、大阪府下の能勢町、兵庫県淡路島の洲本町で、及び後記の赤穂市が同市で、それぞれ四〇才以上の成人を対象として前記アンケート調査方式によつて実施した同種疫学調査の結果をも参考に加え、解析を行つた。

その結果、慢性気管支炎症状の地区別訂正有症率は、二酸化鉛法による二酸化硫黄濃度が高い地区ほど高率であること、調査成績の信頼性の高い右六地区の調査結果によると、慢性気管支炎症状の発生作用因子として、年令・喫煙量及び大気中の二酸化硫黄濃度の三つを認め得るところ、二酸化硫黄濃度と有症率との間には、男女合計でy=1.94a+0.71の方程式(yは有症率、aは調査前三年間における年平均pbO2値(mg/day)によつて示される相加的比例関係があること、慢性気管支炎の有症率はpbO2法による二酸化硫黄濃度が1.0mg/day増加することにより、約二パーセント増加すること、本件調査結果より得られた数式により、大阪市内各地区の慢性気管支炎の有症率を推定することが可能となつたこと、但し風向きによる指向性の強い、高いピークをもつた汚染を示す西淀川の一部地区では、有症率がpbO2値の年平均値により予測されるそれよりも著しく高率であつたが、このように質的に異つた汚染地区に右の数式を適用するためには、汚染度の指標について考慮する必要があることなどの結論が示されている。

なお右五か年調査六地区の疫学調査は、前記のとおりアンケート調査方式によるものであるが、その母集団の代表性・正確性及び信頼性等についてはよく整つており、二酸化硫黄濃度との関係で示された結論の信頼性は、その道で一般に高く評価されている。

(ハ) 右の赤穂市における調査は、赤穂市が、大阪府立成人病センター等の協力を得て昭和四一年度から昭和四四年度にかけ、市内各地区で四〇才以上の成人計一万三、九三三名を対象にして、右と同一アンケート調査方式を用いて同種疫学調査を行つたものであり、それによつて得た結果と各地区内の全測定値の平均値(最高濃度を示す地区でも年平均0.28mg/day)とを用いて解析している。

それによれば、赤穂市の二酸化硫黄濃度(試薬及びシェルターは大阪府のそれと同様のようである)は低いので、0.2mg/day以上の地区とそれ以下の地区に分けて比較しても有意の差がなかつたこと、赤穂市内各地区の慢性気管支炎症状の有症率は、右大阪市等の調査結果と比較すると、調査時の赤穂市の汚染状況に対応するものであつたこと、赤穂市でも右測定値が1.0mg/day以上に増加すれば有症率が増加することを示唆されたことなどの結論が示されている。

なお右疫学調査も、その代表性、正確性及び信頼性に富み、前記の調査と同様、高く評価されている。

(二) 五か年総括においては、慢性気管支炎症状の有症率を高める下限値については直接には触れていないが、この調査を担当した清水・常俊は、前記関係式のaの下限値が調査前三年間の年平均値1.0mg/dayであり、これ以下の汚染度を示す地域では、有症率は汚染のない地域と同じ率を示し、これ以上の汚染度を示す地域において右の関係式が成り立つている旨述べ、右の下限値を導き出した根拠として、a関係式y=1.94a+0.71のyに、大気汚染のない地域である能勢・洲本の有症率2.5パーセントを代入すると、0.9mg/day前後の値が得られること、b能勢・洲本の女子の非喫煙者に注目し、五か年調査六地区における疫学調査成績を基に女子の非喫煙者に関する有症率・年令・二酸化硫黄濃度の関係を表わしたグラフである「非汚染地区・女子・非喫煙者の有症者率」(甲第二四号証図8、前記原告らの別図〔A三五〕のうえで能勢・洲本における女子非喫煙者の年令群別有症率をあてはめてaを求めると、いずれの年令群でもaは1.0mg/dayないし1.1mg/day前後の値を示すこと、C四日市の疫学調査において非汚染地区の有症率は2.7パーセントとされており、右の関係式にこれをあてはめるとaとして1.0mg/dayが求められることをそれぞれあげ、更に、d赤穂市における右調査結果によれば、その濃度は0.14mg/dayないし0.28mg/dayの巾にあり、有症率は2.5パーセントないし3.5パーセントの巾にあるので、有症率約三パーセントを代表値とみて前記関係式に代入すると約1.2mg/dayと算出されるとの趣旨を加え、これらを総合してaの下限値を右の年平均値1.0mg/dayとした旨述べる。

(ホ) 岬町においては、apbO2値に関しては、被告が岬町において昭和三九年度以降二酸化鉛法の試薬にDSIRを、測定器のシェルターに山中式のそれ(前記の長谷川式のシェルターによる場合より心持ち高めのレベルでpbO2値を計測する旨指摘されている)をそれぞれ使用して測定していたし、大阪府が昭和四二年度以降試薬のDSIR(それ以前の測定値はDSIRに換算済み)を、測定器のシェルターに長谷川式のそれをそれぞれ使用して二酸化硫黄濃度を測定してきたのと比較しやすいし、b地方疫学調査に関しては、大阪府衛生部が昭和四七年二月岬町において、先に大阪府や赤穂市で行つたのと同一慢性気管支炎症状の有症率につき、同一年令の対象者に対し、ほぼ同一のアンケート調査方式による疫学調査を行つているし、c更には、大阪市と岬町は、比較的近くであり、地理的・気象的・社会的諸関係において、より遠方の他の地域と比べれば基本的べースの類似性が大きい。

ロ 以上の諸事実によれば、

(イ) 赤穂市及び大阪市における両調査結果は、その基礎資料が本件訴訟に提出されており、具体的事実がかなりの部分で確定できるため、その結論の代表性・信頼性等の検討ができるし、かつ、それを岬町における二酸化硫黄濃度の閾濃度値等として使用するに必要な大気汚染の程度(測定器の種類等や対象地域の諸特性等)及び疫学手法等の同一性及び差異等の前提諸条件も判明する。

(ロ) ところで右の基礎資料等によれば大阪市における五か年調査の結果中、前記市内六地区におけるおそれは、二酸化鉛法による二酸化硫黄濃度の測定値の妥当性・正確性・地域代表性等の点においても、疫学調査による慢性気管支炎症状の有症率の把握の代表性・正確性・信頼性等の点においても、更にはそれらの関連付けにおいても、この種調査の中では相当良好な精度を有しそれから導き出された調査前三年間の年平均pbO2値との慢性気管支炎症状の有症率に関する前記方程式はその道で高く評価されているし、清水・常俊らの担当者が右方程式のaの下限濃度値を調査前三年間の年平均pbO2値1.0mg/dayにとつた点も妥当である。また赤穂市の調査も大阪市の五か年調査と類似したものであり、同様に高く評価されている。

したがつて、これらの両調査結果を資料として、我国で考えられるこれらの点に関する最高の専門家集団の一つである中公審天気部会硫黄酸化物に係る環境基準専門委員会のメンバーが、自らの従来からの知識・経験その他のデータをも駆使したうえ、纒め上げた前記判定条件もまた相当に評価して差し支えがない。

(ハ) しかもこの判定条件は、岬町の環境濃度値及び疫学調査結果と比較するに便利な条件をも備えている。それは、岬町における二酸化鉛法による測定値がその一部は同じ大阪市が測定し、その余(特に排出量最盛期のそれ)は、前記一3(二)(1)イ、ニ及び(三)(2)ロ(イ)b(岬町におけるpbO2値とその信頼性)で触れたごとく、被告が測定したものであるが、大阪府の測定値とよく対応している(なおシェルターの点からは、被告の測定値の方が心持ち高目を測つていたことになる)からであり、また疫学調査の点においても後記のとおり一部手法の変更があるとか、信用性の問題等があるものの、実質上の実施主体、対象者、手法、規模、時期等の点ではほぼ同様のものであり、更にはその余の地理、気象、社会条件等の基本的部分で他の判定条件と比べるとはるかに類似し比較しやすいなどの便宜さが認められるからである。したがつて、この面からも右判定条件は、岬町で測定された二酸化鉛法による二酸化硫黄濃度が、患者原告らの慢性気管支炎症状にいかなる影響力を持つたであろうかを判断するに最も適切な物差しであると判断される。

(ニ) 但し、右五か年総括でも、風向きによる指向性の強い高いピークを持つた汚染を示す西淀川(B)地区の例を引いて、前記方程式を適用する留保条件を示しているごとく、右判定条件は、五か年調査六地区の当時の大気汚染態様を前提条件として成立するものである。したがつて、既に前記一6(二)、(三)(1)ロ(ロ)a、(四)(2)ロ(ロ)等(ピーク型汚染)及び同一5(四)(排出量最盛期における「役場」の推定二酸化窒素濃度)等で述べたごとく、岬町における患者原告ら居住地の大気環境が、五か年調査六地区より、二酸化硫黄濃度の出現態様がいわゆるピーク型であり、その余の差異も問題となる(例えば窒素酸化物、浮遊粒子状物質との複合性に差異があるか否か)下では、その知見の適用につき十分な配慮と修正がなされなければならないことに注意を要する(後記第二、一8(四)(1)ロ参照)

ハ 右(ニ)(1)ロの判断に反する当事者の主張に対する批判

(イ) 右の硫黄酸化物濃度の閾濃度の下限値を1.0mg/dayとする点に対する原告らの主張について

a 原告らは、五か年調査の担当者である清水・常俊らが、前記の調査前三年間の年平均pbO2値と慢性気管支炎症状の有症率に関するy=1.94a+0.71との方程式の適用されるa(右pbO2値)の下限濃度値(閾濃度値)を、1.0mg/dayであるとした点を誤りであると主張し、その理由として、清水・常俊らが右の結論を導いた四つの根拠中三つに対して批判を加える。すなわち、

(a) 清水・常俊らは1.0mg/dayの知見を導き出した第一の根拠として、右方程式に大気汚染がない能勢及び洲本地区で得られた有症率2.5パーセントを代入すると、aとして0.9mg/day前後が得られた点をあげるが、ⅰ能勢・洲本の有症率の計算は2.25パーセントが正しく、これを前記方程式に代入するとaは0.79mg/dayとなる、ⅱそもそも能勢は、閉塞性障害者率が43.8パーセントで他の地区より際立つた高率を示しており、異なる因子の混入が疑われるので、その有症率を非汚染地区のデータとして取扱うことは妥当でない。

(b) 清水・常俊らは、第二の根拠として、五か年総括で得た女子の非喫煙者に関する有症率・年令・二酸化硫黄濃度の関係を現わした原告らの別図〔A三五〕のグラフに、能勢及び洲本における女子非喫煙者の年令別有症率をあてはめてaを求めると、いずれの年令群でもaが1.0mg/dayないし1.1mg/day前後を示す点をあげるが、ⅰ右別図〔A三五〕では四五才代でaが1.25mg/day以下のところでは有症率が負となるところ、負になるような付近の話をしてはならないのは常識である、ⅱ能勢の七〇才以上の女子の有症率は5.6パーセントと高率であるから、このような地区に注目して結論を出してはならない。

(c) 清水・常俊らは第三の根拠として、四日市市の疫学調査で非汚染地区の有症率として示された2.7パーセントを前記方程式に代入し、aとして1.0mg/dayが得られた点をあげるが、大阪市とは汚染形態の異なる四日市市のデータを右方程式にあてはめることは疑問であるという。

b(a)しかしながら、〈証拠〉によれば次の事実が認められ、証人塚谷恒雄の証言中右認定に反する部分はにわかに措信しがたく、その他に右認定を左右するに足る証拠がない。

ⅰ(ⅰ) 清水・常俊らが能勢・及び洲本の訂正有症率を平均2.5パーセントとしたのは、計算手法の違いにすぎないことが窺われる。

(ⅱ) 原告らのいう閉塞性障害者率が高い点を除いて他に能勢のデータを非汚染地区のそれとしてあつかうことが妥当でないとするに足る裏付け事実がなく、閉塞性障害者率の基準性にも問題がないわけではない(後記第二、一8(二)2ロ(ニ)f参照)

ⅱ 能勢の七〇才以上の女子の有症率は、そもそも能勢における女子の対象者数(乙E第三六号証第8表参照)が一、五三九名で、うちCB数が二二名にしかすぎないから、それからみて七〇才以上の対象者数、CB数は僅かしかないはずであり、偶然5.6パーセントという高率が出たにすぎないものと窺われる。なお四〇才代から六〇才代についての女子のデータは洲本の有症率とほぼ同質視しうる。

ⅲ 四日市の疫学調査の右結果は、直接これを実施し当該地方を熟知している地元の吉田三重医科大学教授らが、磯津等の汚染地域に対象する非汚染地区として学術雑誌に公刊したものであり、その非汚染地区との判断は正しいものと推定される。

ⅳ 清水・常俊らが1.0mg/dayを下限値として導いた第四の根拠に赤穂地区の調査結果があり、同調査結果(乙E第三一号証)中の表6「慢性気管支炎有症率と大気汚染」(別表〔C三九〕)の有症率2.5パーセントないし3.5パーセントを前記方程式に代入した結果「何れもa=1.0前後」との根拠を作つたものと窺われる。なお同調査結果は前述のごとく信頼性が高く、その後昭和四九年に実施された第二回目の赤穂市での調査報告(乙E第三五号証)にも同様の結論が報告されている。

ⅴ 硫黄酸化物専門委員会報告によれば、既述のとおり、「四〇才以上の成人の咳と痰が三か月以上毎日出る症状の有症率約三パーセントは、二酸化硫黄による汚染が軽微又は殆んどない地区においてみられる」旨の知見が掲載されており、これを前記方程式に代入するとaは1.316となる。

(b) そこで右aの原告らの主張を右b(a)認定の諸事実(ⅰないしⅲの認定事実は、原告らの主張(a)ないし(c)に対応している)とりわけⅰ及びⅲないしⅴの認定事実に照らすと、原告らの事実誤認ないし、清水・常俊らの裁量の巾の中の事実に対する批判にすぎず、原告らの右各主張はいずれも失当であると判断される。

(ロ) 被告は、五か年総括に基づく判定条件及び清水・常俊らの閾濃度値に対する知見は、ピーク型汚染等の認められない岬町にあつては、そのまま修正を加えずに適用すべきである旨主張する。

しかしながら岬町の大気環境濃度が五か年総括六地区に比ベピーク型を示すことは前記一6(岬町におけるピーク型汚染)において既に明らかにしたとおりであり、したがつて右判定条件は留保条件で岬町の二酸化硫黄濃度に適用すべきであるから、被告の右主張は失当である。

(2) 大阪府作成名義の「府下調査解析」について

イ はじめに

(イ) 後述のとおり、岬町で行われた本件健康調査結果(慢性気管支炎症状の有症率調査)が代表性・正確性・信頼性を有するか否かの検定手法の一つとして、原告らは、大阪府下で行われた各住民健康調査の結果に基づいて「府下調査解析」により抽出された有症率と環境濃度との関係式(原告らの別図〔A三九〕ないし同〔A四二〕)に、岬町の有症率と環境濃度との関係がよく適合することをあげ、本件健康調査結果が信頼性を有する旨強調する(請求原因第三、三2(二)(2)ロ(ハ))ところ、被告は、右関係式自体の妥当性を争い、本件健康調査結果の信頼性を否定している(後記第二、三2(一)(1)ニ(ロ)d、(2)二(ニ)d参照)。

(ロ)ところで、「府下調査解析」の結果得た有症率と環境濃度の関係を示す右の関係式が妥当であるか否か、その射程距離如何等の議論は、それが、右(イ)で述べたとおり岬町に慢性気管支炎症状有症者集団が存在したか否かをみるについての検定項目に使用できるのならば、それはもとより、岬町の大気環境が患者原告ら個々人に慢性気管支炎症状を患わせる可能性があつたか否かの、いわゆる大気汚染行為の侵害性を測る物差しにも使える可能性がある。とりわけ右の大気汚染行為の侵害性を探るに重要である赤穂市調査及び五か年調査に基づいて形成された判定条件(前記一8(二)(1))の修正(留保条件の検討)の必要性とその程度を探る(同一8(二)(1)ロ(ニ)及び後記第二、一8(四)(1)ロ参照)について、右各調査及び岬町における本件健康調査とこの府下調査が、いずれも殆んど同一手法に則つて行われているだけに、有力な資料が得られるはずである。

そこで以下においては、本件健康調査結果の信頼性等の検定の判断に先立ち、右のような観点から「府下調査解析」(甲第二七号証)の中の、右の部分について、二酸化硫黄濃度と窒素酸化物濃度(後記第二、一8(三)(1)ハ)に分けて、それぞれ判断を示すこととする。

ロ 次の(イ)ないし(ヘ)の各事実のうち、(ホ)eⅰないしⅲ中の各地区の所存位置及び所在地ないしその周辺の環境はいずれも公知の事実であり、その余は〈証拠〉を総合すればこれを認めることができ、〈証拠〉中右認定に反する部分はいずれもにわかに措信しがたく、その他に右認定を左右するに足りる証拠がない。

(イ) 大阪府下における疫学調査の概要

大阪府衛生部及び堺市健康調査委員会は、昭和四五年度以降において、大阪府衛生部が府下の豊中市千成小学校区、同市庄内西・庄内南・豊南小学校区、吹田市西南部地区、守口市春日小学校区、高石市高石・羽衣・高陽小学校区及び岬町AないしE地区の計六地区、堺市健康調査委員会が同市の錦・錦西地区と浜寺地区の二地区、以上計八地区で、それぞれ大阪府立成人病センターが開発した前記アンケート調査方式を用い前記一8(二)(1)の五か年調査等と類似する疫学調査を行つた(以下「府下調査」という)。

大阪府(実質は清水が作成したもの)はその結果を、参考値として調査方法の異なる(問診法)堺三宝地区における疫学調査結果をも付記して、「大気汚染に関する府下住民健康調査(慢性気管支炎症状調査)成績の解析」と題して公表(いわゆる「府下調査解析」又は「解析」と呼称してきたもの)している。

(ロ) 右「府下調査解析」中には、有症率とpbO2値の関係について、概略次のとおり指摘されている。

a 大阪府衛生部及び堺市健康調査委員会が公表した右八地区に堺市三宝地区を含めた計九地区の調査結果に基づいて慢性気管支炎症状有症率と調査前三年間の年平均pbO2値との関係を示すと、別図〔C六一〕の「慢性気管支炎有症者率と硫黄酸化物濃度(既報告値)」(甲第二七号証図2但し、標準化有症率は年令・喫煙量本数別によるものである)のとおりである。これは先に実施された五か年調査結果より得た方程式(y=1.94a+0.71)と比べると有症率がいずれも高率であり、右方程式に今回の九地区の調査前三年間の年平均pbO2値を代入して求めた有症率の期待値と実際の有症率とのずれは別表〔C四〇〕の「期待値との差(既報告値)」(甲第二七号証表2)のとおり1.1パーセントないし7.8パーセントに達している(なお右別図〔C六一〕には参考までに右の方程式y=1.94a+0.71を図示した)。

b もつとも、右調査地区のpbO2値の代表値は、右の各調査前三年間の年平均pbO2値でとるよりも、試薬が統一された昭和四二年から大気環境中の二酸化硫黄濃度が低下する以前の昭和四四年までの三年間の平均値でとる方が右調査にとつて望ましいので、原則としてこれを使い、他方訂正有症率の面では喫煙に関する標準化は非喫煙群(男女別)と喫煙群とに大別しただけでよいとしてこれを計算しなおし、更に女子の年令別有症率の傾向が乱れている豊中市千成及び吹田市の結果が信頼性の問題を有するので右両地区を除くこととして、右年平均pbO2値と右各有症率との関係を検討するに、

(a) 豊中市その他、守口市、高石市、堺市錦・錦西、同市浜寺の五地区で、五か年調査の方程式の係数1.94をそのまま用いて近似式を作ると

y=1.94a+2.97

になり、図示すると原告らの別図〔A四二〕の「大阪市調査との比較(計)」(甲第二七号証図13―(c))のとおりである。

(b) 右五地区に岬町ABC地区を含めて改めて回帰式を作ると

y=2.34a+2.88

となり、これを、前記大阪市の方程式及び右(a)の府下五地区の近似式と共に図示すると、別図〔C六二〕の「地区有症者率―大気汚染度関係式の比較」(甲第二七号証図12)のとおりである。

(c) 右近似式(y=1.94a+2.97)の示すところによれば、昭和四二年度から昭和四四年度の年平均pbO2値と有症率の対応関係は、五か年調査の成績(昭和三七年度から昭和四一年度)と比較して有症率が全般に約2.2パーセント高率である。高率になつた理由としては、それぞれの地区の特異性のほか、窒素酸化物濃度の増大など、大気汚染の内容の質的な変化が考えられる。

以上のとおりである。

(ハ) 「府下調査解析」の掲げる有症率とpbO2値との関係についての右(ロ)の解析が価値を有するためには、自覚症状についてのアンケート調査の精度の存在と大気汚染濃度の指標の妥当性が必要である。

(ニ) 右アンケート調査(有症率の調査)の精度の存在について、

a 右の「府下調査解析」を事実上執筆し、かつ、五か年総括についても統計調査班に加わつていた清水において、右「府下調査解析」は、執筆に際し大阪府衛生部から借り受けた各調査のデータにつき、その代表性・正確性・信頼性等の精度を検討することなく、そのデータをそのまま認めたうえで分析したにすぎないものであり、五か年総括のように、データの代表性・信頼性・正確性にまで立ち入つて検討したうえ回帰式を導き出したものではない旨認め、とりわけ堺市健康調査委員会の調査については、自らも委員として名を連ねているが名前を無断冒用されたものであり、自分が関与しておれば、大阪府立成人病センターが開発したアンケート調査手法とかなり大巾に異なる同委員会のアンケート調査に対して異議を種々付けていたはずであろうとの趣旨を述べ、右調査の精度を疑わせるような発言をしている。

b 複数の疫学調査結果を集めて一定の関係の有無を調べるについては、五か年調査六地区がそうであつたように、調査手法が同じで、調査年度が同一又は近似し、同じ程度の適用な回答率をあげ、精度が良好でよくそろつていることが望ましいといわれている。「大阪府下調査」の各結果を

(a) まず調査手法でみると大阪府衛生部の行つたアンケート調査手法は大阪府立成人病センター開発にかかるもので各地区共殆ど同一又は類似しており、他方堺市健康調査委員会が堺市錦・錦西地区及び同市浜寺地区で行つたアンケート調査手法は大阪府衛生部のそれと基本理念は同じであるが、アンケート調査票の記載内容や実施方法等の点でかなりの差異がある。

(b) 次にこれを調査対象数及び調査年度でみると、同調査が殆ど調査対象数のよく似た小学校単位等で実施されているのに、「府下調査解析」の中では、数小学校区の調査結果を被告の別表〔B五八〕中の左側の「甲第二七号証による調査地区区分」(甲第二七号証表1)のとおり纒めたりし、そのため調査対象数が増大しアンバランスになつたり、数年度分のデータが混合したりしている。

これを小学校区ごとしたがつて年度ごと(但し岬町のみはABC地区とDE地区に二分する)に戻して一覧表に示すと前記被告の別表〔B五八〕中の右側の「甲第二七号証による調査地区の小学校区別区分」(乙E第一一九号証参照)のとおりである。その結果、調査年度は各年度別単位に分解されている。

c アンケート調査票の回収率は、常俊によれば、大阪府下のような調査状況下にあつては八〇パーセント前後のそれがあることが望ましく一応一つの大まかな目安になるといわれているところ、右被告の別表〔B五八〕によれば、堺市錦・錦西小学校区にあつてはいずれも回収率が五〇パーセント台であり、高石市の三小学校区では合計でも各別でもいずれも未だ右の基準をかなり下回わつている。

なお堺市浜寺地区においても、回収率は75.8パーセント(諏訪森地区74.1パーセント、船尾地区78.4パーセント)であつて不足しているが、同地区におけるアンケート調査票自体の回収率は91.5パーセント(諏訪森地区89.9パーセント、船尾地区94.1パーセント)と高かつたのであるが、その中に15.7パーセントもの回答不明文(症状)がありそれを除去した結果回答率が右のとおり低くなつたものである。

d 喫煙量の増減と慢性気管支炎症状の有症率の増減の間には一定の正の比例関係があるといわれているところ、各地区において年令構成標準化のうえ喫煙量別有症率のパターンをみると、(a)「府下調査解析」の示す九地区別(但し岬町ではABC地区・DE地区・岬町全区に三分した)では、原告らの別図〔A三六〕の「喫煙量別有症者率(地区別)」(甲第二七号証図3)のとおりであり、豊中市千成、吹田市、岬町DE地区岬町全区で大きく乱れており、堺市浜寺にも乱れがかなりある。(b)右九地区のうち、数小学校区を合わせている豊中市その他、高石市、堺市錦・錦西・同市浜寺について調査単位である各小学校区別に分割して示すと被告の別図〔B九一〕の「甲第二七号証において数小学校区のデータを一括して取扱つた調査地区における喫煙量別有症率パターンについての問題点」(乙E第一二〇号証の三)のとおりであり、前記(a)でパターンの乱れが殆んどなかつた豊中市その他も小学校区別にみると豊南小学校区以外では乱れがあることがわかり、また同(a)でパターンの乱れが多少しかなかつた高石市も小学校区別にみると羽衣小学校区以外では乱れていることがわかる。

e 年令の増加と慢性気管支炎症状の有症率の増加との間にも一定の正の比例関係があるといわれているところ、各地区において喫煙量を標準化したうえ年令別有症率のパターンをみると、

(a) 「府下調査解析」の示す八地区別(但し岬町ではABC地区、DE地区、岬町全区に三分する)では、原告らの別図〔A三七〕及び同〔A三八〕の男女別の「年令別有症者率」(甲第二七号証の図4のa及びb)及び別表〔C四一〕及び同〔C四二〕の男女別の「年令別有症者率」(甲第二七号証5のa及びb)のとおりであり、男子にあつては豊中市千成・吹田市、岬町DE地区で大きく乱れており、岬町ABC地区にも乱れがみられ、女子にあつては豊中市千成・吹田市の乱れが大きく、守口市・岬町DE地区では七〇才以上でパターンに乱れがみられる。もつとも七〇才以上では調査対象者数や有症者数が少ないとか、回答が不正確になるとかの要因がありそのためにパターンの乱れを生ずることが多い旨一般に指摘されており、岬町DE地区のそれはまさに有症者数が少なく誤差の範囲内の問題にすぎず、守口市については裏付け資料が提出されていないので正確なことはわからないが、その調査対象者及び有症者の総数からみて右の一般的指摘があたつている可能性が強い。

(b) 右八地区のうち、数小学校区を一括表示した豊中市その他、高石市、堺市錦・錦西、同市浜寺について、調査単位である各小学校区別に分割して示すと、被告の別図〔B九〇〕の①②の「甲第二七号証において数小学校区のデータを一括して取扱つた調査地区における年令別有症率パターンについての問題点」(乙E第一二〇号証の一、二)のとおりであり、まず男子につき、前記(a)でパターンの乱れがなかつた豊中市その他は、小学校区別にみると「豊南小学校区」では乱れがないが、「庄内西小学校区」では、七〇才以上ではあるが、乱れがあり、「庄内南小学校区」では五〇才代にやゝ乱れがみられ、その他の地区でも、同図中に×マークがあるものが乱れがあり、※マークのあるものがやゝ乱れがある、次に女子につき、前記(a)でパターンの乱れがなかつた豊中市その他も小学校区別にみると、「豊南小学校区」と「庄内南小学校区」では乱れはないが、「庄内西小学校区」では乱れ(但し七〇才以上)があり、同様乱れがなかつた堺市浜寺にも、諏訪森地区では乱れがないが、船尾地区では乱れ(但し七〇才以上)があり、その余は右別図中に×ないし※マークを付したとおりである。

f 常俊は、慢性気管支炎症状有症者中、呼吸機能検査によつて閉塞性障害者と認められる者は、受検者中の一五ないし二五パーセントの範囲に納まるので、これによつて有症率調査の信頼性を検定することができる旨提唱している。そこで右八地区の小学校区中データの判明しているものをあげると別表〔C四三〕の「閉塞性障害者率による検定」(乙E第一一七号証から抜粋)のとおりであり、豊中市千成小学校区、同市庄内西小学校区、岬町ABC地区、同町DE地区は右の範囲に納まつていない。

もつとも常俊の提唱する閉塞性障害者率の巾による検定は、同人自身の主張自体にも変遷があつて不安定であり、またこの道の専門家でコンセンサスを得ているようなものでもない。

(ホ) 各地区のpbO2値の指標としての妥当性について、

「府下調査解析」が採用する前記各八地区のpbO2値は、被告の別表〔B六〇〕の「甲第二七号証における調査地区の硫黄酸化物濃度に関する問題点」(乙E第一二二号証の一)の「甲第二七号証の採用値」欄のとおりである、もつともこのpbO2値については、被告が同表〔B六〇〕の「問題点」欄に記載しているごとき問題点がある。そこで被告が各小学校区別に認めている、同表〔B六〇〕の「地区内の硫黄酸化物濃度」欄中の「測定点」における「測定値」でみると、

a 豊中市その他の、「豊南小学校区」では区内の測定点「豊南小学校」の2.52mg/dayを指標とし、同「庄内南小学校区」では区内での測定値がないので、測定点「千成小学校」及び同「第六中学校」の二測定点の平均値である2.05mg/day(或は測定点「豊南小学校」を加えた三測定点の平均値である2.20mg/dayのいずれか)を代表値とし得るが、庄内西小学校区では適切な測定値が存在しない。

b 守口市では守口保健所の昭和四二年度及び昭和四四年度の二年分の年平均値1.49mg/dayを代表値とし得る。

c 堺市浜寺では、諏訪森地区及び船尾地区がそれぞれ地区内にある「浜寺小学校」の1.50mg/day及び「浜寺中学校」の1.67mg/dayを代表値とし得る。

d 堺市三宝地区では、2.13mg/dayである。

e 右aないしdの大気環境の特性

ⅰ 豊中市豊南小学校及び庄内小学校区は大阪平野内の豊中市の南部にあり、いずれも公害にかかる健康被害に関する特別措置法により地域指定を受けている兵庫県尼崎市及び大阪市西淀川区に近接しておりまた地続きの千成小学校区には多数の工場群が存在する地域である。

ⅱ 守口市は大阪平野内にあり、大阪市東北部に連らなる住宅地域に弱電企業等の工場・事務所も混在する町である。その大気汚染の形態としては前記別表〔C三三〕の「大阪府下におけるSO2一時間値の九九パーセンタイル値との平均値の比」中の「守口保健所」の値にも現われているごとく、ピーク型汚染ではない、いわゆる都市型汚染の部類に属するが、市内を交通の幹線ルートである国道一号線、国道一六三号線が横切るほか、近年大阪市内環状線、近畿自動車道路、中央環状線、阪神高速道路があり、自動車の排ガス、とりわけ窒素酸化物の混合割合の多い大気環境下にある。

ⅲ 堺市浜寺地区は、高石市と共に、海岸寄りに堺泉北工業地帯を有する、いわゆる典型的な臨海工業地帯に位置している。

ⅳ なお右の守口市、豊中市その他及び堺市浜寺等について、昭和四二年度から昭和四四年度までpbO2値を用い、その高濃度四か月の平均値と年平均値との差を右の年平均値で割つて比を出すとその比(変動率)は、前記別表〔C三六〕の①及び②及び同別図〔C六〇〕のとおりであり、「大阪市調査地区」では「18.3パーセントないし25.4パーセント」であるのに、右の三地区では守口市が24.3パーセント、豊中市その他では27.8パーセント、堺市浜寺では28.7パーセントと高目の変動率を示している。

(ヘ) 大阪府が行つた「府下調査八地区」以外のアンケート調査

a 大阪府は「府下調査解析」の対象地区以外の大阪府下の地区でも昭和四六年度以降において本件アンケート調査と同種の疫学的調査を行つており、その一部の資料が本件訴訟に提出されている。

b そのうち高石市取石小学校区で昭和四七年秋に行われた住民健康調査は、対象者数二、九九四名アンケート回収者数二、四七三名、回収率82.6パーセントとまずまずであり、「府下調査解析」と同様の手法(但し訂正有症率は五か年総括と同様喫煙量本数別に標準化した)で男女別、喫煙量別、年令別有症率を計算し、そのパターンで信頼性の検定を行うと、地区移動性及び喫煙の影響がいずれも少ない女子について乱れがなく、喫煙量別パターンにも乱れがなく、男子の年令別有症率パターンの四〇才台の有症率のみが乱れている(高い)にすぎない。なお「慢性気管支炎カルテ」を用いた問診結果との一致率の検定は、受診率(35.1パーセント)が低くすぎるとか、問診技術者の適格性、問診実施状況の妥当性とかに種々問題があつて判明しないが、少なくとも出ているデータからみる限り一致率をめぐり右健康調査の信頼性が否定されることはなく、その他に右調査結果の信頼性を疑わせる資料もない。

ところで同地区の訂正有症率は5.1パーセントであり、同地区内にある、大阪府測定にかかる「新日本証券富木家族寮」における昭和四二年度から昭和四五年度間のpbO2値の平均値は0.67mg/dayである。

ハ 右ロの認定諸事実に前記一5(四)(排出量最盛期における窒素酸化物)及び同一8(二)(1)(赤穂市及び大阪市における疫学調査結果)の事実を総合すれば、次のとおり判断することができる。

(イ) 「府下調査解析」により得た前記近似式y=1.94a+2.97及び回帰式y=2.34a+2.38は、いずれも豊中市その他、守口市、高石市、堺市錦・錦西及び同市浜寺の五地区における有症率と昭和四二年度から昭和四四年度の年平均pbO2値による散布図から導いたものであるが、これらの五地区の疫学調査の結果は、代表性・正確性・信頼性に疑問点を残したままであり(前記8(二)(2)ロ(ニ)aないしf)、また二酸化硫黄濃度値の地区代表性の立証も未だ十分でなく(同(2)ロ(ホ))、したがつて前記五か年調査六地区や赤穂市の調査結果から得られた方程式y=1.94a+0.71とは比ぶべくものもなく、右の近似式及び関係式に独立した価値を与えることはできない(むしろ、「府下調査解析」の対象地区は、豊中市豊南小学校区、庄内西小学校区のようにいわゆる「指定地域」や付近の工場地帯からの影響を強く受けている地域、守口市のような自動車の排ガスによる窒素酸化物の混合割合の高い地域、堺市、高石市のようないわゆるピーク型汚染の出やすい臨海工業地域等雑多なものが混在しており、それらの地域におけるpbO2値と有症率の関係を一つの方程式で表現しようとすること自体その基盤を欠くものと評せられるべきであろう)。

(ロ) しかしながら、本件訴訟に提出された資料の範囲によつて、とりわけ被告側の行つた批判を重視しながら、「府下調査解析」の対象となつた、岬町を除く七地区(調査手法が問診法で異なる堺市三宝地区を加えると八地区)の各調査の代表性・正確性・信頼性の概要を吟味し、その判明した範囲内で安全を見込んで判断しても、以下の程度の結論を導くことができ(同一1(二)参照)、その他に右結論を左右するに足りる特段の事情は存在していない。すなわち、

a まず右八地区のデータについて案ずるに、(a)豊中市千成及び吹田市は、その地区における居住時間の長い女子の年令別有症率パターンを含む男女喫煙量・年令別有症率の各パターンが乱れすぎており、(同(2)ロ(ロ)b、(二)d、e)、その信頼性に著しい疑問があるのでこれを除去する。(b)堺市錦・錦西はアンケート調査票回収率が著しく低く(同(2)ロ(ニ)c)地域の代表性に疑問があるので、これも除去する。(c)高石市も、アンケート調査票回収率がやや悪く、また喫煙量別有症率もやや乱れ、女子の年令別有症率が七〇才以上で各小学校区別でもこれらを合わせた相当の人数になる合計でもいずれも乱れている(同(2)ロ(ニ)cないしe)ので、これも除去する。(d)豊中市その他は三小学校区ごとに調査対象数も各相当数ずつあり、調査年度も三年度にわたる(同(2)ロ(ニ)b)のでこれを各小学校区ごとに分割して見るのが相当であるところ、ⅰ庄内西小学校区では、喫煙量・年令別有症率の各パターンが、喫煙量別で男子の二一本以上の年令別で男・女の各七〇才以上の各部分ではあるが、乱れがそろつて出ているし、同小学校区に対応するpbO2値も求めにくい(同(2)ロ(ニ)de、(ホ)a)ので、これをも除去し、ⅱ庄内南小学校区では喫煙量別有症率パターンが乱れ、男子年令別有症率パターンにも四〇才台の有症率に比べ五〇才台のそれが多少下がつている(同(2)ロ(ニ)d、e)が、その余の条件は備つており、ⅲ豊南小学校区ではアンケート回収率、喫煙年令別パターンの乱れ共になく(同(2)ロ(ニ)d、e)、しかもこれらの両小学校区では、大阪府衛生部が作成した「豊中市南部地区住民健康調査報告」(乙E第四五号証)によれば大阪府立成人病センター方式のアンケート調査と並行して両地区内に「三年以上居住する」四〇才以上の成人について無作為抽出した男女はほぼ同数の三九五名を対象としてBMRC等に準拠した質問票による面接調査等を行い、高い回答者率の下に前記アンケート調査結果とほぼ同率の有症率を得たので、右アンケート調査には信憑性が認められた旨指摘されている。そこで豊南小学校区の疫学調査結果は採用しうるし、庄内南小学校区のそれも参考値に使いうる。なお右各地区を代表するpbO2値にも特に問題はない(同(2)ロ(ホ)a、eⅰ)。(e)守口市では、女子の年令別有症率パターンの七〇才以上台が乱れるが、その調査対象数、有症者数及び対象高令者からの正確な有症率の把握の困難さ等からみてばらつきの範囲内であり、(同(2)ロ(ニ)b、e)、その余の諸条件はよくそろつているのでその疫学調査結果は採用しうる。同地区を代表するpbO2値についても特に問題はない(同(2)ロ(ホ)b、eⅱ)。(f)堺市浜寺は、もともとそのアンケート調査方法がその他の府下調査とかなり異なる(同(2)ロ(ニ)b(a))うえに、ⅰ船尾地区で調査対象数が少なく喫煙別有症率パターンが乱れ(女子の年令別有症率パターンが七〇才以上で乱れるが絶対数が少ないのでこれは問わない)がある(同(2)ロ(ニ)b(b)、d)のでこれを除去し、ⅱ諏訪森地区では喫煙量別有症率のパターンが乱れる(同(2)ロ(ニ)d)ので(なおアンケート調査票の有効回収率も幾分少ないが、回収率そのものは九〇パーセント近くある(同(2)ロ(ニ)c)のでこの点は問わない)、これを参考値に止めることとする(なお船尾・諏訪森両地区を纒めて参考値としても結論には殆んど差異がない)。(g)堺三宝地区は調査手法が問診法によるものであり異なるが、その信頼性等に破綻がみられないので、おおよその傾向を探る参考値程度には利用できるので、これを付加することとする。

b そこで結局豊中市豊南小学校区及び守口市春日小学校区の各疫学調査結果を重視し、豊中市庄内南小学校区、堺市浜寺の諏訪森地区及び堺市三宝地区のそれらをいずれも参考値とし、それぞれの地区の昭和四二年から昭和四四年までの三年間平均pbO2値は、原告らの主張する「府下調査解析」中のそれらの妥当性の立証が十分でないので、前記被告の別表〔B六〇〕中の被告の指摘の測定値を採用する(守口市も「府下調査解析」の値と異なるが僅少差であり、いずれを取つても結論に差異はでない)こととし、更に府下調査地区外ではあるが比較的調査結果の安定している高石市取石小学校区のデータ(同一8(二)(2)ロ(ヘ))も加えることとして、その慢性気管支炎症状の訂正有症率(但しy=1.94a+0.71の回帰式との関連を重視し、喫煙量本数別補正による標準化方式に戻して計算したもの)と右の三年間の年平均pbO2値の関係を散布図に示すと、別図〔C六三〕の「府下二地区(参考四地区)の有症率とpbO2値の関係」のとおりである(なお念のため「訂正有症率」の意味するところが異なるが、府下調査解析で示された近似式と回帰式をも併記した)。

c これによれば

(a)  少なくとも大阪府下の相当数の一定の地域においては、慢性気管支炎症状の訂正有症率と昭和四二年から昭和四四年までの三年間の年平均pbO2値との関係を示すプロットが、ⅰ五か年総括で得た訂正有症率と調査前三年間の年平均pbO2値の関係を示す方程式y=1.94a+0.71よりいずれも高目の有症率となつて現われる傾向があるものといい得るし、ⅱかつ、その高目に出る原因は後記(c)のとおり右各地区ごとに異なるにもかかわらず、右各プロットを代表する直線(回帰式)を引くとたまたま、五か年総括で得られた方程式の傾きと同様右上りの傾向を示しており(しかもその勾配も偶然さほどの差がない)、

(b) また慢性気管支炎症状罹患(増悪)の閾濃度値も、自然有症率がおおよそ三パーセントであるとの事情は未だ変らない(後記第二、三3(1)ロ(イ))ので、五か年調査の結果から導いた調査前三年間の年平均pbO2値1.0mg/dayより低濃度値となる(但し、その具体的数値は右各地区ごとに異なるものと思われる)ことが明らかであり、

(c) 五か年調査六地区等と比べこれらの相異がでた原因は、これらの各地区の大気汚染の態様が、例えば、規模の大きい汚染地帯に近接するとか、自動車の排ガス量の多さのために窒素酸化物の混合割合が高くなつたとか、臨海工業地帯であつていわゆるピーク型汚染の形態を呈したとか、それぞれ各地区ごとに事由及びその程度が異なるが、昭和三九、四〇年以前の三年間の右五か年調査六地区のpbO2値より侵害性が増加していた点に主たる事由があるものと考えられる。

(d)  そして、岬町の昭和三九年ないし昭和四四年ごろの状況については、既にたびたび触れたごとく、被告が第一火力の高さ七六メーターの低煙突四本から、莫大な硫黄酸化物等を山地丘陵の迫つた岬町に放出していたのであるから、その有効煙突高さや換気性の良さのためpbO2値自体としては低かつたとはいえ、場所(例えば「深日」)によつてはいわゆるピーク型汚染等が現われ、そのため、大阪市内の五か年調査六地区のpbO2値と異なり、その加害性が高かつたものと推測され、右「深日」等においては、前記の府下六地区中のピーク汚染地区と類似した傾向を示したことが考えられる(同一6(四)(4)イ、なお「孝子」、「東畑」のピーク性と府下各地区のそれとの関係のおおよそは、前記別表〔C三三〕、同別図〔C五三〕及び同別図〔C六〇〕等から窺うことができる)。

(e)  そこで前記一8(二)(1)ロ(ハ)で述べたごとく、五か年調査及び赤穂市調査を基礎にして得られた前記の判定条件を岬町の患者原告ら居住地の環境濃度値にあてはめその侵害性の有無、程度をみるについて必要な前記の留保条件(同一8(二)(1)ロ(ニ))の検討をする際、これらの認定諸事実を参考にすることには十分耐え得るものと判断する。

(3) その余の硫黄酸化物専門委員会報告中の判定条件等について、

イ 〈証拠〉によれば、

(イ) 「硫黄酸化物専門委員会報告」中には、「全国六か所における煤煙等影響調査にあつては三〇才以上の家庭婦人についてのものであるが」、咳と痰が三か月以上毎日出る単純性慢性気管支炎症状の「有症率三パーセントは二酸化鉛法による値が五か月平均で約0.7mg/dayであり、この値は溶液導電率法で0.022ppmないし0.025ppmに相当する」(以下右調査を「六都市調査」という)との判定条件が採用されている。

右に判定条件として採用された六都市調査中の部分は、最初厚生省が、昭和四六年七月環境庁発足後は厚生省から引き継いだ環境庁が、昭和四五年度から昭和四九年度にかけて、千葉県・大阪府・福岡県の各二地区で無作為に抽出した三〇才以上の家庭婦人約四〇〇名宛を対象としてBMRCの質問表を使用し、面接質問形式の疫学調査を行つたものであり、同庁において、右の調査の結果得られた各地区における、昭和四五年度の三〇才以上の女子の有症率と同年度(但し同年一一月から翌年三月までの五か月間)の二酸化鉛法による二酸化硫黄濃度の平均値の関係を解析し、「y=2.74x+1.00」との回帰式を得ている(yは有症率、xは右の五か月間の二酸化鉛法による二酸化硫黄濃度平均値を示す、なお環境庁環境保健部は昭和五二年一月付で「複合大気汚染健康影響調査」と題して右六都市調査の結果を公表した(甲第二四五号証)が、右回帰式はその中に図12―1の一部として図示されている。別図〔C六四〕の「大気汚染と呼吸器症状の関係」がそれである)。これが資料となつて前記の判定条件が導き出されたことが窺われる。

(ロ) 「硫黄酸化物専門委員会報告」中には「北九州地区における調査によれば、二酸化鉛法による昭和三五年ないし昭和四二年にわたる平均値で1.0mg/dayにおいては、0.53mg/dayの地区に比べ、学童の喘息様症状の訴え率が二倍に認められた」、なおこの値をAPメーター値に換算すると「これらの地区の二酸化硫黄濃度は、それぞれ0.033ppmないし0.036ppm及び0.017ppmないし0.019ppmに相当する」との判定条件が採用されている。

右に判定条件として採用された北九州地区における学童調査とは、九州大学医学部猿田南海雄教授ら他が昭和四二年に北九州市内の、高度汚染地区である八幡区城山小学校と比較的非汚染地区である小倉区霧ケ丘小学校の両校全児童を対象とし、小児用の呼吸器症状質問票を各学級教師を経て児童に配布し、保護者から回答を求めたほかX線撮影・精密検査を行つたものであり、判定条件に記載された、昭和三五年ないし昭和四二年にわたるpbO2値1.04mg/dayの地区が右の城山小学校であり、同平均値0.53mg/dayの地区が霧ケ丘小学校である。

なお右調査の報告は、「大気汚染の人身影響に関する研究――北九州市における学童の喘息疾患と大気汚染との関係」と題し公表されている(乙E第一四九号証の二)。

(ハ) 「硫黄酸化物専門委員会報告」中にはAPメーター値を使つたものとして、

a 「四日市における閉塞性呼吸器疾患の新規患者の発生数(三年移動平均値)とその年の二酸化硫黄濃度の年平均値とは、おおむね0.04ppmを超えたところでは濃度と発生患者数は正の関連性があり」、

b 「かつ、一時間平均値0.1ppmを越えた回数が年間おおむね一〇パーセント以上測定されたところで」右の「新規患者数は一時間平均値0.1ppmを超えた回数と正の関連性が認められた」

との二つの判定条件が採用されている。

(ニ) 中公審は昭和四九年一一月二五日付で「公害健康被害補償法の実施に係る重要事項について」と題する答申(乙E第九号証の二)中において、大気汚染の程度と大気汚染の影響による有症率の程度との関連性を示している。すなわち中公審は、先に公害健康被害補償法第二条第一項に規定する第一種地域指定の要件等について諮問を受け、右第一種地域、つまり「事業活動その他の人の活動に伴つて相当範囲にわたる著しい大気の汚染が生じ、その影響による疾病が多発している地域」の指定を右の大気汚染の程度と有症率の程度との組合わせに従い具体化した。

大気の汚染の程度

溶液導電率法による二酸化

硫黄濃度(年平均値・ppm)

指称する内容

一度

0.02以上0.04未満

汚染物質の濃度が環境基準を越えている程度

二度

0.04以上0.05未満

有症率が環境基準を満たしている地域にみら

れる自然有症率に比べ明らかに高くなる(おお

むね二倍)程度の汚染の程度

三度

0.05以上0.07未満

旧環境基準を越し、有症率が自然有症率の二

ないし三倍、ときにはそれ以上となる程度の

汚染の程度

四度

0.07以上

極めて著しい汚染があり、有症率が自然有症

率の四ないし五倍、ないしそれ以上に達する

程度の汚染の程度

まず大気汚染に関する要件について、大気汚染による健康被害は汚染物質の複合効果として生ずるものであるが、現時点においては硫黄酸化物に代表させて大気汚染の程度を判定せざるを得ないとし、溶液導電率法による二酸化硫黄の年平均値を基準として大気の汚染の程度を次のとおり四度に区分する。

次に、大気の汚染の影響による健康被害の発生状況について、三年以上居住している四〇才代・五〇才代の男女から調査対象者を無作為に抽出し、これらの対象者についてBMRC方式の質問票を使つて問診を行い、当該地域における呼吸器疾患の有症率の割合を推定する調査など計三つの健康被害調査を使つて有症率の程度を把握することとし、かかる有症率の程度を次のとおり三度に区分する。

有症率の程度

四〇才ないし五〇才代の

自然有症率を標準として

一度

おおむね二倍

二度

おおむね二ないし三倍

三度

おおむね四ないし五倍以上

そして右の大気の汚染の程度と有症率の程度の対応について、有症率の程度の一度、二度、三度は、おおむね大気の汚染の程度の二度、三度、四度程度の地域においてみられる有症率に相当しているとしている。つまり地域指定を受けるに必要な大気の汚染の程度の最低限度をおおむね溶液導電率法による二酸化硫黄濃度の年平均値0.04ppmにおいている。

(ホ) 三重県作成の昭和四八年度環境白書中には「二酸化鉛法による測定値について汚染の程度を判断する場合、一般的に次の基準が用いられる」として、

「1.0未満(単位mg/day)……軽微な汚染

1.0以上1.5未満………やや汚染

1.5以上2.0未満………かなりの汚染

2.0以上……………………高濃度の汚染」

との判断基準を示している(乙E第一六一号証の一、二)。

以上の事実が認められ、その他に右認定を左右するに足る証拠がない。

右認定事実によると、赤穂市及び大阪市内六地区の各調査結果に基づく判定条件に比べ、一見すると、右の六都市調査及び北九州地区の学童調査に基づく各判定条件は緩くみえ、逆に、APメーター値によるものではあるが、四日市市の調査結果に基づく判定条件は厳しくみえ、中公審の公害健康被害補償法に基づく地域指定要件の答申は低濃度域で幾分厳し目に、高濃度域では緩目にみえ、三重県環境白書中の判断基準は低濃度域でも高濃度域でも緩目にみえる。

ロ しかしながら、(イ)前記一3(三)(1)イ(イ)、(2)ロ(イ)(ppO2値の問題点)の事実及び前記一8(二)イ引用の各証拠及び弁論の全趣旨を総合すれば、

a 右六都市調査による判定条件については、(a)二酸化鉛法による測定値が、シェルターの器種や、試薬の種類(DSIRかその他か、DSIRに換算済みか、)によつて相当違いが生ずるのに試薬はDSIRらしいがシェルターについてはその詳細がわからないし、(b)またpbO2値測定地点が東大阪地区にあつては地区から約二キロメーター、富田林地区にあつては約四ないし五キロメーターもそれぞれ離れているが、その測定値に地区の代表性が十分あるか否かの点につき未だ裏付け資料に乏しいし、(C)この調査結果は、「三〇才以上」の家庭「婦人」についての調査であるところ、咳と痰が三か月以上毎日出る単純性慢性気管支炎症状有症率「三」パーセントは二酸化鉛法による値が「五か月平均」で約「0.7」mg/dayであつたとするもので、五か年調査その他から得られていたpbO2値と右有症率に関する知見とはかなり大巾に異なり、閾濃度値を相当大きく下げるものであるように一見みえるのであるが、その差異の説明が必ずしも十分になされていないし、(d)右のpbO2値と有症率の関係を示す前記別図〔C六四〕の散布図は相関係数0.734の順相関関係を示すものの統計学的検定によれば有意ではなく、(e)また右図別〔C六四〕中の回帰式が、右自然有症率以下である有症率一パーセント近く(pbO2でいうと0.1mg/day付近)にまで図示されている点にも従前の知見と大巾に異る。

b 右の北九州地区における学童の喘息様症状の調査による判定条件については、(a)二酸化鉛法による測定値がシェルターの器種や試薬の種類によつて相当違いが生ずるのに、この調査でもそれが明らかでなく、(b)右調査は、前記のとおり、高度汚染地区である八幡区城山小学校と比較的非汚染地区である小倉区霧ケ丘小学校の二つの小学校の児童を調査したものにすぎず、本件で問題としているようなpbO2値の閾濃度値を直接探るものではないし、(c)対象者も学童であり、(d)調査疾病も喘息様症状の訴え率であり、いずれも患者原告らのケースと条件が異なる。

c 四日市市の調査による、APメーター値を用いた判定条件については、(a)右判定条件を採用する際使用された具体的資料が提出されていない、そのため、(b)そのAPメーター値の機種具体的測定主体、測定方法、保守管理の態様等が明確でなく、APメーター値の正確性、信用性、留保条件の存否がわからず、(c)また、調査対象地区のどこか、その地区の大気汚染の質、歴史などもわからず、(d)更には疫学調査結果の代表性・信頼性等についても検討の余地がない、(e)しかも同調査の出した年平均APメーター値0.04ppmとか、0.1ppm超過率年一〇パーセントという値は、従前全国各地及び大阪府下の硫黄酸化物測定結果(例えが乙D第一、第二号証の各二、乙C第九九号証の一、二)からみて一見閾濃度値としてかなり高い(特に0.1ppm超過率年一〇パーセントの方)のに、その説明が殆んどなされていないし、(f)右判定条件では「閉塞性呼吸器疾患の新規患者の発生数」を問題にするが、それと本件で取り上げる、大気汚染のないところにおける自然有症率と比較して有症率が高いか否かを問題にするのとがどういう関係にあるのかも判明しない。

d 公害健康被害補償法の運用面における0.04ppmという地域指定の最低の汚染の程度の要件については、(a)答申中の最後に、右の「地域指定要件」はあくまで同法第二条第一項にいう「著しい大気汚染」の存在と、「その影響による疾病が多発」していることを満たすための条件を定めたものであり、二度以下の汚染や一度以下の有症率であつても、環境基準を満たさない場合には健康に好ましくない影響が存在していることを否定しているものではないとの断り書きをつけており、(b)更には右答申は、二酸化硫黄の年平均の環境濃度を地域指定の一応の要件としているものの、これに限ることなく、大気の汚染の程度を判定するにあたつては、地形・季節的変動等を総合的に考慮して判断すべきことを指摘している。

e 三重県作成の環境白書中に示された判断基準については、乙E第一六一号証の一、二が提出されているのみで、その説明が一切なされておらず、したがつてこの判断基準の前提となるpbO2値のシェルター、試薬は何か、右判断基準の適用域は四日市市方面の汚染についてのみか、三重県全体のそれについてもいえるのか、特に1.0mg/day未満においても「軽微な汚染」とするがその具体的に意味するところは何か、それは他府県に対しても同様にいえるとするのか、その判断基準におけるpbO2値は年平均値であるが、月間値に対しても或る程度の基準性を持つのか等の諸事情が一切明らかにされていない。

以上の事実が認められ、その他に右認定を左右するに足りる証拠がない。

(ロ) 以上の事実によれば、

a 六都市調査による判定条件については、右8(二)(3)ロ(イ)aの(a)ないし(e)の問題点があり、特に(c)及び(e)のとおり従前からの知見と比べ相当大巾に異なる結論を示しているのに未だ不明な点が多すぎて採用の限りでない。

b 北九州地区における学童の喘息様症状の調査によるそれは、そもそも患者原告らの慢性気管支炎症状の閾濃度値を探るには、調査対象者、調査地区数に違いがありすぎる(同(3)ロ(イ)b)など相応しくないため本件解明には役立たない。

c 四日市市のAPメーター値による判定条件は、その基礎資料さえなく、したがつて右(3)ロ(イ)cの(b)ないし(f)の問題点が解明されず、未だこれをもつて岬町における慢性気管支炎症状の物差しとすることはできない。

d 公害健康被害補償法の運用面から窺われる年平均APメーター値0.04ppmという値は、右答申自体にも触れている(右(3)ロ(イ)d(a))ごとく、同法の趣旨・目的(つまり同法は、公害による健康被害者が、加害者に対し損害賠償を求めるについて、民事裁判という煩瑣な立証活動と長期間にわたる訴訟の継続を強いられる前に、それに先立つて迅速かつ公正にその保護を図ることを目的として、裁判よりも簡易化された画一定型的な要件に従い地域指定を行い、そこにおける被害者に迅速に給付を履行させようとするもの)に従つて同法第二条第一項にいう「事業活動その他の人の活動に伴つて相当範囲にわたる著しい大気汚染が生じ、その影響による疾病が多発している地域」を具体化するために定められた数値にすぎず、そもそも個々の具体的ケースにおける慢性気管支炎症状の発病の基準として示されたものではないから、右の年平均APメーター値をもつて直ちに本件における閾濃度値となし得ないことも明らかである。

なお同答申中の溶液導電率法による二酸化硫黄濃度を、一般に行われているpbO2値への換算式である「APメーター値(ppm)=1/30×pbO2値」によつて換算したうえ、同答申中の、換算pbO2値の増加と有症率の増加(倍率)の関係をみると、前記の五か年総括にいう「y=1.94a+0.71」より、有症率の上昇率がかなり大巾にきついことが窺われるところである。しかしながら、この有症率増加率は、先に述べた府下調査解析の結果(同一8(二)(2)ハ(ロ)b中の別図〔C六三〕、なお同(二)(2)ロ(ロ)b(a)、(b))や六都市調査の結果(同一8(二)(3)イ(イ))などからみられる傾向と比べても同様にかけはなれた急上昇率を示しているところであるから、この上昇率を本件ケースに適用ないし準用するためには、そうすることが本件事案の解決に適切であることを示す立証がなされてしかるべきであるのに本件全証拠によるも未だその立証はない。したがつて同答申の内容を右の意味で物差しないし参考資料とすることもできない。

e 最後に三重県環境白書の判断基準は、その詳細が未だ立証されておらず不明であり(同(3)ロ(イ)e)、したがつて直ちにこれをもつて本件に適応するに相応しい物差しであるということはできない。

してみればこれらの各知見(右(3)イ(イ)ないし(ホ))は、いずれも岬町における大気環境の侵害性の有無・程度をみる判断基準(物差し)に使用することができない。

(三) 二酸化窒素等の濃度の閾濃度値等について

(1) 二酸化窒素濃度

イ 次の(イ)の事実は前記一4(七)(3)(国道二六号線上の自動車)及び同一5(四)(2)(排出量最盛期における二酸化窒素)において既に認定した事実ないしそれから推測し得る事実であり、同(ロ)の事実は、〈証拠〉によつてこれを認めることができ、その他に右認定を左右するに足る証拠がない。

(イ) 岬町における二酸化窒素は、二酸化硫黄と同様、第一火力の二酸化窒素排出量最盛期と主として国道二六号線及び府道岬加太線を走行する自動車の交通量増加の重なつた昭和四〇年度過ぎごろから以降数年度の間においてその濃度が最も高かつた。右期間におけるその濃度値は実測値がなくおおよそのところを推測するしかしかたがないが、「役場」においては年平均二六ppbをそれ相当に上回つていたはずで、少なくとも年平均三〇ppbを割ることはなく(同一5(四)(2))、pbO2値測定点「深日」においても「役場」とほぼ同様の傾向にあつたことが推測される。

(ロ) 右「役場」及び「深日」の推定二酸化窒素濃度値の評価をするに相応しい科学的知見(物差し)は、前記一8(一)(4)イ記載の「二酸化窒素判定条件等についての答申」中に記載されている「我国の汚染レベルの異なる六大都市の三〇才以上の女子、千葉県下一三地区の四〇才ないし五九才の男女、岡山県下一二地区及び大阪府・兵庫県下地区の四〇才以上の男女を対象とした疫学的調査が報告されて」おり、「これらの結果から環境大気中二酸化窒素濃度の年平均値0.02ppmないし0.03ppm以上の地域において二酸化窒素濃度と持続性咳・痰の有症率との関係が見出された」、「この場合、各地区の二酸化硫黄の濃度は、年平均0.009ppmないし0.042ppmであり、浮遊粒子物質は年平均四〇mg/m3ないし四一五mg/m3であつた」との判定条件であり、またこれを含む、同報告書引用の「動物実験・人の志願者における研究・疫学的研究などの成果を総合的に判断し、本専門委員会は、地域の人口集団の健康を適切に保護することを考慮し、環境大気中の二酸化窒素の指針として次の値を参考とし得ると考えた」として、「長期暴露については、種々の汚染物質を含む大気汚染の条件下において、二酸化窒素を大気汚染の指標として着目した場合、年平均値として0.02ppmないし0.03ppm」をあげる点である。なお環境基準は右年平均値をおおよそ二倍して日平均値の形で定められている。

ロ 以上の諸事実によれば、排出量最盛期における「役場」の二酸化窒素濃度と持続性咳・痰の有症率との関連性を探る知見としては、「二酸化窒素判定条件についての答申」中の前記知見(同一8(1)イ(ロ))が妥当であると判定される。

ハ 「府下調査解析」中の知見について

(イ) 大阪府作成名義の「府下調査解析」(甲第二七号証)中には、窒素酸化物について、測定値が殆どないので、大阪府公害室が大気拡散式を用いて計算により推定した濃度値を用い、右推定窒素酸化物濃度と有症率との関係を、豊中市その他、吹田市、守口市、高石市、堺市浜寺及び岬町ABC地区で示すと、原告らの別図〔A三九〕の「地区別推定NOx濃度と有症者率」(同号証図10)のとおりであること、右の地区中守口市は窒素酸化物の推定濃度値に比べ硫黄酸化物濃度が低くそのことが有症率を低くしているのでこれを除き、その余の豊中市その他、吹田市、高石市、堺市浜寺、岬町ABC地区の五地区について回帰式を求めるとy=0.88x+2.81(但し、yは有症率、xは推定窒素酸化物濃度(pphm))となることが各記載されている。

そこで二酸化硫黄濃度で述べたごとく、府下調査と岬町のそれとの諸条件には近似性があることからみて、この回帰式を物差しに使うことが考えられる。

(ロ) しかしながら、同一4(四)(2)(拡散数値実験)の事実に〈証拠〉によれば、

ⅰ 拡散計算式により計算した推定窒素酸化物濃度は、実測値と比べると相当大巾にずれることが予測され、その使用には一定の限界がある旨指摘されているところであり(同一4(四)(2)イ(イ)、ロ(イ)参照)、現に同時に大阪府公害室が計算した岬町における推定硫黄酸化物濃度で見ると実測値と比べ大巾にづれている

ⅱ 右の回帰式は、硫黄酸化物濃度と有症率の関係につき、信頼性を欠くとして除去したはずの吹田市のデータを、特段の合理的説明もなく入れて作られている

ことが認められ、その他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

右認定事実(とりわけ、二酸化窒素の推定値には一定の限界があること)によれば、原告らの別図〔A三九〕の散布図及びその回帰式は信頼性が未だ十分でなく、したがつてこれらを使つて窒素酸化物濃度の侵害性の判定基準とすることもできない。

(2) 煤塵

イ 〈証拠〉によれば、

(イ) 降下煤塵量は、慢性気管支炎症状有症率と必ずしも対応しない旨指摘されている(例えば、甲第三〇号証の五か年総括、乙E第四二号証の清水常俊らの論文)。

(ロ) 岬町における降下煤塵量とpbO2値の比は、五か年調査の行われた大阪市内六地区その他における比の中で比べると、別表〔C四四〕の「大阪府下における慢性気管支炎訂正有症率と降下煤塵量・pbO2値及びその比」のとおり、大きい部類に属している。

(ハ) 排出量最盛期における浮遊粒子状物質の量は判明しない。被告の別図〔B八四〕のごとく、大阪市内のデータによる回帰式と岬町における二酸化硫黄濃度を用いて推計してみても推計値が不安定である。また降下煤塵量と浮遊粒子状物質の量との間にも関連性はない。しかしながら、第一火力第一、第二号機に電気式集塵装置の設置されていなかつた昭和四一年一〇月以前においては、その量は大きくみれば降下煤塵量とパラレルの関係にあつた、

以上の事実が認められ、その他に右認定を左右するに足りる証拠がない。

ロ 右事実によれば、(イ)降下煤塵によつて慢性気管支炎症状の有症率の下限値をみることはできない、もつとも二酸化硫黄濃度(pbO2値)を指標として、赤穂、大阪市の判定条件と比較をするについては、岬町における降下煤塵量の占める比が大きかつたこと(同一8(三)(2)(ロ))を多少考慮すべきであろう、(ロ)浮遊粒子状物質は排出量最盛期のそれがわからないので、その判定基準を論ずる意味がない。もつとも二酸化硫黄濃度(pbO2値)を指標として五か年調査六地区等と比べるについては、第一火力第三、第四号機稼動後から同第一、第二号機に電気式集塵装置が未だ設置されていなかつた昭和四一年一〇月以前までの間において浮遊粒子状物質が相対的には多かつたであろう(同8(三)(2)イ(ロ)、(ハ)参照)ことを考慮すべきである。

(四) 前記(一)ないし(三)で認定した健康被害発生の可能性及び程度を測る科学的知見(物差し)の要約と患者原告ら居住地の大気環境への具体的あてはめ

(1) 岬町の大気環境に適用すべき前記認定の科学的知見の要約(以下「本件判定基準」という)

右(一)ないし(三)の事実を要約すれば、岬町における大気環境が患者原告らに対し慢性気管支炎症状等に罹患(ないし増悪)させる可能性があつたか、その程度如何を探る物差しとしては次のとおりこれを判断する。

イ  原則として、五か年総括に基づいて「硫黄酸化物専門委員会報告」中に採用された判定条件を重視し、「四〇才以上の成人につき咳と痰が三か月以上毎日出る単純性慢性気管支炎症状」が二酸化鉛法による二酸化硫黄濃度の年平均値1.0mg/day以上の地区では自然有症率を超え、二酸化鉛法による測定値の増加と有症率の増加との関に比例関係があると考えられる。

ロ  但し、岬町にあつては、右五か年調査の行われた大阪市内六地区等と比べ大気環境条件に次のとおりの差異がある地点が多いし、かつ慢性気管支炎症状に至らない程度の呼吸器異常の生ずる程度をも念頭に入れるのが相当であるので、各地点の大気環境の差異に応じ、右イの原則を修正する。

(イ) 大阪市内六地区より短時間高濃度汚染傾向(同一6のいわゆるピーク型汚染)が強い場合には(例えば「深日」)その強さの程度に応じて右二酸化硫黄の閾濃度値を右イの原則値以下に下げる(同一8(二)(2)ハ(ロ)c(d)参照)。

(ロ) 第一火力の第一、第二号機に昭和四一年一一月電気式集塵装置が設置されるより以前においては、二酸化硫黄と一緒になつてより閉塞性肺疾患に悪影響を及ぼす(後記第二、三3(二)(1)ニ(イ)c参照)といわれる浮遊粒子状物質が、pbO2値との比率において五か年調査六地区と比べpbO2値が低い割りには高かつたと推測される(同一8(三)(2)イ(ロ)、(ハ)、ロ(ロ))ので、この場合にも指標である二酸化硫黄の閾濃度値を右原則値以下に下げる。

(ハ) 慢性気管支炎症状に至らない呼吸器の異常(気管支喘息の一部やCB疑い、C3S3、C3、S3、CS等)に罹患(増悪)させる閾濃度値等を把握し得る信頼度の高い疫学的知見は存在しない(同一8(一)(3)ロ(ロ)参照)ため、かかる観点から二酸化硫黄の閾濃度値を探ることはできない。しかしながら慢性気管支炎症状のそれを多少緩めに見ることは常識的にみて妥当であると考えるので、この点を念頭において右イの原則値を心持ち下げる。

(ニ) これらの三つの修正要素を総合し、その閾濃度値を引き下げる程度は前記の諸般の事情を総合してこれを決する。

ハ 二酸化鉛法による二酸化硫黄濃度値の増加に応じて増加する有症率の程度は、五か年総括において提案されているy=1.94α+0.71(yは有症率、αは調査前三年間平均のpbO2値)を重視しこれに同一8(四)(1)ロ(イ)ないし(ニ)の諸般の具体的事情を加えて判断する。但し自然有症率はおおよそ三パーセントとみる。

ニ 岬町では、前記一4(二)(大気汚染の発生可能な諸条件)等で述べたとおり、年平均pbO2値もその余の右一8(四)(1)ロの諸条件も、各地点ごとにかなりの差異をもつているので、右科学的知見のあてはめにあたつては、右一8(四)(1)ないしハを各地点ごとに個別に検討する必要がある。

ホ なお付言するに、二酸化窒素を指標として大気環境の加害性をみるとすると、「二酸化窒素判定条件等についての答申」中において、大阪府下地区等の四〇才以上の男女を対象とした疫学調査結果等に基づいて採用された判定条件である「環境大気中の二酸化窒素濃度の年平均値0.02〜0.03ppm以上の地域において二酸化窒素と持続性咳、痰の有症率との関係がみられた」という知見(同一8(三)(1)イ(ロ))が有意義であり、「役場」等にはこの面からの適用をみることもできる。

(なお甲第二七号証表13及び前記別表〔C三七〕によれば、岬町では、二酸化硫黄濃度に比べ窒素酸化物の濃度が高く、その傾向がある旨指摘されている守口市をも上回ることが窺われ、二酸化窒素の面でも右一8(四)(1)イの原則を修正すべきであるようにみえるが、乙C第一〇一号証の一ないし六の「役場」、「平尾小学校」及び「摂陽中学校」などの比と照らすと、未だ証明不十分といわざるを得ない)。

ヘ そこで次の(2)において、この物差しの具体的あてはめについて述べる。

(2) 右科学的知見の岬町環境濃度に対する具体的適用

イ 患者原告ら居住地近辺のpbO2値測定点の測定値に対するあてはめ、

(イ) 前記一3(二)(1)(岬町の環境濃度)及び同一5(排出量最盛期における岬町の環境濃度)の各事実に、右一8(四)(1)の物差しをあてはめると、排出量最盛期時代以外(但し「深日」の昭和四五年度を除く)の岬町の大気環境はいずれにおいても右一8(四)(1)の閾濃度値に達するようなものがないことは明らかである。

そこで以下においては排出量最盛期における患者原告ら居住地等周辺のpbO2値測定点について検討する。

(ロ) 初期一四測定点の実測値

a 「深日」にあつては、昭和三九年度から昭和四五年度にかけ年平均0.86mg/dayないし1.14mg/day(排出量最盛期のみの通年年平均値は0.99mg/day、但し「深日」のpbO2値はシェルターが山中式であり、五か年総括にいう長谷川式のpbO2値より心もち高目に測定するのでその分を差し引いて考えなければならない。以下に述べるその余の被告測定pbO2値についても同様の考慮を必要とする)であり、前記6(四)(2)、(3)、(4)イのごとくそのピーク性が強く、更に昭和四一年以前にあつては浮遊粒子状物質も少なくなく、かつ窒素酸化物についても「役場」のそれとそれほど開きがなかつたことがそれぞれ窺われるので、これらの事情を総合すれば、右の全期間を通じ前記の閾濃度値を超えており、そのうち昭和四三年度及び昭和四五年度の大気環境は、ボーダーライン一杯を超えたやや汚染の状態であつたが、昭和三九年度ないし昭和四二年度及び昭和四四年度においては居住者らに対し慢性気管支炎症状等に罹患(増悪)せしめる程度がそこそこ強くまずまずの汚染状態下にあつたものと判断される。

b 「楠木」にあつては最盛期のpbO2値は0.06mg/dayないし0.80mg/day(年平均0.69mg/day)であり、またそのピーク性もそれほどのことがなく(同一6(四)(2)、(3)、(4)ハ)、二酸化窒素濃度は不明であるから、「多奈川発電所」及び「岬公園」にあつては、pbO2値の年平均値が「楠木)以下であり、換気性に豊みピーク性は殆どなく二酸化窒素濃度は不明であるから、「岬カントリー」にあつては最盛期のpbO2値は0.63mg/dayないし0.90mg/day(平均0.75mg/day)であり、またピーク性もそれほどのことがなく(同一6(四)(2))、二酸化窒素濃度も不明であるから、以上の四つのいずれの測定点においても、浮遊粒子状物質の点を考慮に加えても、前記の閾濃度値に達しているとは到底認めがたい。

c 「国道二六号」にあつては、国道二六号線のすぐ側にあり、同国道を走行する自動車の排気ガスを大巾に捉えた特殊な測定結果であり普遍性を有しないが(同一4(五)(1)ハ(ロ)参照)、最盛期のpbO2値は年平均0.29mg/dayないし1.09mg/day(平均0.99mg/day)であり、ピーク性はないが、窒素酸化物は右自動車からの分が加算されるためそこそこの濃度値を示したことが窺われるので、「国道二六号」の測定点その場所では、これまた前記の閾濃度値を超えていたものと判断される。

(ハ) 「役場」「朝日」「小田平」「東」「淡輪(北)」の推定値

a 「役場」にあつては、排出量最盛期における推定pbO2値は、年平均0.80mg/day前後に過ぎないが、そのピーク性は「深日」に準ずるものがあり、(同一6(四)(4)イ(ホ))、また二酸化窒素濃度は自動車の通行量の増加した昭和四〇年度過ぎごろからは少なくとも年平均0.3ppm以上はあつた(同一5(四)(2))であろうし、浮遊粒子状物質も昭和四一年一〇月までは五か年調査六地区と比べ多かつたことが推測される(同一8(三)(2)イ(ロ)、(ハ)、ロ(ロ))ので、排出量最盛期においては前記の閾濃度値をその近くで超えていた、やや汚染の状態にあつたものと判断する。

b 「朝日」、「小田平」、「東」にあつては、排出量最盛期における推定pbO2値は「朝日」が0.75mg/day前後、「小田平」はそれより多少低目、「東」はそれより多少高目であるにすぎず、またそのピーク性も弱く(同一6(四)(2)、(4)ロ)、二酸化窒素濃度は不明であるので、浮遊粒子状物質の存在を考慮しても前記の閾濃度値に達していたものとは認められない。

c 「淡輪(北)」にあつては排出量最盛期におおける推定pbO2値が0.45mg/day前後にすぎず、前記の閾濃度値に達していなかつたことは疑いの余地がない。

ロ 被告の行う、他地区の大気環境濃度と岬町内測定点におけるそれとの比較に関する主張についての判断

(イ) 被告は次のとおり汚染の予測される他地域の環境濃度との比較において、岬町の大気環境濃度は良好であり、患者原告らに閉塞性肺疾患を患わせる可能性はなかつたと反論(被告の反論第一〇、一2(三)、3(三)、二2、及び三3(二)2)する。すなわち、

a 二酸化硫黄のpbO2値に関しては、(a)被告の別表〔B四三〕にいわゆる「指定地域」とされた大阪府下の地域と、(b)同別表〔B四四〕に大阪府の住民健康調査対象地区と、(c)同別表〔B四五〕に昭和四五年度における泉南地区と、(d)前記別図〔B七〇〕に昭和四一年度から昭和四五年度までの間の大阪府下における硫黄酸化物濃度の年度平均値と最高値の関係と、(e)同別表〔B四六〕に昭和三九年五月から昭和四二年一〇月にいたる四日市市磯津地区とそれぞれに対応する岬町の各測定点におけるデータを並べて各比較し、

b 二酸化硫黄のAPメーター値に関しては、同別表〔B四八〕に、昭和四六年度ないし昭和五三年度にわたる、岬町内各測定点を含む大阪府下の測定点につき、年平均値、一時間値の最高値他二ないし三項目をたて、それぞれ環境濃度(年平均値)の高い方から順に列べて岬町内各測定点の位置付けを示し、

c 窒素酸化物に関しては、(a)同別図〔B八二〕及び同〔B八三〕に昭和四八年度の全国及び大阪府下の測定点の測定値と岬町内各測定点のそれを並べて比較し、(b)同別表〔B四九〕に、昭和四八年度ないし昭和五三年度にわたる大阪府下の測定点につき、年平均値他三項目をたて、環境濃度(年平均値)の高い方から順に並べて岬町内各測定点の位置付けを示し、

d 降下煤塵に関しては、(a)前記別表〔B五〇〕に五か年調査六地区を含む大阪府下の慢性気管支炎訂正有症率と降下煤塵量を示し、それに対応する岬町三測定点の平均値9.67ton/km2/30dayとの比較をなし、岬町の降下煤塵量に近似した値を示す住吉川・浜寺・金岡では有症率が1.6パーセントから2.4パーセントを示すに止まつているとなし、(b)別表〔B五一〕に、全国各地の昭和四〇年ごろまでの実測値を示し、かつ、一般に降下煤塵量は平均して一か月一平方キロメーターあたり、工場地域で二〇トンないし四〇トン、商業地域で一五トンないし三〇トン、住宅地域で一〇トンないし二五トン、郊外では一〇トン以下のところが多いといわれているとし、岬町のそれは一般の都市住宅地域にみられるのと同程度ないしそれ以下のレベルに相当するとし、(c)別図〔B八六〕に、昭和四三年度ないし昭和四五年度における全国各地の降下煤塵量のデータを基にして降下煤塵量ランク別の測定局数を棒グラフで示し、これに対応する岬町三測定点の位置付けを示し、

以上いずれの分析によつても、岬町の大気環境は良好であつたというのである。

(ロ) しかしながら、前記一3(二)(1)、(三)(2)(岬町における環境濃度)、同一5(二)ないし(五)(排出量最盛期の岬町における環境濃度)、同一6(三)、(四)(岬町におけるピーク型汚染)同一7(患者原告ら居住地の環境濃度とその特性)、及び同一8(三)(2)イ(煤塵と有症率)の諸事実に照らせば、

a pbO2値に関する被告の別表〔B四三〕ないし同〔B四六〕及び同別図〔B七〇〕の各解析は、「指定地域」「住民健康調査対象地区」「昭和四五年度における泉南地区」、「昭和四一年度から昭和四五年度までの間の大阪府下測定点」及び「四日市磯津地区」とそれぞれ単純に絶対値で、しかも前記認定のごとく一番濃度的に問題となり、また患者原告らの居住地にも近い「深日」のそれのみで取り上げず(右別図〔B七〇〕では「深日」を独立してプロットしているところ、かえつて同一6(四)(2)イ(イ)のごとき問題が浮かび上る)に比較するものであつて殆ど意味がないから、

b APメーター値に関する同別表〔B四八〕は、いずれも岬町のデータが第一火力の高煙突化後のそれであり、低煙突時代のデータが四分の三を占める昭和四六年度分のそれにあつても岬町三測定点は前記のとおり問題となる患者原告らの居住地の「深日」と比べ格段濃度が低かつたのであるから、

c 二酸化窒素に関する同別図〔B八二〕、同〔B八三〕及び同別表〔B四九〕は、岬町のデータがいずれも高煙突化後のそれであるから、

d 降下煤塵に関する別表〔B五〇〕は、そもそも降下煤塵量の多寡と有症率が対応するわけではないし(同一8(三)(2)イ(イ))、更にpbO2値と組にしてみるとかえつて同一8(三)(2)イ(ロ)のとおり、結構pbO2値に比べ多量であることがわかるから(なお付言するに、同一3(二)(1)ハ、ニ、(三)(2)ロ(ニ)(岬町における降下煤塵量)によれば、昭和四一年一一月に第一火力の第一、第二号機に電気式集塵装置が設置される前後によつて、岬町三測定点の降下煤塵量はかなり大巾に変動しているので、設置前である昭和三九年度から昭和四一年度にかけての降下煤塵年平均量でみるに、「そのころ寮」10.45ton/km2/30day、「PR館」10.38ton/km2/30day、「平野社宅」13.99ton/km2/30dayであるところ、これを(a)前記別表〔B五〇〕の各地区と比べると、「東住吉(B)」「浜寺」「神石」「金岡」に類似し、それらの地区の訂正有症率は3.2パーセントから1.6パーセントであり、(b)前記別表〔B五一〕の各都市の降下煤塵量と比べる(但し、証人難波芳之の証言によれば、その測定方法は、東京がディポジットゲージ法、大阪も同様であるらしいことが認められるが、他の都市のそれは不明である)と、一般的にみてその住宅地区における降下煤塵量に類似するが、例えば、岬町同様郊外にある能勢町・東豊能村などと比べると顕著に多量であるし、(c)前記別図〔B八六〕の全国各地の中に、異年度ではあるが、あてはめると、例えば別図〔C六五〕の「全国における降下煤塵量と測定局数」に黒枠塗りつぶしで表示したとおりの位置を占めており、岬町が都心をかなり離れた換気性もよい郊外であることを考え合わせると、昭和三九年度から昭和四一年度にかけての岬町の降下煤塵量は必ずしも少なかつたとはいえない)、

以上のいずれをもつてしても、前記一8(四)(2)イの認定を左右するものではないと判断する。

ロ 原告らの環境基準不適合の主張について

(イ) 原告らは、岬町の二酸化硫黄及び二酸化窒素の各濃度値が、排出量最盛期より後においても、例えば昭和四六年度の「孝子」、「東畑」における二酸化硫黄高濃度値のごとく、我国の定める環境基準(原告らの別表〔A四二〕、但し二酸化窒素については旧基準)を大巾に超過しているので、排出量最盛期にあつては、同町の環境濃度が人に健康被害を与えるものであつたことが明らかである旨主張する(請求原因第三、一9(三))。

(ロ) しかしながら

昭和四六年度において「孝子」及び「東畑」に現われた二酸化硫黄濃度の高濃度値については先に批判したところである(前記一8(一)(2))。

その余の濃度値については、その一部に右環境基準を超えていた数値がある点はそのとおりである(同一3(二)(1)ニ参照)が、二酸化硫黄や二酸化窒素の環境基準は、維持されることが望ましい行政上の目標値であり、それを多少とも超過すれば直ちに違法であり(健康被害等が発生する)私法上の権利義務が発生するというものでないことは、その設定の経緯からみて明らかであり(前記「硫黄酸化物に関する専門委員会報告」(甲第一九号証)、「窒素酸化物等専門委員会報告」(甲第二〇号証)及び「二酸化窒素に係る判定条件等についての専門委員会報告」(乙E第一一〇号証の一、二))、長期的な適合状況の検討(例えば前記四日市市の疫学調査結果、同一8(二)(3)イ(ハ)参照)の中で始めてその違法性の存否が決まるものであるところ、岬町における大気環境がかかる観点から違法といえる状態下にあつたことは、未だ、右健康被害発生の閾濃度値が判明せず、立証不十分であり、いわんや排出量最盛期にあつては、その閾濃度値をみるに相応しい環境濃度値を推定することも困難が伴うのであるから(同一5(三)(3)(5)参照)、結局原告らの右主張部分も採用の限りではない。

ハ 患者原告らの居住地の大気環境へのあてはめ、

前記一7(二)の患者原告ら各人の居住地の各大気環境濃度とその特性に対し、本件判定基準を、同一3(岬町における大気環境濃度)、同一4(二)(大気汚染の発生可能な諸条件)、同一4(四)(現地拡散実験、風洞実験等)、同一4(七)(地元発生源)、同一5(排出量最盛期における岬町の環境濃度)及び同一6(岬町における大気汚染の特質)の諸事実を総合しながら、適用すると次のとおりである。

(イ) 原告竹本美志、同辻下ユキ子及び中川美の住居地の大気環境

a  右三名の住居地の大気環境とその特性及び指標となるべき測定点については先に前記一7(二)1等において認定したとおりである。

b  これに本件判定基準をあてはめると、原告竹本の住居地の大気環境は、その指標となる「小田平」へのあてはめの結果(同一8(四)(2)イ(ハ)b)と、原告辻下及び亡中川の①の各住居地のそれは「朝日」へのあてはめの結果(同一8(四)(2)イ(ハ)b)とそれぞれ類似しているから、更に亡中川の②の住居地のそれは、「朝日」及び「役場」へのあてはめの結果(同一8(四)(2)イ(ハ)a、b)にそれぞれ類似しており、かつ、「役場」同様府道に接面しているが、亡中川が同所に居住したのは排出量最盛期が終わり大気環境濃度が低減を始めた昭和四五年以降である(同一7(二)(1)ニ、なおそのころには「役場」においても閾濃度値を割つていたものと推測される)から、以上のいずれの住居地の大気環境も右三名をして慢性気管支炎症等に罹患(増悪)せしめる可能性をもつていたものと認めることはできまい。

なお付言するに右三名は、証人安賀昇の証言(第一、第二回)によつて認められるごとく、大気汚染も有力な発症の誘因となり得る気管支喘息に罹患していたものである。しかしながら前記一2(二)(第一火力の硫黄酸化物等の排出量)、〈証拠〉によれば、(a)右三名は気管支喘息に罹息しているだけで肺胞に変化はないから、仮に大気汚染がその誘因となつている場合には、その大気環境が顕著に変化し改善されればその病状についても何らかの快方に向かうはずである。(b)右三名の住居地の大気環境は昭和四五年ごろから大巾に改善され近年ではもはや問題とする余地さえない(亡中川については、その後の転宅、死亡の事実を前提としても同様である)、(c)しかるに右三名の病状は改善の兆しが殆んどないことが認められる。したがつてこれらの事実に照らしても、右三名の右住居地の大気環境に侵害性を認めることはできない。

(ロ) 三橋シマコの住居地の大気環境

a 亡三橋が生前居住していた住居地の大気環境とその特性及び指標となるべき測定点については、先に前記一7(二)(2)等において認定したとおりである。

b  これに本件判定基準をあてはめると、その住居地の大気環境は、その指標となる「深日」及び「役場」への各あてはめの結果の中間ぐらいに位置し、ピーク性が出やすかつたなどの諸事情があること(同一7(二)(2))をも総合して考慮すると、前記閾濃度値を多少上回わつており、亡三橋に対し慢性気管支炎症状等に罹患(増悪)させる可能性があつたものと認められる。

(ハ) 亡木戸コナミの住居地の大気環境

a 亡木戸が生前居住していた住居地の大気環境とその特性及び指標となるべき測定点については、先に前記一7(二)(3)等において認定したとおりである。

b  これに本件判定基準をあてはめると、その住居地の大気環境は、国道二六号線のすぐ側である点に特色があり、基本的には右一8(四)(2)イ(ロ)aの「深日」のそれに近く、そのpbO2値もピーク性もかなり高いが、更にその上に同一8(四)(2)イ(ロ)cの「国道二六号」の濃度値中に大きな位置を占めていた自動車の排ガス分が加算された状態となり、そのためかなり高い汚染状況下にあつたものである(同一7(二)(3))。したがつて亡木戸をして慢性気管支炎症状等を患わすに十分であつたものと認められる。

(ニ) 原告高木廣一の住居地の大気環境

a 原告高木の住居地の大気環境とその特性及び指標となるべき測定点については、先に前記一7(二)(4)等に認定したとおりである。

b  これに本件判定基準をあてはめると、その住居地の大気環境は、その指標となる「深日」へのあてはめの結果(同一8(四)(2)イ(ロ)a)に類似し、ピーク性その他の諸条件もそろうし、二酸化窒素については「役場」とかなり似た状況下にもある(同一7(二)(4))ので前記の閾濃度値を超えていたことは明らかである。したがつて原告高木の住居地の大気環境も同人をして慢性気管支炎症状等を患わせしめる可能性を有していたものと認められる。

(ホ) 亡東野美代子、亡左近正國及び原告古賀兵藏の居住地の大気環境

a 亡東野及び原告古賀の住居地並びに亡左近の仕事場の各大気環境とその特性及び各指標となるべき測定点については、先に前記一7(二)(5)等において認定したとおりである。

b これに本件制定基準をあてはめると、亡東野の住居地及び亡左近の仕事場の各大気環境は、それぞれ指標となる「深日」より、多少海岸寄りに近づき、幾分換気性などがよくなり、その結果年平均pbO2値、ピーク性、二酸化窒素、浮遊粒子物質も多少は低減していたはずであるが、かといつて「深日」の大気環境へのあてはめの結果(同一8(四)(2)イ(ロ)a)と格段の差異があつたともみれない(同一7(二)(5))ので、未だ前記の閾濃度値を多少超えていたものと判断される、したがつて、亡東野の住居地及び亡左近の仕事場の各大気環境は同人らをして慢性気管支炎症状等を患わす可能性を有していたものと認められる。

他方原告古賀の住居地の大気環境は、測定点の中では右一8(四)(2)イ(ロ)aの「深日」に一番近いが相当海岸寄りになり前を川が流れるなどの立地も手伝つて換気性に恵まれ、年平均pbO2値やピーク性或は二酸化窒素及び浮遊粒子状物質の各濃度は「深日」に比べるとかなり低かつたことが窺われ(同一7(二)(5))、未だ前記慢性気管支炎症状等の閾濃度値に達していたものと認めることができない。

(ヘ) 原告伊木冨士子が住込み等して働いていた岬石油店の大気環境

a 原告伊木の住込勤務先であつた岬石油店の大気環境とその特性及び指標となるべき測定点については、先に前記一7(二)(6)等において認定したとおりである。

b  その住込先は深日地区内にある国道二六号線に接面した岬石油店の敷地内にあつたものと推測される(同一7(一)(6)、(二)(6))ので、その大気環境は、亡木戸宅ほどではないが、国道二六号線上の自動車の排ガスの居所的な影響をかなり受けており、この分が加算されるので平均濃度値としては「深日」のそれを下回わることはなかつたものと思われる(同一7(二)(6)参照)。したがつてこれに本件判定基準をあてはめると前記慢性気管支炎症状等の閾濃度値を超えていたものと認められる。

(ト) 原告谷口みゆきの③の住居地の大気環境

a 原告谷口の③の住居地の大気環境とその特性及び指標となるべき測定点については、先に前記一7(二)(7)等において認定したとおりである。

b  これに本件判定基準をあてはめると、その住居地の大気環境は、右一8(四)(2)イ(ロ)a及びbの「深日」と「岬公園」の中間「深日」寄りのあたりの状態にあるところ、「深日」とは距離的にも、地形的にも或は換気性の点でも相当条件が異なり、そのためpbO2値もピーク性も「深日」よりはかなり低くなつていたはずであり、国道二六号線からの影響もそこそこ離れているのでさほど大きくはないから、前記慢性気管支炎症状等の閾濃度値を超えていたものは認められない。

なお原告谷口は、〈証拠〉によつて認められるごとく、過敏な体質で昭和三〇年の中ごろから既に気管支喘息を患つていたところ、右の大気環境がその症状増悪の誘因となつた余地が考えられるが、仮にそうであつたとしても、慢性気管支炎症状のみならずそれ以下のレベルの肺の異常をも念頭においた前記の閾濃度値にさえ達していない程度の大気環境では、その原因行為につき違法性を問うことができないものと判断する(同一8(一)(1)及び後記第二、一8(五)参照)。

(チ) 亡安達克子の住居地並びに原告谷口みゆきの①の住居地及び②の職場の大気環境

a 亡安達の住居地並びに原告谷口の①の住居地及び②の職場の各大気環境とその特性及び指標となるべき測定点については、先に前記一7(二)(8)において認定したとおりである。

b  これに本件判定基準をあてはめるに、その住居地の大気環境濃度が前記慢性気管支炎症状等の閾濃度に達していたものとは到底認めがたい。

(リ) 原告伊木冨士子及び亡左近正國の各自宅(住居地)の大気環境濃度

a 原告伊木及び亡左近の各自宅の大気環境とその特性、その指標となるべき測定点については、先に前記一7(二)(7)において認定したとおりである。

b  これらに本件判定基準をあてはめると、その各住居地の大気環境は海岸近くにあつて換気性に豊み、右一8(四)(2)イ(ロ)bの「楠木」よりも更に良好であるから、前記慢性気管支炎症状等の閾濃度値を超えていたものとは到底認められない。

c(a)  亡左近は、前記一7(一)(5)に認定したとおり排出量最盛期において谷川西地区に住居地を置き、他方深日地区に仕事場を持つていたところ、その住居地の大気環境は前記のごとく換気性に豊み良好で、もとより前記の閾濃度値を超えてはいなかつたが、仕事場のそれの方は、先に8(四)(2)ハ(ホ)で触れたとおり慢性気管支炎症状等の閾濃度値を多少超えていた。そこで亡左近がさらされていた大気環境は主としてこれらの混合状態下(同一7(一)(5)の認定事実参照)にあつたと考えられる。つまり同人がさらされていた大気環境は、仕事場の大気環境が、休日夜間等に谷川西地区にいて清浄な分だけ改善されたと同様の状態、換言すれば、前記の閾濃度値を多少超えていたにすぎない仕事場の汚染を右の分だけ改良したと同一結果になる。

そうだとすると本件証拠の下では、未だ亡左近が居住していた右大気環境が前記のとおり慢性気管支炎症状ないしそれ以下の肺の異常をきたす閾濃度値を超えていたものと認めるには証拠不十分である。

(b) なお亡左近は、〈証拠〉によつて認められるごとく慢性気管支炎及び肺気腫に罹患死亡しているところ、右疾病の罹患(増悪)原因として大気汚染があげられているではないかとの批判があるかもしれない。

しかしながら

ⅰ 後述するごとく右慢性気管支炎等の罹患(増悪)原因には多種多様の因子があり、しかも同疾病はいわゆる非特異的疾患であつて臨床的に診てもその原因が大気環境によるものであるか否かを区別することができない(後記第二、二、三1(三)(1))。したがつて亡左近が右慢性気管支炎等を患つていたことをもつて、その原因が大気汚染によるものということはできない。

ⅱ 更に〈証拠〉を総合すれば、岬町深日地区等でpbO2値が上がりその大気環境に加害性が現われるにいたつたのは、第一火力の第三、第四号機が稼動を始め硫黄酸化物等の排出量が急増した昭和三八年一〇月ごろ以降であつたところ、(1)〈証拠〉中には、亡左近が咳く等の異常を示した時期は昭和三七年ごろであつたことを窺わせる部分があり、(ⅱ)他方原告左近正典の本人尋問の結果中には、その時期が昭和三八年暮れから昭和三九年初めごろであつた旨述べる部分があることが認められる。

したがつて、

(ⅰ)右(ⅰ)の〈証拠〉が正しいとすれば、亡左近は前記の大気環境悪化以前に罹患していたことになるから、被告の大気汚染行為と罹患とは関係がないことになるし、

(ⅱ)仮に右(ⅱ)の原告左近正國の本人尋問の結果の方が正しいとしても、後記第二、三2(二)(4)、3(二)(2)において述べるごとく亡左近の仕事場のあつた岬町ABC地区に大気汚染による慢性気管支炎症状の多発集団が発生し始めたとみるのが自然である時期(昭和四一年二月以降)に比べ、亡左近の発症時期は早きにすぎるのであつて、同人が生活していた前記大気環境の侵害力をも考え合わせると、大気汚染によつて右疾病に罹患したものと認めることはできない。

ⅲ 更に念のため、亡左近の職場における大気汚染によつて同人の患つていた慢性気管支炎等の病状が増悪したことはないかの点について案じてみても、〈証拠〉を総合すれば、亡左近は、一五才のころから、咳が出始めた後一、二年かけて四六才のとき禁煙するまでに及ぶ長期間にわたり喫煙をなし、発症時には一日二〇本弱を吸つていたので、そこそこのヘビースモーカーであり、これが原因で発病した可能性が強いことが窺われるが、亡左近の生活していた大気環境は前記一8(四)(2)ハ(リ)c(a)で述べたとおり全体としてみるとそう悪くないので、これが右疾病の増悪原因となり得たかは大いに疑問の存するところであり、万一、右大気環境が、これと無関係に既に発病していた右疾病に対し、定性的にみて増悪原因となつて働いていたと仮定しても、その加害性の具体的程度はごく僅かであり、前記の喫煙量及び大気環境からみると法的には無視し得る範囲に止まつていた(後記第二、六2(一)(2)ニ、特に別表〔C五三〕参照)可性能が強く疑われるところであり、増悪の点についての証明は未だ証拠不十分といわざるを得ない。

したがつていずれにしても前記の批判は失当である。

d 原告伊木については、結局岬石油店で住み込みで働いていた排出量最盛期中の昭和四三年四月ごろまでの四年半ほどの間においてのみ前記の閾濃度値を超える大気環境下で生活をし、慢性気管支炎症状等に罹患する可能性があつたことになり、その後谷川の自宅に帰えり、通いで同岬石油店に働くようになつてからは、同原告が居住していた大気環境を総合的に眺めると、亡左近と同様前記の閾濃度値を超えていたものとは認められず、罹患の可能性はない。

(ヌ) 原告谷口みゆきの④の住居及び亡中川美の③④の各住居地の大気環境

a 原告谷口及び亡中川が右住居地に居住したのは排出量最盛期を過ぎ、その大気環境が大巾に改善された後のことであり、その大気環境はもはや前記の閾濃度値を超えることが全くなくなつていた(同一8(四)(2)イ(ハ)c参照)。

b 原告谷口及び亡中川はその住居地及び職場を前記のとおり転じているが、そのいずれにあつても、その大気環境が前記の閾濃度値を超えていたことを認めることができない。

(五)  右一8(四)(2)ハの認定事実によれば、原告竹本美志、同辻下ユキ子、同古賀兵藏、同谷口みゆき及び亡安達克子、同左近正國、同中川美はその主張の疾病に罹患(増悪)していたとしても、その大気環境が原因であつたと認めることができない。

したがつて右患者原告ら及び亡安達、同左近、同中川らの各相続人らが求めている本件不法行為に基づく損害賠償請求中大気汚染に起因する部分は、その余の点について判断を示すまでもなく失当である。

9 被告の大阪湾岸周辺の火力発電所の不法行為、新日本工機らとの共同不法行為

(一) 原告らの、大気汚染物質排出行為等に関する主張の解釈とその位置付け

(1) 患者原告らは、イ一方では、被告は、第一火力及び大阪湾岸周辺の火力発電所から岬町における大気汚染濃度中の六〇パーセントを下ることがない大気汚染物質を排出し(請求原因第三、一8(三))、また新日本工機ら周辺の事業者らの大気汚染物質の排出とも共同不法行為の関係にある旨主張し、他方では、直接被告とは関係のない大阪湾岸方面や和歌山方面等から流入するいわゆる遠来のバックグラウンド濃度もあることを認めたうえ、ロこれらを合わせた岬町の大気環境濃度下で、患者原告高木廣一他四名が閉塞性肺疾患に始めて罹患したと述べ、その全損害の賠償を求めている。

(2) つまり、被告らの大気汚染行為と、他の排出源(バックグラウンド)による大気汚染行為とがある場合、この二つ以上の汚染行為は、観念のうえでは、①それらが別個独立の原因として併存的に存在し、各汚染行為部分に応じた被害を与え、そのうちのいずれかが欠けても他の汚染行為だけで被害の一部又は全部が生ずるケース(以下「併存的加害関係」という)と、②右各大気汚染行為が被害の発生に対し競合的に作用しその結果始めて被害(全体)を発生させ、そのうちのいずれか一つが欠けでも被害が発生しないケース(以下「競合的加害関係」という)にあたる場合などがあるが、これらの類型のいずれに属するかによつて、被告の負う責任の範囲が異なる余地のあるところ、原告らの右(1)の主張は、後者のそれを指しているものである。

換言すれば、原告らの右主張は、被告らの単独又は共同の大気汚染物質排出行為がいわゆるバックグラウンド濃度や患者原告ら側に存在する体質・喫煙等の原因と競合し、それによつて右患者原告らを始めて閉塞性肺疾患に罹患せしめた場合、(原告らは第一次的には体質・喫煙と疾患の関係を否定するが、予備的には競合原因の一つとしてあげているものと善解される)これを事実的因果関係の存否を決する「あれなければこれなし」(条件関係)の公式に照らすと、被告らの単独・共同不法行為がなければ患者原告らも右疾病を患わずに済んだ関係にあるので、両者の間の事実的因果関係が全面的に肯定されることになり、患者原告らにおいて受けた損害の全体について損害賠償を請求し得ることになるという法的効果を狙つたものである(もつとも、かかる場合にあつても、損害額の確定の際に、不法行為を支配する損害の公平な分担の趣旨に則り信義則上限定ないし分割責任の抗弁(以下「信義則に基づく限定責任の抗弁」又は「限定責任の抗弁」という)が認められるか否かは問題である。後記第二、一10(一)(1)ロ、六2(二)参照)。

(3) したがつて右の競合的加害関係による不法行為の成立を主張するためには、原告において、

イ 被告が自ら、ないしは新日本工機らの共同不法行為者と共に、大気汚染物質を排出し、

ロ 被告や右共同不法行為者の右排出行為が、いわゆる遠来のバックグラウンド濃度と競合し、

ハ その結果始めて患者原告らを罹患させるにいたつたことの各事実(故意過失・責任能力の存在等はもとよりのことである)を主張立証しなければならない。

(4) さて、右(3)イ及びロについては、既に前記一2ないし8(被告の一定条件下における大気汚染物質の排出行為、その到達、患者原告ら居住地の大気環境濃度全体の状況特性及びその侵害性)において述べてきたところであるが、更に以下の9(二)において第一火力を除く、大阪湾岸周辺等の被告火力発電所の大気汚染物質排出行為(前記(一)(3)イに該当)を、同(三)において新日本工機らの他の事業者らとの共同不法行為(同(一)(3)イに該当)をそれぞれ追加することとし、その後、後記第二、一10及び三5(二)(1)ないし(3)の各ニ中において、被告やその余の共同不法行為者からの大気汚染物質が競合して患者原告らに閉塞性肺疾患を患わせたものといえるか(同(一)(3)ハに該当)について検討することとする。

(二) 被告の大阪湾岸周辺所在の諸火力発電所の大気汚染物質排出行為について

(1) 原告らは、被告の第一火力からの大気汚染物質排出行為を不法行為として取り上げるほか、更に進んで、被告が大阪湾を取り巻く兵庫・大阪・和歌山の府県に数多くの火力発電所を配置し、ここで右各府県における燃料使用量の四〇パーセント以上のそれを消費し、それに応じた硫黄酸化物等を排出しており、これが岬町における遠来のバックグラウンド濃度と混合して患者原告らに健康被害を与えてきたとして、被告の右両排出分を合わせ、岬町における二酸化硫黄による大気汚染の約六〇パーセントに被告が寄与していると主張している。

(2) しかしながら

イ 原告らは右主張中において具体的な発電所の所在位置、排出量、大気汚染物質の流入過程など具体的な特定を一切なさず前記のとおりの大要の抽象的主張をなすのみであり、主張自体不適切の誹りを免れがたいが、その点はともかく、

ロ 証拠上でみると、被告の大阪湾岸周辺所在の多数の火力発電所の硫黄酸化物が患者原告高木廣一他四名の居住地における大気汚染にどの程度、どういう態様で到達していたのかの点が全く不明であり、とりわけ後記第二、一10(二)(2)で述べるとおり、それが一時間値0.1ppm超過時間中において到達していたのか、到達していたとしても意味ある程度の量であつたのかの立証が必要であるのにそれを欠いている。つまり、(イ)患者原告高木廣一他四名の居住地の第一火力の排煙が届くのは主として西寄りの風による場合であり、その場合において大阪湾岸周辺火力発電所排出の硫黄酸化物が届いていたのか(例えば、西寄りの疾風が長時間続く場合)、仮に届いていたとしても一時間値0.1ppm超過時間において届いていたのか、それが意味ある程度の量であつたのか、などの事情は本件全証拠によるも不明といわざるを得ず、(ロ)同患者原告らの居住地に第一火力の排煙が届かないその余の風向の場合にあつては、一時間値0.1ppm超過時間数がそう多かつたとは考えられず(前記別表〔C一三〕によつて、北寄りの風にあつては「淡輪」、「箱作」の五〇ppb超過時間数を、南寄りの風にあつては「孝子」、「東畑」の同時間数を各参照)、その時間における被告の大阪湾岸周辺火力発電所の寄与の有無、程度も未だ本件証拠によつて推認することができない。

したがつて、原告らの右主張は未だ証明不十分であり採用しがたい。

(三) 新日本工機らとの共同不法行為

原告らは訴訟の最終段階で提出した「認否書」中において仮に新日本工機や他の煙源による寄与が幾許かあるとしても、それらの煙源となつている事業者等は近接した地域において大気汚染物質を排出しながら操業立地していることを相互に認識しており、民法七一九条一項前段の共同不法行為者にあたるから、被告はそれらの排出分についても責任を負うべきである旨主張する。

(1) 新日本工機について

イ 新日本工機の関係については、先に前記一4(七)(4)(地元発生源)同一6(四)(4)(「深日」等におけるピーク型汚染)、同一7(二)(2)ないし(6)(患者原告らの居住地の環境濃度とその特性)、において詳細に認定したが、その概要は次のとおりである。

新日本工機は、岬町内にあつて第一火力に次ぐ規模を有する、月産約四、五〇〇トンの生産能力を持つ鋳物専門工場であり、その約一三万平方メーターある敷地は、第一火力の敷地と共に同町多奈川、深日地区の海岸寄りにあり隣接して東西方向に並んでいる。右敷地内には数棟の工場を有し、昭和三五年ごろから営業を開始していた。その消費燃料の詳細は一切不明であるが、各工場の天井(高さ約二〇メーター)付近の換気窓や右天井と殆ど高さの変らない煙突から相当量の硫黄酸化物等を排出しており、その黒煙中の硫黄酸化物等は、有効煙突高さが低いので、西寄りの風が吹く等の場合には、いわゆるバックグラウンド濃度や、第一火力の排煙と一緒になつて患者原告高木廣一他四名の住居地又は住込先に到達することがあり、同人らの居住地等の環境濃度を悪化し、またピーク型汚染を引き起こし、第一火力と共に高濃度領域での汚染の主要原因になつていた。なお新日本工機の右排出源と第一火力の低煙突四本とは僅か三〇〇メーターないし八〇〇メーターほどの間にあつてほぼ東西に隣接していた。

ロ 右各事実によれば、新日本工機もまた大気汚染物質排出による侵害行為をなしたものと判断されるところ、第一火力と新日本工機は、その各煙突等が、いずれも前記のとおり隣接した近距離にあつて共に黒煙を排出し、西寄りの風が吹く等の場合には、これらの東側にある患者原告高木他四名の居住地に硫黄酸化物等の大気汚染物質を重積混合して到達させたりしていたものであり、右排煙の排出関係については互に十分認識しあつていたはずであるから、右両者は硫黄酸化物等の排出行為につき関連共同性があつたことも明らかである。

してみれば被告は、第一火力排出の硫黄酸化物等のみならず新日本工機排出分のそれによつて加えた損害についても共同不法行為者としてその責任を負う(以下被告及び新日本工機を「被告ら」又は「第一火力ら」ということがある)。

(2) その余の煙源となつている事業者

イ 原告らは、共同不法行為者にあたるその余の排出源として、深日港に出入港するフェリー等の船舶・深日地区にある商店・事務所・府道岬加太線を通行する自動車をあげるようであり、更に国道二六号線を走行する自動車や深日地区にある瓦焼き窯をも加えるのかもしれない。

ロ しかしながら右主張中の、(イ)船舶や自動車とは、その所有者ないし運行者を指すのか、それとも施設の設置・管理者をいうのか、或はそれらの運行の取締権限者をいうのか、それらが具体的には誰なのかについて、原告らは具体的な主張をなさず、(ロ)深日地区における商店・事務所・瓦焼き窯についても、その排出源の特定や、それらの排出源の出した大気汚染物質が患者原告らを患わすに足る高濃度域でそれぞれ意味ある程度に到達していたのかの点についてその具体的特定を欠いている。

ところでかかる具体的特定を欠く主張のままでは、共同不法行為の成否に必要な各行為の主体、因果関係、違法性の存否を判断をすることができないので、失当という他はない。したがつて原告の右主張部分は未だ採用の限りでない。

10 第一火力らの大気汚染に対する寄与割合について

(一) はじめに

(1) 寄与割合の検討の必要性

第一火力らの寄与割合を検討するのは、次の二点の判断のためである。すなわち、

イ 原告らは本件不法行為が競合的加害関係にあたるケースである旨主張しており、その場合にあつては、被告第一火力らの大気汚染物質排出行為がなければ患者原告らが発病しなかつたことが要件事実となる(前記一9(一)(3)ハ参照)。右の点の検討については、患者原告らの発病の原因力となる、第一火力らの大気汚染物質持込量、その余の排出源から届いた大気汚染物質量(いわゆるバックグラウンド濃度)及び素因との関係において、第一火力らの排出行為の占める原因力の大きさを知ることが重要である。そこでその資料を得るため、患者原告ら居住地における大気汚染濃度中に第一火力及び新日本工機の寄与分が占める割合を知る必要がある。

ロ 他方、原告らの主張の競合的加害関係が認められた場合、被告は信義則に基づく限定責任の仮定抗弁を主張しているものと解されるところ、その抗弁を裏付けるため第一火力らが患者原告らの発病について僅かな寄与しかしていなかつたことなどを要する(後記第二、六2(二)(2)ハ)が、これを裏付けるために患者原告らの居住地における大気環境濃度中において第一火力らの占める寄与割合(これは右の限定責任の抗弁を検討するにつき、その考慮事由の限界を画することになる)を知る必要がある。

(2) そこで、ここでは、右イの判断を後記第二、三5(患者原告らの罹患)で、右ロの判断を同第二、六2(二)(信義則に基づく限定責任の抗弁)でそれぞれ行うに先立ち、説明の便宜のためこの場所を使つて、被告第一火力らの寄与割合を検討することとする。つまり、

まず以下の(二)では岬町の測定点での大気汚染(最終目的は「深日」での排出量最盛期のそれ)につき、被告の第一火力が共同不法行為者の新日本工機と共にいかなる割合の寄与をしていたかについて判断することとし、そのうち同(二)(2)ではAPメーター値の0.1ppm超過域において検討を加え、同(二)(3)では年平均APメーター値において、同(二)(4)ではpbO2値において、それぞれその検討が困難であることについて触れ、同(二)(5)では「深日」における排出量最盛期における寄与割合に及び、次の(三)では、右(二)の検討に基づき、本題たる患者原告高木廣一他四名の居住地の大気汚染につき第一火力らがいかなる割合の寄与をしていたかについて判断を及ぼすこととする。

(二) 岬町の測定点でみた大気汚染に対する被告の第一火力らの寄与割合

(1)イ 被告第一火力ら共同不法行為者が、患者原告ら居住地周辺の右測定点における大気汚染について寄与した割合を検討するについては、もとより右測定点での実測値によつて行うことが一番望ましい。ところで岬町での実測値としては前記一3(二)(1)で述べたごとく、二酸化鉛法による二酸化硫黄濃度値、溶液導電率法による二酸化硫黄濃度値、吸光光度法による窒素酸化物濃度値及びデポジットゲージ法による降下煤塵量があるところ右実測値中、降下煤塵は、排出量最盛期において測定されていたものの、これによつて大気汚染物質中における第一火力らの寄与割合をみるには指標性に欠け相応しくないし(同一3(三)(1)二ロ)、また窒素酸化物濃度値は、測定開始時期が第一火力の高煙突化後の昭和四八年六月以降であり、しかも測定地点数も当時は僅か二か所しかなく(同一3(二)(1)ロ、ニ)、寄与割合解析に使うには不十分である。更に二酸化鉛法による二酸化硫黄濃度値は、これがいわゆる排出量最盛期において測定されていた唯一の比較的広範囲な地区にわたる実測値であり、かつ、患者原告らの居住地とも比較的近くそこへの結び付けに至便であり、更には閾濃度値としてもこれを基準に用いてきたのであるから、これを寄与割合の検討にあつても使用したいところであるが、pbO2値は測定期間が一か月に一度しか計測されないものであり、したがつてまた風向風速との対応関係も把握することが不可能なため、これまた第一火力の寄与割合の解析に用いることが著しく困難であり、かつ妥当な結果を得にくい(この点について後記第二、一10(二)(4)でもう一度触れる)。そこで結局、溶液導電率法による二酸化硫黄濃度値(昭和四六年以降の実測値)を用いて、不十分ながら一応数字上の参考値を出し、諸般の事情と総合してこれを推論するのが一番妥当な手法であるものと考えられる。

ロ ところで同一4(六)(地図解析)同一4(ハ)(1)イ(ハ)a(被告社員が行つた甲第二一五号証の解析)及び同一4(四)(2)イ(ハ)(大阪府が行つた「拡散式による大気汚染解析」)によれば、本件において提出されている第一火力又は第一火力方向の全煙源の寄与割合を示す資料としては、(イ)実測APメーター値を用いたものに原告らの行つた地図解析及び被告社員の行つた前記甲第二一五号証の表1による解析、(ロ)拡散計算による予測値を用いたものに大阪府の行つた「拡散式による大気汚染の解析」(乙C第一一号証)がある。そこで以下の(2)及び(3)において、これらについて判断することとする。

(2) APメーター値(時間別データ地図)を利用した、一時間値0.1ppm超過域における第一火力らの寄与割合

イ(イ) 閉塞性肺疾患等への罹患、症状増悪等の健康被害の見地から二酸化硫黄の大気環境濃度を表わすAPメーター値をみる場合、例えばそれが一〇ppbや二〇ppbの値では、人体に全く無影響であるが、人体に備わる正常な調整機能の働き(多分代償作用の働く余地はあるまい)によつて処理されてしまう(同一8(一)(2)参照)ので、仮にその総てが第一火力の寄与によるものであつたとしても、右の健康被害への寄与があり得ない(少なくともそれをもつて違法性を問い得ない)ことは前記一8(閾濃度値)の諸事実から明らかである。そこで健康被害との係り合いの中においてその寄与割合を探るには、先に右同所及び同一6(一)(2)(ピーク型汚染)で述べたごとく、二酸化硫黄の環境基準である一時間一〇〇ppb以上又は日平均値四〇ppb以上を基準においてそれを超える濃度がどのくらいの割合ででたか、その余のピーク型汚染の度合(同一6(一)(2)のピーク型判断要因参照)はどの程度であつたか、それらの中で被告の第一火力らの寄与している割合がどの程度あつたかという形で検討を加えるのが、現在の科学的知見及び本件諸データの下では一番妥当かつ公平な望ましい方法であろう。

換言すれば大気汚染が右の健康被害を与えるものであつたか否かその程度如何については、同一8(慢性気管支炎症状の閾濃度値)で触れたとおりpbO2値の年平均一mg/day(又は、それを換算した年平均APメーター値三二ないし三五ppb)を基本にして、これにピーク型等の差異による修正を加えた物差しによつて判断を加えるしか方法がなく(APメーター値自体を物差しとすることは本件証拠の下では未だ不可能である)、その結果大気環境濃度が健康被害を与えるものであること及びその程度が認定されると、次にそれに対する第一火力らの寄与の割合の検討が必要となるが、それについては、今度はpbO2値によつて検討することが殆ど不可能に近いので、逆にAPメーター値を用いその環境基準超過域における第一火力らの寄与割合を参考値として出し、これにその余の諸般の事情を総合して適切な寄与割合を総合判断するのが一番合理的かつ公平であり、また現在の科学的知見及び判断材料の下ではそうせざるを得ないのである。

(ロ) ところで右環境基準超過率のうち、日平均四〇ppb超過率は、昭和四五年一〇月から昭和四六年九月までの一年間の岬町三測定点についてさえ計算が煩わしく、まして、pbO2値測定点への換算或は排出量最盛期への換算を考えると一層しかりである。

そこでここでは便宜同期間内の岬町内測定点についての一時間一〇〇ppb及び五〇ppb及び六〇ppb(同一5(三)(4)ロ(イ)6参照)各超過頻度と、そこにおける第一火力らの寄与割合を探り、それを排出量最盛期の時点まで引き移し、更にそれらを基本にして、患者原告ら居住地近くのpbO2値測定点「深日」におけるそれのおおよそを推測することとする。

ロ 昭和四五年一〇月から昭和四六年九月までの間の「東畑」、「孝子」及び「淡輪」における寄与割合

(イ) 当裁判所は、先に同一4(六)(3)(地図解析)で述べたとおり、時間別データ地図(甲第一七一号証等)を利用して、五〇ppbを超過する部分につき、塚谷らが付したマークに対し検討を加えた。その結果右マーク付けは相当程度それなりに妥当であると判断したが、相当でないものもあり、更に安全を見込んでマークをはずす必要を認めたものも少なからずあつた。かくして残つたオレンジマークは前記別図〔C三八〕の「修正マーク値付き時間別データ地図」のとおりあれこれを集計すると前記別表〔C一六〕の「修正寄与時間率表」のとおりであつた。

(ロ) 更にここでは、

a 右別図〔C三八〕の「修正マーク付き時間別データ地図」の作成過程において新日本工機の影響のみによる可能性が大きいとしてオレンジマークをはずし、グリーンマークに付け替えた分をも戻すこととして、これにより前記別表〔C一六〕同様の寄与時間率表を作ると別表〔C四五〕の「修正両寄与時間率表」のとおりである。右のグリーンマーク分を加えた理由は、「東畑」等における第一火力の寄与率を探る目的が患者原告高木廣一他四名の罹患等に対する寄与率を見るについて重要な資料となる「深日」の大気汚染におけるそれを探るためであるところ、「深日」は、共同不法行為者の関係にある第一火力及び新日本工機(同一9(一)(1))からいずれも東方にあり両者からの排煙を重合した形でかぶることになるため(同一4(六)(3)イ(ホ)参照)である。

b 右表〔C四五〕によれば、「孝子」、「東畑」、「淡輪」においては、一〇〇ppb超過時間数でみると、三測定点共総測定時間数中に修正両寄与時間数の占める割合は僅少である。

(ハ) 次に、

a 被告の第一火力と新日本工機の実寄与濃度割合を見る資料の一つとするために、オレンジマーク値とグリーンマーク値について、原告らが行つた原告らの別表〔A二八〕の「積算実寄与濃度率表」の手法を習い、第一火力と新日本工機が「東畑」(「孝子」)に対し影響を与えた実寄与濃度を推測すると別表〔C四六〕の「修正積算実寄与濃度率表」のとおりである。

b 但し右においては、原告らの別表〔A二八〕と異なり、バックグラウンド濃度値として、「東畑」(「孝子」)につき、「淡輪」「箱作」のいずれか高い方の値に更にその二割(但しそれが一〇ppb以下のときは一〇ppbとする)を加算した値をそれとみなして差し引くこととした(同一4(六)(3)ロ(ロ)a、b(b))。

c 右別表〔C四六〕によれば、岬町三測定点ではいずれも一〇〇ppb超過積算濃度でさえ総積算濃度中のごく一部しか占めず、したがつて修正積算実寄与濃度は更に少なく問題とする余地がない。

d なお右別表〔C四五〕及び同〔C四六〕の各計算値については、少なくとも次の点の注意を要する。

(a) 注目地点の実測値が高すぎる場合(同一4(六)(3)ロ(ロ)b(a)参照)にも、或はバックグラウンド値の実測値が高すぎたり低すぎたりしている場合(同一4(六)(3)ロ(ロ)b(b)参照)にもいずれも一切考慮せず、所与の数値をそのまま用いている。

(b) 「孝子」には国道二六号線を走行するディーゼルエンジン自動車の排ガスがあり、特におおよそ北北東から南南西に走る孝子谷沿いに弱風が吹いたとき「孝子」への影響力がでやすい(同一4(七)(3))。そこで第一火力等の寄与割合を求めるについては、共同不法行為にならない(同一9(一)(2))この分を差し引かなければならないが、その配慮をしていない。その訳は本件各証拠の下でそれを予測することが困難であるし、むしろ各患者原告らごとにその受けた影響の度合が著しく異なるのでそこで総合的に判断する方が妥当であると考えたからである。もつともこの際付言するに、「孝子」における国道二六号線上のディーゼルエンジン自動車の影響力は、同一4(五)(pbO2値の長期間平均値の分布状況)、同一4(六)(地図解析)及び同一4(七)(3)(自動車の寄与程度)の諸事実に照らし、それほどのものとは考えられない。なおあくまで一応の参考にしかすぎないが、以下においてそれに関する一つの推定を行う。すなわち、

ⅰ 同一4(七)(3)イの(イ)ないし(ニ)(国道二六号線上の自動車の影響力)の各事実のほか、〈証拠〉を総合すれば次の(ⅰ)ないし(ⅲ)の各事実が認められ、その他に右認定を左右するに足る証拠はない。

(ⅰ) 国道二六号線を通過する貨物自動車(ディーゼルエンジン自動車の大部分が含まれる)の量は昭和四〇年度ごろから昭和四六年度ごろの間においてそれほど差異はない。

(ⅱ) 天気図分類のH型の日は海陸風が吹き、一般には終日弱風のときが多く、かつ昼間(特に午后二時ごろまで)には北寄りの風の海風(弱風)が孝子谷の中にも吹き自動車の排ガスを谷沿いに流しやすいため、「孝子」への排ガスの影響力が出やすいときである。また南寄りの微風が吹く、大気が一番清澄な夜中や明け方においても、車の排ガスの影響力は「孝子」に現われやすいはずである。

(ⅲ) H型の日が判明し、かつ塚谷が地図解析でマークをつけている期間である昭和四六年四月から同年一二月まで九か月間において、時間別データ地図からデータを拾つて被告の別図〔B六〇〕等(乙C第五〇号証の一ないし三)と同一形式のグラフを作り、参考までに、塚谷らがマークを付けた時間の実寄与濃度分を差し引いた線をも図示したものが、別図〔C六六〕の「天気図分類別環境濃度」の①である。同図によれば、「孝子」の測定値は、いわゆる下駄を履くことがないと一般的にはいわれているK社製のAPメーターを使用しているのに、他の三測定点に比べベースが高い傾向にあることがわかり、その高目の傾向(約数ppbとみておけば少なすぎることはない)を自動車の排ガスによるものと考えても不自然ではない。右のおおよその傾向は、OW型、OLS型を通じてみられるものである(右別図〔C六六〕の②③参照)。

ⅱ 以上の諸事実を総合すれば、ディーゼルエンジン自動車からの二酸化硫黄が「孝子」に与える影響力は寄与濃度全時間分を平均すればせいぜい前記ⅰ(ⅲ)に示した数ppbを超えることがない程度のものであつた可能性が窺われるのである(同一4(七)(3)ロ(イ)b参照)

(ニ) 既に各所で述べてきたところから明らかなごとく、岬町内の地元発生源としては第一火力及び新日本工機の一方又は双方が「東畑」及び「孝子」に対し影響を与えていたことが否定しがたく、それは少数大発生源による影響であるから当然「東畑」及び「孝子」のピーク型判断要因に対しても寄与していることが予測される。

ハ 排出量最盛期における寄与割合

(イ) 「東畑」、「孝子」及び「淡輪」について

排出量最盛期における二酸化硫黄濃度値は右一10(二)(2)ロの昭和四五年一〇月以降の一年間より高かつたが(前記別表〔C三〇〕参照)、他方逆にAPメーター値が一〇ppbほど足らず高目に出ていた(同一5(三)(2)ロ(ロ)参照)ので、これらの点を総合して考慮すると、排出量最盛期における第一火力及び新日本工機の寄与割合はおおよそ、右一10(二)(2)ロの昭和四五年一〇月以降の一年間のそれとして述べたところに多少の巾を持つてみておればよいものと考えられる(同一5(三)(3)イ(ロ)参照)。

(ロ) ppO2値測定点「深日」について

a ここでも、前記一10(二)(2)ハ(イ)の「東畑」(「孝子」)において述べた前記別表〔C四五〕の「修正両寄与時間率表」の①(②)及び同表〔C四五〕の「修正積算実寄与濃度率表」の①(②)を基本にし、これを同一5(三)(3)ロ(ロ)(「深日」における排出量最盛期の0.1ppm超過率計算手法)の「深日」について述べたと同一の手法により別表〔C三一〕中のの(の)欄記載の倍率をかけ「深日」における0.1ppm超過濃度が右別表〔C四五〕及び同〔C四六〕のどの基準濃度に該当するかをみて、その基準濃度における超過寄与時間数・基準濃度超過時間別寄与時間率及び基準濃度における超過積算実寄与濃度数・基準濃度超過積算濃度別積算実寄与濃度率等を拾い出し、一応の第一火力の数字上の寄与割合の試算値を探ることができる(同一5(三)(3)ロ、(4)参照)。

b それによれば、まず「深日」の排出量最盛期における一〇〇ppbに該当する基準濃度ランクは前記別表〔C四五〕及び同〔C四六〕の「東畑」(「孝子」)の六〇ppb及び五〇ppbがおおよそそれに該当することがわかる(同一5(三)(4)ロ(イ)bの表参照)。そこでこれを(a)前記別表〔C四五〕の「修正両寄与時間率表」でみるに、第一火力及び新日本工機の寄与時間数である六〇ppb及び五〇ppb超過修正両マーク時間数は、総測定時間数中におおよそ四(三)パーセントを、六〇ppb及び五〇ppb超過全時間数中におおよそ七〇(五五)パーセントをそれぞれ占めており、(b)右別表〔C四六〕の「修正積算実寄与濃度率表」でみるに、同六〇ppb及び五〇ppb超過修正両マーク値の積算実寄与濃度は、総積算濃度中におおよそ七パーセントを、六〇ppb及び五〇ppb超過全積算濃度中におおよそ三〇パーセントをそれぞれ占めていることがわかる。

別表  〔C四五〕

別表  〔C四六〕

測定点

参考基準濃度

総時間数中に基準濃

度超過寄与時間数が

占める割合(%)

基準濃度超過全時

間数中に同超過寄

与時間数が占める

割合(%)

総積算濃度中に基

準濃度超過積算実

寄与濃度が占める

割合(%)

基準濃度超過全積

算濃度中に同超過

積算実寄与濃度が

占める割合(%)

東畑

五〇~六〇

四 前後

七〇 前後

七 前後

三〇 前後

孝子

五〇~六〇

三 前後

五五 前後

七 前後

三〇 前後

(注) 各別表欄の、上段は第一火力排出二酸化硫黄の加害力(後記三5(二)(1)ないし(3)の各二(ロ)参照)に関する、下段は第一火力排出二酸化硫黄の寄与割合に関する、各参考値である。

c 右試算値の評価

右の試算値には前記一5(三)(4)イ(排出量最盛期の「深日」における0.1ppm超過頻度の評価)で述べた問題があるほか、更に実寄与濃度の算出につきバックグラウンド濃度を差し引く点でも問題を残し(同一4(六)(3)ロ(ロ))ており、右の試算値はあくまで計算上のものにすぎず、その余の諸要因と総合して寄与割合を決める一資料に止まるものである。

(3) APメーター値を使つた寄与割合の分析に関するその余の資料とその批判

イ 本件訴訟に現われた資料中には、年間のAPメーター値を使い、寄与割合につき次のとおり結果を示すものがある。

(イ) 前記地図解析(一4(六)(2)イ、ロ)によれば、塚谷らがマークを付けた「東畑」、「孝子」における一時間値の積算実寄与濃度率は、原告らの別表〔A二八〕の「積算実寄与濃度率表」に示すとおり、「東畑」において21.9パーセント、「孝子」において17.3パーセントである。

(ロ) 前記甲第二一五号証(表1、前記別表〔C二〇〕)によれば、被告の社員は、「発電所方向にある全煙源の影響度は……「孝子」と「東畑」においては二割ないし三割、「淡輪」、「箱作」等においては一割程度になつており」「したがつて発電所排煙の影響はこれ以下と予想され」る旨指摘している(同一4(ハ)(1)イ(ハ)a)。

(ハ) 前記「拡散式による大気汚染解析」によれば、大阪府は、「昭和四五年度現在では岬町に対する汚染の影響度はSO2濃度0.015〜0.03ppmのうち、地元発生源三五パーセントと推定」している(同一4(四)(2)、なお窒素酸化物についても、昭和四五年度につき、「岬町では、多奈川第一発電所が石炭混焼、七六メーター単独煙突であつたために、年平均0.035ppmそのうち発電所の影響は0.010ppm程度と推定」している)。

ロ しかしながら、

(イ)a 右地図解析については、既に前記一4(六)の各所に指摘したとおりの問題点があるほか、更に原告らは、前記原告らの別表〔A二八〕の実寄与濃度についても、そのバックグラウンド濃度値として原告らのマーク外三測定点の最低値をあてて、これをマーク値から差し引いて算出しているが、それではバックグラウンド濃度値を低目にみてしまう結果となるので、その数値を採用しがたいし、

b 右甲第二一五号証表1による解析については、既に前記一4(ハ)(1)イ(ロ)、(ハ)aで述べたごとく、風向とそれに対応するAPメーター値のみを用いたすこぶる大まかな解析であり(なお同解析は、「東畑」につき、北北東寄りの風向を全部除いて北と北北西の二風向のみを影響風向としているので、第一火力からの寄与分はともかく、共同不法行為者たる新日本工機の寄与分を除外してしまつていることになり、その点からも、ここでの寄与割合の検討としては妥当性を欠く)その数値を直ちに採用することはできないし、

c また「拡散式による大気汚染解析」については、〈証拠〉を総合すれば、右計算値と実測値の対応関係がよくない(窒素酸化物については計算値と実測値の対応関係さえ検討されていない)ので右計算値に基づいて試算した前記の寄与割合もそれ相応の不安定さを伴つている、などの各別の問題がある。

(ロ) 更に飜つて案ずると、そもそも右解析による寄与割合の解析自体の価値にも問題がある。すなわち、これらの三つの解析はいずれも単純に年全積算濃度ないしそれに準ずるものの中に占める、第一火力方向にある全煙源ないし第一火力の各影響度を示すものであり、健康被害との係り合いの中でみれば、前記一10(二)(2)の環境基準超過領域における寄与割合をみる方法に比べ、それ以下の濃度における寄与分をも取り込んでしまうだけにその寄与割合が大まかなものしか示さないことになる(後記第二、一10(二)(3)ロ参照)。しかも本件「東畑」「深日」らの場合のように第一火力の排煙が届いたときに寄与割合の大きい高濃度領域での汚染を引き起こすピーク型のケースにあつては(同一4(六)(3)ハの地図解析の結果参照)、平均化すると第一火力らの寄与していない低濃度域の多数時間のそれに打ち消されてその寄与割合が低目に出てしまうおそれがあり、「後記第二、一10(二)(4)イ参照)、この点でもその解析結果は妥当でない。

(ハ) 更に致命的なことは、ここでいう第一火力らの寄与割合は、患者原告らの居住地に近い「深日」の排出量最盛期のそれを探ることを目的とするのに、これらの三つの解析中、地図解析及び甲第二一五号証の解析では、いずれも「深日」のそれへ結び付ける手法を説明しておらず、「拡散式による大気汚染の解析」においても岬町一般について述べるに止まり、岬町のような各地点における個性が強いところでの寄与割合としては不十分のそしりを免れがたい。

(ニ) 以上の(イ)ないし(ハ)の批判を総合すれば、前記一10(二)(3)イ(ロ)の甲第二一五号証の寄与解析は失当というほかなく、同(3)イ(イ)の地図解析の結果も最低限そこで示した寄与割合以下になることがない(同一10(二)(3)ロ(ニ)、なお同一10(二)(3)ロ(イ)a参照)という程度の意味しか持ち得ず、同(3)イ(ハ)の「拡散式による大気汚染の解析」による結論がごく大まかな意味で参考にし得るという程度の評価しかできない。

(4) pbO2値を利用した第一火力らの寄与割合の検討

pbO2値を用いて第一火力らの寄与割合を探ることが著しく困難であり妥当な結果を得にくいことについては先に述べた(同一10(二)(1)イ)。ここでは、これをもう少し詳しく述べる。

イ まずpbO2値は、健康被害との係り合いにおける寄与割合を探るには、その測定が一か月単位で行われるため、必ずしも相応しくない。すなわち、

同一10(二)(2)イ(寄与割合をみるについて基準となる濃度)において述べたとおり、ここでいう寄与割合は健康被害との係り合いの中でのそれをいうのであるから、例えば「深日」「東畑」らのようなピーク型の汚染がみられる測定点では一定の短時間内での一定の濃度域以上の領域でみることが望ましく(現在の科学的知見の下では、既述のとおり環境基準超過濃度領域での第一火力らの寄与割合をみる方法が考えられる)pbO2値のように一か月という長時間の単位の中でこれをみると、仮に一か月間の積算濃度中に占める第一火力らの積算濃度割合が判明するとしても、第一火力らの寄与割合が健康被害を及ぼす高濃度領域では高いのに、これが第一火力らの寄与の小さい低濃度領域での積算濃度に打ち消されてしまうため健康被害との係り合いの中での寄与割合を低いものとしてしか取り上げられなくなつてしまう場合もあるという欠陥を有するからである。

いまこれの例を昭和四五年一〇月の「東畑(pbO2)」のpbO2値で説明する。すなわち右の「東畑(pbO2)」のpbO2値がAPメーター測定点「東畑」のそれと同じ大気環境を、同じ濃度として測定していた――現実にはそういうことはあり得ないが――と仮定すると右pbO2値の内訳は前記原告らの別表〔A二八〕の①の昭和四五年一〇月分のそれに近似することになるはずである。そうだとすると環境基準一〇〇ppb超過濃度域においては、一、二六五ppb中第一火力の寄与した積算実寄与濃度は、仮に説明の便宜のため右原告らの別図〔A二八〕の①の塚谷からの主張するそれを使うと九四五ppbであり七五パーセントを占めている(前記別表〔C四六〕の①の修正積算実寄与濃度においても七四九ppbであり五九パーセントを占めている)のに、pbO2値でみると、一万八、四七七ppb中塚谷らの主張では四、六四三ppbしか把えることができないので二五パーセントしか寄与していなかつた(前記別表〔C四六〕の①でも低濃度域になるに従い被告の寄与率が下がる傾向は変らないし、それは岬町における第一火力の排煙の前記寄与の形態からみて当然推定されるところである)ことになつてしまうのである(同一10(二)(3)ロ(ロ)参照)

ロ 次に仮に右の点を不問に付するとしても、pbO2値中に占める第一火力らの算数的寄与割合を把握することが困難である。つまり、

同一10(二)(1)イ(測定点でみた被告らの寄与割合)に述べたとおり、pbO2値は一か月単位でしか測定されず風向風速との対応関係が把握しにくいので、排煙の流れをみて、被告第一火力の排煙の寄与率を探ることが困難である。

では風向等を考えず、特定の測定点におけるpbO2値中に占める被告第一火力の排煙の寄与割合を探ることができるかであるが、それを知るには、差し引くべきバックグラウンド濃度(第一火力及び新日本工機各排出分以外の二酸化硫黄濃度)を知ることが必要である。しかしながら、かかるバックグラウンド濃度となるpbO2値測定点をみつけることが著しく困難である(例えばpbO2測定点「多奈川発電所」は、検証の結果(第三回)によればその測定地点の高さが地上約一五メーターで、かつ七六メーターの本件低煙突の近傍にあたるため、仮に第一火力の低煙突からの排煙の影響を受けていないとしても、第一火力と共同不法行為の関係にある新日本工機の排煙を近くにあつて受けることになるので、右の意味でのバックグラウンド濃度を示すpbO2値測定点とはいえない)から、これによつて寄与割合を把握することも同様著しく困難であり、敢えていずれかの測定点のpbO2値を「深日」のバックグラウンド濃度値とみなしても不安定な結果しか得られない。したがつてpbO2値を利用して第一火力らの寄与割合を分析することはごく大まかな傍証ならばともかく、それ以上のものを期待することはできない。

(5) 結論――「深日」の排出量最盛期における寄与割合の概略

患者原告高木廣一他四名の居住地における大気汚染中に占める被告第一火力らの割合を探るについては、それらに近い「深日」における排出量最盛期のデータを知りたいところであるが、それらの手掛りとなる具体的数値としては、前記一10(二)(2)ないし(4)で述べたごとく、すこぐる不安定なものながら同一10(二)(2)ハ(ロ)の「深日」の排出量最盛期の0.1ppb超過領域における試算値(特に別表〔C四六〕の①(「東畑」)の六〇ppb及び五〇ppb超過全積算濃度中に同超過積算実寄与濃度が占める割合である三〇パーセント前後)があるぐらいであり、更に敢えて探せば、同一10(二)(3)イ(ハ)の「拡散式による大気汚染解析」中で、昭和四五年現在の岬町における二酸化硫黄の長期間(年)平均値の中で地元発生源が約三五パーセントを占める旨述べるところをごく大まかなところで参考にし得る程度である。

そこでここでも同一6(四)(4)イで「深日」の排出量最盛期におけるピーク性を探つたときと同様、被告第一火力らの基準濃度別寄与割合が比較的よく判明している「東畑」(「孝子」)の大気汚染を中心におき、「東畑」らと「深日」との間における年平均濃度の比較(同一3(二)(1)二及び一5(二)(1)、(三)(2))や、第一火力からの二酸化硫黄の排出条件、第一火力からこれらの各測定点へ向う方向、距離、地形、気象条件等の拡散諸条件の各差異(同一4(二))、風洞実験結果(同一4(四)(3))、地図解析結果(同一4(六))及び新日本工機、道路上のディーゼルエンジン自動車、深日港の船舶等の地元発生源の規模や寄与の有無程度及びその差異(同一4(七))等の諸事実を綜合して、右「深日」における大気汚染の程度、態様、原因の概略をみ、特にそれらによつて浮かび上がつた同一6(四)(4)イの「深日」におけるピーク性の状況及び高濃度域及びピーク性に第一火力らが相当寄与しているであろうとの推論を重視し、これらの事情に前記の試算値等をも加味し、更に特段に大気汚染が問題とならない地域においても自動車や燃料の使用により低いながら或る程度の大気汚染物質が存在するのであるから、一般的にみて許容の範囲にあると思われるそれらの分を除いた残余の大気汚染濃度中で被告第一火力らの寄与割合を探るのが相当と考えて、この点をも考慮に入れたうえ、第一火力及び新日本工機が「深日」の排出量最盛期における大気汚染に寄与した割合を案ずると、それは四〇パーセント足らずであつたものと判断される。

(3) 患者原告らの居住地でみた、排出量最盛期における大気汚染についての被告第一火力ら共同不法行為者の寄与割合

(1) 患者原告高木廣一、亡東野美代子及び同三橋シマコ

右患者原告らの居住地は「深日」に近く、同測定点における排出量最盛期の大気環境濃度中に第一火力や新日本工機の排出分が占めた寄与割合(主としてAPメーター0.1ppm超過域におけるそれ)は四〇パーセント前後であつたし(同一10(二)(5))、その他に「東畑」・「孝子」における同様の寄与割合も判明している(同一10(二)(2)ロ)ので、これら、とりわけ「深日」の大気環境及びそれに対する第一火力らの寄与の構造等を中心に据え、それと右患者原告らの居住地の大気環境とその特性の差異(同一7(二)(2)、(4)(5))、第一火力らの排煙の拡散到達の条件の差異(同一4(二)参照)、現地拡散実験、風洞実験、拡散数値実験の結果(同一4(四))、国道二六号線の自動車、深日港の船舶等の地元発生源の影響力の差異(同一4(七)(2)ないし(4)参照)等の諸事実を綜合して判断すると、右患者原告ら三名の居住地での被告第一火力らの排出量最盛期における寄与割合は、「深日」のそれとほぼ同じであつたものと考えられるので、同様四〇パーセント足らずであつたものと判断する。

(2) 亡木戸コナミ及び患者原告伊木冨士子

右(1)で述べた諸事実のほかに、右両名(とりわけ亡木戸コナミ)は国道二六号線の近くに居住又は住み込んでいたので、同国道二六号線を走行する自動車の排ガスによる局所的影響力を強く受けている。そこで「国道二六号」の濃度中に混入しているディーゼルエンジン自動車の排ガス分(同一4(五)(1)ハ(ロ)及び同一4(七)(3)参照)を「深日」の濃度に加算した濃度あたりが、同国道との接面性が強い亡木戸コナミの居住地の大気環境であり、それを弱めたあたりが患者原告伊木冨士子の住み込み先の大気環境であつた(同一7(一)(6)、(二)(3)(6))。その結果、その中に占める第一火力らの寄与割合は低減し、亡木戸コナミの居住地で二五パーセント前後、患者原告伊木冨士子のそれで三五パーセント前後であつたものと判断する。

二  患者原告高木廣一、同伊木冨士子及び亡三橋シマコ、同木戸コナミ、同東野美代子の疾病

患者原告高木他四名が、公害健康被害補償法施行令によつて大気汚染関係の疾病であるとされている(この点については当事者間に争いがない)慢性気管支炎、気管支喘息及び肺気腫のいわゆる閉塞性肺疾患に罹患している又は罹患していたことは、〈証拠〉によつて明らかである。そこで、以下の1において、まずこれらの閉塞性肺疾患にあたる三疾患の定義、病状、特色の一般等につき総括的に認定し(なお、この際便宜同疾病に関し次の三以下の因果関係を探るに必要な事実を付加して認定する)、次に2以下において患者原告高木他四名の各具体的罹患状況等につき認定する。

次の1及び2の各事実中、1(一)ないし(三)のうちの各疾病の定義及び症状の一般論、肺気腫と気管支喘息とは直接の関係がないこと、並びに、2の(一)(二)及び(四)のうちの亡三橋シマコ、同木戸コナミ及び同東野美代子が死亡したことは、いずれも当事者間に争いがなく、その余は〈証拠〉を総合すればこれを認めることができ、甲第一〇六号証の記載中右認定に反する部分はにわかに措信しがたく、その他に右認定を左右するに足る証拠はない。

1 閉塞性肺疾患一般

(一)慢性気管支炎

(1) 慢性気管支炎とは、WHOによれば「気管支の粘液分泌物が慢性或は反復性に正常量以上に増加して喀出されるもの、但し限局性気管支肺疾患によるものを除く」、また、右にいう「慢性或は反復性とは二年連続に毎年少なくとも三か月間殆ど毎日とする」とされている。

(2) 主な症状は痰の多量かつ異常な排出とそれに伴い呟が出ることであるが、病状は進行するとその頻度を増し、仕事や歩行によつて息切れが起こつたり喘息様の呼吸困難の発作を伴つてくる。

(3) 病因としては、未だ不明な部分が多いが、加令、性、人種、喫煙、大気汚染、職業性因子、細菌、ウイルスの感染、遺伝子性素因、既往症、低収入、環境、肺の防禦機能とその破綻、及び各種因子の重積等が一般にあげられている。中でも喫煙と大気汚染等が重要視されている。そのうち大気汚染物質(二酸化硫黄、窒素酸化物及び浮遊粒子状物質等)が大気中に含まれこれが吸入される場合について、多少模式化してその機序を述べると、次のとおりである。気管や気管支には外部から入りこんだ雑菌や埃等に対し、これを外部に排出し肺を防衛する一番強力な手段として、気管や気管支の粘膜上皮に細かい線毛を持つた線毛細胞と、粘液を分泌する杯細胞や分泌腺を備えている。外部から埃や雑菌が気管や気管支内に入り込むと、これらを無数の線毛の上を覆つた右の粘液の上に捕らえ、これを線毛の細かい潔しい運動によつて右の粘液と共に喉頭の方へ排出してしまう。しかるに大気汚染物質が入り込むと気管や気管支は絶えずその刺潔を受け、杯細胞らは気管や気管支からの粘液の分泌を増加させるのであるが、他方線毛細胞の方の働きが鈍つてしまう、そのため、それらの粘液や細菌、煤塵等を体外に排出することが十分できなくなり、次第に痰や咳の形で喉頭外に排出するようになる。そして病状が進行すると、やがて気管支に溜つた痰は細菌などの培地となりいろいろな病原微生物がはびこり、痰は粘性痰から膿性痰に変つてくる。また痰に粘りが増してくるので喀出しにくくなり、息切れや、刺激などによつて気管が痙攣し喘息様の呼吸困難発作を伴つてくる。かくして、軽い場合は治るが、一定以上に進むと咳、痰がよく続き、またよく風邪を引く等の治りにくい病気となるのである。

(4) 慢性気管支炎が或る程度進行し、気管の炎症が末梢の終末細気管支を越した段階にまで及んでくると、肺気腫としての障害を起こす。

(二) 気管支喘息

(1) 気管支喘息とは、アメリカ胸部学会(American Thoracic Soci-ety)によれば「各種刺激に対する気管及び気管支の反応性増加があり、これが広範な気道狭窄を招来し、臨床的には喘息、咳嗽、発作性呼吸困難となつて現われ、更に、その重症度が自然に、或は治療によつて変化することが重要である。但し肺、心、血管系の病変に由来する気管支狭窄の場合を除く」といわれている。

(2) 主な症状は喘鳴を伴う発作性呼吸困難を来たすことであり、夜中から早朝にかけて発作を起こすことが多く、気道狭窄に陥るため、進行すると半窒息状態におかれ、呼吸とりわけ呼気が苦しく、発作が始まると寝ておれず、寝床に起き上つて猫のように丸くなつて喘ぐ、発作は時には数時間、時によつては数日にわたることもある。

(3) その発病原因は未だ解明されていない。つまり気管支喘息が発病するについては、気管支が過敏で収縮しやすいという共通の原因はあるのであるが、ではなぜ気管支が過敏となるのかについての原因まで探るとそれは判明していない。それには素因としてアレルギー体質が深く関係しているケースが多いといわれ、その体質は遺伝的である。もつとも少なくとも悪化については後天的な成因もあるといわれている(次の(5)参照。)

その誘因となる各種の刺激中には、大気汚染や煙草のように喘息患者の誰にでも喘息発作を起こさせる非特異刺激や、例えばハウスダストのように喘息患者の特定の者だけに喘息発作を起こさせる特異的な刺激(アレルゲン)があり、その気道狭窄を招来させる機序には前者につきアセチルコリンの、後者にはヒスタミンのそれぞれ発生介在があるといわれている(別図〔C六七の〕「喘息発作発現のメカニズム模式図」参照)。右の誘因の具体例としては、非特異的刺激に、感冒、季節、肺炎、寒冷、雨、湿気、気温の変化等の気象条件、煙草の煙、煤塵、殺虫剤、職業、対人関係・経済問題などの心労・不安・緊張などの心因性因子、悪臭、月経妊娠出産、運動負荷などがあり、アレルゲンにカンジダ、ペニシリウム等の各種の真菌、ハウスダスト、ブタクサ等の各種の花粉、細菌ワクチン等があり、多種多様にわたつているが(ちなみに喘息発作の原因を患者の訴えたところによつて纒めた一例を示すと別表〔C四七〕の「発作と吸入性物質の関係」(甲第一〇〇号証)のとおりである)、その刺激の強さとこれを受ける個体側の気道の過敏さの程度の兼ね合いの中でその個体がそのとき有する刺激閾値を超えれば発作を起す、換言すれば或る個体側のその時点での気道の反応性が強ければ、受けた一般的刺激の量及びその個体にとつてアレルゲンとなり得る特異的刺激の量が少量であつても発作を起こすし、逆に気道反応性が弱ければ、受けた一般的刺激及び特異的刺激が強いときに発作を起こすことになるのであり、また大気汚染のような一般的刺激は、他の誘因と共に、相加的(相乗的)に刺激力となり得るのである。

(4) 喘息の発作を喰い止めるため、気管支拡張剤や副腎皮質ホルモン剤を使用するが、殊に後者には副作用が出やすい。

(5) 気管支喘息と慢性気管支炎の関係は、非特異的刺激中の大気汚染の場合を例にとれば、それは一方では前者の誘因となつて過敏な気道を刺激し喘息発作を起こさせると同時に、他方では後者の発病原因となつて慢性気管支炎を引き起こし、その結果気道の過敏性を後天的に強め、より気管支喘息の発作を強くする。

(三) 肺気腫

(1) 肺気腫とは、WHOによれば「終末気管支梢から末梢の含気区域において、その壁の破壊的変化のために、その形が正常域を越えて大きくなつたことにより特徴付けられる肺の状態である」といわれている。

肺気腫には小葉中心性肺気腫(末端の肺胞は比較的残つており、そこへ行くまでの道筋が破壊されているもの)と汎小葉性肺気腫(肺胞もそこへの道筋も共に破壊されているもの)他一種があり、小葉中心型は大気汚染・喫煙・慢性気管支炎に関係が深いといわれており、汎小葉型は非常に老化した場合とか、本来血中にあるべきα1アンチトリプシンが先天的に欠損している場合に発生するといわれている。両者の出現比率は約一〇対一であるという説がある。

(2) 主な症状は持続的な呼吸困難、息切れであり、運動負荷により必ず息切れを起こす。また肺そのものの抵抗力が落ちるため細菌感染しやすく、流感や肺炎にかかりやすい。更に呼吸機能が悪くなるため心臓への負担がかかる。

(3) その病因は必ずしも明白ではないが、喫煙・大気汚染・加令・性・職業性因子・慢性気管支炎・呼吸閉塞現象等があげられている。

(4) 肺気腫は不可逆的な肺の破壊による機能障害に基づく疾患であるため、その根本的な治療法がない。

(5) 肺気腫は、気管支喘息から起きることはない。但し、肺気腫の場合には気管支が過敏になつてくるので、非特異的な刺激で気道が収縮しやすく、そのため肺気腫では逆に気管支喘息様の発作を起こすことがある。

他方肺気腫は、慢性気管支炎が末梢の終末細気管支に至つた場合や共通の原因で起こつたりするために、殆どのケースで慢性気管支炎と併存している。

2 患者原告高木廣一他四名の疾病

(一) 亡三橋シマコ

(1) 亡三橋は臨床的にみると主として肺気腫(小葉中心型)兼気管支喘息を患つていたが、慢性気管支炎も併発していた。また疫学上からみるといわゆる慢性気管支炎症状に罹つていた。

(2) 亡三橋は大正七年一〇月二九日生まれで健康に恵まれていたが、昭和四三、四年ころから風邪を引くと咳が多くなり、また急いで歩いたり、坂道をのぼると息切れをするようになつてきた。

(3) 昭和四五年秋ごろ風邪をきつかけとして初めて喘息様呼吸困難発作があつた。呼吸困難はなかなか治らず、咳・痰がよく出、きついときには痰をとるため厚さ一五センチメーターほどの鼻紙一締めが三日と持たないほどであつた。そのため近くの楠井医師に最初は歩いて、しまいにはタクシーで通い注射を打つてもらうなどし、夜もひどいときは往診を頼むという状態が、同年一一月まで毎日のように続いた。昭和四六、四七年は比較的治まつており以前のようなひどい発作はなく、発作は年に三、四回風邪を引いたときそれを契機に起こり、七日ないし一〇日近く続く程度であり、昭和四五年末以来応診を受けていた上出医師からもらう内服薬と吸入薬のみで凌ぐことができた。その後昭和四七年暮れころから、毎日のように上出医師の往診を受け注射を打つてもらうようになつたが効かなくなつた。昭和四八年一月末風邪を引き発熱し呼吸困難に陥つたが、呼吸困難は容易に寛解せず、同年二月一七日から同年七月二八日までの間に公立尾崎病院に入院、退院を三回繰り返えした。退院後同病院に週一回の割合で通院し治療を受けていたが、尾崎駅の階段を上がるのがつらくなつてやめた。なお昭和五〇年ごろから食思不振が著明になり、屋崎病院で肝臓も悪いといわれている。昭和五一年の正月前ごろから一層症状が悪化し、同年五月初めのある晩銭湯に行つたのを契機に強い呼吸困難発作が起こり、昼間でも常に咳・痰・呼吸困難が続き、臥床したきりになり、トイレも這つて行く状態で食欲も低下した。かくして同年六月一六日から昭和五二年四月一六日までの間堺市所在の耳原総合病院に三回(但し第三回の入院は腎盂腎炎のため)、昭和五三年九月から昭和五四年三月二〇日までと昭和五四年一一月三日から昭和五五年三月二〇日まで和歌山市所在の和歌山医大病院へ各一回、それぞれ入院を繰り返した。耳原病院に入院の際に呼吸困難が軽快しにくく、長期間にわたり副腎皮質ホルモンの投与を受けている。

その後も症状の好転は全くなく、上出医師の応診を受け、同医師及び和歌山医大から貰う薬を服用し、薬局で喘息止めの吸入器を買つてきて時々使用していた。昭和五七年六月二九日、二週間来の呼吸困難増強のため耳原総合病院に四度目の入院をし同年七月一七日退院したが、同年九月一日、呼吸困難、激しい咳が一〇日以上続き上出医師の治療で改善をみなかつたので、同病院に五度目の入院をしたが、同年九月二五日病院で死亡した。死因は肺気腫兼肝硬変であつた。

亡三橋の健康なときの体重は六五キログラム前後もあつたが、尾崎病院に第一回目の入院をするころには約五〇キログラムに減り、更に耳原総合病院へ昭和五一年ごろ入院するときは約四五キログラムに、昭和五七年六月の入院時には約三八キログラムに減つていた。

(4) 亡三橋の入通院経過の概要は次のとおりである。〈表、省略〉

(二) 亡木戸コナミ

(1) 亡木戸は、臨床的にみると肺気腫(小葉中心型)を患い、かつ慢性気管支炎をも併発していた。また疫学的にみるといわゆる慢性気管支炎症状に罹つていた。

(2) 亡木戸は大正二年六月二五日生れで極めて健康であつたが、昭和四〇年ごろから風邪が長引き、咳・痰が出始め、喘鳴が続くようになつた。

(3) この咳・痰や喘鳴は年々増悪し、冬から春にかけてひどく、呼吸困難を伴つた。発症時から地元の宮代医院に通院し、昭和四五年ころからは近くの上出医院で治療を受けてきたが、咳・痰・喘鳴のほか、特に夜間呼吸困難発作に襲われ起座呼吸に陥つたし、平常にも労作時に息切れがあり、平らな道を自分のペースで歩いても時々立ち止つて休まねばならず、身体も次第にやせ細つてきた。目立つて症状が悪化したのは、昭和四八年ころからで同年一一月に耳原総合病院で精密検査を受け、慢性気管支炎・肺気腫と診断されている。このころには日常病臥することが多く、上出医院へ通院したり、応診を受ける回数が頻繁になつていた。昭和五〇年一月から七月にかけては公立尾崎病院に入院し、翌年一月から七月にかけてもいつものとおり喘息のような呼吸困難の発作を起こし同病院に再入院している。昭和五二年一月にも例のとおり冬季の呼吸困難発作に襲われ、身体も衰弱し入院の必要があつたが、辛抱して自宅療養を続けるうち、同年同月三〇日に呼吸困難に陥つて死亡した。

死因については、同人を診断した上出医師は「心筋梗塞」と判断している。但し、同人の心電図に肺気腫性pの傾向があつたこと及び従前からの病状・衰弱の経緯からみて直接の死因が心筋梗塞であつても、それにいたる基底には肺気腫による負担・衰弱等が深く関与していたものである。

(4) 亡木戸の入通院の経過のおおよそは次のとおりである。〈表、省略〉

(三) 患者原告高木廣一

(1) 患者原告高木は、臨床的にみると肺気腫(小葉中心型)を患い、かつ、慢性気管支炎をも併発している。また疫学的にみるといわゆる慢性気管支炎症状に罹つていた。

(2) 同高木は、大正元年一二月三〇日生れで、甲種合格により兵役を勤めたごとく健康に恵まれていたが、昭和四〇年ころ喉がはしかい状態が続き咳が出るようになつた。

(3) 昭和四二年ころから近くの宮代医院或は岩井医院へ通院し、飲み薬をもらつていたがいつこうによくならず、喉がヒューヒュー鳴り、痰も詰まりだし、初期の軽い発作にも見舞われ、昭和四三年六月から同年一〇月にかけ公立尾崎病院へ第一回目の入院をし気管支喘息との診断を受けた。退院後も喘鳴、呼吸困難があり、岩井医院に通院した。その後同じような状態が続いたが、昭和四七年三月ごろから喘息様発作がひどくなり、同年七月から昭和四八年四月まで和歌山日赤病院に入院し、気管支喘息・肺気腫との診断を受けた。その後も呼吸困難発作が強くなつては尾崎病院に入退院を繰り返えした。発作は早朝午前三時から同五時ごろに起こることが多く、起こると呼吸が苦しく起座呼吸に陥る。咳や痰もよくでる。患者原告らの中では軽症の部類に属するが、肺気腫があるため、今後に完治の可能性はない。

(4) 患者原告高木の入通院の経過の概要は次のとおりである。〈表、省略〉

(四) 亡東野美代子

(1) 亡東野は、臨床的にみると主として肺気腫(小葉中心型)を患い、また、慢性気管支炎をも併発していた。また疫学的にみるといわゆる慢性気管支炎症状に罹つていた。

(2) 亡東野は、大正九年六月一七日生れで、従前昭和二五年から昭和二八年ごろにかけ肺結核を患つたりしたことがあるが完治し健康であつた。しかし同人は昭和三九年ころからそれ以前より多少その気のあつた咳・痰が強くなり喉がむず痒くなり、締めつけられるようで息苦しい状態が現われるようになつた。

(3) 昭和四二年ごろから喘鳴がひどくなり、夜呼吸困難が強く仰臥できず積み上げた布団に伏つて坐位で眠らざるをえなかつた。咳は朝ひどく痰は粘調で切れにくかつた。治療は約三〇〇メーターぐらい離れた宮代医院で受けていたが、行く途中も息切れがして三回ほど休まなければならない。年々悪化し、昭和四七年三月二三日から同年九月二三日までの半年間公立尾崎病院へ入院した。退院後は地元の岩井医院へも通院するようになつたが前記症状は次第に悪化した。昭和五〇年一二月から半年余の間黄疸がでて尾崎病院へ入院し胆石症、乳頭炎の治療を受けた。その後も呼吸系疾病は治まることなく、入退院を数回繰り返すうち、昭和五二年秋ごろ膵臓癌にも罹患し、昭和五四年一月二〇日同癌によつて死亡した。

(4) 亡東野の入通院経過の概要は次のとおりである。〈表、省略〉

(五) 患者原告伊木冨士子

(1) 患者原告伊木は臨床的にみると肺気腫(小葉中心型)を患い、かつ慢性気管支炎をも併発している。また疫学的にみるといわゆる慢性気管支炎症状に罹つていた。

(2) 同伊木は明治四五年三月五日生れで従前健康に恵まれていたが、おおよそ昭和四二年ごろから咳が出始め、痰も多少伴つていた。

(3) 昭和四七年八年ごろから咳や痰が強くなり次第に全身倦怠感をおぼえるようになり、昭和五〇年一月ごろからは歩きすぎたり、坂を登つたりすると呼吸困難を感ずるようになり、そのため、昭和五一年終りごろには仕事をやめざるを得ないとまで考えるようになり、昭和五二年八月でもつて長年働いてきた岬石油店を退職した。昭和五五年ごろには平地を歩いても同年輩の者から遅れるようになり、喫煙もそのころからやめた。

(4) 患者原告伊木は針治療を受けたり時々漢方薬を飲んでいたが、昭和五〇年九月はじめて耳原総合病院で診察を受けて前記の発病を知り、その後は地元の医院に週一回ぐらいの割合で通い、注射や投薬を受けている。

三  被告らの大気汚染と患者原告らの罹患等の因果関係

1 はじめに

(一)被告らが硫黄酸化物等を大気中に排出し、他の発生源排出の硫黄酸化物等と重なつて排出量最盛期における患者原告高木廣一、同伊木冨士子、亡三橋シマコ、同木戸コナミ及び同東野美代子らの居住地の大気環境を慢性気管支炎症状等に罹患(増悪)せしめる可能性のある状態にまで汚染したこと(前記一2ないし10)、他方患者原告高木廣一他四名が慢性閉塞性肺疾患に罹患しており又はしていたこと(同二2)については既に述べた。ここ三では両者の間に因果関係(先に発病の因果関係と略称したもの)があるといえるかについて判断する。

(二) 発病の因果関係で検討する事項、及びその余の閉塞性肺疾患罹患(増悪)原因の検討場所の整理

(1) 患者原告高木廣一他四名が罹患している又は罹患していた慢性閉塞性肺疾患の罹患(増悪)原因(誘因)を、科学の次元で検討する場合には、被告らやその他の排出源による硫黄酸化物等の大気汚染物質排出行為(同一4(七)、10参照)に限らず、患者原告ら側に存する事由としてアレルギー体質、加令、性、職業性因子、結核等の細菌・ウイルスへの感染、或は喫煙等の原因が存在するし、更には寒冷、季節など加害者・被害者のいずれの側にも帰属しない原因も存在する(同二1(一)ないし(三)参照)。

そこでこれらの諸原因の関与の有無、程度、割合等を法的次元で検討する場合、これらの原因力をどこでどのような形で取り上げるかが問題となり、当然諸種の扱い方が考えられる。

(2) 当裁判所は、これを次のとおり分けて検討している。

イ まず前記一4ないし10において、第一火力による硫黄酸化物の排出行為やその余の排出源排出のそれらがどのような侵害力を持つたかについて述べた。

ロ ここ三では、前記各種大気汚染物質排出行為が、患者原告高木廣一他四名側に存するアレルギー体質、喫煙等の諸原因事由、或は加害者、被害者のいずれの側にも帰属しない原因事由らといかなる関係をもちながら、右患者原告らに対し閉塞性肺疾患に罹患せしめたか、罹患せしめた場合には右各原因が合わさつて始めて発病せしめたものかなどについて述べる。

ハ 次の四において、後記患者原告高木廣一他二名に対し、閉塞性肺疾患に罹患せしめた大気汚染排出行為の原因力中にあつて、第一火力らのそれがいかなる寄与割合を占めたかについて述べる。

ニ 更に後記六の損害額の評価中において、患者原告高木廣一他二名につき、アレルギー体質、喫煙、加令等の原因力をいかに評価するかについて述べる。

(三) 本件発病の因果関係の検討における特殊性と当事者の主張

(1) 本件発病の因果関係追求における特殊性

イ 発病の事実的因果関係の立証の困難性

大気汚染と患者原告高木廣一他四名の患う閉塞性肺疾患との間の発病の因果関係は事実的因果関係の存在の認定とそれに対する相当性の判断に基づく法的限定からなるところ、そのうち大気汚染と閉塞性肺疾患との間の事実的な因果関係の存在の認定は、通常の不法行為におけるケースや公害事件でも恒常的騒音、日照等のケースの場合と異なり、すこぶる困難である。すなわち

右患者原告らの患う慢性気管支炎・気管支喘息・肺気腫等の閉塞性肺疾患にあつては、その発病(増悪)原因(誘因)が、先にも述べたとおり、大気汚染に限らず、アレルギー体質、加令、喫煙歴等多種多様のものがあり(前記二1(一)ないし(三))、大気汚染のない地域においても一定の有症率(自然有症率)を占めるそれらの患者が存在するところ、それらはいわゆる非特異的疾患の一種といわれているごとく、現在の医学水準の下では個々の患者を臨床的に精査してみてもその原因が大気汚染によること、ないし大気汚染によらざることを識別することができない。

見方を変えていえば、大気汚染による被害は、その原因物質が長期にわたり微量ずつ排出されるものであり、普通の程度の大気汚染の下ではそこに居住していても、総ての者が閉塞性肺疾患に罹患発病するわけではなく、これらのうち、個体側の事情等に悪条件がそろつたごく一部の者(例えば抵抗力の弱つた老人)が罹患するにすぎず、また同疾病の増悪についても、大気汚染以外の原因で発病した者が大気汚染下で総て症状の増悪をきたすわけでもない(以上の事実は病状増悪の点を除いて当事者間に争いがなく、増悪の点については証人山口誠哉の証言及び弁論の全趣旨によつてこれを認めることができ、その他に右認定を左右するに足る証拠はない。なお原告らは、閉塞性肺疾患々者は大気汚染下で必ずその疾状が増悪するのでその意味では同疾患は特異的疾患であると主張するが、本件のような大気汚染の下では、増悪との間に特意的な関係があることまでを認めるに足る証拠は存在していない)。そしてまた前記のごとくその発病の原因に大気汚染が含まれているか否かをみる客観的な所見を得ることもできない。

したがつて一方には閉塞性肺疾患に罹患(増悪)せしめるに足る大気汚染があり、他方には同疾患に罹患(増悪)している事実があつても、その当該患者が大気汚染によつて罹患(増悪)したものであるか否か(発病の事実的因果関係の存否)を自然科学的なレベルで把握することは殆んどのケースで不可能である。そしてこのことは患者原告高木廣一他四名にあつても同様である。

ロ 疫学的調査が唯一回しか行われていないこと。

(イ) 大気汚染と閉塞性肺疾患との間の発病の因果関係を訴訟の場において探るについても、それは法的レベルにおける探求であり、もとより自然科学において要求されるような厳格な証明を要するものではないが、その立証は困難であり、通常の不法行為のように、直接証拠や間接証拠の比較的単純な積み重ねの中からの発病の事実的因果関係(以下「通常の手法を用いた発病の因果関係」という)を立証しようとしてもなかなか成功しない。そこでこの種公害事件や医療過誤事件が生ずるに及び、これを回避する手法として種々の試みが行われてきたのであるが、そのうちの間接証明の方法の一つとして、疫学的な手法を経由した発病の事実的因果関係(以下「疫学的手法を用いた間接的な発病の因果関係」という)。の立証が考案せられた。

(ロ) 疫学的手法を用いた間接的な発病の因果関係の認定手法

右に述べた疫学的手法を用いた発病の事実的因果関係の存否を認定する手法とは次のようなものである。すなわち

〈証拠〉によれば、疫学とは、人間集団を対象として、人間の健康及びその異常の原因を、宿主、病因、環境の各面から包括的に考究し、その増進と予防をはかるものであり、その中でまず第一に集団における健康異常の発生・蔓延の姿を観察し、続いて第二にそのような観察を通じて右集団における健康異常の発生原因を宿主、病因・環境の各面から包括的に検討する部分が存在するものと認められる。疫学的手法を用いた間接的な発病の因果関係の認定手法は、右の疫学的手法により追求した集団の発病現象の結果を利用して、これから個々の患者原告らの発病の因果関係を探ろうとするものである。

(ハ) ところで裁判に現われた疫学的手法による因果関係の追求事例(例えば四日市公害訴訟判決(津地方裁判所四日市支部昭和四七年七月二四日)、福岡カネミ油症訴訟判決(福岡地方裁判所昭和五二年一〇月五日)参照)においては、疫学的調査ないしこれに類する調査が相当多数回行われている。

しかるに岬町においては、後述するように、疫学的調査の名に値するようなものは大阪府衛生部が唯一回住民健康調査を行つたそれきりであり(後記第二、三2(一)(1)ニ(イ)e(c)、f、3(二)(1)ロ(ロ)参照)、しかもその調査結果については種々の問題を含んでいる(同第二、三2、3)。

そこで本件において疫学的手法を用いて発病の因果関係を探ろうとする限り、この唯一回しか行われていない本件健康調査を巡つて、後述するごとくいろいろの角度から検討を加えることにせざるを得ない。

(2) 当事者の発病の因果関係に対する主張立証

患者原告高木廣一他四名らは、患つている閉塞性肺疾患の発病の因果関係の追求については、このような問題があるため、一方では、第一火力の本格的操業開始時と患者原告らの罹患時とが時間的関連性を有するのでこの点から直接その存在(通常の手法を用いた発病の因果関係)を認めることができる旨主張するものの、他方では、疫学的手法を用い、イ患者らの居住する地域の住民集団に慢性気管支炎症状を有する患者の高有症率現象が存在すること(以下「発病の因果関係推定の第一要件」という)、ロその集団として慢性気管支炎症状高有症率現象が大気汚染を原因として生じたものであること(以下「発病の因果関係推定の第二要件」という)、ハ右患者らが、いずれも同住民集団にみられる特性を兼ね備え、かつ同集団からかけ離れた特性ないし条件を有していないことの三要件(以下「発病の因果関係推定の第三要件」という。なお以上の三要件を「発病の因果関係推定の三要件」という)を満たせば発病の事実上の因果関係が認められると主張し、患者原告らにあつても、かかる集団を経由した間接的な手法により、発病の因果関係の存在を認めることができる旨述べ、発病の因果関係に関する主張立証活動の殆んど総てを後者に傾注し、被告も、これに対応して、殆ど後者の疫学的手法を用いた間接的な発病の因果関係の存否についてのみ、詳細に反論している。

(3) 判断の手順

そこで以下においては、

イ  前記三1(三)(1)で述べた本件重発病の因果関係の特殊性から、唯一の疫学的調査たる本件健康調査を十分に検討する必要がある点を考慮し、右因果関係の具体的検討に入る前に、前提となる基本的な諸問題について判断を示すこととし、まず次の同(四)において患者原告らの主張する通常の手法を用いた発病の因果関係と疫学的手法を用いた間接的な発病の因果関係との関係、及びこれの処理の仕方の指針について触れ、続いて同(五)において疫学的手法を用いた間接的な発病の因果関係のうちの、発病の因果関係推定の第一、第二要件について、疫学上の手法をいかに使用すべきか、及び既に「深日」を中心として排出量最盛期に大気汚染があつたと認め(同一8(四))ながら更にここで大気汚染による高有症集団の存在を認定する意味如何につきそれぞれ述べ、更に同(六)において、同発病の因果関係推定の第三要件に存する問題点、つまり患者原告らとの同一性が問題となる慢性気管支炎症状の高有症率現象として何を具体的に想定すればよいのか、及びその対象とし得る集団の大きさ、正確さ等によつて立証の仕方等にどういう差異が生ずるかについて言及することとし、

ロ  その上で、発病の因果関係の具体的検討に入るが、前記三1(三)(1)、(2)で述べた本件発病の因果関係の立証の困難性及び当事者が本件訴訟過程で進めてきた主張・立証活動の状況を重視し、後述するとおりその立証の効を殆どあげてはいないのであるが、まず同三の2ないし4において疫学的手法を用いた間接的な発病の因果関係の判断から入り、その後同三5において通常の手法を用いた発病の因果関係の判断に至ることとする。

(四) 通常の手法を用いた発病の因果関係と疫学的手法を用いた間接的な発病の因果関係

(1) 患者原告高木廣一他四名の居住地における大気汚染と同人らが患い又は患つていた閉塞性肺疾患との間における因果関係の存否は、通常の手法を用いた発病の因果関係の形で立証する方が直截な手法であり簡便なのである。しかしながら前述のごとく患者原告らは、右の閉塞性肺疾患の発病(増悪)原因(誘因)が多種多様で、一定の自然有症率内の患者があり、かつ非特異的疾患であることに鑑み、これを重視せず、専ら疫学的手法を用いた間接的な発病の因果関係の形で主張立証を展開している。

(2) しかしながら疫学的手法を用いた間接的な発病の因果関係の存否の証明は、当然また同手法の有する制約を受けることになり種々の注意を要する点が生じている。例えばその二、三の例をあげると、

イ 疫学的調査は相当大規模なものである(同一8(二)(1)ないし(3)の五か年調査・府下調査・六都市調査等参照)。そのため、かかる調査は、医師に臨床的診断を求めたりする場合と異なり、患者ら側でこれを行うことは事実上不能であり、他の機関等が行つた調査結果を利用するしか手がない。そこで岬町のように疫学的調査の名に値するものが一回しかなく、かつそれに種々の問題を含んでいる(後記第二、三2(一)(2)、3(二)(2)イ(イ)参照)場合には、疫学的手法を用いた発病の因果関係の立証も、その効をあげにくくなつてくる(同第二、三2(二)(4)ロ、3(二)(2)へ、4(一)(2))し、かといつて再調査を行うことも容易ではない(同第二、三2(一)(1)ニ(イ)f、3(二)(1)ハ参照)。

ロ 疫学的手法を用いるため、例えば臨床的には区別される慢性気管支炎・気管支喘息・肺気腫等(現に患者原告高木廣一他四名は臨床的にみると、右の疾患のいずれか一つ又は複数を患つている)を各別に捉えることができず(同第二、三2(一)(2)イ)、かつその一部しか捉え得ない反面、逆にそれ以外のもの(例、肺結核)を合わせて慢性気管支炎症状として把握したり(同第二、三2(二)(2)ロ)、或は臨床的には把握できる場合のあるそれ以下の段階の疾病をCB疑い、C3・S3・C3・S3等として捉えるがその正確性に問題があるためか、そのレベルであまりものがいわれておらず(同第二、三2(一)(1)イ(ホ)、前記一8(二)(1)ないし(3)、なお(四)(1)ロ(ハ)参照)、更には慢性気管支炎症状の有症率を捉えるだけであり、例えば病状増悪の状況(例えば自然有症率内で罹患した患者らの病状増悪状況)を直接把握することができないし、また更にいえば岬町のような大気汚染の状況が場所によつて個性があり異なるところでも、これを一括して把握せざるを得なかつたりする(後記第二、三2(一)(2)ニ参照)ごとく、種々の単純化、割切りを行つている結果、それが各所に問題点となつてでてくる(前記一8(一)(3)参照)。

ハ  本件閉塞性肺疾患については、繰り返し述べているごとく、多種多様の発病原因があり、大気汚染がなくても他の諸原因によつて発病する一定の自然有症率集団が存在する(後記第二、三2(二)(1))が、非特異的疾患であつてこれを臨床的に識別することができない。そのため、他の或る種の疾病において疫学的手法を経由した間接的な発病の因果関係を探る場合(例えば東京スモン訴訟判決(東京地方裁判所昭和五三年八月三日)、新潟水俣病訴訟判決(昭和四六年九月二九日)のごとく疫学的な因果関係(或る疾病の多発集団の存在とその集団の発病原因の特定)の立証がつけば、後は比較的単純にそれを患者個人へも引き移し同人に発病の因果関係ありといえる場合と異なり、患者原告らとの同一性を検討する多発集団について種々の配慮・分析が必要である(同第二、三1(六)、4(一)(2)参照)。そのため、疫学的手法を用いた発病の因果関係の立証が更にむずかしくなつてくる。

これらの制約やずれや問題点が生ずるため、後述するように疫学的調査の手法や結果回数等の如何によつて、必ずしも疫学的手法を経由した発病の因果関係の証明の方が容易でかつ妥当な結果を得られるとも限らないのである(同第二、三2(一)(2)ニ(ホ)、3(二)(2)、4、5参照)。

(3)  要は、右両手法による発病の因果関係の証明は、いずれも法的なレベルで必要な事実的因果関係の存在を立証するための手段なのであるから、例えば非特異的疾患であるので疫学的手法を経由しなければ立証できないとかいうように、どちらか一方のみの手法による立証に規制されるべき性格のものではなく、具体的ケースに応じて両者のうちのいずれか相応しい方により、その手法・適用結果(証明力)の有する限界等を十分理解したうえで発病の因果関係を立証すればよいのであり、場合によつては疫学的手法を用いた間接的な発病の因果関係により可能な一部の事実を立証し、その余を直接的な発病の因果関係を示す事実で立証し、これらの総合によつて発病に関する事実的因果関係の存在を立証することもまたできるのである(同第二、三4(四)及び三5等参照)。

(五) 発病の因果関係推定の第一、第二要件について

(1)  疫学的手法による発病の因果関係の認定は、前述したごとくあくまで本件損害賠償請求事件における法的レベルの判断の一資料として使用されているにすぎないものである。このことは、イ先に前記一8で述べた、岬町における大気環境の侵害性を測る知見を得る際右の疫学的手法を用いた場合においても同様であり(例えば「大阪府下調査」結果の取扱い参照)、ロ事実的因果関係を探ることにおける扱いにおいても変るところはない。すなわち

(2) 右の疫学的手法(発病の因果関係推定の第一、第二要件)は、必ずしも科学としての疫学に要求されている諸要件を厳密に遵守したもの(その場合には得られた結論自体が間接証明における経験則の一種にあたるであろう)でなければ価値がない(例えば後記第二、三2(一)(2)ホ(ロ)a)というものではなく、その証明力の強さ、弱さを持つたままの、右疫学的調査から得られた事実ないしそれに至る過程が、それはそれなりに法的なレベルの発病の因果関係の判断の一資料として組み込まれてゆくのであり(疫学上の諸要件を厳密に追求する余り、かえつていたずらに不必要な科学論争に巻き込まれて訴訟の本質を見失うことがあつてはならないことに留意すべきである(同第二、三2(一)(2)ホ(ロ)a参照)。

(3) なお右の発病の因果関係推定の第一、第二要件の適用に際し、住民健康調査結果につき疫学的手法に則り代表性・信用性の検定等の判断をするが、その中で疫学上統計学的知識を念頭に置いて検討することが少なくない、そしてかかる統計学的検討に対しても前記と同様のことがいえるのである。すなわち、

イ 本件のごとき住民健康調査について疫学を適用し一定の結論を導き出すためには、統計学上は出来るだけ多数の調査対象者数、有症者数、調査例、適切に対応する大気汚染濃度等の各種データが存在することが望ましいし、統計学上の手法(例えば有意差の検定)にも整合することが望ましい。

ロ しかしながら、

(イ)  まず全有症率集団の存在(発病の因果関係推定の第一要件)を探るについては、疫学的調査から得られた結果につきそれが正確性・信頼性・代表性等を有するか否かの検定を要するが、社会的・経済的諸条件・対象者数・回収数・有症者数・受診者数・検定項目の多寡、年齢・喫煙量の標準化の必要度等から生ずる諸々の制約があるために必ずしも十分な調査が行えず、かといつてその正確性・信頼性等の検定において、例えば統計学上用いられる有意差の検定を使つてこれに耐え得るか否かを検討すると、事実上殆ど何もいえないことで終つてしまう。そこで疫学の立場においても、統計学上ではばらつきの範囲に入つてしまうであろう事実からでも、常識的にみた或る程度の許容性のある把握の仕方で一定の巾を持つて何らかのことがいえるかいえないかを探ろうとする。その意味では疫学上一定の慢性気管支炎症状高有症率集団が存在するものと認められた場合においても、付帯せられた条件の巾等によつてその結論の安定度等にそれぞれ相応の強弱の差が存在するのである。まして科学としての疫学の立場より許容性の巾の広い法的レベルでの判断においては、より一層しかりであり、かつそれで足りるのである。

(ロ) 次にこの集団と大気汚染が結びつくか否か(発病の因果関係推定の第二要件)の検討にあたつても、統計学上の検討に耐え得るような資料による判断を求めることは無理であり、例えば全有症率集団に対応する濃度のデータ、その余の種々のデータを選択する場合、その集団に相応しいデータとして何を取るか、何を取れるかについて、社会的(同第二、三3(二)(2)イ)、経済的(同第二、三3(二)(1)ハ)或は判断者の主観等の種々の制約が入るし、更には集団と大気汚染との関係を他の地区と比べるについても(同第二、三3(二)(2)ロ(ロ))、例えば調査例数、調査例の類似性・均一性等の種々の制約があり、仮にそれらから全有症率集団の原因に大気汚染が入つているとの結論を得られても、それに或る程度の幅や強弱・安定度の差があることを否定できないのであり(同第二、三3(二)(2)へ)、法的レベルにおいてはそれはそれで評価すれば足るのである。

したがつて発病の因果関係推定の第一、第二要件の検討にあたつては、前述したごとくいたずらに厳格に、細かい統計学的分析に走ることなく、常識的な、或る程度おおまかな判断の中で、一定の留保条件を付けてどのようなことがいえるかいえないかを探ることが必要であり、また、その程度の条件付きのことしか引き出せない場合であつても、それはそれなりに法的レベルにおいては有意義であることに留意しなければならない(同第二、三4(一)(2)参照)。

(〈証拠判断略〉)

(4) 本件において発病の因果関係推定の第一、第二要件を論ずる実益

イ 本件において、大気汚染による健康被害が集団現象として現われているか否かをみるについては、既に明らかにした次の事実との関係が当然問題として浮び上る。既ち、

先に、(イ)硫黄酸化物・窒素酸化物・煤塵によつて気管支炎症状を引き起こすこと及びそのおおよその作用機序が確定的知見となつていること(前記一8(一)(2))、(ロ)地域住民集団の中でみれば、大気環境濃度が閾濃度値を超え侵害性を持つ場合、その侵害性の程度に応じ一定の自然有症率を超える慢性気管支炎症状の多発集団が存在すること(同一8(四)(1)イ、ハ参照)、(ハ)pbO2値測定点「深日」(「役場」もこれに準ずる)やその南側の山麓付近において、排出量最盛期のころその大気環境濃度が慢性気管支炎症状罹患の閾濃度値を超え一定の侵害性を備えていたこと(同一8(四)(2)イ(ロ)a、(ハ)a)の諸事実を明らかにした。したがつて岬町内の「深日」(ないし「役場」)及びその周辺の地域には、疫学的調査(発病の因果関係推定の第一、第二要件の調査)を待つまでもなく、一定の慢性気管支炎症状高有症率現象が存在し、その高有症率現象の発生原因が大気汚染によるものであることは容易に推測される。

そうだとすれば以後の第二、三2及び3において、原告らの主張に従い改めて疫学的調査結果を検討し、かかる高有症率集団とその原因を詮索する実益が奈辺にあるのかが当然反問せられるところである。

ロ 改めて右第一、第二要件を探る実益は次の点にある。

(イ) まず、岬町における環境濃度の侵害性の有無について再検討・再確認の機会を持つことになる。

また前記一8(大気環境濃度の侵害性の基準とそのあてはめ)の検討においては、「深日」を中心とする地域の大気環境濃度が慢性気管支炎症状の有症率を引き上げる状態下にあつたことを認めることができたものの、その大気環境の侵害性の程度については抽象的にしか示し得なかつたが、これを更に具体化し得る可能性がある(もつとも、後記第二、三2及び3に述べるとおり、本件疫学調査結果によつては、その有症率の程度及びそのうちに占める大気汚染を原因とする部分の割合をあまり明らかになし得たものとは思われない)。

(ロ) 次に後記第二、三1(六)(2)イ(イ)ないし(ハ)で述べるごとく、疫学的調査の有効な成立により、慢性気管支炎症状の一定の高有症率集団の確かな存在と、その集団の発病原因中に大気汚染が一定以上の確かな割合をもつて占めていることがそれぞれ明らかになると、患者原告らはその高有症率集団との同一性を立証しただけで、その疾病が大気汚染によつて発病したものと事実上推定される効果を得る点である(もつとも、同第二、三2(二)(4)ロ、4(一)(2)、(三)(2)ロで述べるとおり、本件健康調査結果からは、かかる一定以上の高有症率の確かな存在も、或はそれらの大気汚染との結びつきについても十分な事実が得られず、この効果も受けられなかつた)。

(ハ) 更に右疫学調査結果の検討を通じ、発病の因果関係の認定に役立つ間接事実を少しでも多く整理した形で捉えることができる可能性があることである(同第二、三1(六)(2)イ(ニ)、例えば被告の排出量の増加時期と慢性気管支炎症状患者の多発した時期の関係(同第二、三3(二)(1)イ、(2)イ参照))、

少なくとも以上の点に実益があり、右第一、第二要件の検討は有意義かつ必要であるものと考える。

(六) 発病の因果関係推定の第一、第二要件と第三要件との関連

(1) 疫学調査により捕捉された大気汚染を原因とする慢性気管支炎症状の高有症率現象の意味

イ 疫学調査の結果大気汚染による慢性気管支炎症状の高有症率現象(発病の因果関係推定の第一、第二要件にあたる)を認め得たという場合、それは有症者集団全体(以下「全有症率集団」という)が慢性気管支炎症状を呈していたことをいうのか、その中の一部、つまり全有症率集団から、自然有症率集団及び同一調査地区内に見られた大気汚染以外の特殊な原因に基づいて罹患した集団(例えば他地区より異常に多い結核とか、職業汚染患者の集団、以下これらの集団を合わせて「自然有症率集団等」という)をそれぞれ差し引いた残りの集団(以下「慢性気管支炎症状多発集団」又は「CB多発集団」という)が慢性気管支炎症状を呈していたことをいうのかは、疫学の目的(同三1(三)(1)ロ(ロ)参照)に照らすなどしても必ずしも判然としない。

証人山口誠哉の証言に弁論の全趣旨を総合すれば、おそらく疫学上は前者(全有症率集団)を意味するものと割り切つて使つているように窺われる。

ロ そうだとするとその全有症率集団の中には、大気汚染との係り合いにおいて三種類の集団を含むことになる。つまり、

① 大気汚染のみ又は大気汚染とその余の原因とが重なつて始めて発病した者の集団であるCB多発集団と、

② 既に大気汚染以外の原因で発病していたところに大気汚染が加わつてその症状が増悪した者の集団である自然有症率集団等の一部と、

③既に大気汚染以外の原因で発病していたし、大気汚染が加わつてもその症状に変化がなかつた者の集団である自然有症率集団等の残部

の三種類がこれである。

換言すれば、①CB多発集団にあつては、大気汚染はその疾病への罹患(増悪)全体につき因果関係を有するが、②右②の自然有症率集団等の一部にあつては、大気汚染はその疾病の増悪部分についてのみ因果関係を有するにすぎず、③右③の自然有症率集団等の残部にあつては大気汚染はその疾病の発病増悪のいずれとも因果関係がない。

(2) 疫学調査によつて得られた大気汚染による慢性気管支炎症状の高有症率現象と患者原告らの疾病との同一性の検討の対象

イ 被害を訴えている患者個人(原告)が、疫学調査によつて得られた大気汚染を原因とする慢性気管支炎症状の高有症率現象と同一性を有するか否か(発病の因果関係推定の第三要件の存否)の検討を訴訟の場において行うにあたつても、その同一性の判断対象集団の意味が問題となる。

換言すれば、前記発病の因果関係推定の第一、第二要件の検討の結果抽出できた大気汚染によるCB高有症率現象は、次の(イ)ないし(ニ)の四つのケースのいずれかに該当するので、それのどれにあたるかによつて発病の因果関係推定の第三要件である同一性の判断の仕方が異なつてくる。

そこでその四つのケースと、同一性の判断対象仕方等について述べる。

(イ) 全有症率集団が確実に、かつ、相当高率(自然有症定率集団を除いた集団が、自然有症率を優越する程度に含まれていること)で存在し、かつ、その高有症率の原因が大気汚染と関連を有する場合

この場合にあつては全有症率集団に属するものは大気汚染によつて始めて罹患したCB多発集団の方(前記三1(六)(1)ロ①)に属するものと一応推定される。そこで患者原告らも右全有症率集団と同一性があることを立証すれば、それによつてCB多発集団と同様、大気汚染によつて始めて慢性気管支炎症状に罹患したものとの推定を受け、逆に被告の側において特段の事情として、そうでないこと(個々の患者原告において、疾病増悪部分についてしか因果関係がないこと、ないし、疾病の増悪さえしていないこと)を主張立証しなければならない(以下「同一性判断対象第一ケース」という。)

なおこの場合、全有症率集団からその特性を抽出することは割合簡単である(例えば、右公害被害健康補償法では、指定地区内に居住する者につき、慢性気管支炎等の指定疾患に罹患していること、一定の暴露要件を満していることのみを要件としている)から、発病の因果関係推定の第三要件の立証は容易である。

(ロ) 全有症率集団が確実に、かつかなりの高率(全有症率集団中の、CB多発集団と、自然有症率集団等の一部の者が、いずれも慢性気管支炎症状の増悪をきたしており、その合計数が全有症率集団中で優越的割合を占めていること)で存在し、かつ、その高有症率の原因が大気汚染と関連を有する場合

この場合にあつては全有症率集団に属するものは、大気汚染によつて疾病が増悪した、右CB多発集団及び自然有症率集団等の一部に属するものと一応推定される。そこで患者原告らも右全有症率集団と同一性があることを立証すれば、それによつて右CB多発集団及び自然有症率集団の一部と同様大気汚染によつて慢性気管支炎症状が増悪したものとの推定を受け、逆に被告の側において特段の事情として、そうでないこと(患者原告個人が疾病の増悪をきたしていないこと)を主張立証しなければならない(以下「同一性判断対象第二ケース」という)。

なおこの場合にも、同一性判断対象第一ケースと同様、発病の因果関係推定の第三要件の立証は容易である。

(ハ) CB多発集団が確実に或る程度の高率で存在し、かつ大気汚染との結び付きが顕著である場合(例えば慢性気管支炎症状の全有症率は自然有症率の二倍以下ではあるが、大気汚染発生後相応期間を経過した短期間内に、集中して慢性気管支炎症状患者が多発して存在するケース等)

この場合にあつてはCB多発集団との同一性が立証されれば、患者原告個人は被告からの反論の余地なく、大気汚染によつて慢性気管支炎症状に罹患したことになる(以下「同一性判断対象第三ケース」という)。

しかしながら、この場合においては、CB多発集団と患者原告らの同一性を立証することが多くのケースで困難である。それはCB多発集団の特性(すなわち全有症率集団の特性と、全有症率集団中の自然有症率集団等と区別する特性とを兼ね備えたもの)を十分に抽出すること(特に後者の特性)ができない場合が多いからである。

(ニ) その余の場合

右(イ)及び(ロ)のケースにあたる場合には疫学的手法を用いたため立証上推定が働くメリットがあり、右(ハ)のケースにあたる場合にもそれなりに疫学的手法を用いた実益を受けることになるが、これらに該当しない右(ニ)のケース(後述するように本件がまさにそれに該当する。後記第二、三2(二)(4)ロ、4(一)(2))にあつては、右疫学的手法を用いても、その検討過程を通じ発病の因果関係に役立つ間接事実を事実上少しでも多く、かつ整理した形で抽出し得る程度の実益しか出てこない(同三1(五)(4)ロ(ハ)参照)。

ロ 患者原告らの主張

患者原告らは、明示的には発病の因果関係推定の第三要件について、前記三1(三)(2)のごとく、慢性気管支炎症状の全有症率集団(ないしそれが出た地域住民集団、前記の同一性判断対象第一ケースの主張と思われる)と患者原告らとの間に同一性があること(なお同原告らがいう「右集団からかけ離れた特性ないし条件」は被告の主張すべきものである)を主張しているのみであり、右の(ロ)ないし(ニ)のケースに関しては明示の主張をしていないが、これらはそもそも主要事実ではないからその主張を要しないところであるし、更にいえば、患者原告らの右主張には、仮に全有症率集団との同一性の主張が失当である場合には予備的にCB多発集団と同一性があることをも含めて主張しているものと解するのが相当であろう。

ハ 以上の次第であるから、(イ)前記の発病の因果関係推定の第一要件の検討にあつては、単に全有症率集団の存在の認定に止まらずCB多発集団の存在の認定をもなし、(ロ)同因果関係推定の第二要件の検討にあつては、CB多発集団と大気汚染との結びつきの程度・態様につき検討を加えなければならないし、その段階で自ら右同一性判断対象第一ないし第四のどのケースにあたるかが明らかになつてくるであろう。

(七) 以下においては、当裁判所も、発病の因果関係の存否について、既に述べたごとき当事者の膨大な疫学的手法を用いた間接的なそれに関する主張立証(前記三1(三)(2))を尊重し、まず後記三2ないし4において、前記三1(三)ないし(六)に述べた諸点を考慮に入れながら、順次疫学的手法による発病の因果関係推定の第一ないし第三要件について検討を加え、しかる後その立証が不成功・不十分に終つた場合(本件では後述するとおりまさにそうなつている)には、更に同三5において通常の手法を用いて発病の因果関係を立証し、これらから得た諸事情を総合して判断することとし、最後に同三6において右の判断に反する当事者の主張について批判を加えることとする。

2 患者原告高木廣一他四名の居住地区における慢性気管支炎症状有症者の多発現象

――本件健康調査とその信頼性等――

(一) 本件健康調査の結果

まず本件健康調査とその結果について検討する。

(1) 次のイないしニの各事実中、イ(イ)のうち大阪府衛生部が昭和四七年に一度だけ岬町で本件健康調査を行つたこと、イ(ロ)のうち近畿地方大気汚染調査連絡会が五か年調査を行い、その後も大阪府衛生部や堺市健康調査委員会が同種アンケート調査を行つたこと、イ(ヘ)aのうち本件健康調査の結果を集計した基礎資料として別表〔C四九〕ないし同表〔C五一〕が存在すること、二(ロ)a(a)のうち慢性気管支炎症状の有症率は年令が高いほど喫煙量が多いほど増加する傾向があること、ニ(ロ)b(a)のうち慢性気管支炎による咳は、最初朝又は夜に出、進むにつれて一日中出るようになること、ニ(ロ)d(b)のうち「五か年総括」において原告ら主張の方程式が作られたことについてはいずれも当事者間に争いがなく、その余は、〈証拠〉を総合すればこれを認めることができ、〈証拠〉中右認定に反する部分はにわかには措信しがたく、その他に右認定を左右するに足る証拠がない。

イ 概要と結果

(イ) 大阪府衛生部は被告第二火力の建設による公害発生を未然に防止するためその総合的調査の一環として、大気汚染が人体に対してどのような影響を与えるかを疫学的に調査し、対策の基礎資料とする目的を持つて、尾崎保健所を中心に地区医師会、岬町及び大阪府立成人病センターの協力を得て、昭和四七年二月から四月にかけ、岬町深日、多奈川地区に居住する四〇才以上の住民全員を対象にして、慢性気管支炎症状に関する留置き式・自記式アンケート調査と医学的調査からなる本件健康調査を実施し、その結果同地区における慢性気管支炎症状有症率は男女合わせて6.6パーセントであつた旨公表した(なお、本件健康調査は、その結果と大気汚染状況との関係、更に汚染源と有症率との因果関係等については分担外であり、答えていない)。

(ロ) もう少し詳しくみると、本件健康調査は、大阪府立成人病センターが中心になつて開発したアンケート調査手法に則つており、昭和三七年以降昭和四三年度にかけて大阪市福島区、能勢町、池田市、洲本町、五か年調査六地区を始めとする大阪市の地区、大阪府下堺市、羽曳野市等で、昭和四五年度以降大阪府下で、及び昭和四一年度以降赤穂市で、それぞれ行われた疫学調査とほぼ同様のプロトコール(但しアンケート調査票の「Ⅲぜんそくのような発作……」等の項目の変動、昭和四五年ごろ以降の喀痰の提出の追加などの変化がある)に基づいて実施されている(なお、問診票による一致率の吟味は運用上行われなくなつてきている)。

(ハ) その具体的手続は、まず、岬町に住民台帳の中から、別図〔C六八〕の「調査地区概略」(甲第三一号証の一、図1、なおAないしE地区等の概略は前記別図〔C三〕参照)記載の同町深日及び多奈川両地区等に居住する四〇才以上の全住民四、七六九名を拾い出してもらうと共に、同町を通じて地区組織から右住民約二〇名に一人ぐらいの割合で代表者を出し、これらの代表者を六か所に分けて順次集め、うち五か所で府衛生部の医師でもあつた常俊が、残る一か所で同衛生部の他の医師が、それぞれ別紙(四)の「アンケート」と同一形式のアンケート調査票を渡しその記入項目等を説明して本件健康調査に協力方を依頼し右代表者がそれぞれ調査対象者に対し右アンケート調査票を配布し、うち、三、八五四名(回収率80.8パーセント)の者から有効なそれを回収した。

(ニ) 続いて、回収したアンケート調査票を点検し、咳及び痰並びに咳又は痰が三か月以上続くと答えた者(CB、C3S3、C3、S3)を選定し、主としてこれらの者を医学的調査の対象者となし、その調査日時、場所を通知すると共に、喀痰容器を配布し、調査当日、朝起きて一時間以内に喀出した痰を入れて持参するよう求めた。

右調査当日は、アンケート調査による訴えをより正確に把握するためBMRCの標準質問票と同形式の質問票を使つての問診や、身体計測、一般検診、スパイロコンピューターを用いて一秒率や肺活量率を調べる呼吸機能検査、一人の習熟した医師による喀痰の性状及び量の検査(ジョーンズミラーの国際分類基準による分類)及び胸部X線検査を行うこととし、右受診対象者のうち四一二名(受診率48.6パーセント)が受診してこれを実施した。但し右の問診については保健婦らが行つたが、その結果は不明である。その理由につき、常俊は習熟した問診技術者が得られなかつたからだといい、また同問診に付き添つたことのある清水はその問診が不十分なものであり、採用に耐えなかつたからだという。

(ホ)a 大阪府衛生部長は、その諮問機関である「府専門委員会」(委員長梶原三郎大阪大学名誉教授)に本件健康調査の集計結果を諮り(その際どこまで調査資料を開示したかの点は除く)承認を得たうえ、その大綱のみを昭和四七年六月一三日付で「岬町地区の住民健康調査の結果について」(甲第三一号証の一ないし三)と題して公表した。

地区

ABC地区

DE地区

全地区

有症率

性別

粗有症率(%)

七・七

九・七

八・八

二・九

六・〇

四・二

五・二

七・六

六・三

訂正有症率(%)

七・六

一一・五

七・一

二・五

五・六

三・九

四・九

八・四

六・六

b それによれば、慢性気管支炎症状の有症率は別表〔C四八〕の「アンケート調査 慢性気管支炎有症率」(甲第三一号証の一、表2)に記載のとおりであり、岬町全地区の粗有症率は男子8.8パーセント、女子4.2パーセント、男女計で6.3パーセント、訂正有症率は、男子9.9パーセント、女子3.9パーセント、男女計で6.6パーセントと公表されている。

なお右調査結果による岬町全地区の慢性気管支炎症状有症者数は二四三名であつた。

c 岬町ABC地区及びDE地区の各粗有症率は次の表のとおりであり、また各訂正有症率(但し喫煙量本数別補正)は、おおよそ同表に示すとおりである(なお「府下調査解析」では喫煙量本数別補正による訂正有症率をABC地区につき4.8パーセント、DE地区につき8.2パーセントとするが、その根拠が定かでない。ここでは後記別表〔C五一〕(乙E第五三号証の二)に従つて計算したそれを示した)。

(ヘ)a 大阪府の担当者が、本件健康調査の結果を集計検討した際作つた基礎資料ないしそれによつて整理した資料として、本件訴訟に提出されているものには別表〔C四九〕ないし同〔C五一〕がある(但し同表〔C四九〕へは、岬町ABC地区及びDE地区分を、同表〔C五〇〕へは本件健康調査地区区分をそれぞれ付加記入した)。

もつとも右の各数値は、提出された本件各証拠によつて多少の差異がみられ、正確な数字はわからない。但しその差異は結論に影響を及ぼすようなものではない。

b なお、右の各数値の計算については、次のとおりの事情がある。

(a) 常俊らは、前記の地区組織の代表者に対し、アンケート調査票について説明を行つた際、もし回答者から質問を受けた場合にはアンケート調査事項に応答しにくいところは、具体的に症状を記載するよう、不明なところは、否定の答えをするようにそれぞれ指導している。

(b) アンケート調査の回収率は、有効回答者率のみで算出している。

(c) 喀痰の提出者数は、配布済みの容器を持参したが痰を入れて来なかつた者を除いている。

(d) アンケート調査票の咳及び痰の項目にそれが共に二年前から続く旨記載した者及びそれ以前から続く旨記載した者を慢性気管支炎症状有症者と判断している。

ロ アンケート調査方式の長短と問題点

(イ) 疫学的調査方法には、一般に、BMRC方式の面接調査法が世界的に著名であり、他に本件調査のごとき自記式アンケート調査法もある。

(ロ) BMRC方式による面接調査法は、WHOや我国環境庁によつて推奨されており、特に公害健康被害補償法による救済を受けるための地域指定要件として同面接調査法による調査が専ら使用されている(同一8(二)(3)イ(ニ))ほどで、権威のある妥当な疫学的調査方法である。

しかしながら、他方自記式アンケート調査法にも一時に多数の人を対象として調査ができるので、例えば本件健康調査で男女別・年令別・喫煙別・居住地区別にそれぞれ集計したごとく、多くの分析項目を持ちそのため対象人数が細分化されるなどの場合には相応しいものであるし、また近時のように有症率が低下してくると、サンプルサイズの拡大が必要となるし、また問診法の場合のような特別な技術を必要とする面接調査員が少なくて済むとか、経費も比較的安いとか、更には問診者側のバイアスが入らないなどの長所がある。

そのように両調査方法にはそれぞれ長短があり、必ずしもBMRC方式の面接調査法でなければならないわけではなく、その調査目的、従前からの実績、面接調査員や予算の多寡等諸般の事情を考慮していずれを採用するかを決すれば足りるとする有力な考え方もある。とりわけ本件健康調査のように多数の検定項目がある場合には、アンケート調査法に医学的調査法を組み合わせたその手法はそれなりに十分合理性がある。

なお近時環境庁も昭和五五年度大気汚染健康影響調査でアンケート調査方式を採用している。

(ハ) しかしながら、他面自記式アンケート調査法は、無回収者の増加を防止する必要がありその面の努力を要するが、そのために調査結果に悪影響がでると指摘するむきもあり、また知的水準、理解力、この種調査への習熟度や協力姿勢、回答時の環境等の差異により必ずしも均質的な調査回答を得やすくない被調査者から、留置き自記式でアンケート票への回答を求めるため、単純明解な質問票の作成が望まれるが、それは難しく、質問事項を単純明解な形にしたつもりでも、なかなか正確な理解の下に正しい回答を引き出すことは容易なことでないし、また質問項目が少ないため質問の意味の誤解による欠陥を質問相互間で内部検定をすることなど(例えば後記第二、三4(一)(2)参照)もできず、更には留置き自記式のため、BMRC方式と比べると相対的に虚偽の回答が混入する危険が少なくない。そのため自記式アンケート調査結果の信憑力は、ひとえに、母集団の代表性・調査結果の正確性・信頼性等の確保がいかになされていたかの解析にかかるものである。

ハ 対象住民母集団の代表性

(イ) 有症率の調査は、対象人員中に何名の有症者がいるかを調べるのであるが、対象者全員から回答があつた場合は格別、現実にはそのようなことは皆無に近いのであるから、かかる未回答者がある場合には、回答者中における有症率が果して対象者全員の有症率を正しく代表しているものといえるかの検討が必要である。なお本件健康調査にあつても、アンケート調査の回答者が対象地区母集団を適切に代表しているものといえるかが右のとおり問題となるが、その他に代表性の問題は、医学的調査の受診率、喀痰の提出率等をめぐつても、同様に検討されなければならない。

(ロ) BMRCの面接調査法においては、かかる調査対象者集団の代表性を充足させるために、九五パーセント以上の回答率と回答をしなかつた者についてはその理由を明らかにすることを要求してこれに対処している(もつとも現実には必ずしも期待するような高率の回答率は出ていない)。

他方自記式アンケート調査法においても、例えば、未回答者につき、その全員又は任意抽出した一部について再調査をなし母集団代表性の有無を検討するとか、或は未回答者が地区の全階層からほぼ等しい割合で出ていることが認められるかなどの検討をするとかの必要がある旨指摘されている。さもないと、一般に未回答者は無関心無症状者が多く、そのため有症率が見かけ上高くなる、いわゆる濃縮効果を生じ、真の有症率より高率を示すおそれがあるからである。

(ハ) 本件アンケート調査においては、対象地区の対象住民全員の、いわゆる全数調査を行つているが、その回収率は80.8パーセントに止まつている。なおABC地区については、対象人員二、五二四名中有効回答者数二、〇一二名であり、回収率は79.9パーセントである。

したがつて本件アンケート調査にあつては、約二〇パーセント前後の未回答者(無効回答者を含む)を出したことになるが、かかる未回答者に対して右の代表性の有無の把握の手法は何もとられていない。

(ニ) 本件健康調査程度の規模の調査になると、行方不明者、長期不在者、疾病等による回答不能者が全体の中に数パーセントほどいることが通常予測される。

(ホ) 本件健康調査におけるアンケート調査票の回収率は、本件健康調査と同種調査である五か年調査や府下調査を始めとする前記三2(一)(1)イ(ロ)に示した各調査と比べて遜色はなく、五か年調査六地区のそれとほぼ同様である。なおこれらの各調査でも代表性の把握ないし濃縮効果に対する配慮は行われていない。

二 アンケート調査結果の正確性及び信頼性

(イ) 本件健康調査結果における偏りの可能性

a 本件アンケート調査票は、前記別紙(四)のとおりで、Ⅰ咳、Ⅱ痰、Ⅲ喘息のような発作、Ⅳ煙草の計四項目に関する質問事項及び氏名・性別・年令・現住所(居住開始時期を含む)、職業からなるアンケート部分と咳・痰の記入上の注意を併記した紙一枚の簡単なものであつて、BMRC方式の別紙(五)の「呼吸器疾患に関する面接用質問票」(面接者に対する手引き付き)と比べると、有症率に直接関係する咳と痰の調査項目においても一般的にみて被調査者が質問の意味を正確に理解しにくく或はしようとしないなどにより回答の精度が粗くなるおそれがある。また具体的な質問事項及び記入上の注意にも誤解を招く虞れを有する個所がある。その例を二、三あげると、例えば、慢性気管支炎症状の要件である、咳・痰共に三か月以上毎日のように続き、二年以上にわたるものとの要件を満たすか否かを検討するため、一年のうち三か月以上続く咳や痰が「何年前から出ますか  (  )年前」との記載事項があり、記入上の注意として「わからない場合は少なくとも二年前から続いているかどうかを記入して下さい」とコメントしているが、本件健康調査のアンケート調査票には五八名の者が「二年前」とは「満二年」より前と理解する者は必ずしも多くなく(本件健康調査の対象となつた世代の者には、「二年前」と記入した)、例えば発病以来一年一〇か月の者は二年前と答える可能性があり得るのであり、また咳についてみれば、記入上の注意の「昼や夜に咳が出る場合、時またの咳、一日五回以下は含みません」との記載は難解の謗りを免れがたく、更には痰に例を求めれば、そのアンケート部分にも記入上の注意部分にも、特段のことわりがないため、ここでいう痰とは胸の中から出るそれをいうのに、口から喀出するものと理解し、副鼻腔炎に伴う濃汁や一般の鼻汁も含めてしまつて痰と答える者も混じる可能性がかなり残るなどである。

b 本件健康調査実施に先立つて作成されたプロトコール(「岬町地区住民健康調査実施要領(案)」(乙E第四八号証))中には、アンケート調査によりスクリーニングした呼吸器症状を訴える者に対し医学的調査を行うこととし、その一つとして、「アンケート調査による訴えをより正確に把握するため」BMRCの質問票に準拠した問診票により「問診を実施する」旨予定されており、この問診結果とアンケート調査票の一致状況(一致率)によつてアンケート調査結果の正確性・頼性の検定を行うことになつていた。

しかるに五か年調査においては、同調査六地区を含む地区で無作為に抽出した一部の医学的検査受診者につき問診を行い一致率の検定を行つたが、大阪府衛生部が行つた昭和四五年度以降の各調査においては、これを無視し、代つて閉塞性障害者率や喀痰の提出率、性状、量の比較による検定を行うようになつた。

本件健康調査でも後者のそれらとほぼ同様であり、前記のプロトコールを事実上無視し、保健婦が問診を行つたが、適切な問診技術者が得られなかつたし、また、実際の問診実施状況からみても吟味に耐うるものではなかつたとかの理由をあげ、その結果を集計公表していない。

c 本件アンケート調査票の配布及び回収は、前記のとおりこの種調査の経験を欠く素人の多数の代表者(但し、その役割は、BMRCの面接者のごとく個々の質問とこれに対する回答を判断するというような重要な役割を演じるわけではなく、原則としてアンケート調査票を配布・回収し調査に協力を求めるだけであり、例外的に記入方法に関する質問を受けたときに、わからないものは、いいえと書くか症状を具体的に記入するよう答えて欲しいと指示されていたにすぎない)が行つており、しかもこれらの代表者に対する説明も常俊他一名の医師がそれぞれ五か所と一か所を分担して行つており、配布された本件アンケート調査票に対する回答の均一性・正確性はこの面にも問題が残つた。

d 被調査者側にも、知的水準・理解力、この種調査への慣れや協力姿勢の差等の違いがあり、時には予断偏見が混ることがあり、必ずしも正確な理解・十分な回答がなされているかの疑問がある。

e 特に本件健康調査の実施時における調査対象地区の社会的諸情況は、

(a) 当時第二火力の建設問題が起こり、既に昭和四五年当時から安賀らによる講演・スライド説明や、地元民を中心とする公害反対デモや建設反対の署名運動が行われ、昭和四六年春には岬町有権者の七〇パーセントにあたる一万人余の署名が集まつたほど盛り上つたことがあり、その後府知事にも一万人の請願を出そうという動きのある中で本件健康調査が行われたものである。なお右の反対運動の状況の一端につき、本件健康調査の約一年前の昭和四六年二月一七日付毎日新聞は、岬町の有権者の七〇パーセント以上にあたる一万〇、一〇〇名の署名が集まり、従来反対運動が地域ぐるみで行われていた港・西・中・平野・楠(以上は本件健康調査のE地区にあたる)小島(同「その他」の地区にあたる)の各地区ではほぼ一〇〇パーセント、関心の薄かつた淡輪・深日・孝子地区でも半数以上にそれぞれ達した旨報じている。

(b) また右健康調査の実施に際しても、五か年調査の場合と異なり、岬町長或は大阪府衛生部等が地区住民の協力を得べく配布した依頼文の中に「公害問題が大きな社会問題となつてきて……皆様の健康をお守りし……」(詳細は別紙(六)の「深日・多奈川地区住民健康調査についてのお願い」のとおり)、とか、或は「関西電力多奈川発電所問題に関連して……この調査の一環として健康調査を実施させていたゞく……」(詳細は別紙(七)の「岬町(深日・多奈川)地区の皆様の健康調査についてのお願い」のとおり)とか記載されており、被調査者をして本件調査の目的が第二火力の建設問題・公害問題に関連することを容易に察知させるので、かかる記載が回避不可能であつたか否かはさて置き、被調査者の意識に偏りを生じさせる危険性があつた。

(c) 更に本件調査の約半年前である昭和四六年八月に、大阪医系学生夏期フィールド活動実行委員会が岬町の東畑、港及び小島の三地区で、右東畑・港が硫黄酸化物汚染予想地区として、小島が非汚染予想地区として、アンケート調査票を基にした面接聞取り調査を行い、その結果被告の別表〔B五四〕の「学生調査と本件健康調査による慢性気管支炎症状の有症率比較」記載どおりの慢性気管支炎症状の有症率を得ていた。しかるにその僅か半年後に行われた本件健康調査の結果では、その有症率が同表〔B五四〕記載のごとく、港及び小島の両地区で大巾に増加し、とりわけ学生調査で非汚染予想地区として選ばれ、かつ、有症率0.8パーセント(対象者一二七名中一名が有症者)との結果が出た小島地区が、本件健康調査では自然有症率を上回る有症率5.5パーセント(対象者一六五名中九名が有症者)に急増しており、両調査の精度、対象人員等の諸点を考慮に入れても、「小島」の排出量最盛期以来のpbO2値の低さ、同地区の換気性のよさからみて、同地区の本件健康調査にバイアスが混入したことは明らかであり、その他の地区でもその危険を十分考慮しなければならない状態であつた。

f 本件健康調査の集計結果について諮問を受けた府専門委員会は、一回会議を開き、示された資料に基づいて議論を多少行いこれを承認したが、その際十分な調査資料結果を開示されたうえその信頼性等につき慎重な検討を行いそのうえでこれを承認したという種類のものではなく、年令喫煙のパターンの乱れについてさえ検討していなかつた。

なお同委員会の梶原委員長は後年難波に対し、本件健康調査結果の6.6パーセントを説明するためには、多くの仮説をたてる必要がありすぎるので、再度岬町で住民健康調査を実施する必要がある旨示唆していた(なお難波は、その際、同委員長が、これだけの高い有症率が出たとすれば、保健所が赤ちやんとか、三才児検診とか乳幼児検診につき常時管理をしているので、当然その方での例数も多くなければならないのにそういうことが殆ど出てこないとも述べていた旨いう、もつとも右各検診の実体については未だ殆ど明らかにされていない)。

また本件調査結果を解析した「府下調査解析」は大阪府名義になつているが、清水が府公審大気汚染分科会長の依頼により事実上作成したものであり、府専門委員会や府公審で審議検討された可能性は少い。

(ロ) 本件健康調査で行われた正確性・信頼性の具体的検定

a 喫煙量・年令と有症率のパターンによる検定

(a) 検定の内容 一般的に慢性気管支炎症状の有症率は、喫煙量の増加及び加令と共に高率になる傾向があるといわれており、前記五か年調査六地区のデータを基にして同旨の方程式を得ている。そこで本件健康調査の結果の正確性・信頼性も、その結果が大きく見て右の傾向(パターン)に納まるか否かによつて検定することができ、常俊及び清水両名共この方法による検定を採用している。なお、ここでいう有症率は喫煙量一括による訂正有症率を示している。

(b)ⅰ 男子のABC・DE各地区及び全地区の、喫煙量別有症率(但し年令構成標準化済み)のパターンは別図〔C六九〕の「実数付喫煙量別有症者率」に、年令別有症者率(喫煙を、喫煙・非喫煙の二群で標準化済み)のパターンは別図〔C七〇〕の「実数付年令別有症者率」のそれぞれ示すとおりである。(但し実数はいずれも標準化以前の元の数で示している、なお喫煙量を本数別に標準化しても結論に差異のでるほどの違いはでない)。

ⅱ 女子の年令別有症率(喫煙を右同様二群で標準化済み)のパターンは別図〔C七一〕の「実数付年令別有症者率」に示すとおりである(但し実数は標準化以前の元の数で示している)。

なお一般に住居地に定住性が強く、かつ喫煙の影響のない女子の非喫煙者の年令別パターンをみると、別図〔C七二〕の「実数付女子非喫煙者年令別粗有症者率」(乙E第六二号証の一を見習いABC地区とDE地区につき作図したもの)に示すとおりである。

b 咳の出る時刻による検定

(a) 検定の内容 閉塞性肺疾患は一般に咳を伴うが、そのうち慢性気管支炎にあつては咳の頻度が高く、軽症のうちは朝に多く、悪化するに従つて昼夜に及ぶといわれている。そしてこれを慢性気管支炎有症率一般でみれば、咳の約三分の二は午前中に集中し、昼のみとか、空気が臭いときのみとか、昼で空気の臭いときのみとかに出ることはまずない。

そこで清水は、いつ咳が出るかを調査し、その結果が右の臨床像と合致するか否かにより本件健康調査の信頼性を検定できるという。

(b) 本件健康調査の結果は、原告らの別表〔A四四〕の「慢性気管支炎有症者の咳の出る時刻」のとおりであり、それによれば、ⅰ咳が、昼のみ、昼及び空気が臭いとき、空気が臭いときのみに出ると答えたものは0パーセントないし5.8パーセントで少ない、ⅱ咳が朝出ると答えた者が50.6パーセント(慢性気管支炎症状有症者二四三名中一二三名)であり、夜出ると答えた者の率54.7パーセント(右二四三名中一三三名)より僅かながら少ない。

(c) 慢性気管支炎症状有症者中には、慢性気管支炎のほか、気管支喘息を単発ないし併発で罹患している有症者が相当数混つている(前記一8(一)(3)ロ(イ)及び表〔C三八〕参照)ところ、気管支喘息患者の咳は夜中から明け方にかけて多く、朝方に多いわけではない。

c 慢性気管支炎症状有症者が一定の家族に偏つていないかによる検定

(a)検定の内容 アンケート調査票回答者が第二火力建設反対運動等の影響を受けて虚偽回答をする場合には、家族も同様の回答をする可能性が予測されるので、アンケート調査票中の住所・氏名からかかる事実の有無を調べて検定しようとするものである。

(b) 常俊及び清水は本件アンケート調査票を調べかかる偏りの有無を調べたが、数家族に偏りがみられただけであり、異常といえる状況はなかつたという。

(c) もつとも右両名は、調査対象家族数その他の実数を示していない。

また同居家族は暴露条件や遺伝的体質等が類似することが多く、多少の偏りはあつても不思議ではない。

d 本件健康調査が他地区で行われた同種健康調査結果全体の中で合理的な位置付けが出来るか否かによる検定

(a) 検定の内容 本件健康調査結果により得られた大気汚染濃度と慢性気管支炎症状の有症率との関係を、大阪府立成人病センターが開発した本件健康調査と同種のプロトコールに則つて大阪府下各地区で行われた住民健康調査結果のそれらの中に並べた場合に合理的にその位置付けが出来るか否かによつて、本件健康調査結果の正確性・信頼性を検定しようとするものであり、清水が「府下調査解析」中において採用しているものである。

(b) 「府下調査解析」が検討した大阪府下各地区中、その疫学的調査結果の代表性・正確性及びpbO2値の地区代表性が安定しており、かつ岬町における本件健康調査の全地区、ABC地区、DE地区とレベルが割合類似している豊中市豊南小学校区及び守口市のデータを重視し、それに準ずる豊中市庄内南小学校区、堺市浜寺の諏訪森地区のデータ及び代表性・信頼性等に破綻はみられないが調査方法の異なる堺市三宝地区のデータ、更にそれに本件訴訟に提出された資料中、右の各調査と条件が比較的よくそろつた高石市取石小学校区で昭和四七年秋に行われた住民健康調査によるデータを加えそれらをそれぞれ参考値として、その有症率と昭和四二年度から昭和四四年度の年平均pbO2値の関係を散布図に示すと、前記別図〔C六三〕の「府下二地区(参考四地区)の有症率とpbO2値の関係」のとおりである(前記一8(二)(2))。この散布図によれば、これらの地区では、五か年調査六地区における有症率とpbO2の方程式(y=1,94a+0.71)より高目の、しかも右方程式の直線の傾きとそうかけ離れていないところに右各データによるプロットが散布している。

そこで右別図〔C六三〕中に、本件健康調査結果による岬町ABC地区及びDE地区の有症率と年平均pbO2値(但し岬町ABC地区にあつては「深日」の同DE地区にあつては楠木の各昭和四二年ないし昭和四四年度のそれをあてた)の各関係をプロットで示すと右同図記載のとおりである。

e 喀痰の提出率及び性状分布による検定

(a) 検定の内容 慢性気管支炎症状では、その病状の有無・程度を主として自覚症状の訴えによつて判断するが、これだけでは客観性が乏しい。ところで同疾病では病理学的にみて粘調な喀痰を出すことが判明しているので、前記のとおり昭和四五年ごろ以降に行つた府衛生部の調査の中にはこの喀痰検査を検定項目に取り入れたものがある。もつともこの検査は慢性気管支炎症状(CB)に限らず「CB疑い」、「C3S3」「S3」をも含めた者を対象者に入れている。提出された喀痰の性状検査については、前記のとおりジョーンズミラーの国際分類基準によつて肉眼でみて分類する。但しこの性状検査は見方によつて判断が分かれるので、府衛生部の習熟した一人の医師が本件健康調査を始めとする他の一連の各調査を担当し各調査間の比較ができるよう配慮していた。なお、右の肉眼による検査では痰と鼻汁との区別はつかない。

(b) 本件健康調査における、

ⅰ 喀痰の提出率は被告の別表〔B五七〕の「喀痰検査結果に関する問題点」の左表の「症状別痰提出率」記載のとおりで、慢性気管支炎症状有症者二四三名のうち検診を受けた者が一五九名であり、右一五九名中一三五名(提出率84.9パーセント)が痰を提出し、喀痰提出対象者とした「CB」、「CB疑」、「C3S3」、「S3」該当者五〇三名全体でみればそのうち検査を受けた者が二六七名であり、右二六七名中二一三名(提出率79.8パーセント)が痰を提出した。その提出率を豊中市・太子町・東大阪市及び高石市の各調査結果と比べると別表〔C五二〕の「岬町他四地区における痰が三か月以上続くと訴えた者の提出率及び性状・量」のとおりである。

ⅱ またその性状・量(粘性痰・膿性痰別・分量別)及び豊中市、太子町、東大阪市及び高石市との比較も同表〔C五二〕記載のとおりである。

(c) もつとも、

ⅰ 右喀痰提出率を、慢性気管支炎症状有症者二四三名からみれば約五六パーセントであり、また喀痰提出対象者とした「CB」、「CB疑」、「C3S3」、「S3」該当者約五〇三名からみれば約四二パーセントにすぎない。

ⅱ 喀痰の提出率及び性状・量の分布による検定は、その性状・量の分布状況の知見が未だ十分な基準となるまでにはいたつていない。

f 閉塞性障害者率による検定

(a) 検定の内容

常俊は、スパイロコンピューターを使い努力性呼気によつて慢性気管支炎症状有症者中から閉塞性障害者率を調査すると、大阪府では検査者側の技術水準が高く安定しているのでその下では、右障害者率は、大気汚染の有無・気候等の差・年令層や喫煙者の散らばり状況の差にかかわらず、なお一五パーセントないし二五パーセントの範囲内に納まるので、この知見を利用し、その範囲内に納まるか否かによつて、アンケート調査結果の信頼性を検定することができるといい、また府専門委員会の審議を経て府衛生部が公表した本件健康調査についての前記「岬町地区の住民健康調査結果について」と題する公式発表中にも、「慢性気管支炎有症者中の閉塞性障害の占める割合……は、これまで調査した地区の慢性気管支炎有症者の病態と同様であつた」と述べ、右障害者率による検定を認知しているごとき記載がある。

(b) 本件健康調査結果によると、岬町における慢性気管支炎症状有症者の右検査受診率及び閉塞性障害者率は、被告の別表〔B五六〕のとおりであり、岬町全区で受診率65.7パーセント、障害者率20.1パーセント(慢性気管支炎症状有症者二四三名、そのうちの受診者一五九名、そのうちの閉塞性障害者三二名)であつた。

(c) しかしながら、右の慢性気管支炎症状有症者中に占めるという閉塞性障害者率自体、常俊が本件アンケート方式による多数の調査の中から得てきた経験的な知見にすぎず、同人でさえ過去には異なる見解を述べていたことがあり、またこの道の専門家間でどの程度承認を得られるものであるかも疑問であり、現に山口はもとより、一連の各調査に共に関与した清水でさえ、慢性気管支炎症状有症者中の半数ほどしか受診していない従前の各調査の中から右基準率を導き出したのであればそれは代表性の点に問題があり無理である旨述べ賛同していない。

(d) もつとも閉塞性障害は、慢性気管支炎症状が進行悪化して現われる症状であるから、大気汚染により近々有症者が増加した地区では新規の発症者が多く、その割合は低くなる傾向があり、逆に大気環境等が長年変化していない地区では逆の傾向が現われやすい。そこでごく大雑把に把えるならば、閉塞性障害者率が著しく低い場合には、近時に大気汚染が増加した等のため閉塞性障害までには至らない慢性気管支炎症状患者が急増したか、アンケート票への虚偽回答が混入したかのいずれか又は双方の可能性を指摘しやすく、他方閉塞性障害者率が著しく高い場合には、アンケート票への虚偽回答が混入している可能性が薄らぐ方向に働きやすいといい得る。

(2) そこで以上の認定事実に前記一8(二)(1)、(2)(「五か年調査」と「府下調査解析」)及び同一8(四)(2)(岬町測定点における環境濃度とその加害性)の諸事実を総合して次のとおり判断する。

イ 府衛生部の行つた本件アンケート調査結果における慢性気管支炎症状有症者の意味

(イ) 大阪府立成人病センターが開発した本件アンケート調査票において把握しようとした慢性気管支炎症状とは、既にたびたび述べてきたように「咳・痰共に三か月以上、毎日のように続き、二年以上にわたるもの」であり、これを、同アンケート調査票の咳及び痰の各項目に二年前から続くと記入した者及びそれ以前の年から続くと記入した者から選び出したもの(前記三2(一)(1)イ(へ)b(d)参照)である。ところが、右アンケート調査票の記載項目及び記入上の注意(同(一)(1)ニ(イ)a)並びにこれを配布した班長等が原則としてそれらの点の説明をしていないこと(同(一)(1)イ(ハ)及びニ(イ)c参照)からみると、右の調査の対象者が多くは戦前戦中の教育等を受けた者であるから、そこに二年前から続くと記入した者(岬町にあつてては五八名)は、「満二年」を超える以前から続くとの趣旨で記入することはむしろ例外で、多くは二年前後(敢えていえばおおよそ一年半以上二年半まで)以上続く趣旨で記入したものではなかろうかとの疑問が生ずる(同三2(一)(1)ニ(イ)a参照)。

(ロ) しかしながら〈証拠〉によれば、本件健康調査と殆んど同じアンケート調査(咳や痰の発症時期が何年前からかを記載させる手法は殆ど変らない)を行つた五か年調査において、一部の者につき咳や痰の出始めた時期が二年未満前からか二年以上前からかについて明確に区別した問診票を使用してアンケート調査結果との一致率の確認を行つたが、その結果は集計方法等に特段の手を加えたことが窺われないのによく一致しており、また同様のアンケート調査を行つた庄内南・豊南各小学校区において右とほぼ同様の問診票を用いて抽出調査が行われたが、その結果得たCB有症者率とアンケート調査結果によるそれもほぼ一致している(同一8(二)(2)ハ(ロ)a(d)ⅲ参照)ことが認められ、右認定に反する証拠がない。してみれば前記のとおり右と同種アンケート調査票を用いて行つた本件健康調査においても同様に所期の目的どおり咳や痰が満二年以上にわたる者を慢性気管支炎症状有症者として捉らえ得たものとみることができるであろう(なお当事者もこの点について特段の争いをしていない)。

ロ DE地区における慢性気管支炎症状有症者の多発集団の存在

本件健康調査結果部分によれば岬町DE地区における慢性気管支炎症状の訂正有症率は前記のとおりおおよそ8.4パーセントと計算される(前記別表〔C四九〕参照)ところ、かかる数値は(イ)DE地区の年平均pbO2値を、調査前三年間或は単年で、「楠木」や「多奈川発電所」の実測値(同一8(二)(1)ニ)でみても、或は「東」「朝日」「小田平」の推定値(同一5(二)ハ(ロ))でみても、更にはそのピーク性、複合汚染のいずれを加えて(同一6(一)、(四)(4))考慮しても、その大気汚染の程度とは全くかけ離れた高訂正有症率であるし(同一8(四)(1)、(2)イ参照)、(ロ)男子の喫煙量別有症率のパターンは、一本ないし一〇本の喫煙グループの有症率が極端に高く、二一本以上の喫煙グループのそれが非喫煙者のグループのそれとほぼ同じで極端に低く、年令別有症率パターンも七〇才以上の高年令層の有症率が四〇才代のそれの三分の一以下で極端に低いなど、いずれも著しく乱れている(同三2(一)(1)ニ(ロ)a)うえ、それについて納得できる他の裏付け事情も立証されていないので、これらの事実によれば、もはや、前記三1(五)(1)ないし(3)(疫学的立場から困果関係推定の第一、第二要件を吟味する場合の留意点)の事情に留意しても、或は岬町全地区からDE地区を分離して判断する点が仮にプロトコールに反しているとしても(同三2(一)(1)ニ(イ)b)、その対象人員数(一、八六九名)、アンケート回収数(一、四九八名分)が少ない点(同三2(一)(1)ハ及びニ(ロ)d)、アンケート未回収分につきいわゆる濃縮効果を生ずる虞れがある点(同三2(一)(1)ハ(ロ))、信頼性の検定の一部に成功しているものがないわけではない点(同三2(一)(1)ニ(ロ)a(〔別表C〕七二)、b、C)などを考慮しても、意識的か無意識的かは別として虚偽回答が相当数混入している疑いが濃厚であるものといわざるを得ず、信頼性を欠き採用しがたいことは明らかである。なおD地区が第二火力の足下にあり第二火力建設に対する心理的影響が現われやすいこと、E地区等で第二火力建設に対する反対運動が活発で本件アンケート調査にその影響が出やすかつたこと(同三2(一)(1)ニ(イ)e(a))、またE地区内の一部では、本件健康調査の僅か半年ほど前に行われた学生調査と比べ有症率が相当増加していること(同三2(一)(1)ニ(イ)e(c))、DE地区での閉塞性障害者率が、受診率は64.9パーセントとそう低いというほどでもないのに、常俊のいう検定巾の最低率(約一五パーセント)より更に小さく(13.5パーセント)その原因を偽証等のせいであるとの方向でみることもあながち穿ちすぎであるとはいえないこと(同三2(一)(1)ニ(ロ)f)などの諸事情も、前記の判断を裏付けるものとみて差し支えあるまいし、また梶原府専門委員会会長が後年難波に対し再調査の必要性を示唆したりしたなどした(同三2(一)(1)ニ(イ)f)のも納得できるところである(原告らは、被告において再調査をなすべきであつたというが、被告にかかる法的義務ないし責任はもとより存しない)。

ハ 岬町全区における慢性気管支炎症状有症者の多発集団の存在

岬町全区における慢性気管支炎症状の訂正有症率が男女計で6.6パーセントであるとした本件健康調査は、全区の有症者二四三名中DE地区のそれが一一五名を占めていることからも明らかなとおり、右DE地区の有症率の影響を強く受けているので、DE地区の有症率と同様信用性を欠き採用しがたいものと判断する。

ニ 岬町ABC地区における慢性気管支炎症状有症者の多発集団の存在

(イ) 岬町ABC地区を一つの単位として把えることは、ⅰ患者原告高木廣一他四名がいずれも同地区内に居住しているため、その地区における慢性気管支炎症状有症者集団の存在等を探りそれから間接的に原告高木他四名各人の発病の因果関係をみる方が、岬町全区のそれから求めるより、可能であるならば直截かつ妥当な結論を得られる面もあるし、ⅱ岬町全区を一個の単位として本件健康調査の結果を纏めると、その有症率を同地区を代表するpbO2値の関連で眺めようとする場合において、岬町は既に繰り返し述べてきたように狭い土地ながら、複雑な大気環境を有しているため、一個のpbO2値測定点で岬町全区を代表するようなものはもとよりないし、さりとて、ABC地区の濃度値を代表する「深日」、D地区を代表する「多奈川発電所」(前記の推定値を使うならば「朝日」・「小田平」及び「東」)及びE地区を代表する「楠木」の各測定値を平均等して求めようとすると、今度は「深日」以外の濃度値が閾濃度値を割りpbO2値と有症率との比例関係が失われているため、その平均値では増加した有症率を説明することができなくなつてしまうという欠点が生じる。そのため岬町ABC地区を一つの単位として独立してみる点に合理性もあるし、ⅲ同地区のアンケート調査対象数・有効回答数・有症者数の点(同三2(一)(1)ハ(イ)、(ハ)、(ホ))からも一つの単位として扱えないほどのことはない。

(ロ) 岬町で行われた本件健康調査はアンケート調査ではあるか、本件調査のごとく、分析項目が多く、かつ喫煙者数(特に女子)や有症者数等のサンプルサイズが小さいなどの場合は相当多数の調査者数を要するためそれなりの合理性があり(同三2(一)(1)ロ(ロ))、また、既に同種アンケート調査が主として大阪市、大阪府その他で多数回行われており(同三2(一)(1)イ(ロ))それらの地区の実績との比較も可能であつて、アンケート調査法の代表性・正確性・信頼性上の問題点があるところから、BMRC方式の面接法に比べ劣るものと極め付けることは出来ず、要はアンケート調査法の持つ右の弱点を代表性や信頼性の検定でいかにカバーし得たかにかかるものとみていて差し支えなく(五か年調査及び赤穂市調査はその点がよくそろつているので、アンケート調査法ながら硫黄酸化物専門委員会によつて判定条件(甲第一九号証)にまで取り上げられたものである)、本件にあつても、以下に述べる、代表性や正確性・信頼性の当否如何によつてその価値を評価すればよい。

(ハ) ABC地区住民母集団の代表性

a 患者原告高木廣一他四名は、いずれも本件健康調査時四〇才を超えているので、同地区における四〇才以式の成人の全数調査を行つた本件健康調査にあつては、ABC地区のアンケート調査票回収率が79.9パーセントであつたことが代表性を満たすか否かのみ検討すれば足る。

b アンケート調査法にあつては、BMRCの面接調査法のような高率の回答率等(同三2(一)(1)ハ(ロ))を求めても無理であるので、代表性の適否のチェックのために、未回収者の全部又は一部について再調査をしたりするなどの手法(右同)が考えられるが、本件健康調査にあつては、かかる再調査の方法は何も取られていない(もつとも右の回収率79.9パーセントは、府衛生部等が同種手法で行つた五か年調査六地区を含む各地区の回収率と比べて殆ど遜色がない(同三2(一)(1)ハ(ホ)))。

c そのため未回収者20.1パーセント分による有症率の濃縮効果が生じているおそれがある(同三2(一)(1)ハ(ロ))。もつとも、これをより正確にみれば、この種規模の疫学調査になると回答不能者が数パーセントはいるといわれている(同三2(一)(1)ハ(ニ))ので、その率を約五パーセント前後とみてこれを差引くと残約一五パーセント分について有症率の濃縮効果を生ずるおそれがあるわけである。そこでその部分について仮に有症者が一名もいなかつたものとみて、所与の有症率を減らせば、右の代表性の問題は無視して差し支えがないことになる。後記第二、三2(二)(3)において有症率を修正する際具体的減率について触れることとする。

(ニ) ABC地区におけるアンケート調査結果の正確性及び信頼性

a 喫煙量・年令と有症率のパターンによる検定

(a) 喫煙の増加及び加令と共に慢性気管支炎症状有症率も増加する(前記三2(一)(1)ニ(ロ)a)というパターンがみられるので、それを利用してABC地区における有症率の正確性・信頼性を検定することは有意義であるところ、

(b) 男子にあつては、喫煙量と有症率のパターンに乱れはなく、僅かに二一本以上の部分が該当者一一三名中有症者一〇名粗有症率8.85パーセントとやや下がるが、有症者が僅か数名増減するだけでパターンの乱れが消える程度であつて誤差の範囲内であると考えて差し支えなく、加令と有症率のパターンは、四〇才ないし四九才台、五〇才ないし五九才台がやや高目のせいか、縫うような形になつているが、C地区の対象者中には緑が丘六丁会に新日本工機の社宅があり同工場で働いていた男子(ごく一般的にみれば、その男子労働者は四〇才以上五九才までのグループに属している可能性が多い)中四名ほどが職業汚染を原因とする慢性気管支炎症状にかかつていた可能性が強く(後記第二、三2(二)2イ(イ)b及びロ(イ)参照)、また岬町には結核の有症率が高く、これも本件健康調査の手法では慢性気管支炎有症者とでてしまう場合がある(同三2(二)(2)イ(ロ)及びロ(ロ)参照)などの点があり、それらが四〇才ないし五九才台で出ておればそれを除くだけでパターンの乱れが消える程度であつて、これまたばらつきの範囲内で生じたものとみて差しつかえあるまい。

(c) 女子にあつては、職業汚染等の影響が少なく、居住地で過ごす時間の占める割合が大きいのでその地区の大気汚染をみるのに適しているところ、その非喫煙者の有症率は低いし、喫煙者を含む年令別有症率パターンには乱れがない。なお非喫煙者の年令別有症率パターン(前記別図〔C七二〕)では六〇才台のそれと七〇才以上のそれに乱れが多少あるが、僅か有症者一名以内の差で生じたものにすぎず、ばらつきの範囲内ともみうる。

(d) したがつて、ABC地区は、DE地区と異なり、本件健康調査結果の正確性・信頼性がまずは存在する方向で考えてよく、補助的に以下のbないしfの各検定結果も大なり小なりは別としてそれを裏付ける方向に働くものと思われる。

b 咳の出る時による検定

慢性気管支炎症状有症者は一般に咳を伴うが、その咳は昼のみ、昼と空気が臭いときだけ及び空気が臭いときだけにでるということは臨床像に合わないので、これによつて検定しようとするものである。本件健康調査において右の場合を選んだ者は0かごく僅かであり(同三2(一)(1)ニ(ロ)b)、その限りで信頼性がないという結果はでなかつた。

もつとも右の検定内容からみて、これが正確性・信頼性の検定としてさほど有益なものであるとは思われない(なお咳の出る時につき朝に比べ夜が多い点は後記三2(一)(2)ホ(イ)c参照)。

c 有症者が一定の家族に偏つているか否かの検定

もし症状のない者が故意に有症者を装うような場合には、同居の家族も同様に振舞う可能性が考えられる(同三2(一)(1)ニ(ロ)c)。もつとも同居家族は、同じ暴露条件・体質・遺伝的条件等があるので有症者が複数になつてもおかしくはないが、虚偽回答があればその数は更に多くなると考えられるので、そのような家族数が少ない場合には信頼性の検定の役割を果し得るものと考えられる。ところで常俊・清水は本件においてはかかる偏りがなかつたという(同右)ので、この面から信頼性が補強される。

もつとも右検定がどれほど信頼性の検定に役立つかは問題であり、また本件におけるその実数が報告されていないので、いずれにしてもこの検定の価値は殆どない。

d 大阪府下地区の調査結果の中に合理的な位置付けが出来るか否かによる検定

(a) 大気環境濃度と慢性気管支炎症状有症率との関係について、大阪府下の各調査結果のそれの中に本件健康調査結果のそれを浮かべ合理的に位置付けができることを示して、その正確性・信頼性を検定しようとするものであり、発想は妥当である。

(b) もつとも前記一8(二)(2)ハ(イ)でも述べたとおり、比べるべき大阪府下の各調査結果自体の正確性・信頼性に問題があるため府下調査解析が導き出した硫黄酸化物濃度による原告らの別図〔A四二〕の「大阪市調査との比較(計)」や推定窒素酸化物濃度による同別図〔A三九〕の「地区別推定NOx濃度と有症者率」に各記載の式を利用して検定することはあまり意味がない。

(c) しかしながら前記別図〔C六三〕の「府下二地区(参考四地区)の有症率とpbO2値の関係」に示したごとく、豊中市豊南小学校区及び守口市の各データと、参考として豊中市庄内南小学校区、堺市浜寺の諏訪森地区、同市三宝地区及び高石市取石小学校区の各データからみれば、これらの地区のプロットはいずれも五か年調査六地区から出た方程式y=1.94a+0.71より明らかに高目の有症率を示し、かつその分布傾向も五か年調査六地区で得られた右方程式の直線の傾きとそれなりに類似しているとみれる(同一8(二)(2)ハ(ロ)参照)ので、これと岬町ABC地区のpbO2値と有症率の関係を比べることはそれなりに有意義である。その結果は右別図〔C六三〕に岬町ABC地区のプロットを付記したごとく、それは他の六地区と類似した傾向を示しているから、その限りにおいて右検定は一応成功しているものとみれる。

e 喀痰の提出率及び性状・量による検定

喀痰の提出率は他地区と比べて低くないし、その性状・量も他地区と割合よく似ており、大きな隔たりはない(同三2(一)(1)ニ(ロ)e(b))。しかしこのデータは岬町全区の、しかも慢性気管支炎症状以外の痰提出者をも含めたものであるし、また、未だ提出率及び性状・量の知見が十分な基準となるまでには至つていない(同三2(一)(1)ニ(ロ)e(a)及び(c)ⅱ)ので、その価値を認めるとしても殆ど無視し得る程度にしかすぎない。

f 閉塞性障害者率が一定の巾の中に納まるか否かによる検定

(a)常俊のいう閉塞性障害者率自体、例えばこれを得た過去の各調査の受診率が低い等種々の問題があり(同三2(一)(1)ニ(ロ)f(c)参照)未だ客観性を有する合理的知見とはなしえず、右の巾に納まるか否かによる検定は採用できないが、(b)ただ、ごく一般的にみて慢性気管支炎症状有症者中に占める閉塞性障害者率が大きくなれば、アンケート調査票への虚偽回答の可能性が減るとはいえる(同三2(一)(1)ニ(ロ)f(d)参照)ので、ABC地区は、受診率が69.2パーセントと高いうえ、閉塞性障害率が常俊のいう二五パーセントを更に上回わる26.4パーセントであり、有症率を高目に示すことはないという意味で正確性・信頼性がみとめられる方向に作用するものではある。

(ホ) 以上の(イ)ないし(ニ)の各判断を総合すれば、

a 岬町ABC地区における本件健康調査の結果は、たつた一回切りしか行われていないし、しかも単位性や正確性・信頼性の検定の点でも幾許かの問題点を留めてはいる(したがつてその結果から計算される同地区における慢性気管支炎症状の訂正有症率4.9パーセントは、割引いてみなければならない、次のb及び後記第二、三2(二)(3)参照)。しかしながら、それによつても、自然有症率を超える一定の慢性気管支炎有症者の多発集団が実在したことは認めることが出来るものと判断される。そしてそのことは前記一8(四)(2)イ(ロ)及び(ハ)で示した「深日」及び「役場」の大気環境濃度の侵害性からみれば当然の帰結であろう(同三1(五)(4)イ参照。なお乙H第一六号証及び原告生井正行本人尋問の結果中には、岬町内における閉塞性肺疾患々者数について触れる部分があり、それらによれば昭和五二年当時ではあるが右有症者が約一三〇人ほどである趣旨を述べている部分があり、その数は自然有症率約三パーセント前後以内に納まつていることが窺われる。しかしながら、右原告本人尋問の結果及び同原告の発言を記事にした乙H第一六号証の記載は、同原告が岬町福祉金支給条例受給者数に引きづられてかなり不確かな発言をした可能性があり――現に被告もこの点を取り上げて、本件住民健康調査の結果示された高有症率を批判しようとはしていない――、既に述べた同三1(五)(4)イの事実に照らし措信しがたいところである)。

b 但し右ABC地区の調査結果については、右においても触れたごとく、以下の問題点が残つているので、後記第二、三2(二)(3)及び(4)において同地区における大気汚染に起因する有症率を探るにあたつては十分これを留意しなければならない。すなわち、

(a) ABC地区を一つの単位にみて分析することは、ⅰこの区分が、単なる人為的な分割にすぎないものではなく、pbO2値測定点の代表し得る地区との関係で纒めており(同三2(一)(2)ニ(イ))それなりの合理性は求め得るのであるが、しかしながらその測定点及び測定値の、ABC地区内における地域代表性等には、これをもう少し細かい観点から見れば少なからず問題があり(後記第二、三3(二)(2)ロ(ハ)a)その面からの検討を要するし、ⅱABC地区の調査対象者数が二、五二四名、有効回収者数が二、〇一二名、有症者が一〇四名であり(同三2(一)(1)ハ(ハ))、近畿地方大気汚染調査連絡会や府衛生部が従前五か年調査六地区を始めとする各地区の調査であつかつてきた人数よりやや少なく、(例えば同一8(二)(2)ロ(ニ)b参照)多岐にわたる項目別検定の結論の安定性に多少問題が残る。

(b) アンケートの調査の代表性については先に三2(一)(2)ニ(ハ)cで判断したとおり相応の配慮が必要である。

(c) 本件健康調査のプロトコールには、調査結果の正確性等の検定のため問診による一致率の調査を行うものとしていたのに、清水らは、熟練した問診技術者が得られなかつたとか、現実に行つた保健婦らの問診実施状況からみて吟味に耐え得るものではなかつたと述べ、その調査結果が瞹眛になつて終つている(同三2(一)(1)イ(ハ)及び二(イ)b)。アンケート調査法では、その調査結果の正当性を誇示するために一番必要なものとして、正確性・信頼性の検定があげられ(同三2(一)(1)ロハ、(2)ニ(ロ))、かつ、その一番強力な手段の一つが一致率の検定であるから、その予定表を無視した(三2(一)(1)ニ(イ)b)ことは、本件健康調査結果の正確性の担保にとつて重大な影響を蒙る。

もつとも原告らは、五か年調査の際大阪府立成人病センター方式のアンケート調査と問診の各結果が高い一致率を得ているので、我国のように社会的階層や居住地区の相違によつて調査の差がでるとは考えられないところでは、大阪市内で行われた右一致率を岬町においても引用することができるというが、岬町にあつては前記三2(一)(1)ニ(イ)のようにアンケート調査結果の偏りの危険性が少なからずあつたのであるから、かかる一般論が通ずるはずがない。

そこで清水らは、一致率の検定に代わるものとして前記三2(一)(1)ニ(ロ)に記載した各種検定を行つているのであるが、本件健康調査が前記三2(一)(1)ニ(イ)のaないしeで述べたとおりの、調査結果の偏りを生ずる各種の可能性の中で実施されていたのであるから、この程度の検定項目・検定内容で足れりとすることはできないし、その具体的検定結果も先に判断したとおり正確性・信頼性を裏付ける形で一〇〇パーセント十分に出ているわけではない(同三2(一)(2)ニ(ニ)参照)。

なお本件健康調査結果は、その道の専門家集団たる府専門委員会に諮問されているが、その調査結果の資料が十分提出され慎重審議されたうえでのものとは必ずしもみれず、また本件健康調査結果を解析した大阪府名義の「府下調査解析」も、府専門委員会や府公審大気汚染分科会等の審議に諮られたものではない(同三2(一)(1)ニ(イ)f)。したがつてこれらの諮問を得たこと等により、本件健康調査結果を権威付けてみることもまた出来ないのである。

してみれば、正確性・信頼性の点にもまた問題が残り、見せかけの慢性気管支炎症状有症者が混入している虞れがあるのでその有症率の具体的検討にあたつてはこの点をも加味して判断しなければならない。

ホ 当事者の主張中、前記の判断で触れていない主要な残部に対する判断

(イ) 原告らは岬町全区又は同町DE地区に関して、

a 原告らの別図〔A三六〕の「喫煙量別有症率(地区別)」においてDE地区ひいては岬町全区のパターンが大きく乱れている点につき、これは吹田市や豊中市千成地区等でも見られる現象であり、清水のいう、医師の慢性気管支炎症状有症患者に対する禁・減煙指導の効果が出たものである、或は常俊のいう、職業汚染の影響がでたものであるとの各弁疎を援用している。

しかしながら、(a)まず吹田市や豊中市千成小学校区の調査は喫煙者や地域移住性が少ない女子の年令別有症率でも同様に乱れている(前記一8(二)(2)ロ(ニ)e(a))から、「府下調査解析」(甲第二七号証)も指摘するとおり、それらの両調査自体が信頼できないし、(b)次に清水のいう患者に対する禁減煙運動の指導効果が現われたものとの弁疎は、証人清水忠彦の証言によれば同人が単にそう推測するのみであり、岬町や周辺の病院・診療所等の医師らに問い合わせるなどの裏付調査をした結果ではなく、かえつて、〈証拠〉によれば、岬町における慢性気管支炎症状患者が入通院する病院・診療所等の医師の範囲・数はそう多くなく限られていることが認められるのに、右原告らの別図〔A三六〕にみられる喫煙量一本ないし一〇本における有症率と一一本ないし二〇本におけるそれとの差が、DE地区とABC地区とで違いすぎ、したがつて、その原因は医師の禁減煙運動の効果差に求めるよりむしろDE地区において特殊な事情があつたことに求める方が合理的であるので、清水の右推測ははずれている可能性が窺われるところであり、(c)更に常俊のいう職業汚染が現われたものとする弁疎も未だこれを裏付けるに足る証拠がない(なお後記第二、三2(二)(2)イ(イ)のとおり、新日本工機の社宅には男子の職業汚染患者がいるが、ころらは岬町ABC地区に居住している者であり、同町DE地区にもその有症率を大巾に引きあげるような新日本工機勤務の有症従業員が多数居住していたものとするに足る証拠はない)。したがつて原告らのいうように、喫煙量別有症率パターンの乱れにもかかわらず同町DE地区の調査結果部分には正確性・信頼性を合理的に裏付ける事情があるものとすることはできない。

b 原告らの別図〔A三七〕の男子の「年令別有症者率(喫煙の影響を標準化)」において、DE地区ひいては岬町全区のパターンが乱れている点につき、統計的な誤差の範囲或は職業汚染が出たものと弁疎する。

しかしながらDE地区のアンケート調査票の回収数が少ないことを考慮しても、七〇才以上の有症率の低さとそれにひきかえ四〇才台の有症率の高さにはかなりのずれがあるから、その年令別有症者数からみて単なる誤差では片付くものではない(前記別図〔C七〇〕参照)し、DE地区住民の職業汚染によつて説明するには前記のとおりこれを裏付けるに足る証拠がなく、したがつてここでもまた年令別有症率のパターンが乱れているにもかかわらず、同町DE地区の調査結果部分には正確性・信頼性を合理的に裏付ける事情があるものとすることはできない。

c 咳の出る時による検定において、昼のみ、昼と空気の臭いとき、空気の臭いときのみと答えた者が0又は少なかつた旨、或は有症者が一定の家族に偏つているか否かの検定で、偏つていなかつた旨それぞれ述べるところ、これらの検定は原告らの主張どおり成功している(同三2(一)(2)ニ(ニ)b、c)が、右各検定は補助的な価値しかなく、これでもつて右調査結果部分に正確性・信頼性があるとすることはできない。

d 喀痰の提出率及び性状・量の検定を主張するが、未だ提出率及び性状・量の知見自体が不安定であつて(同三2(一)(1)ニ(ロ)e(b)、(c))検定力が弱すぎる。なお大阪府衛生部も本件健康調査に関する公式発表たる「岬町地区の住民健康調査結果について」(甲第三一号証ないし三)中において「痰の性状等の病態は、これまで調査した地区の慢性気管支炎有症者の病態と同様であつた」と述べ右検定力を認知しているごとく読めるが、採用の限りでない。

e 閉塞性障害者率が一定の巾の中に納まるか否かの検定を主張するが未だその知見自体が客観性を有する安定した知見とはなつていない(同三2(一)(1)ニ(ロ)f(c))ので、これまたその検定力が弱すぎる。

f 岬町AないしEの各地区別有症率の分布と大阪府の行つた「拡散式による大気汚染解析」(乙c第一一号証)中の大気汚染濃度の推定値の分布が一致していることをあげるが、右の推定値自体が実測値と比べ大巾にずれていて(同一8(三)(1)ハ(ロ)ⅰ参照)妥当でないから、この点より正確性・信用性を裏付けることもできない。

g 原告らは、その他に、別添原告らの別冊第三章第三、三等で、本件健康調査結果によつて得られた岬町全区ないし同町DE地区における慢性気管支炎症状の有症率が信頼性に豊む旨縷縷主張しているが、いずれも同三2(一)(2)ロ及びハの各事実に照らし採用しがたい。

(ロ) 被告は

a 或る疫学調査の結果が正しく信頼し得るとするためには、その実施にあたり、被告の反論第一一、二1(一)(2)に①ないし⑥として掲げる、対象集団の選択・標本の収集方法の決定・調査方法の選択と決定・結果の解析・仮説の設定・仮設の検証の基本要件が充足されることが必要である。しかるに本件健康調査にあつては、かかる基本要件を満たした正しい疫学的接近法がとられていないので、もはやそれ自体で(具体的な信頼性の検定項目の検討にいたるまでもなく)、同健康調査結果が導いた慢性気管支炎症状の有症率を採用しがたいと反論する。

そしてもし右の六つの基本要件の充足が必要不可欠であるとすると、本件健康調査結果がそれを一部充足していないことは既に述べてきたところから明らかである(例えばプロトコールの一部不実施、同三2(一)(1)ニ(イ)b)。

しかしながら右批判は、本件健康調査が科学として疫学上価値を有するか否かの見地に立つて行うものであり、ここで必要な法的因果関係を追求する一手段として妥当か否かの見地に立つていないものであるから、立場の異なる批判にすぎず採用の限りではない(同三1(五)(1)ないし(3)参照)。

本件健康調査は先にABC地区の結果についても指摘したとおり(同三2(一)(2)ニ(ホ))、決して十全なものではあり得ないが、しかしそのような不十分なものながら疫学的調査があり、その結果から不十分ながら、そして一定の留保条件を付けたままではあるがそれなりの正確性・信頼性等を持つて一定の有症率の存在を窺わせるに足る事実がでてくれば、そのような事実があること自体を一つの間接事実として、その余の間接事実と総合のうえ因果関係の存在を法的に判断することができるのである(後記第二、三4(四)及び5参照)。

b 年令別喫煙量別パターンの検定についての指摘の一つとして、岬町の女子の非喫煙者についてAないしE地区別、年令別有症率パターンをみると、被告の別図〔B八九〕の「岬町四〇才以上の女子の非喫煙者群における年令区分別粗有症者(率)」に示すとおり、D地区以外の総ての地区で乱れているし、その場合の対象数については、吹田市、高石市等での同種方式による検討のケースと比較して対象数が少なすぎるということもないという。

しかしながら、右別図〔B八九〕中の右側表中に明らなとおり、各ポイントごとの有症者実数は僅か0から六名まで(ABC地区では0から三名まで)であり、かかる数でパターンを論じても意味がないことは証人清水忠彦、同山口誠哉の証言に照らして明らかである。

(二) 岬町ABC地区における慢性気管支炎有症者の現実の有症率、及び、そのうちにあつて大気汚染との関連が問題となるCB多発集団の同有症率の推定

(1) はじめに

イ  岬町ABC地区における住民健康調査結果から得られた慢性気管支炎症状有症者の訂正有症率4.9パーセントには種々の問題がありその数字どおりにはとれない(前記三2(一)(2)ニ(ホ)参照)。ところで疫学的手法を用いた間接的な発病の因果関係を探るについては、既に前記三1(六)において述べたとおり同地区に実在した、慢性気管支炎症状全有症者の有症率及びそのうち大気汚染との関連が問題となるCB多発集団の有症率を探ることが不可欠である。その訳を再度いうと、(イ)岬町ABC地区に、自然有症率を相当上回わる高度の全有症率集団が確実に存在するならば、同地区に居住する患者原告高木廣一他四名は、右全有症率集団と同一特性を有することを主張・立証するだけで、右全有症率集団中のCB多発集団と同様大気汚染によつて慢性気管支炎症状に罹患したものであると事実上推定を受け得ることになる(換言すれば、被告においてそうでない旨の間接反証、特別事情の反証等を提出しなければならないことになる)し(同三1(六)(2)、後記第二、三2(二)(4)ロ参照)、(ロ)逆に同地区に自然有症率を相当上回わる高度の全有症率集団が確実に存在しないならば、同患者原告らにおいて右の事実上の推定を受け得ないので、発病の因果関係推定の第一ないし第三要件としてCB多発集団を取り上げ同集団を経由して発病の因果関係を立証しなければならない(前記三1(六)(2)ハ、後記第二、三2(二)(4)ロ)からである。

そこで以下においては、不法行為を支配する公平、合理性の理念に従い安全を見込みながら、これらを推定することとする。

ロ  岬町ABC地区に自然有症率三パーセントを超える慢性気管支炎症状有症者の多発集団があること、その患者集団の訂正有症率は計算上4.9パーセントであるがその数値には多くの問題点があり検討を要することについては既に述べたし(前記三2(一)(2)ニ(ホ))、慢性気管支炎症状の発病原因としては、大気汚染のほか、加令・性・喫煙量・職業性因子・結核その他の細菌ウイールスの感染・遺伝性素因・既往症・低収入・気象環境・肺の防禦機能とその破綻及び各種因子の重積・アレルギー体質・アレルゲン等が係つていることも同二1において述べたし、また自然有症率はおおよそ三パーセントであり、それには大気汚染以外の、かつ通常一般に予測される原因因子による発病者を含んでいることについては後記第二、三3(二)(1)ロにおいて認定するところである。

そこでここでは、岬町ABC地区における計算上の訂正有症率4.9パーセントから自然有症率である約三パーセントを差し引いた残訂正有症率1.9パーセント(以下「残訂正有症率」という)の中に、(イ)大気汚染以外の岬町ABC地区特有の、自然有症率をはみだす慢性気管支炎症状の罹患原因の存在(例えば、職業汚染とか、異常に多い肺結核、その他)を仮説として立てないで済むか、かかる仮説をたて検証した結果それを否定し得ない場合には、その分として残訂正有症率からどの程度差し引けば足るか、(ロ)アンケート調査票未回収者(同三2(一)(1)ハ(ハ)、(ニ)、(2)ニ(ハ)cに述べた約一五パーセント分)発生に伴う代表性の欠如(いわゆる有症率の濃縮効果)の問題(同三2(一)(2)ニ(ハ)c及び(ホ)b(b))があるので、これによる右残訂正有症率の減少をどの程度で食い止め得るか、(ハ)また同健康調査結果には正確性・信頼性等にも問題がある(同2(一)(2)(ホ)b(c))ので、これによる右残訂正有症率の減少をどの程度で止める得るか等の問題を、次の(2)ないし(4)で順次探り、その結果残つた岬町ABC地区における慢性気管支炎症状の訂正有症率があれば、この有症者集団こそ、その原因が大気汚染であるか否かの検討を要する対象となるのである。

(以下右の有症者集団を「大気汚染との関連が問題となる有症率集団」といい、その訂正有症率を「大気汚染との関連が問題となる訂正有症率」という)

なお大気汚染が右集団の原因となつているか否かについては、前記三1(七)で述べたとおり、3以下において検討する。

(2) 岬町ABC地区における職業汚染及び結核患者超過分等による、残訂正有症率の減少について

数字上現われた残訂正有症率1.9パーセントは、自然有症率約三パーセントを差し引いた残りであるが、前記慢性気管支炎症状の発症原因中、大気汚染のない地区において通常予測される以上の大気汚染以外の発病原因がある可能性が考えられる場合には、その分を残訂正有症率から更に差し引かなければならなくなる。そこで案ずるに、

イ 〈証拠〉を総合すれば、次の事実が認められ、その他に右認定を左右するに足る証拠はない。

(イ) 職業汚染患者について、

a 府衛生部が公表した前記の「岬町地区の住民健康調査結果について」(甲第三一号証の一)中には、「C地区内の新日本工機社宅では男子の有症率が地区平均の二倍程度」である旨記載されており、また大阪府の担当者が原本を作成した前記別表〔C五〇〕の地区別明細資料中でも、同社宅の所在するC地区内の「緑六丁会」の同有症率が12.5パーセントと、顕著に高率を示している。

b 新日本工機岬工場は前記一4(七)(4)のごとく鋳物工場で、工場内で焚く燃料から硫黄酸化物や粉塵等が立ち込め、その空気がかなり汚染していたため、その工員等に右職業汚染に基づく慢性気管支炎症状患者が発生していたことが窺われる。

c ところで同社宅の所在する右の「緑六丁会」の本件アンケート調査結果は、回収者(男女計)六四名、慢性気管支炎症状者数(男女計)八名であり、「緑六丁会」が属するC地区の粗有症率は男子9.1パーセント、女子3.6パーセントである。

(ロ) 肺結核患者について

a 本件アンケート調査票による慢性気管支炎症状有症率の調査では、その有症率の中に肺結核によつて同症状を示すものも含まれてしまう。

b 慢性気管支炎症状の自然有症率中に肺結核患者が混入している割合は、一般的には一割を超えることがないといわれている。

c 岬町においては結核患者が他地区と比べ多いといわれているところ、大阪府衛生部公衆衛生課作成の「結核登録者の現況」の第5表(乙E第六八号証の三)によれば、昭和四七年末現在の人口一〇万人に対する罹患率は、大阪府下の167.7人に対し岬町が317.3人であり約1.9倍高い、なおこの倍率は、当時の結核有症率で比較しても大差がない。

d 肺結核患者の中でも慢性気管支炎症状(咳痰共に三か月以上毎日のように続き、二年以上にわたること)を呈するような症状の者は、かなり病状の悪化している部類に入つているから、右の肺結核患者中のそう多くを占めないであろうし、またその一部は入院して岬町外に出ている者もいるはずである。

(ハ) 岬町全体における住民の世帯別職業構成は、農業・林業・漁業・商工業等以外が過半数を占めており、その中には大阪市・堺泉北方面に出て大気汚染状況下において働いていた者も存在するところ、大阪府立成人病センターが昭和三八年ごろ大阪府池田市で行つた住民健康調査では、大阪市等に働きに出ている者の中に自然有症率を超える慢性気管支炎症状有症者が存在した旨指摘されており、岬町においても同様の可能性が存在する。但し清水は本件健康調査の際の問診によつて記入された慢性気管支炎カルテ(乙E第四八号証参照)を後日見たことがあつたが、そのときの印象では特別に職業的汚染がひどいという感じは受けなかつた旨述べている。

(ニ) 岬町ABC地区は能勢・洲本・赤穂等と比べ収入・気象・環境その他の点において、かけ離れた差異はなく、結核以外に細菌・ウイールスの感染等の特殊事情を推察させる事情もなく、更に遺伝的素因や既往症等の点においても、その実体を知ることはできないが、かけ離れた差異があることを窺わせる兆はない。

ロ 右イの(イ)ないし(ニ)の各事実によれば、

(イ) 新日本工機の従業員中には職業汚染としての慢性気管支炎症状有症者が出ていたものと推測されるところ、同会社のC地区内にある同工場の社宅では男子の有症率が地区平均の二倍程度あり、その増加分該当者は新日本工機工場内の大気汚染(職業汚染)によるものと推認される(前記三2(二)(2)イ(イ)a、b)。同社宅のあるC地区の「緑六丁会」のアンケート調査結果は、男女計の回収数六四名、うち有症者数が八名で、「緑六丁会」が属するC地区の粗有症率が男子9.1パーセント、女子3.1パーセントである(同三2(二)(2)イ(イ)a、c)。そこで「緑六丁会」の男子粗有症率を二倍の18.2パーセント、女子のそれを3.6パーセントのままとして、男子の有症者数を推定すると、右八名の有症者中約七名を占めていたものと計算され、その半数である三ないし四名が職業汚染による有症率の増加分と考えられるので、岬町ABC地区の有症者約一〇四名から安全を見込んで四名を差し引くとその残有症者数は一〇〇名であり、粗有症率にして約0.2パーセント減少する(訂正有症率は右四名が原告らの別表〔A三八〕の「標準人口」の男子一六分類中のいずれに該当しているのかがわからないので計算できない)可能性が強いことがわかり、

(ロ)a 岬町における肺結核患者の罹患率は、本件健康調査実施後程ないころである昭和四七年末現在で大阪府の1.9倍あつた(同三2(二)(2)イ(ロ)c)ところ、慢性気管支炎症状の自然有症率(約三パーセント)中に混入する肺結核患者の割合は一割以下であるといわれている(同三2(二)(2)イ(ロ)a、b)から、大阪府下の結核罹患率を平均的なものとみて岬町における肺結核患者の占める率を算出すると0.57パーセントである。つまり、岬町ABC地区の全有症率中に占める肺結核患者は、自然有症率約三パーセントの中に約0.3パーセント混入するほか、敢えていえば自然有症率を超過する残部の訂正有症率中に更に0.27パーセント分含まれている虞れが強いのである。

b もつとも右の概数は、(a)岬町全体の肺結核患者の罹患率でみており、ABC地区のそれではない(同三2(二)(2)イ(ロ)c)、(b)肺結核患者の有症率でみるべきであるのに、その罹患率でみている、(c)肺結核患者の総てが継続的に咳及び痰を出すものではないし、町外へ入院してしまつた者もいる(同三2(二)(2)イ(ロ)d)のに、全員を慢性気管支炎症状有症者として計算している点で問題がある。

しかしながら、右(a)については、岬町ABC地区にはそのデータがないし、他方同地区が岬町全体と比べ結核にかかる率の点で差異があるとの反対証拠もないので、ABC地区の結核罹患率を岬町全体のそれと同率であつたと推定することとし、右(b)については、その当時の岬町と大阪府における、結核罹患率の比と結核有病率の比にはさほど差異がない(同三2(二)(2)イ(ロ)c)から、同率にあつかうこととし、右(c)については、そのとおりであるが、安全を見込んで多目に一定の肺結核有病率をみるのはやむを得ない。

そうすると結局岬町ABC地区の慢性気管支炎症状の残訂正有症率の中から、他の調査地区と比べて多い肺結核患者分としておおよそ右の分を差し引かなければならないことがわかる。

(ハ) 大阪市・堺泉北方面への通勤者中に職業汚染患者がいる可能性(同三2(二)(2)イ(ハ))及び新日本工機における職業汚染患者が前記社宅以外の岬町ABC地区に居住している可能性(同三2(二)(2)イ(イ)b参照)も否定しがたいので、その分も挙証責任の関係上同じく差し引かなければならない。但しその率はごく少量であろう(同三2(二)(2)イ(ハ))。

(3) 岬町ABC地区に関する、本件健康調査の代表性・信頼性の不足等による残訂正有症率の減殺について

イ 前記三2(一)(2)ニ(ハ)c及び(ホ)b(b)で触れたごとく、ABC地区のアンケート調査票の有効回収率は79.9パーセントであるところ一般に予測される数パーセントの回答不能者を除いた残未回答者約一五パーセント分(約三七九名)については、通常有症率が低く、そのため回答者のみの有症率では、濃縮効果を生ずる虞れが強い。そこで残訂正有症率からその分を減殺しなければならない(同三2(一)(1)ハ(ロ)ないし(ニ))。もつともABC地区のアンケート調査票回収率は79.8パーセントであつて五か年調査六地区や大阪府下調査中の別図〔C六三〕の五地区(堺三宝地区は問診法なので除く)のそれらと殆ど同じであり、また五か年調査六地区にあつても代表性の把握に触れていなかつたが(同三2(一)(1)ハ(ホ))、その点はそれほど問議されていないし、更に本件全証拠によるも右ABC地区のアンケート調査に代表性が疑われる特段の事情が認められないので、右にいう有症率の濃縮効果はさほど重要視しなくてもよいであろうし、その濃縮効果の程度もそれほど極端なものとも窺えない。

しかしながら一応極限の場合を想定して仮にその中に一名の有症者もいなかつたときの減縮率を計算するとABC地区の粗有症率を0.82パーセント(前記三2(二)(2)ロ(イ)の新日本工機社宅の職業汚染分と合わせると粗有症率で約一パーセント)下げることになるし、

ロ 前記三2(一)(2)ニで縷縷述べたごとく、ABC地区のアンケート調査結果はたつた一回きりの、正確性・信頼性等に種々の問題を含むものであるから、その分の危険性をも差し引く必要がある(なお前記三2(一)(2)ニ(ホ)aで述べた乙H第一六号証及び原告生井正行の本人尋問の結果についても参照)。

(4)  以上によれば、慢性気管支炎症状の発病原因は右三2(二)(1)に述べた種々の原因が考えられるが、岬町ABC地区にあつては、そのうち加令・性・喫煙量の差異につき標準化して訂正有症率を求めているので、その点での特殊性は消えており、低収入・気象・環境等に差異は考えられず、結核以外の細菌ウイールスの感染等の特殊性もこれを窺わせる事情がなく、遺伝的素因その他についても特殊性の存在を窺わせるものはない(同三2(二)(2)イ(ニ))。

したがつて残訂正有症率から差し引くべきものは、イ新日本工機従業員の職業汚染・肺結核・町外通勤者の職業汚染分による有症率(同三2(二)(2)ロ(イ)ないし(ハ))と、ロ代表性の把握・正確性・信頼性の検定の各不十分さに基づいて混入した見せかけ上の有症率(同三2(二)(3)イ、ロ)である。

ところで既に述べたところから明らかなように、これらの差し引きは定性的には可能ではあるが、定量的に行うことはすこぶる困難である。それをしも承知の上で、前記三2(二)(2)、(3)の事情(同三2(一)(1)での認定諸事実や同三2(一)(2)ニで示した諸判断)を中心にして、不法行為を支配する公平の理念(同一1(二))、原告らの負担する挙証責任(安全性の配慮)等の諸事情をも総合し、残訂正有症率1.9パーセントから右の諸事情を差し引くと、未だ控え目にみても約一パーセント足らず程度の有症率が残る(その集団の規模が小さいことをとらえ、ばらつきの範囲内のものであつて意味を持ち得ないとの批判は、法的因果関係の検討の中においては的を得ていない(同三1(五)(1)ないし(3)参照))ものと判断するのが妥当である。

ロ  してみれば、岬町ABC地区における慢性気管支炎症状の全有症率集団の現実の有症率は、おおよそ四パーセント余ほどにすぎず、そのうちの大部分にあたる三パーセント余を自然有症率集団等が占めていたのであるから、岬町ABC地区における慢性気管支炎症状の全有症率集団は、前記の同一判断対象第一ケース(同三1(六)(2)イ(イ))に該当しないことが明らかであるし、またCB多発集団が僅か一パーセント足らずでは本件関係各証拠をもつてするも前記の同一性判断対象第二ケース(同三1(六)二イ(ロ))に該当するものと認め得ないことも明らかである。

したがつて患者原告高木廣一他四名が右の全有症率集団と同一性を有するとしても、これによつて同原告らがCB多発集団と同様大気汚染によつて慢性気管支炎症状に罹患又は増悪していたものと事実上推定することができないことも明らかである(同三1(六)(2)イ(イ)、(ロ)参照)。

そこで次の三3、4における発病の因果関係推定の第二、第三要件の検討にあつては、大気汚染との関連が問題となる有症率集団(CB多発集団)を対象として論ずれば足ることとなる(同三1(六)(2)参照)。

3岬町ABC地区における慢性気管支炎症状多発集団と同地区における大気汚染との因果関係

(一) はじめに

岬町ABC地区においてみられた前記CB多発集団(訂正有症率約一パーセント足らず)が同地区における大気汚染を原因として生じたものであるか否かの、発病の因果関係推定の第二要件を探る(前記三1(三)(2)、(3)、(六)(2)参照)について、その判定基準として、原告らはマクメインらの「疫学の原理と方法」(甲第四一号証)の考え方に学んだとする判定基準を掲げてそのあてはめを論じているが、被告は、原告側申請の証人である清水が原告らが右判定基準を主張する以前に証言していた所謂疫学四条件へのあてはめに対する反論を述べるに止まるため、その判定基準についての主張が噛み合つていない。ところでここで判断する因果関係の存否は、つまるところ法的因果関係の存否の判断であり、科学としての疫学における因果関係の有無を判定するものではない(同三1(五)(1)、(2)参照)。したがつてその判定基準は右の二つのうちのいずれかでなければならないものではなく、具体的な本件ケースの中でそれに相応しい判定基準を選び出せばよい(もつとも証人清水忠彦の証言及び弁論の全趣旨によれば、疫学の世界においても、対象とする事象の性質と得られる資料の程度に応じていろいろな方法を駆使して疫学上の因果関係の有無の判定がなされていることが認められる)。ところでかかる立場にたつて右両判定基準をみるに両者は実質上殆ど同じような内容を取り上げて検討しているのであり、以下においては、従前からよく判定基準に引き合いに出されている(例えば環境庁保健部保健業務課編「公害医療ハンドブック(公害健康被害補償法の解説)」、甲第二九三号証)、いわゆる疫学四条件、つまり①時間的順序――その因子は発病の一定期間前に作用するものであること(以下「①の判定基準」という、その余もこれに準じて略称する)

②量と効果の関係――その因子の作用する程度が著しいほどその疾病の罹患率が高まること

③その因子の分布消長の立場から、記述疫学で観察された流行の特性が矛盾なく説明されること

④その因子が原因として作用する機序が生物学的に矛盾なく説明されること

を中心にし、併せて⑤因果関係がないという可能性を排除できることを付加して論ずることとする。

(二) ①ないし⑤の判定基準の個別的検討

(1) 〈証拠〉を総合すれば、次の事実を認めることができ、証人塚谷恒雄の証言中右認定に反する部分は未だ措信しがたく、その他に右認定を左右するに足る証拠はない。

イ①の判定基準について

(イ) 大阪府衛生部長が当裁判所の調査嘱託に応じ、本件住民健康調査結果における慢性気管支炎症状の発症時期について回答した結果を、表に纒めたものが原告らの別表〔A四五〕の「発症時期の集計表」の①②である。

(ロ) 右別表〔A四五〕の②をグラフ化したものが原告らの別図〔A四三〕の①の「発症者数の推移」であり、そのグラフに、第一火力排出の二酸化硫黄、窒素酸化物、煤塵の各年度別排出量を重ねたものが右別図〔A四三〕の②ないし④の「第一火力による硫黄酸化物(窒素酸化物・煤塵)の排出量と発症者数の推移であり、更に右別図〔A四三〕の②のグラフに「深日」及び「楠木」における年平均pbO2値(但し昭和三九年度以降のそれは実測値であり、昭和三一年度から昭和三八年度までのそれは次の(ハ)記載の推定値である)を付加したものが、別図〔C七三〕の「第一火力によるSO2排出量・「深日」等の平均pbO2値及び発症者数の推移」である。

(ハ) 右の昭和三一年度から昭和三八年度までの間における「深日」及び「楠木」の年平均推定pbO2値は、塚谷が、昭和四二年四月から昭和五〇年三月までの九六か月間のpbO2値、風向頻度、風速、第一火力のSO2排出量のデータを基に回帰式を作り「深日」及び「楠木」等の昭和三一年度から昭和四一年度までの月別平均推定pbO2値を平均風速と風向頻度等の関係から三通り算出した、その中間(平均)値(その詳細は甲第二六二号証のとおり)を資料にして計算したものである。塚谷の算出した右推定値は、バックグラウンド濃度値と第一火力の排出量の和で決まる岬町pbO2値を、右のうちそれほど大きな割合を占めない第一火力の排出量という一変量(しかもそれには強いトレンドが含まれている)から、極端に単純化した回帰式モデルを使つて推定を行つたものでありその推定濃度値の信用力は低いが、その当時の第一火力の二酸化硫黄の排出量、バックグラウンド濃度値の動きからみればその年平均推定pbO2値が排出量最盛期より低くかつたことを示す限度では正しい(同一5(二)(2))。

(ニ) 大阪府衛生部長の前記回答は、本件健康調査の被調査者が自己の記憶に基づいて、本件アンケート調査票(前記別紙(四)参照)中のⅠ及びⅡの各「(  )年前」欄へ記入したものから集計した結果である。かかる調査は疫学上「思い出し調査」等といわれるように被調査者の記憶に基づくものであるから記憶違い等のエラーが含まれることは避けがたく、現に右原告らの別表〔A四五〕の1の集計では、五年前、一〇年前といつた区切りのよい時期に発症者が片寄つている。しかも本件回答はたつた一回きりの本件健康調査に現われた結果であり、その面でも不安定さが付きまとうが、右回答の正確性を検定するため患者の日記や医師のカルテ等を出させたりしたことはない。

(ホ) 大気汚染によつて閉塞性肺疾患に罹患するまでの期間は、前記のピーク型汚染に関する議論(同一6(一)(2))と同様、汚染濃度側の諸条件、患者側の居住条件、生活条件、身体条件等の種々の条件の繰み合わせの中で環境中毒学上決まるものであつて複雑であり、一概にはそのおおよそのことを示すことさえ困難であるが、参考になるものに公害健康被害補償法に基づいて定められる暴露要件がある。これによれば、連続居住の場合で、慢性気管支炎で二年、気管支喘息で一年、肺気腫で三年を要するものとされている。

ロ ②の判定基準について

(イ) 四〇才以上の成人の慢性気管支炎症状の自然有症率は中公審大気部会硫黄酸化物に係る環境基準専門委員会その他のこの種専門家集団の間で、約三パーセントと理解されているとみて相違ない。但し自然有症率とは、大気汚染以外(但し大気が汚染されていないといわれる地域にも存する程度の微量の硫黄酸化物等の存在は問わない)の因子による有症率をいうものであり、地域、生活環境、生活状況や時代等の変化或は疫学調査の方法によつて変わり得るものである。但し本件健康調査時における岬町の自然有症率を考えるベースを右の三パーセントに置くことに疑問を懐かせる事実はみつからない。

(ロ) なお大阪府医師会が昭和四六年六月大阪府下全公立小学校児童を対象にして、自覚症状についての調査票を配布し保護者に記入を求めその成績を纒めた「大阪府医師会による大阪府児童の大気汚染に関する自覚症状調査成績」(甲第三三号証)によれば、大阪市内の訴症率が高く、それ以外では高石市と岬町の高率が目立つているとしているが、その岬町内においては、深日小学校と孝子小学校組の合計が、多奈川小学校と同校小島分校組の合計及び淡輪小学校のそれのいずれよりも多少訴症率が高目にでている。もつとも右調査は極めて素朴なものである。

ハ ③の判定基準について

岬町の大気環境濃度は昭和四五年以降年を追つて改善され、「深日」等においても閾濃度値を割り、ほどなく良好な大気環境になつているが、その後の岬町における慢性気管支炎症状有症率の変化は調査されていないのでわからない。

二 ④の判定基準について

(イ) 二酸化硫黄、二酸化窒素及び煤塵等が慢性気管支炎症状を引き起こす生物学的な作用機序の大網は既にほぼ確定した知見となつており、中公審大気部会の各専門委員会報告等でも報告されている。既に前記二1中において疾病の原因という面からその一部を述べたが、ここでは右物質の側から、その一部を示すと、次のとおりである。

a 硫黄酸化物の影響につき、二酸化硫黄、それ自身、気道抵抗の増大、上気道の病理組織学的変化、呼吸器の細菌、ウイルスによる感染に対する抵抗力の低下等の影響を及ぼし、慢性気管支炎、肺気腫、気管支喘息等の原因や誘因となる。無水硫酸は、二酸化硫黄よりも、更に右のごとき有害性が強い。

b 窒素酸化物につき、二酸化窒素は、硫黄酸化物と同様、人体に対し慢性気管支炎、肺気腫、気管支喘息等の悪影響を与えるが、その有害性は二酸化硫黄以上であり、それは二酸化窒素が難溶性のため容易に呼吸器深部に到達するほか、細菌増殖作用や気道感染症に対する抵抗力の弱体化、或は感作増強作用などの二次的な全身影響力があるからである。

c 浮遊粒子状物質はそれ自身気道及び肺胞に沈着し人体に悪影響を与えるが、硫黄酸化物を附着してこれの呼吸器深部への到達を容易にし相乗的に有害性を増し、また二酸化窒素と共存すると気道の抵抗の増加をきたすなどにより有害性を増す。

(ロ) 環境中毒学的見地から、どの程度の汚染物質をどのような形態で吸入すれば健康に悪影響を及ぼすか等についてはいろいろな場合を想定し得るが、かかる見地から生物学的機序を見極めた知見は比較的少ない。しかしながら、一般に大気汚染の程度が高ければ高いほど健康被害の発生率が高くなる傾向があることは確定した知見であり、更に、場合によつては(例えば所謂ピーク型汚染)、大気汚染濃度がそれほど高くなくても健康被害の発生率が相当に高い場合がある(例えば五か年調査における西淀川B地区や四日市市磯津地区の例)旨も指摘されて久しい。

ホ ⑤の判定基準について

一般に慢性気管支炎症状を引き起こす因子としては、加令、性、喫煙量、大気汚染、職業性因子、結核のほかに、気候、細菌、ウイルスの感染、遺伝性因子、アレルギー素因、既往症、低収入、環境、人種、肺の防御機構とその破綻及び各種因子の重積などがあげられている。ところで岬町ABC地区には住民健康調査が行われた他の地区と比較などしても大気汚染、職業汚染及び結核を除いて、他に健康被害と係りのあるかけ離れた自然的、社会的な条件をみつけることができない(同三2(二)(2)イ(ニ)参照)。

(2) 以上の認定諸事実に、前記第一、二(第一火力の出力)、同第二、一2(二)(硫黄酸化物等の排出量)、同一3(二)(1)ニ(岬町における環境濃度値)、同一5(二)(2)(昭和三八年度以前のpbO2値)、同一8(二)(2)(大阪府下調査)及び同三2(一)(本件健康調査)の諸事実を総合すれば、次のとおり判断することができる。

イ ①の判断基準について

(イ)a 岬町ABC地区に関する慢性気管支炎症状有症者の発症時期に関しては、大阪府衛生部長が本件健康調査結果に基づいてなした前記調査嘱託に対する回答(原告らの別表〔A四五〕の①参照)があるが、同町全区についてのものであり、そこからABC地区の具体的数値を抽出することはできないし、その他に同地区の有症者の発症時期を知り得る資料はない。そこでやむなく、右調査嘱託回答に基づいて作つた前記別表〔A四五〕の②を利用して、右ABC地区に関する慢性気管支炎症状有症者の発症時期を可能な限りで推測することとする。つまり、

(a) 岬町DE地区については慢性気管支炎症状の訂正有症率が8.4パーセントと高率を示している。(同三2(一)(1)イ(ホ))が、同三2(一)(2)ロで述べたごとく措信しがたく自然有症率を超える有症者は見せかけ上のものと思われるので、前記別表〔C四九〕を利用してそれを差し引くこととし、「その他」の地区についても7.3パーセントと高率の訂正有症率が出ている(同別表〔C四八〕)が、その真偽が不明なので安全を見込んでDE地区と同様にあつかうこととする。そこで前記原告らの別表〔A四五〕の②から計算するとおおよそ九〇名近くの有症者数を差し引けばよいことになり、そうすれば、十分多目に差し引いたことになる。

(b) 他方、右の九〇名近の有症者数を同別表〔A四五〕の②から差し引くにあたつては、岬町全区にいる自然有症率に該当する者(約一一〇名)及び職業汚染、肺結核に原因する者は、(イ)同別表〔A四五〕の②の発症時期欄中の昭和三八年欄以前の発症者の殆ど総て(約三〇名)を占め(けだしDE地区等にあつて慢性気管支炎症状があるかの如く虚偽記入した者が排出量最盛期以前である昭和三八年欄以前の年に発症したと回答することは通常考えられないからである)、(ロ)更に昭和三九年欄以降の年にあつても、通常或る年にそれほど偏ることなく各年の有症者中に散在しているもの、換言すれば昭和三九年欄から昭和四一年欄までの期間における発症者は少ないので、これらの者は殆ど右の者らによつて占められていたものとみるのが自然な見方である。

(c) したがつて右のDE・その他各地区におけるおおよそ九〇名近くの有症者の殆どは昭和四二年欄以降の大巾に増加した有症者の中から、それほど或る年に片寄つた分布をせず混入しているものとみるのが自然な見方であろう。

(d) そうだとすればABC地区における、自然有症率を超え、職業汚染及び肺結核らを原因としない有症者は、殆ど昭和四二年欄以降の有症者群の中に散在していたものと推論するのが一番無理の少ない見方であろう。

b もつとも本件健康調査に基づく発症時期の特定は、被調査者の記憶に基づく回答に従つてなされているものであり、本来その信頼性の検定が必要であるが、なされておらず、その不正確さが付きまとうことを否定しようがない(同三3(二)(1)イ(ニ))ことを留意すべきである。

(ロ) 他方右の有症者数の増減と対比すべきは、ABC地区の大気環境濃度であるところ、

a 「深日」における年平均pbO2値中、昭和三八年度以前のそれは塚谷の計算した推定値しかなく、同推定値は信頼性が殆どない(同三3(二)(1)イ(ハ))。

b もつとも前記一5(三)(3)ロ(4)及び同一10(二)(2)で述べたごとく、排出量最盛期において、人に対し慢性気管支炎症状を患わすに足るAPメーター値(主として一時間値〇、一ppm以上の値参照)は、その約四〇パーセント足らずが第一火力からの排出量が上乗せしたことによつて生じたものである(同一10(二)(5)参照)。そこで第一火力の第三、第四号機(それは第一、第二号機より出力が各約二倍大きく、それだけまた多量に硫黄酸化物等を排出していた)が運転を始める以前の昭和三七年度より以前にあつては、第一火力の排出量が上乗せした量がかなり少ないはずである(その上乗せ分にあたる第一火力の排出量の増減の状況は、ほぼ原告らの別図〔A四三〕の②ないし④の各排出量の増減傾向と類似していた)し、また多くの部分を占めたバックグラウンド濃度値も排出量最盛期より少な目であつたものと認められる(同一5(二)(2)イ(ロ))から、その年平均値でみたpbO2値がどの程度の値を示したかはひとまず差し置いても、その大気環境の持つ加害性は少なからず低くなつていたはずであり、その傾向は大きくみて、第一火力の二酸化硫黄等の排出量の増減の傾向とそれほど差がなかつたものとみて差し支えあるまい。

(ハ)  してみれば第一火力の硫黄酸化物等排出量が増加し、それらに伴いABC地区の大気環境に加害性が強まつたと思われる昭和三八年一〇月から約二年半(遅くとも五年半)ほど経過した後にABC地区における有症率が高まつていることになり、これはABC地区における大気環境濃度がそう高くない(同一3(二)(1)ニの「深日」のpbO2値参照)ことからすれば、疾病の種類ごとに一般的にいわれている発病期間(同三2(二)イ(ホ)参照)等に照らし、相当な発病期間後の自然有症率超過集団の出現であると評価することもできる。したがつて右①の判定基準はまずは充足されているものとみてもよい。

ロ ②の判定基準について

(イ) 岬町ABC地区の中心付近にあり同地区を一応代表するものと見得る「深日」の大気環境濃度は前記一8(四)(2)イに述べたとおり閾濃度値を超えており、他方同地区の慢性気管支炎症状の訂正有症率は4.9パーセントであり、同三2(一)(1)イ(ホ)c)自然有症率(同三3(二)(1)ロ(イ))を多少超えている。

(ロ) 岬町ABC地区のほぼ中心部にある右「深日」のpbO2値と同地区の右訂正有症率を、五か年調査から得た方程式(y=194a+0.71)及び府下調査解析に基づいて作成した府下六地区(豊中市豊南小学校及び守口市の二地区に、参考として豊中市庄内南小学校区、堺市諏訪森地区、同市三宝地区及び高石市取石小学校区を加えたもの)によるデータの中に浮かべて比較すると前記別図〔C六三〕の「府下二地区(参考四地区)の有症率とpbO2値の関係」のとおりである(同一8(二)(2)ハ(ロ))。同図〔C六三〕によれば、岬町ABC地区は、他の六地区においてpbO2値が上がればだいたいそれに応じて有症率も増加するという同一8(二)(2)ハ(ロ)cに示した一定の傾向の中にほぼ同調していることがわかる。なお念のため付言すると、右図〔C六三〕に記入した岬町ABC地区の訂正有症率は、名目上のそれである約4.9パーセントである。しかるに同地区の現実の訂正有症率は前記三2(二)(4)に述べたごとくそれ以下であり右の値より低い。しかしながら、②の判定基準としてみた他の地区と岬町ABC地区との一致は、おおよその傾向が一致すれば足るものであるし、また岬町ABC地区の右現実の訂正有症率を出すについては、代表性の把握が不足する点をも考慮して名目上の訂正有症率を減殺しているが、右図〔C六三〕の各地区についてもかかる問題がないわけではないのにそこではこれを配慮していないし(同一8(二)(2)ロ参照)、更には右の現実の訂正有症率のおおよそは約四パーセント前後にあるものと推察されるので(同三2(二)(4)参照)、いずれにしても右の結論を認める点において不都合を生ずるものではない。

(ハ) 岬町ABC地区の大気環境濃度と前記の大気汚染との関連が問題となる訂正有症率約一パーセント足らずとの関係

a 岬町ABC地区の大気環境濃度を「深日」のpbO2値で便宜代表させてきたが、これは必ずしも正確ではない(同三2(一)(2)ニ(ホ)b(a)i参照)。けだし岬町の大気環境は繰り返し述べてきたように地点別の差異が大きいからである。そこで少なからず推論に走りすぎることをも顧ずその代表値と右の訂正有症率約一パーセント足らずとの間に関連性が認められるか否かを案ずる。

(a) 岬町ABC地区内の排出量最盛期における大気環境を推測しうる測定点としては、同地区内にあつては「深日」と「役場」があり、その周辺にあつては、東北側の海岸寄りに「岬公園」、南寄りに「国道二六号」及び「岬カントリー」西側に「朝日」及び「小田平」がありそれぞれ実測ないし推定pbO2値やピーク性等が判明している(同一3(二)(1)、5(二)及び6(四)(4))ところ、「岬公園」「岬カントリー」「朝日」及び「小田平」の各大気環境濃度は慢性気管支炎症状等に罹患せしめる閾濃度値以下であり(同一8(四)(2)イ)、また「国道二六号」も、先に前記一4(七)(3)で触れたごとく通行車両から受けている排気ガスの局所的影響分を除けばこれまた大気環境濃度は高くなく閾濃度値以下であることが明らかである。

(b) そこでこれらの各測定点の所在位置及び大気環境濃度に、第一火力からの排煙の拡散や、着地状況の予測、付近の地形、気象や換気性等の前記一4(二)(煙突及び有効煙突高さ、地形、気象)、同4(四)(大気拡散に関する各種実験)、同4(五)(pbO2値の長期平均値の分布)、同4(七)(新日本工機等の地元発生源)の諸般の事情を総合して、岬町ABC地区内における大気環境濃度の分布状況を予測すると、少なくとも証拠上は、「深日」を中心とする前記B及びC地区内の平野部(但し海岸寄りを除く)その南側にある丘陵の裾部分に、東西方向に延びる大気汚染地帯を形成しており、その西側は「役場」を過ぎたあたりに及んでいたものと推定される(なお大阪府医師会が行つた府下学童の訴症率の調査結果(同三3(二)(1)ロ(ロ))参照)。したがつて「深日」は、前述のとおり本件証拠の下でみる限り、ABC地区全体の慢性気管支炎症状有症率に相応しいpbO2値を示していず、その値は高すぎるものと推測される。

以上の諸事実から、岬町ABC地区全体を代表する濃度値を敢えて求めるならば、それは「深日」のそれより低く、「役場」のそれよりは高い閾濃度値だといわざるを得ない。

b 他方先に述べたように、これと対比すべき、大気汚染との関連が問題となる訂正有症率として、約一パーセント足らずの慢性気管支炎症状の有症者集団を推定している(同三2(二)(4))。

c ところでABC地区の代表濃度値となる右の「深日」より低く「役場」より高い一定の濃度値は、既に述べた「深日」や「役場」の大気環境濃度の加害性、前記大気汚染地域の範囲及びその濃度分布(同三3(二)(2)ロ(ハ)a(b))、岬町ABC地区内の各地区別対象者数(前記別表〔C四八〕参照)に照らせば、右ABC地区内に約一パーセント足らずの訂正有症率を有する慢性気管支炎症状有症者集団等を発生させても不思議ではない。したがつて極めて大胆な推論ではあるが、ここにも量と効果の関係の存在を窺うことができる。

(ニ) 前記三3(二)(2)イの排出量の増加時期と慢性気管支炎症状有症率の増加時期のごとく大雑把な傾向からみても、大気環境濃度の加害性が増加すると、その一定期間後に有症率も増加し対応していることがそれなりに推認できる。

(ホ)  以上によれば岬町ABC地区の大気環境濃度と慢性気管支炎症状有症者数との関係は②の判定基準をまずは満たしているものと判断する(なお原告らは岬町AないしE地区別の有症率の分布と、各地区の推定濃度値の分布が対応することもあげるが、この主張は前記三2(一)(2)ホ(イ)fで述べたとおり失当である)。

ハ ③の判定基準について

③の判定基準の意味するところは必ずしも明白でないが、

(イ) 前記三3(二)(2)イで述べたとおり、岬町ABC地区の大気環境が悪化するとかかる状態が二年半ぐらい経過した後から慢性気管支炎症状の有症率が上がつてくるという時系列での傾向が窺われる。

(ロ) 岬町の大気環境は昭和四五年度以降改善されたがその後の有症率の変化についての調査がなされていない(同三3(二)(1)ハ(イ))ので、その関係を把えることができないが、右③の判定基準は、右(イ)の事実のみでみる限り、ここでもこの判定基準に沿う方向で資料が出ていることがわかる。

ニ ④の判定基準について

(イ) 二酸化硫黄、二酸化窒素、浮遊粒子状物質が、慢性気管支炎、肺気腫を引き起こし、気管支喘息の誘因等になることは、生物学的作用機序の面からもその大網は既に確定した知見である(同三3(二)(1)ニ(イ))。

(ロ) なお岬町「深日」等の年平均値は約1.0mg/dayほどしかなく低濃度であるのに、それにもかかわらずいわゆるピーク型汚染等も加わつて慢性気管支炎症状を引き起こすとするのであるから、この辺について生物学的機序もわかるにこしたことがないところ、かかる点についても、所謂ピーク型汚染などの場合には人体の有する可遡性等の関係で発症しやすくなる程度のことは、この道で指摘されて久しい。(同三3(二)(1)ニ(ロ))。

(ハ) 右4の判定基準は、その因子が原因として作用するメカニズムがその細部にわたつて実験的に明らかにされることを要求するものではもとよりあり得ず、生物学的にそのメカニズムが一定の合理性をもつて説明できるという程度のものを要求するにすぎないものと考えられる。したがつて右④の判定基準は右の程度で満たされているものとみて差し支えがない。

ホ ⑤の判定基準について

岬町ABC地区における大気汚染との関連が問題となる有症率集団(約一パーセント足らず)と大気汚染との間に因果関係がないという可能性を排除するということは、ないことがないということを立証しなければならず困難であるから、原告らの主張するマクメインの「仮説の価値は、対立仮説の数が少ないほど高い」との言に従い、ABC地区において大気汚染以外に右の有症率集団の原因となる因子が存在しないことを認定して、これに代えることとする。

(イ) 岬町では、結核患者が他の地区より多いといわれているが、既にその点は、右有症率集団の中から除去して考えている(同三2(二)(2)イ、ロの各(ロ))。

(ロ) 岬町ABC地区では、新日本工機岬工場に勤める者に職業汚染があり、そのうち同会社の社宅に居住している同患者の分(四名)については、既に右有症率集団の中から除去しているし(同三2(二)(2)イ、ロの各(イ))、岬町外通勤による職業汚染被害者分も同様差し引いた(同三2(二)(2)イ、ロの各(ハ))。

(ハ) 慢性気管支炎症状を引き起こす因子としては、その他に加令、喫煙量があげられるが、この分は標準化したうえ、自然有症率として差し引き済みである。

(ニ) 一般的にみればその他に相当数の発病因子が考えられるが、岬町ABC地区においては、他の調査と比べ特に取り上げるに値するものは発見されていない(同三2(二)(4)イ)。

(ホ) したがつて⑤の判定基準も一応充足している。

ヘ  以上のイないしホの各判定基準とそのあてはめの結果は、④の判定基準はこの程度で十分であろうと思われるが、その余の①ないし③の判定基準のあてはめの結果は、いずれも十分とはいいがたく、中には①の判定基準のようにかなり不確かなものもある。しかしながらかかる結論が積み重なり、しかも⑤の判定基準が一応充足されているので、これらを総合すれば前記三2(二)(4)ハにおいて岬町ABC地区で大気汚染との関連が問題となる有症率集団であると総合判断したおおよそ訂正有症率約一パーセント足らずの多発集団は、その原因を探ることが必ずしも容易でない(同三1(六)(2)参照)ものの、同地区内において発生した排出量最盛期における「深日」を中心とした地域の大気汚染によつて発生していたものである可能性が強いものと判断される。

4 患者原告高木廣一他四名が岬町ABC地区における大気汚染による慢性気管支炎症状多発集団と同一性を有すること

(一) はじめに

(1) 前記2及び3において、岬町ABC地区の住民集団中に小さいながら大気汚染との関連が問題となる有症率集団が存在することを推認でき、その有症率増加の原因が岬町ABC地区にみられる大気汚染にあるものと窺われることについて述べた。そこでここでは患者原告高木他四名が岬町ABC地区の右CB多発集団の有する特性を備え同集団と同一性があるものといえるか(発病の因果関係推定の第三要件の存否)について吟味することとする(前記三1(六)(2)参照)。

(2) ところで右の発病の因果関係推定の第三要件の存否を検討する目的は、患者原告高木廣一他四名がCB多発集団の有する特性を備えそれと同一性を有することを立証することにより、その患う疾患の原因が大気汚染によることを明らかにするにある。

しかるに、

イ まず、前記三2(二)(4)イで述べたとおり右にいうCB多発集団が、僅か一パーセント足らず(換言すれば岬町ABC地区における有症者一〇四名中の僅か十数名ないしせいぜい数十名ほど)にすぎず、しかもその僅か一パーセント足らずのCB多発集団が、本件アンケート調査結果の代表性・正確性・信頼性(とりわけ正確性・信頼性)の点で把握しにくく、総合判断によつて導いた不安定さをも残した集団であり、次に同三3(二)(2)で述べたとおり、そのCB多発集団の発生原因が大気汚染によるものといえるかに関しても、五つの原則をあげて逐一検討をしたが、その発生機序が判明している点を除けば、右原則を一〇〇パーセント充足し得たといえるほどのものはなく、そのCB多発集団の原因が大気汚染であるとみても不自然でないという程度の事実をも混えてそれらの事実の集積によつてこれを推認し得る程度に止まつていることである。そのため右CB多発集団との同一性が立証し得たとしても、患者原告らの患う疾病が間違いなく大気汚染によるものといえる状態にはならない。

ロ 更に右CB多発集団との同一性を立証するについては当然のことながら、まず岬町ABC地区内に存在した大気汚染による慢性気管支炎症状の多発集団からその諸特性(全有症率集団の特性と、全有症率集団中の自然有症率集団等と区別し得るCB多発集団の特性)を抽出し、次に患者原告高木廣一他四名の各人が右の諸特性を備えているか否かを検討することが必要であるが、本件にあつてはその第一段階である大気汚染によるCB多発集団の有する諸特性を抽出すること自体が、通常の場合に比べ少なからず困難を伴う(同三1(六)(2)参照)。その理由はこの種のアンケート方式による疫学調査ではその手法の制約上調査項目・検定内容等がそう詳細なものではない(同三2(一)(1)ロ(ハ)参照)うえ、本件にあつてはプライバシーの問題等を理由に、そのアンケート調査票やその後なされた問診その他の医学的検査などの基礎資料が殆ど明らかにされていない(同三2(一)(1)イ(ホ)a、(ヘ)a、なお問診の結果につき同三2(一)(1)イ(ニ)参照)し、更にそのうえ同三4(一)(2)イ(CB多発集団の有症率及びそれと大気汚染との結び付きの各弱さ)の二つ事由が加わるからである。その結果右CB多発集団との同一性の立証の点についてもまた不安定さが伴うのである。(同一性判断対象第三ケース不該当、同三1(六)(2)イ(ハ))。

そのため本件にあつては、発病の因果関係の推定の第三要件の有無判断を経ても、それだけで患者原告らの患う慢性気管支炎症状が大気汚染によるものと認めるにいたらないことは、最初から予測されているのである。

それではかかる状態の中では、発病の因果関係推定の第三要件の有無を検討することは全く無意味かというとそうではない。患者原告らの罹患原因を探るについて有益な間接事実をそれなりに整理して抽出するに役立つ(同三1(六)(2)イ(ニ))からである。

そこで敢えて以下の検討を行うこととし、それによつて得た諸事実を、次の三5において通常の手法により得た発病の因果関係に関する事実と総合して、発病の因果関係を判断することとする。

(二) 岬町ABC地区における大気汚染による慢性気管支炎症状の多発集団から抽出できる特性

(1) 前記三2及び3(岬町ABC地区における有症率とその原因)の各事実を総合すれば、右CB多発集団から抽出できる特性の主要なものは次のとおりである。なおそれらはいずれも安全を見込んで多分に絞りをかけて抽出している。

① 岬町内の本件住民健康調査ABC地区内の、「深日」及びその南側の山麓付近を中心とする主としてBC地区(「役場」を含む)で海岸寄りを除いた地帯に居住していた者であること(同三3(二)(2)ロ(ハ)a(b)参照。)

② 居住期間は、排出量最盛期に達した昭和三八年一〇月ころ以降昭和四四年ごろまでの期間において相当期間居住し、ないし職場を有していたこと(同三3(二)(2)イ参照)。

③ 本件健康調査のころ(昭和四七年二月)満四〇才以上であつたこと(同三2(一)(1)イ(イ)参照)。

④ 慢性気管支炎症状(「咳・痰共に三か月以上、毎日のように続き、二年以上にわたるもの」)に罹患していたこと(同三2(一)(1)イ(イ)参照)。

⑤ 慢性気管支炎症状を呈し始めた時期は、同三3(二)(2)イのとおり必ずしもはつきりしないが、前記のとおり安全を見込めば昭和四一年二月ころ以降であるものと解するのが相当であること。

⑥ 肺結核や職業汚染によつて右の症状を呈しているものでないこと(同三2(二)(2)参照)。

(以下「同一性識別基準①」、「…②」「…③」という形式で略称する)

(2) その他の事由

イ 喫煙・加令・アレルギー体質等の一部又は全部と大気汚染が相加的(相乗的)に働いて始めて右慢性気管支炎症状に罹患した者は、右の慢性気管支炎症状の多発集団の中に含まれているはずである(同三1(六)(1)ロ参照。ちなみに喫煙・加令・アレルギー体質等だけで既に発病した者は自然有症率集団に属しているはずである。なおこれらの者についても大気汚染が相加的(相乗的)に働いて症状を増悪させた余地が考えられるところであるが、この症状増悪分については、ここの発病の因果関係推定の第三要件で同一性検討の対象として取り上げることにしていない。同三1(六)(2)イ(ロ)参照)。したがつて右の点を本件多発集団の特性の一つとして掲げることは理論上可能である。

しかしながら実際上はかかる特性を掲げても無意味である。なぜならば唯でさえ非特異的疾患のためその原因の特定に苦慮している慢性気管支炎症状にあつて、かかる原因物質の複合により始めて加害性を持ち得たものであるか否かの判断をすることはより一層困難であり、事実上不可能といつても過言ではないため、このようなメルクマールで患者原告ら各人がCB多発集団に属していたか否かを篩い分けることができないからである。

ロ 前記三4(一)(2)に述べた事由等もあつて、その他に右のCB多発集団の特性を示す事実はこれを抽出することができない。

(三) 患者原告高木廣一他四名が右多発集団の特性と同一のそれを備えていたかについて

(1) 次のイないしホの各事実中、イないしホの各(イ)は前記第一、一1(一)、第二、一4(ニ)ホにおいて、同各(ロ)ないし(ニ)は前記第二、二2(一)ないし(五)の各(1)(2)(但し患者原告高木のみは同(3)も含む)においてそれぞれ認定した事実の引用であり、〈証拠〉によつてこれを認めることができ、その他に右認定を左右するに足る証拠がない。

イ 亡三橋シマコは、

(イ) 昭和二四年八月から昭和五七年九月二五日死亡するまで、本件健康調査のC地区にあたる岬町深日地区内の、「深日」と「役場」との中間あたりで南側山麓寄りの位置に住んでいた。

(ロ) 大正七年一〇月生れである。

(ハ) 肺気腫兼気管支喘息を患い、慢性気管支炎も併発していた、その症状は本件健康調査でいう慢性気管支炎症状に該当する。

(ニ) 昭和四二、三年ころから風邪を引くと咳が多くなり急いで歩いたり坂道をのぼると息切れをするようなつてきた。

(ホ) 家庭の主婦であり、右疾病の原因が職業汚染によることはありえず、また肺結核も患つていなかつた。

ロ 亡木戸コナミは、

(イ) 昭和二〇年ころに、生まれた岬町深日地区に戻り、昭和五二年一月三〇日死亡するまで、本件健康調査のB地区にある国道二六号線に接面した「深日」の東北東約五〇〇メーター余の位置ないしはその近くに居住していた。

(ロ) 大正二年六月二五日生れである。

(ハ) 肺気腫を患つていた。その症状は本件健康調査でいう慢性気管支炎症状に該当する。

(ニ) 昭和四〇年ごろから風邪が長引き、咳・痰が出始め、喘鳴が続くようになり、年々増加していつた。

(ホ) 従前は右住居地で内縁の夫と共に八百屋を営み、昭和三五年ごろからは家事の傍ら夫の運送取次業を手伝つていたものであり、右疾病の原因が職業汚染によることはありえず、肺結核も患つていなかつた。

ハ 患者原告高木廣一は

(イ) 出生以来本件健康調査のB地区にある岬町深日地区内の、「深日」の北北東約二〇〇メーター付近にある肩書住所地に居住している。

(ロ) 大正元年一二月生れである。

(ハ) 肺気腫を患い、慢性気管支炎も併発している。その症状は本件健康調査でいう慢性気管支炎症状に該当する。

(ニ) 昭和四〇年ごろから喉がはしかい状態が続き咳が出るようになり、昭和四二年ごろから近くの医院へ通院し投薬を受けるようになつたが、いつこうによくならず、喉がヒューヒュー鳴り痰も詰まりだし軽い発作にも見舞われるようになつた。

(ホ) 農業で生計をたて、傍ら、昭和二一年ごろから発病した昭和四〇年ころまでの間農閑期に山仕事(立木の買付け、伐採、搬出等)をもしていたものであり、右疾病の原因が職業汚染による余地はない。また肺結核も患つていない。

ニ 亡東野美代子は、

(イ) 昭和二〇年に出生地の岬町深日地区に戻り、以来昭和五四年一月二〇日に死亡するまで本件健康調査のC地区にある、「深日」の北北西約二五〇メーターほどのところの右同所で居住していた。

(ロ) 大正九年六月生まれである。

(ハ) 肺気腫を患い、慢性気管支炎をも併発していた。その症状は本件健康調査でいう慢性気管支炎症状に該当する。

(ニ) 昭和三九年ごろから、それ以前より多少その気のあつた咳・痰が悪化し、喉がむず痒くなり、締めつけられるようで息苦しい状態が現われるようになつた。

(ホ) 一貫して専業主婦であり、右疾病の原因が職業汚染であることはなく、また昭和二五年から昭和二八年にかけて肺結核を患つたことがあるが、既にそれは治癒していた。

ホ 患者原告伊木冨士子は、

(イ) 昭和二四年ころから岬町谷川地区に住むようになり、昭和二八年ごろから昭和五二年八月までの間は本件健康調査のA地区にある同町深日地区内の国道二六号線沿いの岬石油店で働き事務や集金係りをしていたが、その間である昭和二八年ごろから昭和四三年四月ごろまでの間は同店に留守番も兼ねて住込んでいた。

(ロ) 明治四五年三月生まれである。

(ハ) 肺気腫を患い、慢性気管支炎をも併発している。その症状は本件健康調査でいう慢性気管支炎症状に該当する。

(ニ) おおよそ昭和四二年ごろから咳が出始め、痰も多少伴つていた。

(ホ) 前記のとおり岬石油店に勤めていたが、事務や集金を主たる業務としており、右疾病の原因が職業汚染によるものとは考えられず、肺結核も患つていなかつた。

(2) 右認定三4(二)(1)の諸事実によれば、

イ 前記4(二)(1)の大気汚染による慢性気管支炎症状の多発集団から抽出できる同一性識別基準①ないし⑥につき、亡三橋シマコ、患者原告高木廣一はいずれもそれらの要件を総て備えている。亡木戸コナミは発症時期がやや早い点を除いて総て備えている。亡東野美代子は発症時期が早すぎるし、患者原告伊木冨士子は居住地域が同一性識別基準①の地域外であるし、発症時期における症状が軽すぎる。もつとも右両名共その余の要件はそろつている。

ロ 但し、本件にあつては、前記三1(六)(2)イ(イ)、(ロ)4(一)(2)で述べたごとく、CB多発集団の有症率が僅か一パーセントたらずにしかすぎず、かつ、それも一定の巾がある判断であり(同三2(二)(4))、しかもそのCB多発集団全員の罹患原因が大気汚染によるものとの立証も十分なものではない(同三3(二)(2)参照)。そのため右CB多発集団の特性として選び得た前記①ないし⑥の諸特性も自然有症率集団等と区別するに意味あるものはそのうち①②⑤⑥の程度である(同三4(二)参照)。

したがつて亡三橋、患者原告高木に右同一性識別基準①ないし⑥が備つていてもそれだけの事情では未だ同原告らと右のCB多発集団との間に同一性があり、同原告らの患つている疾病との間に因果関係があるものと認めることができないことは明らかであり(同三1(六)(2)イ参照)、亡木戸、同東野、患者原告伊木についても同様である。

(四) そこで前記三1(四)(3)、4(一)(2)で述でたとおり、疫学的手法を用いた間接的な発病の因果関係の追求の中から得た同三2ないし4の諸事実を、それはそれとして評価し、その余の通常の手法を用いて得た発病の因果関係についての諸事実と総合して、患者原告高木廣一他四名の各人が罹患していた慢性気管支炎、気管支喘息、肺気腫らとの発病の因果関係の存在が認められるか否かについて、項を改め判断を示すこととする。

5 患者原告高木他四名の発病の因果関係を、前記の疫学的手法を経由して得た間接事実に限らずに認定する手法

ここでは先に前記三1(四)で述べたごとく、右原告らの発病の因果関係を、疫学の手法を経由する間接事実に限らず、それ以外の一般的な発病の因果関係推定のための間接事実に広げて認定し、それらを総合して判断する(同三1(四)(3)、4(一)(2)参照)ことにより、右発病の因果関係の存在を探ろうとするものである。

(一) そこでまず、発病の因果関係を探るについて有益な諸間接事実を、既に認定した患者原告らの疾病や疫学的手法の中から得た主要な間接事実らをも含めて、明らかにする。

次の(1)ないし(3)の各事実中、(1)のイないしへの各事実及び(3)イの前段はそれぞれ既に認定した事実の引用であり、〈証拠〉を総合すれば、これを認めることができ、その他に右認定を左右するに足る証拠はない。

(1) 肯定側の事実

イ 患者原告高木廣一、亡三橋シマコ、同木戸コナミ、同東野美代子は、いずれも排出量最盛期において岬町ABC地区における前記CB多発集団と同様、岬町内の本件健康調査BC地区内の「深日」周辺ないしその南側の山麓付近に居住していた。また患者原告伊木冨士子は排出量最盛期中の一定期間右健康調査A地区の国道二六号線沿いの職場に住み込みをしていた。これらの詳細は先に前記三4(二)(1)①②、(三)(1)イないしホの各(イ)において認定したとおりである。

ロ 患者原告高木他四名の各居住地ないし住込先の大気環境濃度は、排出量最盛期において、それぞれの程度は異なるが、いずれも同人らに対し慢性気管支炎症状等を患わすに足る閾濃度値を超えていた。右患者原告高木他四名の居住地ないし職場の各大気環境濃度、特性、侵害性の詳細は先に同一8(四)(2)ハ(ロ)ないし(ヘ)において述べたとおりである。

ハ 患者原告高木他四名はいずれも右CB多発集団と同様慢性気管支炎症状を患つており、その臨床的診断名等の詳細は先に同二2(一)ないし(五)及び同三4(三)(1)イないしホの各(ハ)において述べたとおりである。

ニ 患者原告高木他四名の各発症時期は、亡東野美代子を除けばいずれも右CB多発集団の発症時期とほぼ同様(亡木戸コナミもやや早目)であつたことが窺われ、その詳細は先に同二2(一)ないし(五)の各(2)及び同三4(三)(1)イないしホの各(ニ)において述べたとおりである。

ホ 患者原告高木他四名がいずれも従前健康に恵まれていたこと、その病状の変化、入通院による治療状況の詳細は先に同二2(一)ないし(五)の各(3)において述べたとおりである。

ヘ 患者原告高木他四名が患つている慢性気管支炎症状の原因が右CB多発集団と同様職業汚染や結核でないことについては先に同三4(三)(1)イないしホの各(ホ)において述べたとおりである。

ト 患者原告高木他四名はそれぞれ小葉中心型の肺気腫を患つているが、肺気腫には、小葉中心型と汎小葉型他一種があり、前者は大気汚染だとか喫煙だとか、慢性気管支炎に関係が深いといわれており、後者は非常に老化した場合とか本来血中にあるべきα1アンチトリプシンが先天的に欠損している場合に発生するといわれている。両者の出現比率は約一〇対一であるという説がある。以上については先に二1(三)(1)、2(一)ないし(五)の各(1)において述べたとおりである。

なお患者原告高木他四名はいずれもα1アンチトリプシンの値でも正常であつた。

チ 亡三橋シマコは、大気汚染のような非特異的刺激が喘息を引き起こす可能性があるか等を調べるアセチルコリン吸入テストで、正常値が九、〇〇〇μg/mlであるところ僅かに七八二μg/ml(一〇分の一弱)しかなく、これは気道が過敏であり、普通人の一〇分の一ほどのアセチルコリンが出ただけで気管支に変化をきたすことを示すものである(前記別図〔C六七〕の「喘息発作発現のメカニズム模式図」参照)。

リ 亡三橋シマコ及び同木戸コナミには喫煙歴がない。

ヌ 亡木戸コナミは慢性副鼻腔炎を患つていないし、またアレルゲン(一五種)皮内反応は総て陰性であるし、更にIgE(免疫グロブリンE)は二七IU/mlで低くアレルゲンが入つてきたときそれと反応するレアギンという抗体(前記別図〔C六七〕の「喘息発作発現のメカニズム模式図」参照)が少ないことを示すので特異的刺激が来ても関係がないことを窺わせているし、加えてアレルギー疾患のとき白血球の一種である好酸球(或はオエジン細胞)が末梢血中や喀痰中に増えるといわれているところ、同人の好酸球は血中でも喀痰中でも正常値であり、アレルギー体質であつたことを窺わせる事実が全くない。

ル 患者原告高木他四名は、亡東野美代子に肺結核の既往症がある以外には、本件閉塞性肺疾患の発病と関連するような既往症がないし、またこの種疾病ないし関連症状についての家族歴もない。なお亡東野美代子の肺結核は前述したとおり治癒していた。

ヲ 亡東野美代子及び患者原告伊木冨士子を除くその余の患者原告高木他二名には、右(1)及び(2)を除いてその他に閉塞性肺疾患についての発病の因果関係につき取り上げるに値するような身体的条件(但し右患者原告高木他二名が耳原総合病院で安賀医師らから受けた各種検査の結果である別紙(八)ないし(一〇)の各症例報告書(甲第一〇一、第一〇二号証、第一〇五号証及び第二八七号証)中の各記載による)、生活条件、社会条件等は存在しない。

(2) 問題となる側の事実

イ 亡三橋シマコ

(イ) 同人は、慢性副鼻腔炎を患つている。慢性副鼻腔炎と気管支喘息とは合併症であることが多く、かつ、両疾病共往々してアレルギー体質が原因となつて起こるものであることを指摘する学説も多い。

また同人は、アレルゲンテスト(皮内法)一五種中、ハウスダスト、アスペルギルス、ペニシリウムに各陽性でありカンジタに疑陽性であつたが、ハウスダストと他の三種類(いずれも真菌類)のうちの一種であるアスペルギルスの吸入誘発試験を行つたところではいずれも陰性であつた。但し皮内反応陽性者のうち吸入誘発試験で発作を起こす率は二〇ないし五〇パーセントに過ぎない旨の指摘がある。

更にアレルギー性気管支喘息において各種アレルゲンと反応して喘息発作を引き起こす抗体(IgE)の血精濃度の検査を受けているが、昭和五一年七月二五日の検査では一九五〇IU/mlと正常値の数倍も高かつた、もつとも同年九月二〇日の検査では一二五IU/mlしかでていない。

また前記のとおり、アレルギー疾患のとぎ白血球の一種である好酸球(或はオエジン細胞)が末梢血中や喀痰中に増えるといわれているところ、同人のそれには殆ど増加がみられない。

(ロ) 同人は発症当時五〇才であつた。

ロ 亡木戸コナミ

同人は発症当時五二才であつた。

ハ 患者原告高木廣一

(イ) 同人は二〇才ごろから喫煙を始め、昭和四〇年ごろ発病後も禁減煙をせず、一日に二〇本ほどの喫煙を続けていたが、昭和四八年(五七才)に和歌山日赤病院に入院した際医師から注意を受けて初めて半分ほどに減らし、昭和五〇年ごろになつて全面的に禁煙した。

ところで「閉塞性肺疾患とその治療」(乙E第九四号証の二)の五二頁では、喫煙習慣と慢性気管支炎につき「喫煙は、いわゆる大気汚染よりも、直接的な侵襲を人間の呼吸器に与えるであろうし、大気汚染物質の大半がその中に含まれており、その濃度もかなり高い」としたうえ、Brinkmanが「一日の平均喫煙本数×喫煙持続年数」の六〇〇以上をヘビースモーカーであり、喫煙量とほぼ平行して慢性気管支炎症状を呈するものが多いことを報告しているのを紹介している。

患者原告高木の喫煙歴を右基準にあてはめれば係数七八〇前後でヘビースモーカーの部類に入る(なお全国的にみた場合、四〇才以上の男子の喫煙率は七〇パーセント以上であり、一人一日あたりの平均喫煙量は約二〇本ほどである)。

(ロ) 同人は慢性副鼻腔炎を患つており、アレルゲンテスト(皮内法)では一六種のアレルゲン中五種のそれにつき疑陽性とでたが、その一つであるカンジタの一〇〇倍エキスによる吸入誘発試験では陰性である。なおIgEは正常値であり好酸球の増加もみられない。

(ハ) 同人は発症当時五四才であつた。

(ニ) 同人は燃料として薪や石炭を用いた瓦製造の仕事場で働いていたことがあつたが、それは戦前で同人が学校を卒業後二〇才ごろまでの六年間前後のことであり、同人の患つている疾病とは関係がない。

ニ 亡東野美代子

(イ) 亡東野は以前から煙草を一日あたり五、六本吸つていたが昭和四七年三月第一回目の入院をする直前にやめた。前記Brinkmanの係数によれば一九九以下の軽度喫煙者にあたる(なお全国的にみた場合四〇才以上の女子の喫煙率は約一五パーセント前後であり、一人一日あたりの平均喫煙量は十数本である)。

(ロ) 同人は発症当時四四才であつた。

(ハ) 同人は、かつてピリン疹がでたことがあり、また好酸球も心持ち増加していたが、慢性副鼻腔炎はないし、アレルゲンテストは一四種のアレルゲンにつき総て陰性であり、IgEも高くない。

ホ 患者原告伊木冨士子

(イ) 患者原告伊木は発症当時五六才であつた。

(ロ) 同人は二〇年来、煙草を多いときで三日に二〇本入り一箱ぐらいの割合で吸つてきたが、昭和五五年ごろ禁煙をした。この喫煙量は前記のBrinkmanのいう基準にあてはめると軽度喫煙者にあたる。

(ハ) 同人は一六種のアレルゲンテスト中カンジダ等四種のそれにつき陽性を示したが、カンジダの一〇〇倍エキス0.5mmlによる吸入誘発試験では陰性であつた、なおIgEは正常であり、喀痰中に好酸球も認められなかつた。

(3)イ 大気汚染と慢性気管支炎、気管支喘息、肺気腫との係り合いについては現在の科学的知見の下では不明の部分が多いが、先に前記二1(一)ないし(三)の各(3)(右各疾病の原因)で述べたところは一般的にいわれているところである。

なお慢性閉塞性肺疾患の進展機序に大気汚染等の外因的刺激因子やhost因子等の関与する状況を模式図化すると、「公害医療ハンドブック」(甲第二九三号証)中の「大気汚染と慢性閉塞性肺疾患の進展機序の関係」(別図〔C七四〕)に示すとおりである。

ロ 喫煙は、いわゆる大気汚染よりも急性で直接的な侵襲を人間の呼吸器に与えるであろうし、大気汚染物質の多くのものがその中に含まれており呼吸器の防衛機能に支障をきたすであろうし、加令もその機能を弱める場合があるであろうし、これらの状態のうえに慢性気管支炎症状等の閾濃度値を超える大気汚染物質が加わると、一般的定性的にみる限り、これが相加的に作用して慢性気管支炎、肺気腫に悪影響を及ぼす可能性が強く、またアレルギー体質によつて気道の過敏性が高まつている者に作用すれば、他のアレルゲンらも加わつて重積的にその誘因として働き、病状を悪化させることも通常予測されるところである。

ハ これらの喫煙、加令、大気汚染等の影響力の割合については、より一層困難な問題であり、未だ殆ど解明されていないが、喫煙の影響力の重大性が一般的に指摘されるところである。

なお五か年総括において慢性気管支炎症状集団につき示された喫煙、年令、大気汚染の割合について示す式(甲第二七号証、甲第三〇号証、乙E第五五号証の二)が一つの重要な参考になり得る。

(二) 以上の諸事実を中心にしてこれを総合し、主要点を要約のうえ結論を示すと次のとおりである。

(1) 亡三橋シマコ

イ 肯定側の事情

(イ) 亡三橋は昭和二四年八月以来岬町深日地区(本件健康調査のC地区)に住み(前記三4(三)(1)イ(イ))、家庭の主婦として健康に暮らしていたところ(同三4(三)(1)イ(ホ)、5(一)(1)ホ)、その居住地の大気環境が昭和三八年一〇月ころ以降約六年ほどにわたり悪化し、被告の第一火力及び新日本工機各排出の硫黄酸化物が濃度値としてもピーク性の点でも加担することにより始めて慢性気管支炎症状等罹患の閾濃度値をすれすれのところで上回る程度になつた(同三5(一)(1)ロ及び同一8(四)(2)ハ(ロ))。同人は、岬町ABC地区のCB多発集団と同様右大気環境の悪化から五、六年経過後より発症し(同三3(二)(1)イ(ホ)参照)、肺気腫及び気管支喘息(慢性気管支炎も併発)になり、入通院を繰り返した末死亡した(同三5(一)(1)(ホ)、同二2(一))。なお亡三橋の居住地の右大気汚染程度及び岬町ABC地区における大気汚染によるCB多発集団の発病期間からすれば、発症までに五、六年を要したとしても妥当な期間である(前記原告らの別表〔A四五〕及び三4(二)(1)⑤参照)と判断する。

(ロ) 同人は昭和五一年七月にアセチルコリン吸入テストを受けたが、通常人なら九、〇〇〇μg/mlあるアセチルコリン閾値が七八二μg/mlしかなく、大気汚染を含む非特異的刺激に過敏であつたことが判明しており、大気汚染によつて気管支喘息を誘発する可能性が強かつた(同三5(一)(1)チ)。

(ハ) 同人が患つていた肺気腫は小葉中心型で、大気汚染の場合にも起こり得るそれであり、α1アンチトリプシンの値は正常であつたのでこの欠損による先天的なそれなどではない(同三5(一)(1)ト)。

(ニ) 同人には喫煙歴はなく、職業汚染によつて発症した可能性もなく、肺結核も患つていないし、既応症もなく、この種疾病ないし関連症状についての家族歴等もない(同三5(一)(1)ヘ、リ、ル)。

ロ 問題点

(イ) 同人は前記の発症当時五〇才(大正七年一〇月生れ)の女性であり(同三5(一)(2)イ(ロ))。加令による発病の可能性も考えられなくはないが低率であり(同三5(一)(3)ハ参照)、大気汚染等があるにもかかわらず加令のみによつてその時期に偶然発病する可能性は極めて低いものと推認される。

(ロ) 同人はアレルギー体質であつた(同三5(一)(2)イ(イ))。そのためこれが気管支喘息に罹患した原因になつているものと思われる。但し、大気汚染が気管支喘息の誘因となり発症をさせた可能性は、同人が大気汚染のような非特異的刺激に過敏な体質を有していたことから、十分あり得る(同三5(一)(1)チ参照)。他方右アレルギー体質のみから慢性気管支炎及び肺気腫にいたることは通常ではなく、気管支喘息の誘発や大気汚染らによつて慢性気管支炎及び肺気腫をも患つていつたりする方が多い(同二1(一)、(三)(3)(5))。

(ハ) 同人は、昭和四五年ころ以降その居住地の大気環境が閾濃度値以下に下つたのに、その病状が快方に向わず昭和五一年ごろから逆に悪化している(同二2(一)(3)(4))。しかしその点は、同人が単なる気管支喘息でなく、不可逆的な肺気腫(同二1(三))をも患つていたこと、昭和五〇年ごろ肝臓にも異常が現われ食思不振等のため体力そのものを落していつた(同二2(一)(3)(4)参照)ことが原因と考えられる。

ハ その他に前記の各疾病を患う原因となる因子は窺い得ない(同三5(一)(1)ヲ。)

ニ したがつて

(イ) 亡三橋が前記の疾病を患つた原因又は誘因としてアレルギー体質、大気汚染、年令及びハウスダスト(前記別表〔C四七〕参照)らの全部又は一部が深く係つているものと推測される。

(ロ)  そこでこれらの関与の有無態様を案ずるに、同人は大気汚染との結び付きを示す事実が前記(1)イの(イ)ないし(ニ)のとおりであること、大気汚染は気管支喘息の誘因の一つであり、しかも同人が大気汚染のような非特異的刺激に過敏な体質を有していたこと、大気汚染を除くアレルギー体質のみを使つて同人が慢性気管支炎や肺気腫を併発している原因を説明することは不自然であること、加令のみによる可能性は亡三橋の発病時の年令・性からみて極めて低いことなどの諸事情を考慮すれば、a気管支喘息については、アレルギー体質らが原因となり、特定アレルゲン大気汚染(それには主として第一火力及び新日本工機排出のそれが加担している。同一10(三)(1)参照)等の非特異的刺激が誘因となつて始めて患つていたものとみるのが相当であり、b肺気腫・慢性気管支炎については少なくともこれらの原因が直接又は間接に重なつて始めて罹患したものとみるのが相当であり、これらの疾病による呼吸困難が主因となり、肝硬変も加わつて死に至つたものと認められる(同二2(一)(3)(4)参照)。その他に右結論を左右するに足る特段の事情は認められない。

(2) 亡木戸コナミ

イ 肯定側の事情

(イ) 亡木戸は昭和二〇年に岬町深日地区(本件健康調査のB地区)に戻つてきて以来、健康に恵まれ、主婦の傍ら夫の仕事を手伝つていた(同三4(三)(1)ロ(イ)、同三5(一)(1)イ、ホ)が、その大気環境が昭和三八年ごろ以降急激に悪化し、その後約二年ほどして発症した(同三4(三)(1)ロ(ニ)、5(一)(1)ニ)。同人宅の右のころ以降の大気環境は、同人宅が国道二六号線のすぐ横にあつたところから自動車の排ガスの影響をまともに受けたためごく局所的ではあつたがかなり恒常的に汚染され、それに昭和三八年度後半から加わつた被告の第一火力や新日本工機排出の硫黄酸化物が濃度値(主として高濃度域のそれ)としてもピーク性の点でも更に加担した(一10(三)(1)参照)ため、始めて慢性気管支炎症状等罹患の閾濃度値をかなりの程度で超過する状態になり、その状態が昭和四五年度ころ以降改善をみるまで続いた(同三5(一)(1)ロ及び同一8(四)(2)ハ(ハ))。同人はやがて慢性気管支炎及び肺気腫に罹患し、入通院を繰り返すうち死亡した(同三5(一)(1)ホ及び同二2(二))。なお右のCB多発集団より幾分短いかもしれない(前記原告らの別表〔A四五〕参照)が、その大気汚染程度の強さ(同一8(四)(2)ハ(ハ))を考慮に入れるとそれはむしろよく対応しているものと考えられる。

(ロ) 同人が患つていた肺気腫は、大気汚染が原因となる可能性のある小葉中心型であり、α1アンチトリプシンの欠損による先天的なそれなどではなかつた(同三5(一)(1)ト)。

(ハ) 同人には喫煙歴がなく、職業汚染による罹患や肺結核もなく、アレルギー体質でもなく、既応症はないし、この種疾病についての家族歴もない(同三5(一)(1)ヘ、リ、ヌ、ル)

ロ 問題点

同人は前記発症当時五二才(大正二年六月生れ)の女性であり(同三5(一)(2)ロ)、加令のみによる発病の可能性も考えられなくはないが、その大気環境等からみて大気汚染の影響と無関係に加令のみでその時期に発病したとみるのは明らかに不自然である。

ハ 別紙(九)の症例報告書でみる限り、その他に前記の各疾病を患う原因となる因子は窺い得ない(同三5(一)(1)ヲ)。

ニ したがつて

(イ)  右症例報告書等でみる限り亡木戸が前記の疾病を患つた原因は大気汚染と年令以外には考えられない。もつとも亡木戸は発症当時五二才の女性で喫煙歴がない(同二2(二)、同三5(一)(1)リ)から、前記の程度の大気汚染があつたとしてもこれのみによつて発病する可能性は低く(原告らの別図〔A三五〕参照)右症歴報告書で指摘されていない、同人固有の原因があつたものと推定する方が妥当である。

(ロ)  それらの原因の加担状況は、その大気汚染濃度、とりわけその中に占める第一火力・新日本工機排出の二酸化硫黄濃度が高濃度域やピーク性に寄与している状況(同一10(三)、同三5(二)(2)イ(イ))、その他の前記三5(二)2イ(イ)ないし(ハ)の諸事情からみて、第一火力及び新日本工機が排出した二酸化硫黄らが国道二六号線上の自動車の排ガスらと一緒になり、それに同人固有の何らかの原因が主として加令の要素も多少それぞれ加わつて、同人を始めて罹患させたものと思われる。

(3) 患者原告高木廣一

イ 肯定側の事情

(イ) 患者原告高木は、大正元年一二月に出生以来岬町深日の肩書住居地(本件健康調査のB地区)に居住し健康に恵まれてきた(同三4(三)(1)ハ、5(一)(1)イ、ホ)。ところがその居住地の大気環境が昭和三八年一〇月ころ以降約六年間ほどにわたり悪化し被告の第一火力及び新日本工機各排出の硫黄酸化物が濃度値としてもピーク性の点でも加担することにより始めて慢性気管支炎症状等罹患の閾濃度値を超え「深日」に類似した大気汚染状況下になつた(同三5(一)(1)ロ及び同一8(四)(2)ハ(ニ))。同人は本件健康調査ABC地区の前記CB多発集団と同様、右悪化から二年前後経過したころから発症し三、四年ほど経つたころから咳のほか痰も詰まりだし、その前後ころ以来慢性気管支炎や肺気腫で入通院を繰り返している(同三5(一)(1)ホ及び同二2(三))。なおその発症期間は、前記大気汚染による慢性気管支炎症状の多発集団の発病時期(前記原告らの別表〔A四五〕及び同一4(二)(1)⑤)や、同人の居住地の大気環境(同一8(四)(2)ハ(ニ))からみて妥当な期間であると考えられる。

(ロ) 同人が患つていた肺気腫は、大気汚染が原因となる可能性のある小葉中心型であり、α1アンチトリプシンの欠損による先天的なそれなどではない(同三5(一)(1)ト)。

(ハ) 同人には肺結核、職業汚染による罹患はなく、既往症もなく、この種疾病についての家族歴もない(同三5(一)(1)ヘ、ル)。

ロ 問題点

(イ) 同人は四〇年近くにわたる喫煙歴があり、本数も一日二〇本ほど吸うヘビースモーカーである(同三5(一)(2)ハ(イ))から、喫煙が同原告の罹患原因である可能性は強い。

もつとも喫煙と大気汚染の各加害性は急性か慢性かの違いはあるものの喫煙中には大気汚染物質の多くのものが含まれており、大気汚染と共に呼吸器の防衛機能に支障を起こさせ発病原因となる可能性が強いものと考えられる(同三5(一)(3)ロ)。

(ロ) 同人は前記発病当時五四才の男子であり(同一5(一)(2)ハ(ハ))、性・加令による発病の可能性もないわけではない。

(ハ) 同人は、昭和四五年ころ以降その居住地の大気環境が閾濃度値を割り急激に改善されていつたし、昭和五〇年ころからは禁煙をしたりした(同三5(一)(2)ハ(イ))のに、その症状が快方に向つていない(同二2(三)(3)(4))。しかしその点は、同人が不可逆的な肺気腫(同二1(三))を患つていること、年齢も高齢になつていることなどが原因であると考えられる。

(ニ) 同原告には慢性副鼻腔炎を患つているなどアレルギー体質を疑わせる事情があり(同三5(一)(2)ハ(ロ))、それも疾病に影響を与えている可能性がある。

ハ その他に前記の各疾病を患う原因となる因子は窺い得ない(同三5(一)(1)ヲ)。

ニ したがつて

(イ)  患者原告高木が前記の疾病を患つた主たる原因は、喫煙、大気汚染、年令(広げて見てもアレルギー体質)以外に求めることができない。

(ロ)  同人の喫煙歴は古く喫煙量も多くこれや年令(アレルギー体質)のみで発病する可能性は決して少なくないが、ただその場合、この時期に発病し同人にみられるような病状の展開をきたしたとするのにはかなりの偶然性が必要である。それに比べ同人は、四〇年近くに及ぶ多量の喫煙歴があり、肺の防衛機能が侵襲されているうえに、加令(アレルギー体質)も加わつて肺機能も衰えてきていたところへ、排出量最盛期にあたり居住地の大気汚染物質(第一火力や新日本工機排出のそれが、罹患と関係の深い高濃度域やピーク型につきよく寄与している。同一10(三)(1)参照)が上乗せして引き金となり、これらの重積により始めて慢性気管支炎に罹患し肺気腫にいたつたものであると見る方が、右(3)イ(イ)ないし(ハ)の発症時期その他の諸事実とも遙かによく一致するし、更に、喫煙加令(アレルギー体質)と大気汚染が一般的には重積して作用する可能性が強いこと(同三5(一)(3)ロ)などの事情ともよく符合し合理的な判断であると解される。その他に右判断を左右するに足る特段の事情も認められない。

(4) 亡東野美代子

イ(イ) 亡東野は昭和二〇年に岬町深日地区(本件健康調査のC地区)に戻つて以来専業主婦として暮らしていたところ(同三4(三)(1)ニ、5(一)(1)イ、ホ)、その居住地の大気環境が昭和三八年一〇月ころ以降約六年間ほどにわたり、被告の第一火力や新日本工機排出の硫黄酸化物等を加算して始めて慢性気管支炎症状等罹患の閾濃度値を多少超えるようになつた(同三5(一)(1)ロ及び同一8(四)(2)ハ(ホ))。

(ロ) 同人は昭和四二年ころから死亡するまで、慢性気管支炎及び肺気腫により入通院を繰り返していた(同三5(一)(1)ホ及び同二2(四))。

(ハ) 同人が患つていた肺気腫は小葉中心型で大気汚染や慢性気管支炎等から起こり得るそれであり、α1アンチトリプシンの欠損による先天的なそれなどではなかつた(同三5(一)(1)ト)。

(ニ) 同人には職業汚染による肺疾患の余地はなく、以前患つた肺結核は既に治癒していた(同三5(一)(1)ヘ)。その他に同人の患つていた右疾病と関係のある既往症はなく、この種疾病についての家族歴もない(同三5(一)(1)ル)。

(ホ) 前記の発症当時四四才の女性(同三5(一)(2)ニ(ロ))で、加令による発症の可能性は殆どなかつた。

(ヘ) かつてピリン疹がでたことがあり、また好酸球が心持ち多目であつたことがあるが、アレルゲンテスト等の結果(同三5(一)(2)ニ(ハ))からみて本件疾病に関するようなアレルギー体質であつたとは思われない。

ロ しかしながら同人は、

(イ)  昭和三九年ころから咳や痰が強くなり喉がむず痒くなり締めつけられるようで息苦しくなつており、そのころから発症したものと思われるが(同三4(三)(1)ニ(ニ)、5(一)(1)ニ)、右発症時期はその居住地の大気環境が悪化後一年も経過するかしないかの時期であり、岬町ABC地区における大気汚染によるCB多発集団の発病時期(前期原告らの別表〔A四五〕及び同一4(二)(1)⑤)及び同人の居住地の大気汚染の程度が軽微であつたこと(同三5(一)(1)ロ及び同一8(四)(2)ハ(ホ))からみて早すぎるきらいがあり、大気汚染によつて発病したものというには未だ証拠不十分というほかはない。

(ロ)  では次に大気汚染によつて右のころからその疾病が増悪したものといえるかであるが、その判断にとつて重要なのは同人が何の原因で慢性気管支炎及び肺気腫に罹患したかの可能性を絞ることである。ところで、同人には喫煙歴があるがその量は少量でありその喫煙開始時期も明らかにされていないので、同人が女性で年令も若かつたことなどの事情をも加えて考えると、これが原因で発病したものと認定するには無理があり、その他の原因については、最初の発症時の病状とか昭和四二年ごろ増悪し地元の医師へ通院した当時の症状、検査結果、医師の判断、カルテないしはそれに代る資料とかについて、原告らはそれらに関する証拠に近い位置にありながら全く立証しないため、その発病原因の手掛りさえつかめない。そのため同人の居住地のような軽微な大気汚染(同三5(一)(2)ニ(イ)参照)では、それが果して同人の患つていた慢性気管支炎等の原因に重積してそれを増悪せしめ得るものであるか否かについて判断のしようがない。したがつて大気汚染が増悪の原因となつていることもまた未だ証明不十分といわざるを得ない。

ハ  してみれば、亡東野については、大気汚染によつて肺気腫・慢性気管支炎に罹患(又は増悪)したことが証拠不十分のため認めがたく、更に大気汚染によつて慢性気管支炎症状にいたらない程度の身体等に対する被害を蒙つたことを認めるに足る証拠もない。

(5) 患者原告伊木冨士子

イ(イ) 患者原告伊木は昭和二四年から岬町谷川地区に住み昭和二八年ごろから昭和四三年四月ごろまで岬町深日地区(本件健康調査のA地区)にあたる国道二六号線沿いの岬石油店で住み込んで集金係り等として働き、その後も右谷川地区の住居から通いで働いていたところ(同三4(三)(1)ホ)、その職場の大気環境が排出量最盛期に入るころから約六年ほどにわたり悪化し、被告の第一火力の排煙に国道二六号線の自動車の排ガスの影響もかなり加わり始めて慢性気管支炎症状等の閾濃度値を越えるようになつた(同三5(一)(1)ロ及び同一8(四)(2)ハ(ヘ))。同人は右大気環境の悪化から四年ほど経過後ころから軽度ではあるが発症し、肺気腫に慢性気管支炎を併発し通院治療を受けるようになつた(同三5(一)(1)ホ及び同二2(五))。

(ロ) 同人が患つていた肺気腫は大気汚染が原因となる可能性のある小葉中心型であり、α1アンチトリプシンの欠損による先天的なそれなどではない(同一5(一)(1)ト)。

(ハ) 同人には肺結核、職業汚染による罹患はなく、既往症もなく、この種疾病についての家族歴もない(同三5(一)(1)ヘ・ル)

(ニ) 同人はアレルゲンテストで一部アレルゲンに陽性を示しているが、その他にアレルギー体質を疑わせる異常がなく(同三5(一)(2)ホ(ハ))、その罹患している疾病が肺気腫(慢性気管支炎)であるところからみてアレルギーの影響は殆ど無視し得るであろう。

(ホ) 同人は発症当時五六才の女性である(同一5(一)(2)ホ(イ))。

(ヘ) 同人は二〇年ほどの喫煙歴を有するが本数が少なく(同一5(一)(2)ホ(ロ))その影響力は弱いものと思われる。

ロ さて

(イ) 右イの(イ)ないし(ハ)の事実によれば、同人の疾患は、国道二六号線上の車両の排ガスの影響を強く受けた岬町の大気汚染が、単独で、或は右(5)イの(ニ)ないし(ヘ)の年令、煙草、アレルギー体質等の全部又は一部と重なつて作用した結果であると一応考えられそうにもみえる。

(ロ)  しかしながら同人の疾病は、排出量最盛期においては軽度であり、その後大気汚染が改善されてきたのに治まるどころか、ますます悪化の一途をたどつている。すなわち、同人は昭和四三年五月ごろ以降岬石油店での住込みをやめ自宅に戻つた(同一5(一)(1)イ及び同一4(三)(1)ホ)ので休日・夜間の大気環境が良くなつたし(同一8(四)(2)ハ(リ))昭和四五年度ごろ以降は大気環境が全体として改善され岬町でも押しなべて急激に改良されたので、もはや慢性気管支炎症状等の閾濃度値以下となつた(同一8(四)(2)ハ(ヘ)等)のに、同人の病状は快方に向く、ないしは現状維持に止まるどころか、かえつて昭和四七、八年ごろから咳や痰が強くなり全身に倦怠感を覚えるようになり、昭和五〇年一月ごろからは坂を登つたりすると呼吸因難が明白になり昭和五二年には岬石油店を退職せざるを得ず、昭和五五年ごろからは平地を歩いても同年輩の者から遅れるようになつてきたというように悪化の一途をたどつている。また同人が医師の診察を受けたのは、既に本件訴訟の一部が提起された後である昭和五〇年九月の耳原総合病院が最初で、それ以前には針治療を受けたり時々漢方薬を飲む程度であつた(同一5(一)(1)ホ及び同二2(五)(3)、(4))。

これらの事実からすれば、同人が非可逆的な疾病である肺気腫にかかつたのは昭和四七、八年ごろから以降である疑いが濃く、それ以前は慢性気管支炎のみを患つていただけである可能性が強い。そこで大気汚染がその発病ないし増悪の原因になつていたとすれば、仮にそれに加令及び軽度の喫煙が重なつていたとしても、右の大気汚染の改善に応じ、快方に向かうか、現状維持か、少なくともこんなに悪化しないのがむしろ普通の経過であろうと考えられるのに同人の病状はそうはなつていず、その間の事情を説明するに立る証拠もない。

(ハ)  してみれば同人が大気汚染により肺気腫・慢性気管支炎を患つたものと認めるには、右のとおりの問題点があり未だ証拠不十分といわざるを得ず、更に大気汚染によつて慢性気管支炎症状にいたらない程度の身体等に対する被害を蒙つたことを認めるに足る証拠もない。

6 被告の主張に対する判断

(一) 被告は仮に岬町に大気汚染があり、第一火力の排煙がそれに一部寄与していたとしても、(1)亡三橋シマコはアレルギー体質により、(2)患者原告高木廣一は一日二〇本ほどの煙草を長年吸い続けたヘビースモーカーであり、また排煙の多い瓦製造業者の下で働いていた過去があり、更にアレルギー体質であつて、これらにより、それぞれ閉塞性肺疾患に罹患した可能性が強く、(1)仮に大気汚染が存在したとしても、それが右両名の罹患の原因であると一義的に決めつけることはできない旨主張し(被告の反論第一三)、(2)更に第一火力排出の大気汚染物質が発病の原因となつているとしても、右のような事情があるので、これで減殺をすべきである旨抗弁しているものと解される。

(二) 右の主張中、(1)の発病の因果関係の否定については同三5(二)(1)ニ及び(3)ニにおいて既に判断を示したところであり、(2)の仮定抗弁は先に前記三1(二)(2)ハ、ニで述べたとおり後記第二、六の損害の判断中で触れることとする。

7以上の三2ないし5の認定によれば、亡東野美代子及び患者原告伊木冨士子には、未だ発病の因果関係が認められないから、亡東野の相続人及び患者原告伊木冨士子が求める本件不法行為に基づく損害賠償請求中、大気汚染に起因する部分は、その余の点について判断を示すまでもなく、失当である。

四  被告の大気汚染行為についての責任

1次の(一)ないし(五)の事実中、(四)(2)は先に前記一3(二)(1)において認定した事実の引用であり、その余は、〈証拠〉によつてこれを認めることができ、その他に右認定を左右するに足る証拠がない。

(一) 硫黄酸化物等による大気汚染公害事件の歴史は古く、戦前の我国においても、足尾銅山事件、別子銅山事件、日立鉱業事件などが著名であり、火力発電所についてみれば、既に明治二〇年代において東京電燈会社等が大気汚染により住民から抗議を受けていたし、大正六年から同九年にかけて大阪電燈会社の安治川東発電所と春日出発電所の降灰事件が起こつていた。これらの大気汚染等が公害として、社会から注意を受け始めたのは昭和三〇年ごろからで、大気汚染の質も主要エネルギー源が石炭の間は煤塵による大気汚染現象が中心であつたが、石油に入れ替わるに従い二酸化硫黄や窒素酸化物による大気汚染が注目されるようになつてきた。

(二)(1) 我国においてまず大気汚染防止対策に着手したのは、東京都、大阪府、神奈川県、福岡県等の大工業地帯を抱える地方自治体であり、公害防止条例を作つて独自の立場から規制をしていた。しかし、その後における我国経済の高度成長過程の中で次第に大気汚染問題が悪化かつ広域化し、全国的な規模での対策の確立が叫ばれ、国においてもこれに関与することになつた。

(2) そのような中で、厚生省が昭和二九年日本公衆衛生協会に対し諮問を行い、同協会は昭和三〇年一二月厚生大臣に対し答申を提出したことがある。もつとも国は右答申を基にして昭和三〇年と昭和三二年の二回にわたり「生活環境汚染防止基準法案」を用意し関係方面と折衝を始めたが、反対が強く国会提出を見送らざるを得なかつた。

しかしながら、急激な経済成長に伴いエネルギー消費量が更に急増し、煤塵による環境汚染が進み、硫黄酸化物による汚染もまた軽視し得ない状況となつてきたため、かかる事情を背景として、昭和三七年に「煤煙の排出の規制等に関する法律」の制定をみた。同法は、都道府県知事に委任して、工場及び事業場からの煤煙の排出規制を中心とする、全国的な規模で大気汚染防止対策を構じるものである。

ところが硫黄酸化物等については、右法律の存在にもかかわらず重化学工業化の進展、特に石炭から石油へのエネルギーの転換の促進、石油コンビナートの形式等に伴う重油消費量の増大、我国の石油の大部分が硫黄含有率の高い中東方面の原油の輸入に依存していたなどのため、更には自動車交通量の増大等のため、公害現象がますます重大化し、ここに、昭和四二年八月公害対策基本法が制定され、その趣旨を受けて昭和四三年五月大気汚染防止法が成立し、公害対策基本法九条に基づいて、昭和四四年二月硫黄酸化物に係る環境基準(旧環境基準)が閣議決定されるなどした。なお同環境基準は厚生大臣が昭和四〇年九月公害審議会(生活環境審議会の前身)に対し諮問を行つたのに端を発し、同審議会が環境基準専門委員会を設け、同委員会が昭和四三年一月生活環境審議会に対し亜硫酸ガスの環境基準について行つた報告に源流を発している。

(3) 右日本公衆衛生協会が昭和三〇年に行つた厚生大臣に対する前記の答申中には、二酸化硫黄の環境許容値として生活環境において一時間値0.1ppmを超えてはならない旨示していた。

また、右環境基準専門委員会が昭和四三年一月行つた前記の報告中には、当時知り得た資料に基づく限りでは、疫学的立場から「(一)病人の症状の悪化が疫学的に証明されないこと、(二)死亡率の増加が証明されないこと、(三)閉塞性呼吸器症状の有症率の増加が証明されないこと、(四)年少者に呼吸機能の好ましからざる反応ないし障害が疫学的に証明されないこと、等の諸条件を考慮して」二酸化硫黄濃度指示数で表した閾値は「一時間ごとに一時間の空気を採取して測定する場合には、二四時間平均一時間値に対し0.05ppm、一時間値に対し0.1ppmである」旨示していた。

(三) 大阪地方における疫学調査については、大阪府立成人病センターが昭和三七年から研究を始め、同年中に大阪市福島区、昭和三八年に能勢町、池田市等で住民健康調査を行つていたし、その方式を承継して、前記一8(二)(1)イ(ロ)のとおり近畿地方大気汚染調査連絡会が昭和三九年度から昭和四三年度にかけ五か年調査を行い、一定の成果を得つつあつた。

また、四日市市では昭和三七年ころ以降三重県立大学医学部公衆衛生学教室等が疫学調査を行い一定の成果を得ていた。

(四)(1) 硫黄酸化物等の環境濃度の測定に関しては、五か年総括によれば昭和三五年ころから大気汚染の常時監視的な測定(一時間値)の実施が可能となり昭和三九年においてAPメーターを使用し大阪市内の七測定点で計測していたし、またpbO2法による測定も既に可能であり、これの方は簡便で比較的容易に相当数設置することも可能であつた。

(2) しかし被告は、昭和三八年度以降降下煤塵の、昭和三九年度以降pbO2値の、昭和四五年一〇月(但し「孝子」のみは同年四月)以降APメーター値の各測定を開始したのみであつた。その結果得られた同測定値は前記一3(二)(1)ニのとおりであつた。

(3) また昭和四〇年前後ころには、第一火力の周辺の住民宅で降下煤塵が洗濯物に付着したり、農作物に影響が出たりするとして、地元住民からクレームを受けていた。

(五) 被告は第一火力の第三、第四号機の操業にあたり、

(1)イ 第一、第二号機の煙突を使つて現地拡散実験を繰り返すとか、拡散数値実験や風洞実験を行うとかして、第三、第四号機からの排煙が岬町へ到達するか否か、到達すると新日本工機や地元或は遠来の発生源排出の大気汚染物質とあいまち、岬町の大気環境濃度、ピーク性がどうなるか等を或る程度の精度をもつて予測し得たし、

ロ また、経費的には多少コスト高になることは避けがたかつたとしても、硫黄含有分等の少ない良質の燃料を購入して使用することも可能であつたし、

ハ 燃料の燃焼方法に工夫をして窒素酸化物の生成を押えるとか、第一、第二号機に電気式集塵装置を付設して浮遊粒子状物質を除去するとかの方法も可能であつた。

(2) しかし被告は、イ第三、第四号機の設置前はもとより、設置稼動後のほどないころにもこれらの各種実験等による予測を行わず、ロ良質燃料の使用も岬町の大気汚染を防止し得るほどには行わず、ハ燃焼方法の改善を行つたのも第三、第四号機の稼動後であり、第一、第二号機に電気式集塵装置を取り付けたのは昭和四一年一一月ごろであつた。

2 被告の注意義務違反

以上の認定事実に、前記一2(二)(被告の硫黄酸化物等の排出量と他地区との比較)、同一4(二)(2)ないし(4)(第一火力の有効煙突高さ・第一火力からみた岬町の地形・岬町の気象)、同一9(三)(1)(新日本工機との関連性)、の諸事実を総合すれば、被告には次のとおりの過失があつたものと判断する。

(一)  被告は山地丘陵のせまつた複雑な地形や気象を有する岬町において(同一4(二)(3)、(4))、その東隣にあつて同一9(三)(1)の関連性を有する新日本工機の排煙行為を認識しながら、第一火力の第一、第二号機の煙突から多量の硫黄酸化物等を排出していたのに、更にその上に二倍ほどの出力のある第三、第四号機を設置稼動させ、遠来或は地元の各種排出源や前記第一火力第一、第二号機及び新日本工機らの各排出した大気汚染物質に上乗せして大量の硫黄酸化物等を排出しようとしたものであり(同一2(二))、しかもその当時右事実はもとより硫黄酸化物や煤塵が公害を引き起こすこと及びその危険濃度のおおよそを知り得た(同四1(一)ないし(三))のであるから、かかる場合第三、第四号機の設置操業にあたつては、事前に第一火力の第一、第二号機の煙突を使つて現地拡散実験を行つたり、拡散計算や風洞実験を行つたり(同四1(五)(1)イ)、APメーターやpbO2測定器で測定を実施したり(同四1(四)(1))、住民にあたつて煤塵等の降下の有無の調査をしたり(同四1(四)(3))などして患者原告高木他二名の居住する岬町に対し、その排煙が到達するか否か、どの程度到達するか、予測される他の排出源排出の汚染物質と相まつて、その大気環境がどのくらいになるか、ピーク型汚染となるか、その程度如何等の影響力を慎重に予測し、かつ、それらの大気環境が加害性を有することを知り得る知見の入手につとめ(同四1(二)(3)、(三))、岬町住民(患者原告高木他二名を含む)に対する加害の危険性のあることを予見すべき注意義務があつたし、更にその操業開始にあたつては、岬町の山のせまつた複雑な地形や地点ごとに異なる種々の気象等からみて大気汚染を起こさないで済む程度の有効煙突高さ(同一4(二)(2))を有する高煙突にするとか、良質の燃料を使用するなどして硫黄酸化物等の排出量を減らすとか、窒素酸化物の生成を押さえるべく燃料の燃焼方法を工夫するとか、第一、第二号機の煙突に電気式集塵装置を付設して浮遊粒子物質を減少させるとかの方法の一つ又は数個を採用することにより被害発生の回避につとめるべき注意義務があつた。

(二)  しかるに被告は第三、第四号機の設置稼動に際して慢然これらの危険の事前予測対策をとらず(同四1(五)(2))、有効煙突高さの不足する高さ七六メーターの本件低煙突を建て、燃料についても大気汚染を防止するに役立つ程度の良質化を怠り、燃焼方法の改善、第一、第二号機への電気式集塵装置の付設も遅れたままで(同四1(五)(2))操業を開始し、患者原告高木他二名の住んでいた岬町深日地区の排出量最盛期における大気汚染につき加担してしまつた過失がある。

3 原告らのその余の主張に対する判断

原告らは、(一)被告には第一火力の建設につき立地上の過失があつたこと、(二)第一、第二号機の設置以降第三、第四号機の操業開始前の期間についても過失があつたこと、更に(三)被告には故意責任もあつたことをそれぞれ主張しているが、まず、右(一)は、第三、第四号機の設置稼動につき前記2(一)の注意義務を尽くせばそのことによつて患者原告らに被害を与えることを避け得たと認められるので、被告は立地上にまで制限を負担するいわれがないから採用しがたく、次に右(二)は、第一、第二号機の操業(とりわけ前記のごとく電気式集塵装置欠如のままの操業)により患者原告らの一部に或る程度の迷惑を与えたことが察知できなくはないけれども、それが、前記一3(二)(1)(岬町における環境濃度)、一8(閾濃度値)の諸事実に照らすと、未だ受忍限度の範囲を超えていたとは認めがたいので違法性自体を欠きその責任を問うことが出来ず、最後に右(三)は、本件全証拠によるも未だそこまでの事実を認めることができないので、これまた採用の限りではない。

五  水質汚濁行為等の存否及びその違法性

1 温排水について

被告が第一火力の稼動により冷却水に使用した大量の温排水を海水中に戻していることについては当事者間に争いがないが、それがなぜ患者原告らに対し被害を与える行為にあたるのか、その結果同人らは具体的にいかなる損害を蒙つていたのか等については未だ主張立証共不十分であり、採用の限りでない。

2 石炭灰及び騒音等について

被告が第一火力で石炭を燃焼させていた当時残つた石炭灰を集塵装置や炉内から回収し、第一火力に隣接した灰捨場に野積みにしていたことは当事者間に争いがなく、〈証拠〉によれば、右の石炭灰が強風時に飛散し第一火力の周辺に住んでいた岬町住民に多少の迷惑を与えたこと、及び、ボイラー点検時の高圧蒸気の噴出等に伴い、時たまかなりの騒音を発し第一火力周辺の住民に多少の迷惑をかけていたことが認められ、その他に右認定を左右するに足る証拠はない。しかしながら患者原告ら中一番第一火力の近辺に住んでいた患者原告吉竹美志でさえ数百メートル離れていたものであり、その被害の程度は、未だ受忍限度の範囲内に止まるものであると認められ、その余の患者原告らはましてしかりである。

3してみれば患者原告らやその相続人らが求める本件不法行為に基づく損害賠償請求中、温排水に起因する部分はいずれも失当である。

六  損害額の証価

1 はじめに

患者原告高木廣一他二名は、既に明らかにしてきたごとく、被告の第一火力の低煙突や新日本工機各排出の硫黄酸化物等も一定の寄与をしていた大気汚染下にさらされ、その結果右大気汚染も原因の一部となつて、生命身体に被害を蒙つた。

そこで以下の2において右被害による慰藉料額の算定を行うこととし、同2(一)においてその基礎となる事情を、同2(二)において限定責任の仮定抗弁を、同2(三)において喫煙による過失相殺の仮定抗弁をそれぞれ述べ、同2(四)において具体的慰藉料額の算定をなし、同3において弁護士費用について述べ、同4において以上の損害額の合計を算出し、同5において死亡者三橋シマコ他一名につき右損害賠償請求権の相続について述べ、同6において当事者の主張中の残余部分について判断をなし、同7において以上の結論を纒めた。

2 慰藉料額の算定

(一) 慰藉料額算定の基礎となる事情

(1) 患者原告高木廣一他二名の蒙つた被害

次の事実は前記二2(一)ないし(三)、同三4(三)、5(一)(いずれも患者原告らの疾病の状態)の諸事実の引用又はそれらから推認し得るところである。

イ 患者原告高木廣一他二名は、いずれも同二2(一)ないし(三)の各(2)の日に生まれ、従前健康に恵まれ農業等や主婦として働いていたが、被告らの加担した大気汚染等により同各(1)の疾病に罹患し、同各(2)の発症時期以来同各(3)の各症状を患い、同各(4)の入通院を繰り返した末、亡三橋は肺気腫による呼吸機能の低下に肝硬変も加わつて、亡木戸は肺気腫による衰弱等が遠因として潜んでいる心筋梗塞で、それぞれ死亡し、患者原告高木は、不可逆的な肺の破壊による機能障害を起こす肺気腫を患つているため、将来に向つても治癒の見込がない。

ロ そのため亡三橋(発症当時五〇才)、同木戸(同五二才)はいずれも死亡までの十数年にわたり、患者原告高木(同五四才)は発症以来一五年余にわたり、それぞれ同2(一)ないし(三)の各(3)及び(4)のとおりの病状による肉体的苦痛にさいなまれてきたし、また患者原告高木は今後も殆ど変らない肉体的苦痛が生涯続くものと予測される。またかかる完治のあてのない、咳・痰・呼吸困難・発作に日夜いつ見舞われるかもわからないなどの精神的不安や、亡三橋、同木戸にあつては一家の主婦として、患者原告高木にあつては一家の主として、家庭の切り盛りや家計の維持等に努めなければならない身でありながらこれができず、物心両面で家族らに迷惑をかけることへの気使い等諸々の精神的苦痛が大きかつたこともまた多言を要しないところである。

ハ また右のとおり長期間にわたり、亡三橋、同木戸は家事労働が制限され、患者原告高木は農業等に従事することが満足にできず、そのため得べかりし利益を喪失したし、入通院に要する治療費・諸経費・家族の付添い看護費、家族の就労への悪影響などの経済的負担も期間が長いだけに相当なものに及んでいる。

(2) 被告らの加害行為の特質

次の事実は、前記一2(二)(第一火力の大気汚染物質排出量)、同一3(二)(1)(岬町における環境濃度)、同一4(二)(2)ないし(4)(有効煙突高さ・岬町の地形・気象)、同一7(一)(患者原告らの生活の本拠)同四(被告の責任)の事実の要約又はそれらから推認し得るところである。

イ 被告は昭和四八年度後半から六年間余にわたり第一火力の低煙突四本から莫大な硫黄酸化物等を、近くに山地丘陵がせまつた複雑な地形と気象を備える狭い岬町において、安全性に対する配慮を十分には行わず一方的に排出し、それが患者原告らの被害発生の引き金となつた。

ロ 被告らの加害行為は、交通事故などと異なり互換性がなく、また先住している不特定の岬町住民に対し被害を及ぼした。

ハ 他方患者原告高木廣一他二名をはじめとする岬町住民は、煤塵を除けば、その被害を予見したり、防御したりする能力を殆ど持ち合わせず、仮に危険を察知しても住み慣れたその居住地から逃げだすことは、社会的にも経済的にも思いもよらぬことであり、所与の岬町の大気環境下に身をまかすしか術がなかつた。

(3) 以上の諸事実や公知の事実である賃金センサスなどを総合考慮し、慰藉料額算定の基礎となる金額を示すと次のとおりである。

亡三橋シマコ 一、五〇〇万円

同木戸コナミ 一、二〇〇万円

患者原告高木廣一 一、一〇〇万円

但し亡三橋は途中から肝臓障害を起こし肝硬変が死因に一部寄与しているので、その寄与率を前記二2(一)(3)、(4)、同三5(一)(1)ヲの事実(特に別紙(八)の①②の症例報告書)に照らし、二割とみてこれを差し引くこととする。

亡三橋以マコ 一、二〇〇万円

(二)信義則に基づく限定責任の抗弁

(1) 被告の仮定抗弁の主張

被告は、イ第一火力が岬町の大気環境汚染に一定の割合で寄与した旨の原告らの主張を争つている(被告の反論第八)が、その中には、仮に第一火力排出の大気汚染物質が到達し患者原告高木他二名を始めて罹患させた場合であつたとしても第一火力の寄与割合はごく僅かでありその限度でしか責任を負う謂れがない旨抗弁しているものと解されるし、ロ更に、患者原告高木他二名には、喫煙歴・アレルギー体質・加令・アレルゲンの存在等がその罹患の原因(又は誘因)となつているので、この面でもその限度でしか責任がない(被告の反論第一三)旨仮定抗弁しているものと思われる。

ところでこれらの抗弁は、一つには信義則に基づく限定責任の抗弁であり、高木の喫煙歴については過失相殺の抗弁であると解せられるので、次の(二)(2)、(3)及び同(三)においてそれぞれ判断を加えるものとする。

(2) 信義則に基づく限定責任の抗弁の許否

イ 競合的加害関係における原則

被告らの本件不法行為は、競合的加害関係にあたる。つまり被告らは、第一火力らの大気汚染物質の排出行為により、他の大気汚染物質や患者原告らの喫煙歴・素因・加令等とあいまち始めて同人らを罹患せしめたものである(前記三5(二)(1)ないし(3)の各ニ)。換言すれば、第一火力らの排出行為がない場合には患者原告らの被害は発生しなかつたもの(事実的因果関係の存在)と認められるので、かかる場合、被告は原則として患者原告らの蒙つた損害全体につき賠償義務を負うべきである。

その理由は、(イ)被告ら排出の汚染物質が患者原告らの発病の原因として寄与した分については、被告がその責任を負うのが当然であり、(ロ)原被告のいずれの責めにも直接帰属しない、浮遊中の大気汚染物質や素因・加令・喫煙歴(但し近時の一部喫煙歴を除く、後記第二、六2(三)参照)が右の発病原因として寄与した分についても、これを違法行為をなした被告が全部負担すべきか、それとも何ら咎むべき事情のない患者原告らも部分的に負担すべきかという点より問題とするのであるから、不法行為を支配する損害の公平な分担の理念に照らしてみると、浮遊中の大気汚染物質が寄与した分はもとより、素因等の分についても、違法行為者たる被告がこれを負担すべきであるからである。

ロ 例外(限定責任の抗弁)

(イ)  しかしながら右の損害の分担についての判断は、前記の事実的因果関係の存否の判断とは異なり、論理必然の関係で被告に負担さすべきものと決まるわけではなく、右に述べたとおり、そう考える方が不法行為を支配する損害の公平な分担の理念に照らし妥当と考えられるからにほかならない。したがつてそこには損害の公平な分担という不法行為の目的に照らし、信義則上右の原則を修正すべきものと考えられるケースにあつては、例外、つまり限定責任の抗弁を許す余地がある。

その点は既に被害者側の事情に属する素因等により被害が拡大した場合において、従前から、かなりのケースにおいて、(その法的位置付けはともかく)実質的に被告の責任を限定する方向で配慮されてきたところであるが、そうだとすれば、発病の原因となり得る、第一火力ら以外の排出した大気汚染物質についても、右の素因らと同様の思想にたつてこれを配慮することもできるはずである。

(ロ) なおかかる信義則上の一般原則を適用して限定責任の抗弁を認める考え方は、昭和四七年一〇月一日に施行された大気汚染防止法二五条の二の精神に悖るものではないし、また限定責任の抗弁を認めないと、例えば公害事件のような多数の排出源が寄与し合つている場合(後記第二、六2(二)(2)ハ(イ)参照)、小さい寄与力しか有しない排出源が、既に発病域を超え罹患している状態にある患者に増悪原因とし寄与したのか(前記の併存的加害関係参照)、それとも他の多くの原因で発病寸前にある状態に加担し始めて発病させてしまつたのか(前記の競合的加害関係)によつて、問責される範囲が著しく相異し、バランスを欠いてしまい、失当となるのである。

(ハ) また限定責任の抗弁は過失相殺の趣旨を受けたいわゆる原因相殺の抗弁ほどには被害者側に減殺を大きく求めるものではないから、限定責任の抗弁を認めたとしても、過失相殺の条文が実質上空文になるおそれもない。

(ニ) 更には大気汚染による公害事件は、そもそも一定の素因等の固有の問題を有する者に限つて被害を与えるものであるから、かかる場合にあつては加令・素因はもとより喫煙についても右の特殊性を考慮して責任を限定すべきではないとの反論もあり得よう。しかしながら、大気汚染のような公害事件は、交通事故のようにその素因等の有無にかかわらず加害を与えてしまうような強力な侵害行為ではなく、たとえていえば広く浅い不法行為であるから、大気汚染の程度が軽度で違法・有責性も低いような場合にあつては、むしろ損害賠償の範囲も、その実態を一方的に無視した結論にならないよう、具体的ケースに応じた配慮のできる法的構成を考慮すべきである。

ハ  では一般条項である右の信義則に基づく限定責任の抗弁がいかなる場合にどの程度の限定力として働き得るかの点であるが、事案に応じ、各別に決するほかない。本件においてみると、

(イ)  被告らの侵害行為以外の原因が物理的にみて発病の主要原因となつており、被告らの侵害行為が発病の原因のごく一部でしかない、平たくいえば既に他の加害因子が存在し、被告らの侵害行為が発病の引き金になつたにすぎないこと、

(ロ)  被告らの侵害行為に故意責任がなく、軽度の過失しかないなど違法有責性が少ないこと、

(ハ)  被告らの侵害行為以外の原因が患者原告ら側の責任領域に近いこと(例えば喫煙歴は患者原告らの責任領域に近く、逆に加令は一般的にはそれに近くないといえよう)、

(ニ)  被告にその責任を全部負担させた場合、被告がこれを他の者に求償(ないし不当利得返還)請求で分散することができず、実質上もそれを負担しなければならないこと、などの事情を考慮するのが相当であろうし、とりわけ(イ)、(ロ)のそれらが重要となろう。

ニ もつとも限定責任の抗弁を認め得る例外的ケースにあつても、その限定の割合の判断にあたつては、違法行為を行つた被告と何ら責めのない患者原告らとの間でその分担割合を決める点を重視し、物理的にみた原因力の割合で決することがないよう配慮しなければならない。

(3) 患者原告ら各人への適用

イ 患者原告高木廣一他二名の罹患について被告第一火力らの寄与した割合の推定

(イ) 亡三橋シマコ

a 亡三橋は、アレルギー体質・大気汚染・ハウスダスト等のアレルゲン・加令が原因(誘因)となり肺気腫(慢性気管支炎も併発)兼気管支喘息を患つていたことについては先に前記三5(二)(1)ニ(イ)で述べたとおりである。それらの原因(誘因)の関与の態様は、同三5(二)(1)ニ(ロ)で述べたとおり、(a)気管支喘息については、アレルギー体質が発病の主原因と考えられ、大気汚染は特定アレルゲンと共にその誘因となつていたにすぎない。(b)肺気腫・慢性気管支炎については少なくともこれらの原因が直接又は間接に重なつてその原因となつていたことが窺われる。

b 亡三橋の居住地の大気環境は慢性気管支炎症状等の発病閾値をほぼ一杯のところで超えていたにすぎず(同一8(四)(2)ハ(ロ))、その大気環境中において被告らの排出行為の占める寄与割合は四〇パーセント足らずであつた(同一10(三)(1))。

c 亡三橋は発症当時五二才の女性(慢性気管支炎症状を呈したのも、その数年後と推測される)で喫煙歴がない(同二2(一)、同三5(一)(1)リ)から右の程度の大気汚染下で発病する可能性は極めて低く(同一8(二)(1)イ(ニ)b、前記原告らの別図〔A三五〕参照)、発病の主要因は、亡三橋の個人的な事由によることが大きかつたものと推定される。

d これらの諸事実にその余の同三5(一)(1)、(2)イ(亡三橋の発病の因果関係)の事実を綜合して、第一火力ら排出の大気汚染物質が亡三橋の前記各疾病(肝硬変部分を除く)の罹患原因(誘因)として寄与した割合を物理的な次元で把えると、その寄与割合は僅かであつたものと推定される。

(ロ) 亡木戸コナミ

a 亡木戸は、〈証拠〉でみる限り、加令及び大気汚染が原因となり肺気腫(慢性気管支炎も併発)を患つていたものと認められる(同三5(二)(2)ニ)。

b 亡木戸の居住地の大気環境は、国道二六号線を走行する自動車の排ガスの局所的な影響が加算するため悪く、その大気環境は慢性気管支炎症状等の発病閾値をかなり超えていた(同一8(四)(2)ハ(ハ)b)。その大気環境中において被告らの占める寄与割合は二五パーセント前後であつた(同一10(三)(2))。

c 亡木戸は発症当時五二才の女性(慢性気管支炎症状はその数年後に呈していたものと推定される)で喫煙歴がない(同二2(二)、同三5(一)(1)リ)から、右の程度大気汚染があつたとしてもそれのみによつて発病する可能性は低く(同一8(二)(1)イ(ニ)b、前記原告らの別図〔A三五〕参照)、前記別紙(九)の症例報告書等で指摘されてはいない(同三5(二)(2)ニ)が他に亡木戸に固有の原因があるものと推定される(同三5(二)(2)ニ)。

d これらの諸事実に、その余の同三5(一)(1)、(2)ロ(亡木戸の発病の因果関係)の事実を綜合して、第一火力らの排出の大気汚染物質が亡木戸の前記各疾病の罹患原因として寄与した割合を物理的な次元で把えると、その寄与割合は僅かであつたものと推定される。

(ハ) 患者原告高木廣一

a 患者原告高木は喫煙・大気汚染・加令・アレルギー体質等が原因となり肺気腫(慢性気管支炎も併発)を患つていたことについては先に同三5(二)(3)ニ(イ)で述べたとおりである。

b 患者原告高木の居住地の大気環境は、「深日」のそれとほぼ同様であり、慢性気管支炎症状等の発病閾濃度を或る程度超えていたにすぎず(同一8(四)(2)ハ(ニ))、その大気環境中において被告らの占める寄与割合は四〇パーセント足らずであつた(同一10(三)(1))。

c それらの原因の関与の態様は同三5(二)(3)ニ(ロ)で述べたとおりであり、いわゆるヘビースモーカーにあたる喫煙歴が圧倒的寄与割合を占めており(前記五か年総括によつて得られた方程式及び清水が同式を使つてわかりやすく説明している別表〔C五三〕の「あなたが慢性気管支炎になる確率は?」(乙E第五五号証の二)が参考になる)、加令も多少は加わつて肺機能が衰えているところへ、大気汚染が単に引き金となつて慢性気管支炎を引き起こし、肺気腫にいたつたことが窺われる。

なお右の喫煙歴中、昭和四七年を経過した後の分については後記第二、六2(三)に述べるとおり過失相殺の事由として考慮するので、ここにおいてはそれ以前の時期における喫煙歴をさすが、そのうち昭和四七年近くの分については患者原告高木側に負担を求めやすい事情となる(後記第二、六2(三)(2)イ(ハ)参照)。

d これらの諸事実にその余の前記三5(一)(1)、(2)ハ(同原告の発病の因果関係)の事実を綜合して第一火力ら排出の大気汚染物質が患者原告高木の前記各疾病の罹患原因として寄与した割合を物理的な次元で把えると、その寄与割合は僅か(一割を超えることはない)であつたものと推定される。

ロ 被告らの大気汚染物質排出行為の違法・有責の程度

被告らは、前記六2(一)(2)イ、ロに述べたとおりの大気汚染物質排出行為を行つたものではあるが、それは過失に基づくものであり(同四2)、特に岬町は換気性に豊み一般的にみて大気汚染の起きにくいところであり、かつ、その煙突も、十分ではなかつたとはいえ、かなりの有効煙突高さを持ち、大気汚染を防止するに相当程度役立つていたので、患者原告らの居住地の大気環境は排出量最盛期にあつても慢性気管支炎等の発病閾値を多少上まわつた程度にしか汚染されていず、その当時は今ほど公害問題が叫ばれていなかつたことをも考えると、右の程度にしかすぎない大気汚染を予見できなかつたことをもつて、それほど強く非難することはできない面もあり、特に亡木戸コナミの居住地の自動車の排ガスによる局所的な汚染(同一8(四)(2)ハ(ハ))を認識できなかつた点についてしかりである。

ハ 被告の求償(ないし不当利得返還)請求の可能性

被告は本件損害賠償金を支払つた場合、新日本工機に対しては求償権を行使する方法もあり得るが、遠来のバックグラウンド濃度の排出源等に対しては、大阪湾岸周辺の被告の火力発電所と同様、汚染物質の具体的到達の立証が容易でないため、求償(ないし不当利得返還)請求をすることができないものと推定される(同一9(二)(2)ロ参照)。

ニ 以上の(2)ハ及び(3)のイないしハの諸事情を総合すれば、

(イ)a 被告第一火力らが患者原告らの疾病罹患について寄与した割合は、物理的な次元ではごく僅かであり、被告の右侵害行為の過失の程度もそう強いものとはいえない。

b しかるに本件のように広大な各地域に分布する無数に近い発生源から排出された大気汚染物質が流入して来る中で、被告がそれに上乗せして程度の比較的軽い大気汚染状態を引き起こした(逆にいえば、有症者は低率であり、その素因・喫煙歴・年令等患者側の固有の条件が大きく作用している)場合において、競合的加害関係にあることの一事をもつて原則どおり被告に右疾病に伴う被害の全責任を負わすことにすると、罹患について大きな寄与をしたと思われる喫煙歴等の患者原告側の領域に近い事情による被害部分をも含めて、大巾に被告に対し負担を割り振ることになり、しかも同種疾病の患者が広く出るため、一層被告の負担を増大させることになり、その結果は、不法行為法の目的である損害の公平な分担の見地に照らすと、患者原告らと比べ、被告に対し厳しすぎる負担を強いることになつてしまう。したがつて本件のような被告の寄与割合の少ない極端なケースにあつては、信義則に基づく限定責任の抗弁を認め、その損害賠償の範囲を限定するのが相当であると判断する(同六2(二)(2)ロ(ニ)参照)。

(ロ)  その責任限定の結果減殺すべき割合は、同六2(二)(2)ハ及び(3)の諸事情を総合して考慮すると次のとおり判断するのが相当である。

亡三橋シマコ  四割

同木戸コナミ  四割

患者原告高木廣一(後記第二、六2(三)(3)において、喫煙による過失相殺と併せて判断する)

(三) 患者原告高木廣一に対する過失相殺の仮定抗弁

(1) 被告は先に前記六2(二)(1)で述べたごとく患者原告高木に対し、その喫煙行為を過失相殺事由にあたる旨仮定抗弁しているもの(被告の反論第一三、二2参照)と解される。

(2)イ 次の(イ)ないし(ハ)の各事実中、(イ)は、前記三5(一)(2)ハ(イ)(患者原告高木の喫煙状況)の事実の、(ロ)は同六2(二)(3)イ(ハ)cの事実の各引用であり、(ハ)は公知の事実である。

(イ) 患者原告高木は長年一日二〇本ほどの喫煙を続けていたが、昭和四七年を経過したころ以降もこれを止めず、昭和四八年に慢性気管支炎で入院中医師から注意を受けて半分ほどに減らし、昭和五〇年ごろになつてようやく全面的に禁煙した。

(ロ) 喫煙は同人の患う閉塞性肺疾患に重大な悪影響を及ぼすものであり、その寄与度は五か年総括で得た喫煙・大気汚染・年令と慢性気管支炎症状の方程式やそれをわかり易くした前記別表〔C五三〕がその参考になる。

(ハ) 喫煙の及ぼす悪影響については新聞報道等によつて一般に普及した知識となつており、昭和四七年ごろ以降煙草の箱に「健康のため吸いすぎに注意しましよう」と吸い過ぎを警告する掲載がされるようになつた。

ロ 以上の事実によれば、既に慢性気管支炎等に罹患していた患者原告高木は、遅くとも昭和四七年の経過したころには喫煙がその疾病に悪影響を及ぼすことを認識できたのであり、特に昭和四八年ごろには医師の忠告さえ受けていたのであるから全面的に禁煙すべきであるのにこれを怠り、その病状を悪化させたものと推認される。したがつて、昭和四七年の経過した時点以降の喫煙による被害の拡大については、物理的な影響力の割合に従い全面的に過失相殺をされてもやむを得ないところである(右時点以前の喫煙歴については信義則上の限定責任の抗弁中において判断済みである、同六2(二)(3)イ(ハ)c)。

(3) そこで前記六2(二)及び(三)の諸事実に従い、信義則に基づく限定責任及び過失相殺の両抗弁によつて減殺される割合を案ずると、次の率をもつて相当と考える。

患者原告高木廣一  六割

(四) 慰藉料額の算定

前記六2(一)ないし(四)の諸事実と本件各証拠によつて認められる諸般の事情を総合して、被告が患者原告高木廣一他二名に対して負担すべき、又はすべきであつた慰藉料額を包括評価すると次の金額をもつて相当とする。

亡三橋シマコ   七二〇万円

同木戸コナミ   七二〇万円

患者原告高木廣一 四四〇万円

3 弁護士費用

患者原告高木廣一他二名は原告ら訴訟代理人らに委任して本件訴訟を維持せざるを得なかつたが、事案の複雑かつ困難さ、各方面の科学的専門知識の必要性、その収集の困難性等通常事件とは比べものにならない莫大な努力、経費を要し、かつ、その一〇年近くかかつた訴訟活動が相当であつたか否かはともかく、主張・立証活動に相当長期間を要したこと、その他前記認容慰藉料額等の諸般の事情を総合すると、その弁護士費用分の損害として、右認容額の一〇パーセント相当額をもつて妥当とする。

4したがつて右患者原告らが蒙つた損害額の合計は次のとおりである。

亡三橋シマコ   七九二万円

同木戸コナミ   七九二万円

患者原告高木廣一 四八四万円

5 相続

亡三橋及び同木戸がそれぞれ死亡し、その相続人がその遺産を各法定相続分どおり相続したことは先に前記第一、一1(二)において認定したとおりであり、その承継した損害賠償金額は次のとおりである。

(一)(1) 原告三橋鎮雄 三九六万円

(2) 原告三橋レイコ、同三橋弘明、同三橋一之、同三橋一仁、同繁田正枝、同三橋弘和  各六六万円

(二)(1) 原告木戸スマ、同酒井トキコ  各三一六万八、〇〇〇円

(2) 原告木戸松太郎  一五八万四、〇〇〇円

6 当事者の主張に対する判断等

(一) 患者原告らの主張する包括一率請求について

患者原告らは、被告の大気汚染物質の排出等により蒙つた患者原告高木他二名の損害は、健康被害を頂点とする全生活の破壊そのものである。したがつてそれは財産的損害や精神的損害に項目分けすることを念頭に置いたものではなく、まさに全生活の破壊そのものが包括的に一個の損害をなすものであり、その損害は患者原告ら全員の間に質的な差異がないから、全員につき一率に評価すべきものであると主張する。

原告らのいう包括請求については、健康被害を頂点とする全生活の破壊そのものを直接金銭上評価することができないから、結局先に前記六2で述べたごとくこれを慰藉料として包括的に評価するしか術がないし、かつまたこれで足りるものである。

また原告らのいう一律請求については、未だ相当性を欠くので採用の限りでない。

(二) 被告の原因相殺の仮定抗弁について

被告は仮に第一火力からの排煙が患者原告高木他二名の居住地の大気汚染に意味ある寄与をなし、かつ、右大気汚染が同人らに健康被害を与える程度のものであつたとしても、同人らの疾病には、亡三橋につきアレルギー体質が、患者原告高木につき喫煙・アレルギー体質等がそれぞれ寄与しているのでこの分を過失相殺の趣旨を拡張したいわゆる原因相殺(これを通常前記限定責任の抗弁よりも減殺の巾が大きいものと解される)により差し引くべきである旨抗弁しているのかもしれない(被告の反論第一三、二2、三)。

しかしながら、仮に右主張をしているとしても、それでは民法七二三条二項の過失相殺の規定を置いた趣旨が没却されるから採用の限りではない。

7したがつて被告は別紙(二)の「損害賠償認容一覧表」の「第一当事者目録原告」欄記載の原告らに対し、対応する同表「認容額」欄記載の損害賠償金及び、その内金である同表「慰藉料」欄記載の金員に対する本件大気汚染による不法行為の終つた後である同表遅延損害金の起算日欄記載の日から支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金を支払うべき義務を負う。

第三  第二火力の建設及び運転の差止請求

一  はじめに

原告らは主位的に信義則違反による差止請求なるものをなし、予備的に人格権又は環境権に基づく差止請求をする。ところで、右にいう信義則違反による差止請求の本質は何か、かかる主位的、予備的各差止請求が理論上一般的に認められるものかについてはひとまず差し置くとして、仮にそのような請求ができるとしても、現在及び将来にわたり、第二火力の建設及び運転の差止を求め得るのは、それによつて岬町居住の第二当事者目録原告らの被害を及ぼしており又は将来に被害を及ぼす可能性があるからであり、もし第二火力にこのような侵害性ないし侵害の可能性がないのであれば、右の各請求はその余の判断を待つまでもなく失当となる。そこで以下においてまず右の点について判断する。

二  第二火力の建設及び運転による岬町住民の健康等に対する侵害性ないしその可能性の存在

1大阪府作成の「大気汚染の気象学的考察」(甲第一五号証)中には、第三部6の「将来の予測」において(七九頁以下)、第二火力が建設された場合の予測を行い、「やや高い逆転層による高汚染は、かえつて濃度の高まることはあつても、頻度の減少することは考えられない。したがつて高気圧型(寒候期に多い)の高汚染は今までどおり現われる。しかも将来はこの型が主役となる……」とか「西高型では減少するが、高濃度発生のおそれはまだ残る」とか、「煙突が高くなるとそれ」(孝子谷など)「より深い谷間(両側の山の高さが高い)で起こる心配がある……」とか「西風による疾風汚染が起こるおそれがある、その場所として和泉山脈の西部であろう」等と第二火力の排煙による大気汚染発生の可能性を指摘し、府公審専門委員会(会長谷口知平)も昭和四八年五月付の「関西電力多奈川第二発電所の建設に伴う公害の未然防止の方策に関する調査審議報告書」(乙B第二四号証)中で右の報告を受けたりして、第二火力の排煙が影響力を有する旨を指摘する個所が散在する(例えば八六頁)し、〈証拠〉中にも、定性的には第二火力の排煙が岬町に到達しているとして右排煙による大気汚染の可能性を示唆している。

しかしながら大阪府ないし府公審専門委員会の右各報告は、検討された時点が古く、種々の仮定の下になされた将来予測にすぎず、その後大巾に二酸化硫黄等の排出量が減少したり(前記第二、一2(二))、有力な脱硝装置が開発された(後記第三、二2(一)(5)ロ参照)りした現在の事情の下で同様の判断を示されるかは疑問である(現に右甲第一五号証中でも、右の高気圧型の汚染予測について、第一火力の高煙突の場合でさえ既に予測がはずれた旨記述しているほどである)。〈証拠〉は次の2以下の認定事実に照らしにわかには措信しがたく、その他に第二火力の建設・運転による侵害性を認めるに足る証拠はない。

2かえつて、次の事実によれば、第二火力の建設及び運転を行つても、現時点においては、もはや岬町住民の健康等に対しては大気汚染による被害を与えていないし、また将来そのおそれもないものと思われる。すなわち、

(一) 次の(1)ないし(7)の各事実中、(1)及び(2)中、第二火力第一、第二号機の煙突に関する部分はいずれも当事者間において争いがなく、(4)イは先にした認定の引用であり、その余は、〈証拠〉によつてこれを認めることができ、その他に右認定を左右するに足るる証拠はない。

(1) 被告は、昭和四五年一〇月岬町多奈川谷川地区及び谷川地区先埋立地に出力六〇万キロワットの火力発電機四基(第一ないし第四号機、総出力二四〇万キロワット)の建設計画を発表し、昭和四九年八月第一、第二号機を建設し、第一号機は昭和五二年七月から、第二号機は昭和五二年八月からそれぞれ営業運転を開始した。

(2) 右第一、第二号機の煙突は高さ二〇〇メーターの鋼板製二罐集合鉄塔支持形ノズル付の高煙突であり、右第三、第四号機が将来建設される場合にも同様の規模を有する高煙突を建てることが予想される。

風速U(m/s)

2

4

6

8

10

12

K値規制に

用いられている

ボサンケⅠ式

排煙上昇

高さ(約m)

680

330

180

120

70

50

有効煙突

高さ(約m)

880

530

380

320

270

250

ボサンケⅡ式

電研修正式

排煙上昇

高さ(約m)

440

370

280

230

180

160

有効煙突

高さ(約m)

640

570

480

430

380

360

(3) 右第一、第二号機の高煙突を中心にしてみた岬町の地形は、前記第二、一4(二)(3)において第一火力の煙突を中心にしてみたそれと殆ど同一であり、第二火力の第三、第四号機の煙突が出来た場合にも右と同様であるものと推測される。

(4) 第二火力の煙突の有効煙突高さ

イ 煙突から出た排煙の拡散の原型、及び有効煙突高さを上げることによる煙突足下の大気汚染防止効果については先に同第二、一4(二)(2)イ(イ)、(ロ)において、有効煙突高さの意味・その推定式・排煙の現実の拡散形態については同第二、一4(二)(2)ハ(イ)ないし(ハ)においてそれぞれ既に認定したとおりである。

ロ 第二火力第一、第二号機の有効煙突高さは、これを推定する具体的なデータはないが、

(イ) 出力六〇万キロワット用の高煙突の場合につき先に示した別図〔C二一〕の第5、4図が参考になり、これによれば、大気の安定度中立の下で風速別排煙上昇高さ(実煙突高さは加えていない。その余の条件は同図の右上方に記載のとおり)を、大気汚染防止法のK値規制に用いられているボサンケⅠ式及びボサンケⅡ式電研修正式を用いてそれぞれ計算しており、これに実煙突高さを加えるとその有効煙突高さは次表のとおりである。もつとも本件第一、第二号機の煙突は二罐集合型になつているので、その有効煙突高さは次表のそれを下ることはない。

(ロ) 三菱重工業株式会社技術本部長崎研究所が被告の依頼で行つた同第二、一4(四)(3)の風洞実験の際、同研究所は第二火力の第一ないし第四号機を四罐集合実煙突高さ一八〇メーターと想定し、風速メーター、大気の安定度中立(その余の条件は、原告らの別図〔A一五〕の①の表最下段に記載のとおり)の下でその有効煙突高さを六一二メーターと計算して右実験を行つている。

(5) 硫黄酸化物の排出量の低減

被告は、第二火力から排出する硫黄酸化物等の排出量を現在及び将来にわたつて低減させるため、次の対策を構じている。

イ 硫黄酸化物低減のため、ミナス原油等の超低硫黄原重油を主体にし、硫黄分を殆んど含まないナフサ、NGL等の軽質燃料を併用して使用し、その年間排出量を大巾に減らしており、その状況のごく大雑把な概要は、原告らの別図〔A一〕及び右被告の別図〔B一〇一〕の左上段の図に各示すとおりである。

ロ 窒素酸化物は、燃焼に用いられた空気中の窒素酸化物が燃焼時の高温により酸化されて出来る熱的生成窒素酸化物と燃料中に含まれている窒素酸化物が燃焼して出来る燃料起源窒素酸化物とがあり、前者については、燃焼温度を不必要に上げず、高温部における燃焼ガスの滞留時間を短かくし、空気の送風量を必要以上に上げないことが必要であるから、そのために、二段燃焼法・排ガス混合燃焼法を採用し、改良型バーナーをつけ、その個別制御装置を付設し、ボイラーの燃焼制御装置をつけ燃料と空気の所要供給料を調整しており、また後者については、窒素分の少ない前記の燃料を使用しており、これらによつてその年間排出量を減らしている。そのごく大雑把な概況は、原告らの別図〔A三〕及び被告の別図〔B一〇一〕の右上段の図に各示すとおりである。

なおごく近時第二火力の第二号機に対し、第一火力の第三、第四号機(第一、第二号機は運転を中止している)と共に、脱硝率七五パーセント以上の性能を有するといわれる本格脱硝装置(乾式選択式接触還元分解法)を取り付けたので、第二火力からの窒素酸化物の排出量は更に激減している。

ハ 煤塵の排出量の低減

第二火力のボイラーは重油専焼型であるから、その排出量は非常に少ないし、更に良質の前記燃料を使用して減らしている。

ニ 被告は前記のごとき良質の燃料の確保に努力しており、これらの良質燃料の入手が困難になるおそれは現時点において予測されない。

(6) 第二火力稼動後の実測値

被告らの別図〔B一〇一〕の「第一火力・第二火力の排出量と岬町のSO2・NOx環境濃度(年平均値)の推移」は二酸化硫黄及び窒素酸化物の年平均濃度値(一時間値)と、同別図〔B一〇二〕の「第一火力・第二火力の排出量と岬町のSO2の環境濃度(月平均値)の推移」は二酸化硫黄の月平均濃度値(一時間値)と、同別図〔B一〇三〕の「第一火力・第二火力の排出量と岬町のNOx環境濃度(月平均値の推移)」は窒素酸化物の月平均濃度値(一時間値)と、それぞれに対応する二酸化硫黄と窒素酸化物の排出量との関係をいずれも昭和五〇年度から昭和五三年度にわたり表示したものである。

被告の別図〔B一〇四〕の「天気図分類別排出量と環境濃度の関係」は前記の各図と同一期間の同一データを使用し、天気図分類H型・OW型・OLS型の各該当日について二酸化硫黄と窒素酸化物の各時間別平均排出量、各風向き及び風速を表わした各時間別平均風向ベクトル、二酸化硫黄・二酸化窒素及び窒素酸化物の各時間別平均濃度値の対応関係を図示したものである。

(7) 岬町における近時の二酸化硫黄濃度及び窒素酸化物濃度は、右(6)中の各表に示したそれと同様に低い。

(二)  右認定事実に、前記第二、一3(二)(1)ニ(岬町における環境濃度)、同第二、一4(二)(4)(岬町における気象)及び同第二、一4(四)(3)イ(風洞実験)の諸事実を総合すれば、第二火力の煙突からみた岬町の地形は、前記別図〔C二二〕の「第一火力からみた岬町全図」のとおりで、南東寄りに高さ三〇〇メーター(最高は爼石山の四二〇メーター)級の山が点在するほかは、殆ど三〇〇メーター未満の山地であるところ、第二火力の煙突の有効煙突高さは弱風時においては約五〇〇メーター余以上、強風時にあつても三〇〇メーター前後を下ることは殆どないものと推定されるので、(前記二2(一)(4))、第二火力の二〇〇メーターの煙突を出た排煙は、拡散巾(鉛直分布)があり、或は排出条件に変動があることを考慮しても、気象条件が余程特殊な場合は格別さもなくば岬町住民らの居住地ないしその近辺の各測定点に着地することはまずあり得ない。しかも、第二火力の第一、第二号機の硫黄酸化物等の排出量はその出力の大きさの割からすると大巾に減少しており(同二2(一)(5))、岬町の遠近いずれの測定点の環境濃度値への影響力も全くといつてよいほどなく(同二2(一)(6))、将来一番問題の余地があつた窒素酸化物についても本格的な脱硝装置が開発され第二火力第二号機等に設置されておつてこれ以上排出量が増加するものとは予測されない(同二2(一)(5)ロ)、更にまた岬町の硫黄酸化物等の環境濃度も現在良好であり(同二2(一)(7))、将来悪化することが考えられない。

したがつて第二火力からの排煙が岬町住民に対し健康被害等の諸被害を与えていることはあり得ない(仮に微量の硫黄酸化物等が岬町内に着地するとしても、それが受忍限度の範囲内に納まることは明らかである)し、将来(仮に将来第二火力第三、第四号機等が建設された場合をも含む)も同様であると推測されるのである。

なお温水騒音等による被害ないしその危険性の主張はいまだ証拠不十分であり採用の限りではない。

3  してみれば第二当事者目録原告らの第二火力の建設及び運転の差し止めを求める本件主位的・予備的各請求は、その請求自体の法的許容性の有無を論ずるまでもなくいずれも失当であると判断する。

第四  結論

一したがつて前記第二、一8(五)、同五3、同三7、同六7及び同第三、二3に述べたところに従い、

1第一当事者目録原告らの本件各損害賠償請求は、そのうち別紙(二)の「損害賠償認容一覧表」の「第一当事者目録原告」欄記載の各原告が、対応する同表「認容額」欄記載の損害賠償金及びその内金である同表「慰藉料」欄記載の金員に対する前記不法行為の終つた後である同表「遅延損害金の起算日」欄記載の日から支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払をそれぞれ求める限度において正当であるからこれを認容し、右原告らのその余の部分及び右原告以外の原告らの各請求はいずれも失当であるからこれらを総て棄却する

2「第二当事者目録原告」らの各差止請求はいずれも失当であるからこれを棄却する

こととし、

二訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九二条本文、九三条一項本文を、仮執行の宣言について第一九六条をそれぞれ適用することとする。

よつて主文のとおり判決する。

(林繁 笠井達也 生島弘康)

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